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第四章:万世流転編
第十三話「神々の座」 その一
しおりを挟む〈バムハシード〉。
それは南北の〈ウォーリム教国〉が主神と崇める神の名だ。
世界中に散らばる神々の中でも、もっとも古いとされる播種八氏族に属しており、大気の調整者としてこの世界を守ってきた。
その姿は巨大な鯨のようで、条件さえ揃えば亜空間を泳ぐその勇姿を空に見ることもできる。
その日も、巨大な鯨は人々の前に姿を見せていた。ただし、彼を崇めるウォーリムの地ではなく、その敵国とされるイズモ神州連合の空だった。
「おお、デカいな」
道雅は自らの執政府と定めた〈天陽〉の黒瓦城で、空から地を圧する巨大な神の姿に笑みを浮かべていた。
平服のまま縁側に胡座を掻き、陶瓶に入れた酒をそのまま口に運ぶ。
執政として〈帝〉の政を助ける立場にいる彼だが、その本質は一諸侯であった頃と何ら変わりがない。
彼の姿を見付けた篠家が、慌てて駆け寄ってくる。
「殿! このような場所で酒盛りなどなされては……!」
「外からは見えんではないか。気にするな」
「そうは言っても、殿は今右丞相執政であらせられます。昼間から酒を飲んでいたなどと醜聞が広まっては、ことはお家ではなく〈帝〉の鼎の軽重を問われることになりますぞ」
瀬川の家では比較的古株に属する家臣だけに、道雅の性格はよく理解しているらしい。道雅は自分の責任では傍若無人に振る舞うことが多いが、自分の不始末を他人に押付けることは嫌う。
何事も自分の手で運ばねば気が済まない質だった。
「分かった分かった。大陸の皇王殿にも色々言われてるしな、これで最後にするとしよう」
道雅はそう言って陶瓶を呷り、濁りの残った米酒を飲み干した。
「ほれ、終わりだ」
「確かに。して、大陸の皇王殿は何と?」
「あの鯨を崇めてる連中のことだ。どうにもこうにも、エリュシオンと睨み合うために『偉大なる統合』を進めてた割には脇が甘い。神帝同士が統合の立役者で夫婦だからな、その辺りは上手くやっているが……」
道雅は〈バムハシード〉の巨体がゆっくりと西へ向かっていく様子を眺めながら、床に置いた陶瓶の口を人差し指で突いた。
「八洲の中で争っていた方がいくらも楽であったろうなぁ」
八洲は現在、瀬川を中心とする朝廷軍が各地を平定している最中だ。〈天照〉こそ持ち出さないものの、大陸の同盟国の支援を受けた朝廷軍に対抗できるほどの諸侯はごく限られている。
そして、そういった家のうち、多少目端が利く家はあっさりと道雅とその背後にいる〈帝〉に臣従を誓った。残っているのは坂東の大領『鈴月』と西方の大領『五更』、そしてそれらの家を中心に集まる小諸侯だけである。
道雅は本来、それらの戦いの先頭に立つつもりだった。
それは彼がこの国を手にしようと思い立ったその日から抱いていた野望であり、武門の男としての矜持でもあった。
しかしもう、彼にはそれを行うだけの余裕がない。
八洲という国は古来より争いの絶えない地だった。
多くの神が住まう故に、その神を崇める者たち同士の争いが絶えなかったのだ。各地の諸侯の系譜を辿れば、祖は神職であることが多い。
瀬川は土豪の出だったが、鈴月も五更もその土地の巫を始祖としている。今でこそ神々は人々の争いに介入することはなくなったが、それまでに蓄積された各地の因縁は今も続いている。
「殿はどうなさるおつもりか」
「力でねじ伏せる」
「それは鈴月と五更と、ということですかな?」
篠家がそう訊ねると、道雅は顔を歪めて古くからの忠臣を睨んだ。
「これまでの八洲全部だ。内輪揉めをするなと言っても無理だろうが、わざわざ若い男の命を千も万も奪って得るものなどさしたる価値はない。これから各諸侯の牙を抜き、〈帝〉によって統治される国に作り替える」
八洲の民には、多かれ少なかれ神々の血が混じっている。
かつてこの地に八洲の神々が流れ着いたとき、八洲の祖先たちは彼らを崇めるよりも友人として遇した。
数多く存在するために各々はそれほど大きな力を持たない下級の神など、そのまま人間との間に子を成し、神としての力を失って中に埋もれていったほどだ。
神は人に崇められ、その信仰を糧として生きる。
高位の神々であればそれ単体でも力を失うことはないが、その神によって模造された下級神にとっては、人々の信仰こそが力の源だったのだ。
人との間に子を成すことは、自らの神性を否定するに等しい。自分自身を否定しても尚人々と共に生きることを選んだ神々を、道雅は心の底から敬っていた。
世を変えるよりも、己を変えることの方が難しい。
世を否定するよりも、己を否定することの方が難しい。
それを実行し、この国の基礎を作り上げた神々に倣い、道雅は己の生き様を変えようとしていた。
「この身に流れる血。果たして何柱の神の血が混じっているものか、とんと分からん。だがな、篠家。これは存外楽しいことだぞ」
道雅はゆっくりと立ち上がると、陶瓶を篠家に押付ける。
「アルトデステニアも多くの血が混じった国だ。だが、内輪での争いなど数えるほどしか起きていない。血の謂われなど争いの種にもならんと見た」
「まあ、国主からしてそうですからな。殿がお好きな『力こそ総て』の国でありますれば」
「その通り、力は血も因果も道理も押し退けることができる。実に余の好みだ。そして、天子様の好みでもある」
道雅の言葉に篠家は眉を顰めた。
天子の名を口にするならば、それは真実以外にありえない。
だが、現〈帝〉が力押しを好んでいるとは俄に信じられなかった。
道雅はそんな篠家の内心を読み取ってか、大きく口を開けて笑った。
「力を好まぬ者が天子になぞなるものか。形は違えども、余も天子様も『力』に魅せられておるのよ!」
『力』に善悪などあるはずもない。
それは振るう者によって善にも悪にも姿を変える。
かつての八洲のように、力によって版図を得るのも良い。それは多くの悲しみを生み出すと同時に、多くの歓喜をも生み出した。
事象の片面だけを見て論ずることの愚かしさは、道雅もその経験から良く理解していた。
「もうひとりの執政殿が何を考えているかは知らんが、『力』を持った者がそう軽々しく動くことはあるまいよ」
道雅の言葉は正しかった。
だが、彼はひとつ忘れていたのだ。
己が『力』持つ者だと気付かぬならば、それは災厄と同じであると。
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