死者たちは祭壇でおどる

福留幸

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第2章 捻じ曲げた世界

第13話 狐の目

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 三人での仕事を終えた要は、悶々とした気持ちを抱えながら、鳥居内のスーパーへと向かっていた。
 湊たちとは、買い物に行く体で別れた。
 買い物は嘘ではないが、それ以上に、今は一人になることの方が重要だった。何故なら、今の自分は、冷静とは対局線上にいるからだ。
 頭を冷やさなければならない。けれど、簡単にはいかなかった。
 要は爪が食い込むほど握り締めた拳を、ゆっくりと持ち上げた。
 激しい痛み。石畳の壁に衝突した拳は瞬く前に流血し、壁の一部に赤い染みを作った。
 この自傷は衝動的なもの。嵐のように荒んだ感情にあてられた結果だ。意味などない。が、それでも幾らかは楽になった。
 こんな惨めな自分を、湊たちには見せる訳にはいかなかった。いや――見られたくなかった。
 深く呼吸し、負傷した拳を下ろした時、背後に人の気配を感じた。
「やあ、要君」
 こんな時に限って、会いたくない人間に捕まる。特にこの男は、いま会いたくない人間の筆頭だった。本当についていない。
「駄目じゃないか。せっかく秋乃君が治してくれたというのに」
 鉄の声は穏やかだ。普段と何一つ変わらない。
 振り向くのはやめた。今ばかりは嫌だった。
 鉄勇大ゆうだい。青くペイントされた狐の面で、顔のほとんどを隠す気味の悪い人間。要たちの上司にして、『青の鳥居』の管理者の一人だ。
「済みません。放っておいてください」
「今回は相手が悪かっただけさ。君が気に病むことはない」
 要の頼みを無視し、傷口に塩を塗る鉄。覚えのあるどす黒いものが、要の胸中に広がっていく。
「新垣文人ふみとのことは、以前からマークしていたんだがね。よりにもよって、あんなところで契約違反を起こすとは。君たちには悪いことをしたね」
「……鉄さん」
「ともあれ、無事で良かったよ。僕としても、有望な部下を三人も失うのは都合が――」
黙れ・・
 自分でも驚くほど低く、最悪の意味で興奮した声音だった。上下関係を気にする余裕など、もう爪の垢ほども残っていない。
 鉄は要の言葉通り沈黙したが、ほんの一時に過ぎなかった。彼は間もなく、今の要にとって致命的な言葉を口にした。
「君はあの一件以来、随分と感情豊かになったねぇ」
「っ!」
 いま手錠きょうきを手にしていたなら、間違いなく鉄を攻撃していただろう。敵う筈もないのに。
 嵩を超えた感情いかりに任せて振り返った。
 振り返った先に、鉄の姿はなかった。

 * *

 青狐寮あおごりょうに帰る道すがら、湊が突然こんなことを言い出した。
「秋乃の〈末梢能力〉も分かったことだし、これでまた戦略の幅が広がるな!」
 湊は秋乃に同意を求めているようだが、現状同意のしようがなかった。秋乃の知らないワードが、重要な部分にさも当然のように存在している。
「待って」
「ん? どしたー?」
「〈末梢能力〉って何?」
 秋乃の真っ当な質問に、湊が目を丸くする。
「前に説明――」
「されてない」
「マジか! 忘れてた!」
 とても納得した様子でぽんと手を打つと、湊は依然として無垢な笑顔で、得意げに説明を始めた。
「〈末梢能力〉ってのは、武器を変化させた状態で使う能力のことだ! 秋乃の場合は、あのバリアだな!」
「じゃあ、怪我を治す方は?」
「あっちは〈基礎能力〉だ! 人によるけど、戦闘とは直接関係ないのが多いぞ!」
「ふーん……」
 基礎。末梢。一応覚えた。そこでふと、一つの疑問に辿り着く。
「湊の〈基礎能力〉って?」
「……」
 何気なくぶつけた疑問は、予想の斜め上を行く結果をもたらした。
 湊は無垢な笑顔のまま、静止画さながらにフリーズしている。秋乃が訝っていると、彼はやがてすーっと視線を外し、何を思ったか、寮とは真逆の方向へ走り出した。
「オレも買う物あった!」
「え?」
「また明日な!」
「ちょ、ちょっと……」
 ここまで完成度の低い誤魔化し方があるのか。勉強になった。一瞬で追う気が削がれた。
「でも……なんで隠すんだろ」
 小さくなっていく湊の背中を見詰めながら、秋乃は呟いた。

 * *

 背伸びをしたところで、要もまだまだ青い。あの程度で理性リミッターが外れるのだから、見ているこちらは退屈しない。
「鉄のオッサン! こんなとこで会うなんて奇遇だな!」
 裏通りにひっそりと佇む和菓子屋の縁台でくつろいでいたら、良く知る少年の大声が、落ち着きのない足音とともに近付いて来た。
「湊君。大きな声を出さずとも、ちゃんと聞こえているよ。この通りは喧騒とは無縁――」
「また制服破れたからくれよ!」
「人の話を聞きたまえ」
 自分を棚に上げ、鉄は湊をたしなめる。
「見ろ! この風穴を!」
 話を聞かないまま、湊は自らの脇腹部分を指し示す。確かに、ニットベストとワイシャツに小気味よい穴が開いている。のだが。
「六桁後半の給料は渡している筈なんだがね。なぜ制服代程度を惜しむんだい?」
「課金したらなくなった!」
「納得したよ」
「同情するなら八桁くれ!」
「同情はしていないよ。……大福は好きかい?」
 これ以上図に乗られたら面倒なため、鉄は縁台にある大福の皿を指し示した。まだ二つ残っている。
「好き! くれ!」
「構わないよ」
 鉄が応じると、湊は目を輝かせながら隣に座ってきて、早速大福に手を伸ばした。
 勢いよく大福にかぶりつく湊を横目に、鉄は他意のない言葉を口にした。
「君が『青の鳥居』に来て、もうすぐ十年になるね」
「だな! いろいろあった!」
 大福ガツガツと頬張り、ご満悦な体で答える湊。
 湊がここに来たのは、彼が十五歳の時だ。死者以前に、生者としても未熟な思春期。こんな・・・彼でも、思う所は少なくなかった筈だ。
「悪いことばかりでもなかっただろう? 確か、ここに来て友達が出来たと喜んでいたね?」
「まあな!」
「それに、ここでも秋乃君に会えた」
 さりげなく挟んだ、ささやかな揶揄。
 湊が一瞬黙った。
「オッサンのそういうとこ嫌い!」
「これは失敬」
 忍び笑いをしつつ、鉄はしれっと話題を変えた。
「要君もだが、君も実に興味深い」
「んー?」
 こちらを見ずに反応する湊に、鉄は更に言う。
「特にその嘘っぽい笑顔は、見ていて飽きないよ」
 湊は変わらず、緩い表情で大福を頬張っている。ご機嫌で何よりだ。
 会話はそこで途切れた。


【第2章 End】
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