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一度目

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婚約したものの、結婚はわたしが二十歳を超えてからという事だった。
侯爵家の仕来りにより、跡取りであるリアムの結婚相手となれば、
相応の婚約期間を設け、次期侯爵夫人に相応しいか、見られる事になる。
緊張し、力が入ってしまうが、リアムは優しく言ってくれた。

「難しく考えなくて大丈夫だよ、余程の事が無い限り認められるものだから。
何かあれば、僕に言って欲しい、僕が君をフォローするから___」

寄り添ってくれ、手助けしてくれるというリアムに、わたしは感激した。

リアムもわたしを望んでくれているのだ!
ああ、やっぱり、リアムも運命を感じていたのね!

リアムを失望させてはいけない。
それに、リアムは優しいが、彼に甘える事はしたくない。
わたしは、皆に「次期侯爵夫人に相応しい」と認めて貰える様、努力しようと心に決めた。

そんなわたしに手を差し伸べてくれたのが、デュラン侯爵夫人、ルイーズだ。

「大丈夫ですよ、ジスレーヌ、私が全て教えて差し上げますからね。
私の言う通りにしていれば、私の様に、皆から尊敬され、威厳のある
次期侯爵夫人になれますよ___」

ルイーズの言葉は心強く、わたしの心を捕らえた。
彼女は男爵令嬢から、侯爵夫人になった人で、その経験で得たものを、
わたしに教えてくれるという。
それに、彼女は美しく、神々しい!
ルイーズ様の様になれたら、きっと、誰もがわたしを《次期侯爵夫人》と認めてくれるわ!
わたしは彼女に憧れ、心棒していった。


ルイーズは《侯爵夫人》の振る舞いをわたしに教えてくれた。

「爵位が下の者や使用人とは、親しくしてはいけませんよ。
それは、甘く見られるという事。
侯爵夫人は雲の上の存在でなくてはいけないの。
あなたは、そう、自分を女神だとしなさい、自然と振る舞い方が分かりますよ」

わたしは、女神___
そう思うと、自然と背筋が伸びた。
使用人たちへも、冷静に客観的に対する事が出来た。

「使用人は学も無く、拙い者たちばかりですからね、
私たちが教えて差し上げなくてはいけません…

あなた!これが見えて?これは何?
そう、この汚れが見えないなら、掃除婦の資格は無いわね、
今直ぐ館から出ておいき!首よ!

こんな風にね、皆、後で私に感謝するでしょう___」

皆の事を思い、嫌われ役を買って出られているなんて!
ああ、ルイーズ様は本当に、女神様だわ!

「ジスレーヌ、私の側にいて、私を見て習うといいわ。
あなたがリアムと結婚した暁には、私たちは家族になるのですから、仲良くしましょうね。
ジェシカもあなたが好きみたいよ、ジスレーヌ。あなたの様になりたいと言っているわ」

ああ、素敵な義母!それに、可愛い義妹!
わたしは何て恵まれているのかしら!
きっと、わたし程、幸せな娘はいないわ!


だが、リアムはわたしがルイーズやジェシカと親しくするのを、良く思わなかった。

「ジスレーヌ、最近、侯爵夫人と一緒に居る様だけど…」

リアムは侯爵の仕事を手伝っているので、わたしがデュラン侯爵の館に居ても、
あまり会う事が無い。少し寂しかったが、今は次期侯爵夫人になる為の
学びを優先するべきと考え、抑えていた。

「はい、侯爵夫人から、所作等を教えて頂いております」
「必要なら、僕が教育係を付けるよ」
「それでは、侯爵夫人に相談してみます」
「ジスレーヌ、正直な所…僕としては、君を侯爵夫人やジェシカに近付けたくないんだ…」

思わぬ事に、わたしは驚いた。

「何故ですか?」

「兎に角、侯爵夫人とジェシカには近付かないでくれ」

リアムが理由を言わなかったので、わたしは頭を悩ませた。
考えても分からず、それで、ルイーズに聞いてみたのだ。

「リアム様から、侯爵夫人とジェシカとあまり親しくしないで欲しいと言われたのですが…
どうしてなのか、理由が分からなくて…」

「それは、私がリアムの継母だからでしょう。
リアムにとって、母親は亡くなった実母だけですから…
私がどれ程、あの子を愛し、気に掛けても、あの子には疎ましいだけなのよ…」

ルイーズが涙を零し、わたしは胸が痛くなった。
リアムは優しい人だが、《母親》は特別なのだろう…
そう理解出来たものの、一方で、リアムを息子と思うルイーズが切なかった。

「でも、あなたは仲良くして下さるでしょう?
私の胸の内を知るのは、あなただけよ、
どうか、私とリアムの懸け橋になって下さいね、ジスレーヌ」

しっかりと手を握られ、わたしは胸が熱くなり、その手を強く握り返した。

「はい、リアム様もいつか必ず、ルイーズ様のお気持ちを分かって下さいますわ」

以降、わたしはリアムには秘密にし、頻繁にルイーズを訪ねた。


◇◇


『ドレスは必ず新調する事』
『二度も同じドレスを着ては、財力が落ちたと言っている様なものですからね』
『ドレスは最新のものになさい』
『侯爵家ともなれば、流行の最先端にいなくてはいけませんよ』

これまでルイーズの言葉通りにしてきたが、今回ばかりはドレスが間に合わなかった。

「わたしは、仕立て屋から甘く見られているのね…
いいわ、ルイーズ様から言って貰いましょう!」

わたしは仕方なく、古いドレスを身に付けた。
流行を追えない分、シンプルで上品なドレスにし、代わりに、宝飾品を豪華にした。

「そのドレス、誕生日にリアムから貰ったものだろう?いいじゃないか」

馬車に乗り込んで来た兄が、それに気付いた。
そう、二月近く前、誕生日にリアムから贈られたドレスだ。
リアムの瞳を思わせる、深い青色で、上品で手触りの良い生地が使われている。
このドレスを見た時、わたしは喜んだのだが、ルイーズからの評価は、イマイチだった。

『まぁ!古臭い型ね!それに、これではシンプル過ぎるわ。
シンプルなのと上品は違いますからね。
これは言うなら…センスが無く野暮ったい、かしら』

それ以降、クローゼットの奥に仕舞い、袖を通す事も無かったのだが、
緊急事態という事もあり、これに決めた。
他のドレスは、飾りが多かったり、型が独特で、いつの流行りかが目立ってしまうのだ。
その点、このドレスには、特徴といったものがない…

「何、不貞腐れた顔してるんだ?ドレスが泣くぞ」

兄にからかわれ、わたしは顔を窓の方に向けた。

「不貞腐れてなんかいませんわ!」

そうよ、リアム様に会えるんだもの___!





「ミシェルの事、お聞きになって?」
「ラフィット伯爵の娘のミシェルよ、あの方、お気の毒にね…」
「去年、結婚なさったんでしょう?」
「ええ、でも、どうやら生まれた子は、夫との子では無いらしいの…」
「あら、知らなかったの?子が出来て、男は逃げたのよ」
「それで困って、急遽年の離れた男に貰って貰ったの」
「相手は彼女の持参金目当てだったから、度々暴力を振るわれているそうよ…」
「今ではすっかり、顔の形が変わっているとか…」
「まぁ!恐ろしい!」
「子供は無事なのかしら…」

パーティでは、貴族の噂話は尽きない。
今夜、会場のあちこちから聞こえてくるその多くは、ミシェルの噂だった。
何とも気の毒で、ぞっとする話だが、自業自得にも思えた。
結婚もしていない男に身を任すなど、どうかしている___
それがふしだらに思え、同じ伯爵令嬢として、もやもやとした。

もし、リアムがその様な事をしてきたら…
確かに断る事は難しいかもしれない。

「いいえ!リアム様なら、絶対、そんな事はしないわ!」

わたしはその結論に満足し、愛おしい婚約者を探した。

蜂蜜色の髪が目に入り、そちらに向かおうとしたわたしは、寸前で足が止まった。
リアムは一人では無かった。
赤毛の令嬢が、頻りに彼に話し掛けている。
笑顔で返すリアムを見た瞬間、わたしの胸の奥で、嫉妬の炎が燃え上がった。

「リアム様、お待たせ致しました」

わたしは強引に二人の会話に割って入った。
わたしはリアムの隣に並び、彼を上目に見て、にこやかに聞いた。

「リアム様、この方は、お知り合いですの?」

「モロー男爵令嬢、エリザだよ。
エリザ、彼女はローレン伯爵令嬢、ジスレーヌ、僕の婚約者だ」

わたしはリアムが「婚約者」と紹介してくれた事で、少し安堵したが、
不安はまだ完全には消えてくれなかった。
エリザを盗み見る。
彼女は長い睫毛を瞬かせ、口の端をキュっと引き上げ、大きな笑みを見せた。
大きな琥珀色の目は、面白そうに、キラキラと煌めいている。

「うふふ、初めまして!あたし、デビュタントを終えたばかりなんですよ!
先日のパーティで、リアム様に踊って頂いたんです!
今夜も踊って頂けますかぁ?」

エリザが甘える様に言い、わたしは奥歯を噛んだ。
リアムは断ってくれるものと思ったが、「いいかな?」とわたしに聞いた。
わたしはショックで、頭が真っ白になり、「ええ…」と零すのが精一杯だった。
リアムにエスコートされて向かうエリザが、わたしを振り返り、ニヤリと勝ち誇った様に笑った。
それを目にした瞬間、わたしはガツンと頭を殴られた気がした。

リアムを狙っているんだわ!

ああ、どうして気付かなかったのだろう?
どうして、「駄目」と言わなかったのだろう?
リアムも、どうして、あんな娘と…

わたしは、はたと《それ》に気付いた。

エリザは、先日のパーティでリアムと踊ったと言った。
わたしはリアムが出席するパーティには、必ず同伴していた。
リアムにも、パーティには一人で行かないでと言ってあった。
それなのに…

「パーティに、一人で行ったというの?」

わたしは酷くショックを受けた。
リアムを信じていた。
リアムは誠実な人だし、これまで約束は守ってくれていた。
それなのに、どうして___!

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