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第十六章 三年目の始まり

プロポーズと最低な反応

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「ね、ねえ、いくらだったの? 高かったんじゃないの?」
「リィカの作る鏡に比べたら、全然安いぞ」
「そ、その話は、いいの……!」

 もうすでにサルマたちに押しつけて忘れたはずの話を蒸し返された。そうじゃないと言いたくなるが、手を引くアレクの歩きが早い。ついていくのが精一杯で、無言で引かれるままに歩いていると、やがてその足が止まった。

「リィカ、見てくれ」
「……え?」

 若干乱れる呼吸を整えながら、促されて視線を前に向けて、リィカは目を見開いた。

「うわぁ……」

 ここはある種の展望台のようになっていた。
 王都の町並み、そしてその先に連なる景色が、よく見える。

「ここは貴族街でもかなり奥の方だから、リィカは来たことないんじゃないかと思ったんだが、正解だったな」

 リィカの様子にアレクは嬉しそうに笑って、握る手に力を込めた。

「小さい頃からずっと、ここを父上が治めていて、いずれ兄上が後を継ぐんだと。それに俺は何が出来るだろうかと考えていた」

「アレク?」

「魔王が誕生したとき。父上に魔王を討伐しろと言われたとき。浮かんだのは、ここの景色だった。父上と兄上が必死に守っているこの場所を、景色を守りたいと思った」

 アレクは遠くを見ていた。今リィカはアレクと手を繋いでいるのに、その距離は果てしなく遠い。

 その距離に、リィカは何も言えず、何も出来ずにいると、アレクがリィカを見た。一気に距離が縮まる。

「そして旅の間に、もう一つ、大切なものが出来た」
「え?」

 アレクは繋いでいた手を離してリィカの正面に立つ。そしてリィカの左手を取ると、先ほど買ったばかりの指輪を取り出した。

「リィカのことだ」

 薬指にはめて、そこに唇を落とす。

「本当なら、もう少し言うのは後にしようと思っていた。もっと、リィカが慣れてからにしようと。だが、たった数日でも、リィカの世界は広がっていって、俺の知らない交友関係も増えていくだろうから」

 赤い顔のリィカに、アレクは静かに笑いかけた。

「リィカ。これからの人生も、ずっと俺と一緒にいて欲しい。俺と共に生きて欲しい。俺と婚約して……そして結婚してほしいんだ」

 リィカが大きく目を見開いた。

 きっと、ここから赤い顔がさらに赤くなるだろう。そしてきっと、慌てふためく。だから、アレクは言うつもりだった。今すぐの返事は求めないと。ゆっくり考えて、最終的に「はい」の返事をくれればいいからと。

 ――だから、リィカの顔がのは、予想外だった。

「リィカ……?」
「……あ」

 リィカが、強張った顔を慌ててごまかすように笑顔を作る。

「や、やだなぁアレク。わたしは、どうがんばったって元平民だよ? 王子様と結婚なんかできるわけないの、分かってるでしょ?」

 貼り付けたような笑顔で言って、アレクから視線を逸らせる。わざとらしく「景色すごいねー」と言っているリィカを、アレクは呆然と眺めた。


※ ※ ※


 そこから先のことは、アレクはよく覚えていない。気付けば城の自分の部屋にいて、座っているソファの前には、兄のアークバルトがいた。

「リィカ嬢に結婚を申し込んだら、はぐらかされたのか。それは辛いね」

 しかもどうやら、兄に一通りの事情まで話してしまっていたらしい。
 どれだけボーッとしていたのか。しかし、そう思う自分の思考も、定まらない。

「……正直な所、すぐに話を受けてもらえるとは思っていなくて。元平民の自分には無理だと、そんなことは言われるんじゃないかとは、思っていて。でも……」

 それ以上言葉にならず、アレクは口を噤む。
 言われるんじゃないかと思っていた事を言われた。けれど、違う。あれは、違った。

「話を受ける受けない以前に、真剣に言ったことを、冗談のように受け流されてはね。少し意外だったね。そんなタイプの人間に見えなかったけど」
「……俺も、意外でした」

 少なくとも、アレクが本気で言ったことは、リィカだって分かっていたはず。だというのに、リィカはごまかした。アレクが言ったことを、まるで冗談であったかのようにごまかしたのだ。

 うつむいたままのアレクに、アークバルトは向き合った。

「リィカ嬢のことは、私よりもよほどアレクの方が分かっている。だから、もしリィカ嬢の反応が、アレクの想像も寄らないものだとしたら、何かそこに事情があるのかもしれないね」
「……事情?」

 アレクが顔を上げた。驚いた顔をしている。

「そう。アレクからのプロポーズを、なかったことにしたい、あるいは聞かなかったことにしたい事情が」

 けれど、結局はすぐにまたうつむいた。
 ボソボソと、アレクらしくなく言葉を口にする。

「……だったら、断ればいいじゃないですか」

 なかったことにされるくらいなら、まだその方がいい。けれど、アークバルトは首を横に振った。

「話をなかったことにするのと、断るのとはまた別物だよ。断ればそれで終わり。話をなかったことにしたいのは、要するに今の関係は続けていきたいということだ」

「つまり、嫌われては、いない?」

「……いや、そうだけど。喜ぶことでもないと思うよ。リィカ嬢のやったことは、控えめに言っても最低なことだよ」

 顔を上げてホッとした顔をしているアレクに、アークバルトは苦笑する。しかも、最低だと言ったら、ムッとした顔をしている。
 重症だな、と思いつつ、ふと思う。リィカ自身だって、もしかしたらそれを自覚しているのではないかと。

「明日、少し話をしてみようかな、リィカ嬢と」

 もちろんアークバルトと二人きりでは角が立つから、レーナニアも当然巻き込むが。話をした結果によっては、アレクとの婚姻に反対する可能性も出てくる。

(でも、リィカ嬢はそんな人間には見えないんだよね)

 アークバルトは、それなりに人を見る目には自信がある。
 病弱だった小さい頃はともかく、ある程度体力がついてきてからは、人との交流を重ねてきた。王太子として、次期国王として、努力を重ねてきた。

 長く貴族社会で生きてきた老獪な貴族たちに敵うとは思っていないが、それは比較対象が悪い。リィカのような相手に騙されることはないと思っている。

 リィカが、アルカトル王国の貴族になった事は、主立った国には通知している。そしてそれには当然、ルバドール帝国も含まれる。

 リィカへの求婚を仄めかしてきたかの帝国は、果たしてどういう手段に出るのか。一番あり得る可能性としては、今度は仄めかしではなく、はっきりとした婚姻の申し込みをしてくるだろう。

 その時に、自分かアレクかどちらかと婚約していれば、断るのも容易い。まさか、王族との婚約を無くしてでも、自分たちに寄越せとは言わないだろう。一介の貴族でも、それなりに名のある貴族であれば、何とかなる。

(魔力は、子から子へ、受け継がれる可能性が高い。だから、リィカ嬢の子は、高い魔力を持って生まれる可能性がある)

 だから、そんな相手を王家に嫁として迎えることができるのは、歓迎できることだ。
 おそらく、他の貴族家でも似たような事を考えている家はあるだろうが、常にアレクが側にいさせているから、早々に諦めざるを得ないだろうと思う。

 ナイジェルが、リィカを「情婦」と言った。けれどそんなことはあり得ないことだ。もしそれを本気で言っているとするならば、リィカの価値を分かっていない、ただの愚か者だ。

 リィカを国から出してしまうのは、国の大いなる損失だ。できれば、すんなりとアレクと婚約してほしいのだが。

(さて、どんな事情を抱え込んでいるのやら)

 面倒な事にならなければいいな、とアークバルトは思いつつ、不安そうな顔をしているアレクに笑いかける。

「心配するな、アレク。私に任せてくれ」


※ ※ ※


「さいてい、だ、わたし……」

 同じ頃。
 寮に戻ったリィカは、一人ベッドに突っ伏していた。

「ごめんなさい、アレク。なんで。嬉しいのに。好きなのに。なんで……」

 もらった指輪に手を触れつつ、リィカは目から零れそうになる涙を、拭う。

「泣いちゃだめだ。そんな資格、わたしにないんだから」

 そうつぶやきながら、漏れそうになる嗚咽を、堪えていた。
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