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2章「暁の鏡とさ迷える魂」

3.暁の鏡

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 石灯の間をくぐり抜けると、のんびりと横になる牛の像が待ち受けていた。
 鳥居の中に入る前に、左へと折れる。底なし沼なんだぞーと、小学校低学年の時に散々脅かされた池がある。その上にかけられた、ゆるくカーブのある木の橋を通る。池は苔むしていて緑色に汚れていたが、住みついている亀が泳いでいるのが見えた。
 軽く頭を下げてから社に近づく。スポーツバッグの中から財布を取り出し、一円玉を賽銭箱にそっと入れる。鈴を鳴らし、二回深くおじぎをしてから、二回拍手をし、頭を深くさげた。もう一度軽くおじぎをしてから、誉は社から離れた。
 橋を渡り終えた誉は、鳥居をくぐって中に入る。参道の左端を歩いていく。龍の形をした水口は節水しており、祭の時以外は水がでない。そのため、手水舎には寄らず、真っ直ぐ拝殿へと進む。先程と同じ手順で参拝した後、拝殿の右手に設置されている社務所の方へ向かう。
「すいませーん」
 と話しかけてみても、ドアをノックしてみても誰も出てこない。おかしいなと誉が首を傾げた時、社務所の後ろにある垣根の奥から男の人の声が聞こえた。
「あ、すみません。本日連絡した日諸祇です」
 木の柵を開けて、細身の男性が出てくる。白い着物に、紺色の袴を着ている。この神社の神主だ。
「清水ですね? 今取ってきますので、お待ちください」
「はい」
 行儀のいい笑顔を浮かべ、柵の向こうに戻っていく神主を見送る。神主の姿が完全に見えなくなってから、誉はふーっと息を吐いた。
「誉」
 その胸元で、鬼神さまがもぞりと動く。
「はい」
 胸ポケットを指で開くと、中から鬼神さまが出てきた。どうにも小ささが同じくらいだからか、猫というよりもリスのような感じを受けてしまう。
 肩にのった鬼神さまは、背筋を丸め、周りを丹念に見渡している。
「お待たせしました」
 神主が手に竹筒を持って戻ってきた。ぶわっと尻尾を膨らませた鬼神さまは、神主に跳びかかっていった。
「今世さま……っ!」
 なにかが竹筒に勢いよく当たってきたため、神主は手放してしまう。中に入っていた清水を、鬼神さまは全身に被った。朝、伊瀬の手を噛んだ時と同じ破裂音と煙が発生する。
「誉、下がっておれ!」
 白い煙の中から、鬼神さまが飛び出してきた。すでに抜刀している状態で、
「五十鈴の神域を犯す、不届き者め!」
 境内から出て行ってしまう。
「い、今世さま!?」
 まだ媛蹈鞴五十鈴媛命のことを振り切ってはないのか、と誉はショックを受けた。だが、鬼神さまを一人にさせるわけにもいかない。竹筒を拾い上げて、後ろを追っていく。
 神社を出て正面にある保存樹林の中に駆け入っていった鬼神さまは、手頃な木の枝に飛び移った。相変わらずの身軽な動きに、誉は見守ることだけしかできない。
「誉、もう一度水を!」
「は、はいっ!」
 声の聞こえた方へ走り、竹筒を投げた。鬼神さまは受け取り、今度は口から直接摂取する。誉の手に収まるように投げ返す。
 誉は、鬼神さまがなにを追っているのか、精一杯目を凝らして見ていた。斜め前の木の間に、光る赤いモノがいるのに気付いた。
「鬼神さま、あそこです!」
 指を差して叫ぶと、鬼神さまは一直線に跳んでいく。木が大きく揺れ、葉が散る。舌打ちをして、鬼神さまが誉の前に飛び降りてきた。だが、誉が自分に近づこうとするのは、腕で制する。
「気を抜くでない。まだ片を付けておらん」
「はい!」
 誉が体に緊張を走らせた時、それは目の前に出てきた。
「た、太陽?」
 それは、三十センチメートル程の火の塊だった。だが、火の中には人の顔のようなものが浮かんでいる。まるで、人の顔が燃えているようにも見えてしまう。
 そして、その火の塊は、美術館で飾られているような古い鏡を体にぶら下げていた。それを見た鬼神さまの目が見開いていく。
「それを離さんか!」
 鼓膜を震わせる大声で叫んだ鬼神さまが地面を蹴るよりも早く、火の塊は鏡を持ったまま、消えた。
「き、消えっ!?」
 と叫んだ自分の声よりも大きな、ああっという悲鳴が聞こえ、誉は肩を震わせた。後ろを見ると、神主が両側頭部を押さえて立っていた。
「そんな、あの鏡が盗まれるなど」
 その尋常ではない様子に、誉は眉を寄せる。体の芯が、冷えていく。
「あの鏡は、一体?」
「暁の鏡です。あの鏡がないと、神事が執り行えないのです」
「神事? ですか」
 ええ、と神主は顔を手で覆う。
「雨乞いの神事です」
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