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第四章:万世流転編
第四話「誰がための戦い」 その三
しおりを挟む光の中に消えていった基地の姿を眺めているレクティファールに、これといって変わった様子はなかった。
議場の各所から漏れ出る悲嘆の声も、憤慨の声も、彼には何の影響も及ぼしていないようだった。
秘書官として控えるルーラにしてもそれは同じで、出席者の何人かはその薄気味悪さに寒気さえ感じていた。
アレは自分たちとは違う生き物なのだ、そう感じだ。
「情報院」
レクティファールが声を発すると、円卓の一角を占めていた皇国情報院の連絡官が起立する。
近衛軍の軍装によく似た正装を身に纏っているが、それは礼装として情報院が用いている衣裳だ。御前会議では、軍装の方が目立たなくて済む。
「皇王府及び軍の情報機関と連携して、彼らの戦闘記録から総ての情報を引き摺り出せ」
レクティファールの指示が飛ぶと同時に、彼の背後で演算機を操作していたルーラが、演算機から引き出した暗号譜の刻まれた金属札を連絡官に手渡す。
演算領域への侵入を封じるために普段は独立している各機関の演算機を繋ぐ、皇城最深部の異相演算機の接続暗号譜だ。これがなければレクティファールの命令を果たすことはできない。
「はッ」
ルーラから暗号譜を受け取った連絡官はレクティファールの許しを得て、その場で通信機を取り出して情報院本部へ命令を伝達する。
途端に皇城の一角にある情報院の本部が俄に騒がしくなり、ルーラの手元にある皇城の各演算機の計算出力がぐんぐんと上昇していく。
レクティファールの命令を予期していた者たちが、一斉に仕事を始めたのだ。
「五分だ、五分だけくれてやる」
抑揚の乏しいレクティファールの言葉を、連絡官が慌てて伝える。
時間がないのは分かっているが、五分というのはあまりにも困難だ。
しかし、不可能ではない。
各情報機関には、今までレクティファールたちが見ていた映像と同じものが流れていた。同胞が戦い、そして散っていく様を薄暗い穴蔵で眺めていた自分たちが何を以て彼らを弔うべきなのか、誰もが理解していた。
「必ずや、連中の化けの皮を総て引き剥がしてみせます」
連絡官はそう請け合い、部下に暗号譜を渡して全力で走らせた。
レクティファールはその様子に目を向けることなく、次の命令を発した。
「ゲルマクス、今回の防衛戦闘の指揮官は誰か」
「はい、中核となる西方総軍第九軍の司令官、ルフトシェーラ・ビル・ゼヴィアント陸軍中将を統合防衛司令官に任命しました。すでに空軍と海軍の部隊も指揮下に入れております」
二軍以上の合同部隊となる以上、統合司令官という名目で元帥府が任命する形となる。たとえ指揮下に自分よりも階級が高い者が居たとしても、任命された指揮官が最上位となる。
今回の場合、当該空域を担当する空軍大将がいたのだが、主戦場が陸上であり、敵の航空戦力がそれほど脅威にならないと判断され、陸軍中将が総指揮官に任命された。
「通信を繋げ」
「はい」
ゲルマクスが隣にいた部下を促すと、数秒の空白の後にレクティファールの前にひとりの小柄な女性が姿を現した。
薄青の髪と同じ色の瞳という妖精族らしい可憐な姿でありながら、陸軍の制帽と外套を着こなした様子に、議場が少しだけざわめいた。
〈陸軍中将、臣ルフトシェーラにございます〉
ルフトシェーラの声は、やはり容姿通りに軽やかな鈴の音のようだった。
しかし、その目は歴戦の指揮官に相応しく鋭利な刃物を思い起こさせ、所作にも無駄は一切認められない。
レクティファールはその様子に満足すると、腕を組み、淡々と命令を伝える。
「今、そちらに各分析部署から情報が送られている筈だ。貴官はそれを元に作戦を講じ、その任務を全うせよ。必要な判断については、今、私が、この場で総て承認する。この意味が分かるな?」
〈はい、陛下〉
ルフトシェーラの背後では、本営となっている幕舎を慌ただしく出入りする将兵の姿が映っている。
膨大な数の表示窓が浮かんでは移動し、また現れては消えていく。
あの場にはすでに六万にも垂んとする軍勢が配備され、指揮官の命令を待っている。レクティファールの名代たる総指揮官の命令を、だ。
「奴らはすでに我国の領土を侵し、法を犯し、我が民の財産を破壊し、生命を奪った。これは我国に対する明確な侵害であることは間違いなく、私と私の民に対するこの上ない侮辱だと断言するしかない」
〈はい〉
ルフトシェーラは頷き、レクティファールは記録官が聞き間違えないようはっきりと言葉を紡ぐ。
「よって私は、奴らの行動を我国に対する宣戦布告と看做す。貴官らはその持ちうる経験と見識、そして法によって定められたあらゆる防衛行動を行使し、アレを無力化せよ。私はそれに必要なあらゆる行動を認め、貴官はそれに必要なあらゆる行動を取る責任を負う」
レクティファールは視線だけで議場を見渡し、情報院連絡官が総ての情報を送付し、頷いたのを確認した。
「ルフトシェーラ、貴官の同輩二〇〇名が遺した情報はどうだ?」
ルフトシェーラは背後の部下が差し出した敵勢力の分析情報を一瞥し、威儀を正した。
〈この段階でこれほどの情報を得る優位性は、最低でも完全装備の重装打撃師団二個の援軍を得るに匹敵すると臣は判断いたします。二〇〇名にて二個師団と同等の戦果を出した彼らは、真に、皇王陛下の皇国軍人であります〉
「その通りだ。彼らは私の陸軍の私の将兵であり、その立場に相応しい、如何なる存在に対しても恥ずかしくない戦果を出した。一片の無駄もなく、その身命を尽くした」
これらの言葉を記録した保存紙は皇国軍記念博物館に原本が展示され、また幾つもの映画にそのまま登場する。
賛美であってはならない、しかし貶められてはならない。事実は事実として、公正に継承されるべきなのだ。その是非は、その時代、その時々の人々が判断すべきことである。
「ルフトシェーラ。勅命である」
〈は〉
故にこの一連の言葉は、こう結ばれる。
「軍人としてただ戦い、勝利せよ」
守人に結末などいらない。彼らの結末は、彼ら以外の誰かの手によって形になるのだから。
◇ ◇ ◇
「ふぃー」
通信が切れた途端にその場に座り込んだ上官を見て、第九軍の幕僚たちは無理もないことだと思った。
しかし、おもむろに葉巻を取り出した上官が葉巻を切り、魔法で火を起こして吸い始めたのには驚き、ぎょっとした。
「司令! そんなことやってる場合じゃ……」
「集音器持ってこーい。一席ぶち上げる」
ルフトシェーラは地面に胡座を掻くと制帽を取って頭を掻き、部下に命じて集まった総ての軍勢に向けて通信線を開かせた。
そして、あー、あーと声の調子を整えると、しかし葉巻を口に入れたまま喋り始めた。
「防衛線に集った諸君、こちらは統合司令官だ。今、陛下より防衛と敵軍撃破の勅命を頂いた」
先ほどまで騒がしかった司令部の周囲さえ、ルフトシェーラの放送を聞いて静まりかえる。
「陛下は我々の行動の一切を制限しないと仰った。喜べー諸君、我々は、この胸の奥にぐつぐつと煮えたぎる怒りを叩き付ける許しを得た」
あの悲劇は、防衛線の各所でそのまま映像を見ることができた。
自分たちが戦う相手がどのような存在なのか、怯えるならば今のうちに怯えておけという司令部の判断だった。
だが、怯懦よりも赫怒が彼らを支配した。
あれはヒトの死に様ではない。
あれは戦争ではない。
あれは、軍人としてよりも、ヒトとして立ち向かうべき光景だった。
「喰われて死ぬというのはなかなか得がたい経験である。生きたまま身体を千切られたり、地面に擦り付けられて摺り下ろされるというのも珍しい死に方だろう。我々が今まで戦ってきた魔獣さえ、もう少し品の良い殺し方をしてきた。帝国兵だって行儀の良い殺し方をしてきた。だが、連中はダメだ」
煙を吸い込み、味わい、吐き出す。
その吐息は集音器を通し、嘆息にも聞こえた。
「我々がこれからするのは戦争ではない。殺し合いだ。あの連中が何を考えているのか分からんし、もしかしたらアレが彼らの言語であるのかもしれない。しかし、我々は全身全霊を以て連中を殺さねばーならない」
不幸なことだ、そんな戦いをしなくてはならないことは。
しかし、同時に幸福でもある。
「よろこべー諸君。貴様らの背後には連中の餌になる民が居て、貴様らの横には連中に踏み潰される戦友がいる。ならば、諸君らのすべきことはただひとーつ」
ルフトシェーラは瞑目し、心の中で祈りを述べ、そして次の瞬間目を見開いて葉巻を噛み千切った。
「唸る魔導砲で連中を噛み千切り! 嘶く魔動剣で連中を引き裂き! 地面を揺らす自動人形で連中を捻り潰し! その足で連中に詰め寄り、その手で連中を引っ掴み、その歯で連中に食らい付け! ただ、前へ! 前へ! 前へ!!」
司令部の要員たちは、司令官の目に涙があることに気付いた。
死んだのは、彼女の部下たちなのだ。可愛い息子たち娘たちを喰われたのだ。
戦争ならば納得もできる。相手に同じことを強いているのだから。
しかし、一方的に食い散らかされることは到底容認できるものではない。
「進め! 潰せ! 奴らに恐怖の味を教えてやれ! 奴らが我々と戦争ではなく殺し合いをしたいと言うのなら、我々は奴らの恐怖となってやる!」
立ち上がり、幕舎を飛び出したルフトシェーラを、司令部幕僚たちは見送る。
ようやく空を染め始めた朝日が、目に染みる。
「我らの同胞二〇〇は、我々を奴らの天敵ならしめる情報を残した。奴らにとっての我々は、もう単なる敵ではない。天敵である! 奴らの生存を脅かす脅威である!」
彼らは、自らの行いによって天敵を生み出した。
たったそれだけのことだ。
「全軍に達する! 我らの敵に勝利せよ!」
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