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第2章 捻じ曲げた世界
第12話 死んだ先は[其の肆]
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「ちょっと……! 何する気よ!」
武器を掴み取り、ふらふらと身を起こした湊に、秋乃は半ば叱りつけるような声音で叫んだ。
「そんなの決まってんだろ!」
湊はいつもの大声で言いながら、驚くことに立ち上がって見せた。
大量の失血により顔は蒼白で、冷えた体は絶えず震えを伴い、深く弾丸がめり込んだ脇腹からはぼたぼたと血が滴っている。無茶の入る余地などない筈なのに、湊はなおも陽気に笑っている。
「こいつをぶっ倒――」
意気揚々と発言していた湊だが、その緊張感のない笑顔はすぐに歪んでしまった。当然だ。まともに立っていられる状態ではないのだから。体をくの字に折り、彼は荒い呼吸を繰り返す。
「ぐ……っ」
「舐められたもんだな」
嘲り声を聞くと同時に、前半身にずっしりとした衝撃波のようなものを感じて、秋乃は戦慄しながらそちらに向き直った。
新垣の持つ銃剣と、秋乃の魔法円が放つ結界が接触している。真正面から手痛い攻撃を受けたのだと悟り、唇から短い悲鳴が漏れた。
「頑丈に見えて、案外そうでもねぇな」
もう一撃。重い量感が走るや否や、結界はたちまち息を吹き掛けられた蝋燭のように揺らいだ。
余りにも怖くて、足が竦んで動けない。
眼前にある敵意と殺意。自分の能力が皆の命を繋いでいる現実。押し潰されそうな責任感に視界は滲み、何も考えられなくなった。
「……この女の呪力が尽きるまで待つのもありか。どうせ時間の問題だろうしな」
それは、間違いなく秋乃の心に追い打ちを掛ける言葉だったが――言葉の真偽を決定付けるのは、目の前の蛮人などではなかった。
視界の端で、湊が動いたのが分かった。
驚く間もなかった。湊はとうに限界を超えた自らの肉体を魔法円の外へと晒し、地を蹴った。蛮人の言葉を、身を挺して否定するために。
どこにそんな力が残っているのか。湊は目を見張る新垣の視線を平然と受け止めながら、鉄球を目一杯に振りかざした。
「ちっ……」
新垣は苦い顔をしながら銃剣に二本の手を宛てがい、後ずさる素振りを見せた。
咄嗟に取った体勢。だからこそ、新垣は失念したのだ。もう一つの脅威の存在に。
「堂本!」
「おう!」
そんなやり取りが交わされるか早いか、伸びた手錠が銃剣に接触した。
耳をつんざくノイズ。目がおかしくなりそうな眩い電流が空気を裂く。瞬間、新垣の腕が、銃剣の破片とともに宙を舞った。
響き渡る絶叫。破片と肉片が魔法円に降り注ぐ。凄絶な光景は秋乃の心を挫く決定打となり、魔法円はほどなくして消失した。
からがら飛びのき、秋乃の隣に着地した湊と、心を挫かれ、座り込んだ秋乃に声が掛かる。
「……あとは引き受けた」
その背を見送り、激しい吐き気に耐えながら、秋乃は自分が真にすべきことを開始した。振り子は既に本来の姿に戻っていた。
ペンダントをかざし、癒やしの炎を灯す。もう一刻の猶予もない。
「湊……!」
「うー……死ぬー……マジで死ぬー……」
力を使い果たし、再び倒れた湊の治療に当たる。増えた亡骸は見ない。いま直視すれば、きっと正気をたもてない。湊たちを助けるためにも、そうなる訳にはいかなかった。
静かな靴音が聞こえる。要が戻って来たのだ。
「先輩も安静にしててください。湊を治したらすぐに――」
「なぜ俺を庇った」
秋乃の指示を遮り、要は問うた。誰に向けた問いか、聞くまでもない。
凄みのある吊り目で湊を見下ろす要。そんな彼に、湊は曇りのないきょとん顔で応じた。
「友達は助けるもんだろ?」
「……」
要が押し黙る。理由は測りかねた。
要はしばし真顔で沈黙した後、再び口を開いた。
「なら絶交だ」
「なんで!?――あだっ!」
無意識なのだろうが、勢いよく身を起こそうとして失敗した湊は、釣り上げられた魚さながらに予測不可能な動きをしながら、口をパクパクし始めた。さすがに同情せざるを得ない。
「湊……。気持ちは分かるけど、じっとしてて」
「ま、任せろ……」
「先輩も、もう少しタイミングを考えてください」
「……済まん」
期待半分不安半分のお願いだったが、幸い今度は要も従ってくれた。その場に腰を下ろし、瞼を落とすと、彼は長らく沈黙を続けた。
* *
予定時間外の仕事が一段落した後。
疲労困憊の体で帰宅する途中、先頭を歩いていた要が、おもむろにこんな発言をした。
「俺のために誰かが死ぬのはごめんだ」
先ほどの話の続きなのだろう。要の顔は見えないものの、声色からは少なからず陰りが窺えた。
「オレは無事だぞ!」
すっかり元通りになった湊が、すかさず言う。
要が微かに眉を寄せる。
「結果論だ」
「心配すんな! これからもずっと無事だ!」
「根拠は?」
「ない!」
胸を張る湊。要は溜息混じりに肩を落とした。
「もういい」
「そうか!」
前向きなのか、何も考えていないのか、秋乃もときどき分からなくなる。良くも悪くも、湊は不思議な少年だ。
「――ねぇ」
会話が一時途切れたのを確認すると、秋乃はおずおずと二人に問い掛けた。
「死者が死んだらどうなるの?」
以前から密かに気にしていたこと。宗助の死を目の当たりにして、より一層深まった疑問だ。
「悪い死者が地獄に行くのは分かった。でも、さっきの人は思い留まってくれた。地獄に送られるようなことはしてない。あの人は……どこに行くの?」
答えてくれたのは湊だったが、その内容は身も蓋もないものだった。
「分かんねー!」
「え?」
「鉄のオッサンに何度か聞いてみたけど、全然教えてくれねーんだよ! ケチだよな!」
湊ですら知らないこと。聞く対象が鉄である辺り、要も知らなさそうだ。なら、秋乃に知る術はない。たぶん、これから先も。
「少なくとも、まともな場所ではないだろうな」
意外にも、要が口を挟んだ。知らないながらも、確信に足る見解が彼の中にあるのか。
秋乃は根拠を尋ねようとしたが、その考えはたちまち見透かされた。
「契約者は、エゴで運命を捻じ曲げた存在だ」
はっと息を呑むと共に、薄ら寒さを感じた。
間違いない。自分は自らの我儘で運命を捻じ曲げて、生者の意識や想いに干渉し、歪みをもたらした。許される訳がない。頭では分かっていた筈なのに。
「つまり、そういうことだ!」
湊の声は明るい。しかし、彼もまた、誰かの身代わりになってここに来た一人なのだ。
湊も要も、秋乃と同じだ。だから、最期はきっと同じ場所に行き着くのだろう。今の秋乃には想像すら出来ない、遠いどこかへ。
【To be continued】
武器を掴み取り、ふらふらと身を起こした湊に、秋乃は半ば叱りつけるような声音で叫んだ。
「そんなの決まってんだろ!」
湊はいつもの大声で言いながら、驚くことに立ち上がって見せた。
大量の失血により顔は蒼白で、冷えた体は絶えず震えを伴い、深く弾丸がめり込んだ脇腹からはぼたぼたと血が滴っている。無茶の入る余地などない筈なのに、湊はなおも陽気に笑っている。
「こいつをぶっ倒――」
意気揚々と発言していた湊だが、その緊張感のない笑顔はすぐに歪んでしまった。当然だ。まともに立っていられる状態ではないのだから。体をくの字に折り、彼は荒い呼吸を繰り返す。
「ぐ……っ」
「舐められたもんだな」
嘲り声を聞くと同時に、前半身にずっしりとした衝撃波のようなものを感じて、秋乃は戦慄しながらそちらに向き直った。
新垣の持つ銃剣と、秋乃の魔法円が放つ結界が接触している。真正面から手痛い攻撃を受けたのだと悟り、唇から短い悲鳴が漏れた。
「頑丈に見えて、案外そうでもねぇな」
もう一撃。重い量感が走るや否や、結界はたちまち息を吹き掛けられた蝋燭のように揺らいだ。
余りにも怖くて、足が竦んで動けない。
眼前にある敵意と殺意。自分の能力が皆の命を繋いでいる現実。押し潰されそうな責任感に視界は滲み、何も考えられなくなった。
「……この女の呪力が尽きるまで待つのもありか。どうせ時間の問題だろうしな」
それは、間違いなく秋乃の心に追い打ちを掛ける言葉だったが――言葉の真偽を決定付けるのは、目の前の蛮人などではなかった。
視界の端で、湊が動いたのが分かった。
驚く間もなかった。湊はとうに限界を超えた自らの肉体を魔法円の外へと晒し、地を蹴った。蛮人の言葉を、身を挺して否定するために。
どこにそんな力が残っているのか。湊は目を見張る新垣の視線を平然と受け止めながら、鉄球を目一杯に振りかざした。
「ちっ……」
新垣は苦い顔をしながら銃剣に二本の手を宛てがい、後ずさる素振りを見せた。
咄嗟に取った体勢。だからこそ、新垣は失念したのだ。もう一つの脅威の存在に。
「堂本!」
「おう!」
そんなやり取りが交わされるか早いか、伸びた手錠が銃剣に接触した。
耳をつんざくノイズ。目がおかしくなりそうな眩い電流が空気を裂く。瞬間、新垣の腕が、銃剣の破片とともに宙を舞った。
響き渡る絶叫。破片と肉片が魔法円に降り注ぐ。凄絶な光景は秋乃の心を挫く決定打となり、魔法円はほどなくして消失した。
からがら飛びのき、秋乃の隣に着地した湊と、心を挫かれ、座り込んだ秋乃に声が掛かる。
「……あとは引き受けた」
その背を見送り、激しい吐き気に耐えながら、秋乃は自分が真にすべきことを開始した。振り子は既に本来の姿に戻っていた。
ペンダントをかざし、癒やしの炎を灯す。もう一刻の猶予もない。
「湊……!」
「うー……死ぬー……マジで死ぬー……」
力を使い果たし、再び倒れた湊の治療に当たる。増えた亡骸は見ない。いま直視すれば、きっと正気をたもてない。湊たちを助けるためにも、そうなる訳にはいかなかった。
静かな靴音が聞こえる。要が戻って来たのだ。
「先輩も安静にしててください。湊を治したらすぐに――」
「なぜ俺を庇った」
秋乃の指示を遮り、要は問うた。誰に向けた問いか、聞くまでもない。
凄みのある吊り目で湊を見下ろす要。そんな彼に、湊は曇りのないきょとん顔で応じた。
「友達は助けるもんだろ?」
「……」
要が押し黙る。理由は測りかねた。
要はしばし真顔で沈黙した後、再び口を開いた。
「なら絶交だ」
「なんで!?――あだっ!」
無意識なのだろうが、勢いよく身を起こそうとして失敗した湊は、釣り上げられた魚さながらに予測不可能な動きをしながら、口をパクパクし始めた。さすがに同情せざるを得ない。
「湊……。気持ちは分かるけど、じっとしてて」
「ま、任せろ……」
「先輩も、もう少しタイミングを考えてください」
「……済まん」
期待半分不安半分のお願いだったが、幸い今度は要も従ってくれた。その場に腰を下ろし、瞼を落とすと、彼は長らく沈黙を続けた。
* *
予定時間外の仕事が一段落した後。
疲労困憊の体で帰宅する途中、先頭を歩いていた要が、おもむろにこんな発言をした。
「俺のために誰かが死ぬのはごめんだ」
先ほどの話の続きなのだろう。要の顔は見えないものの、声色からは少なからず陰りが窺えた。
「オレは無事だぞ!」
すっかり元通りになった湊が、すかさず言う。
要が微かに眉を寄せる。
「結果論だ」
「心配すんな! これからもずっと無事だ!」
「根拠は?」
「ない!」
胸を張る湊。要は溜息混じりに肩を落とした。
「もういい」
「そうか!」
前向きなのか、何も考えていないのか、秋乃もときどき分からなくなる。良くも悪くも、湊は不思議な少年だ。
「――ねぇ」
会話が一時途切れたのを確認すると、秋乃はおずおずと二人に問い掛けた。
「死者が死んだらどうなるの?」
以前から密かに気にしていたこと。宗助の死を目の当たりにして、より一層深まった疑問だ。
「悪い死者が地獄に行くのは分かった。でも、さっきの人は思い留まってくれた。地獄に送られるようなことはしてない。あの人は……どこに行くの?」
答えてくれたのは湊だったが、その内容は身も蓋もないものだった。
「分かんねー!」
「え?」
「鉄のオッサンに何度か聞いてみたけど、全然教えてくれねーんだよ! ケチだよな!」
湊ですら知らないこと。聞く対象が鉄である辺り、要も知らなさそうだ。なら、秋乃に知る術はない。たぶん、これから先も。
「少なくとも、まともな場所ではないだろうな」
意外にも、要が口を挟んだ。知らないながらも、確信に足る見解が彼の中にあるのか。
秋乃は根拠を尋ねようとしたが、その考えはたちまち見透かされた。
「契約者は、エゴで運命を捻じ曲げた存在だ」
はっと息を呑むと共に、薄ら寒さを感じた。
間違いない。自分は自らの我儘で運命を捻じ曲げて、生者の意識や想いに干渉し、歪みをもたらした。許される訳がない。頭では分かっていた筈なのに。
「つまり、そういうことだ!」
湊の声は明るい。しかし、彼もまた、誰かの身代わりになってここに来た一人なのだ。
湊も要も、秋乃と同じだ。だから、最期はきっと同じ場所に行き着くのだろう。今の秋乃には想像すら出来ない、遠いどこかへ。
【To be continued】
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