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〝彼女〟の痕跡 編

残酷な真実

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「伊形……」

 その名前を聞き、つくづく縁があると感じた。

 伊形啓士は怜香の浮気相手で、イケイ食品の社長。

 その甥である宇野彬が新婚二年目にして浮気した相手は、田村が朱里を振ったあとに鞍替えした、相良加代。

 イケイ食品は同業なだけあり、様々な情報が流れてきているが、家系的に浮気体質と言えば失礼に当たるかもしれないが、それらの行為が理由で経営者一族が内部から崩壊しかけているらしい。

 怜香を陥れる際に伊形啓士について少し調べたところ、伊形家の御曹司という立場と顔だけで世の中を渡ってきたタイプだ。

 経営手腕は褒められたものではなく、彼が社長になってからのイケイ食品の売り上げは上下しつつも緩やかな右肩下がりになっているし、判断の速い投資家たちには損切りされつつある。

 危機感がないのか、自棄になっているからか、伊形啓士はつい最近まで高級車を乗り回し、愛人と旅行に行く生活を送り続けていた。

 夫婦仲は冷え切り、息子は優秀らしいが父親のあとを継ぎたくないと言って、早々に別の道を歩もうと画策しているそうだ。

 そんな中、伊形が怜香と関係を続けていたのは、イケイ食品より遙かに企業として大きい篠宮フーズと繋がりを持っていたかったからかもしれない。

 不倫が褒められた行為ではないのは大前提の上で、怜香と伊形はそれ以上の暗い繋がりを持っていたように思えてならない。

 だから、怜香が宮本を伊形に会わせたと聞いて嫌な予感しかしなかった。

「……それで、どうなったんだ」

 表情を曇らせて尋ねると、風磨は溜め息をついてから残酷な真実を突きつけてきた。

「……端的に言うと、宮本さんは尊を振るように言われ、拒否するとイケイ食品への転職を進められた。……それも断ると、…………母が撮影するなか、伊形社長にレイプされた」

「……………………っ、…………」

 あってほしくない、あってはならない事が現実のものとなり、ドズンと俺の腹を重たく打ち抜いてくる。

 胸をえぐられるような痛みを覚えて口を少し開いた瞬間、引きつった悲鳴のような声が漏れた。

 俺は大きく息を吸い、ゆっくり、震わせながら吐いていく。

 彼女が自分の元をいきなり去った理由を知り、この上ない悔恨が全身を包み、どうすればいいか分からなくなるほどの虚無感と無力感に駆られ、叫び出したくなる。

「…………一言、言ってくれれば……っ」

 当時の俺なら、彼女がどうなったとしても受け入れて支えただろう。

 なのに、宮本は一言も理由を告げずに去ってしまった。

 理由を言わなかったのは、心配させたくなかったから、血が繋がっていないとはいえ俺の母が関わっているから、俺の事を好きだから……、など考えられるが、シンプルに篠宮家ごと俺を憎んでいるから、会いたくなかったとも考えられる。

 様々な理由が胸中を駆け抜けるなか、俺の脳裏に宮本の後ろ姿が浮かぶ。

 いつもと変わらない凜とした佇まいの彼女は、俺を振り向かず、手の届かない場所へ歩いて行く。

 彼女はその胸に傷を抱え、誰にも言えない想いを隠して、ひたすらに足を運んで東京から離れたのだろう。

「…………っ、すまなかった……っ」

 俺はかすれた声で、この場にいない宮本に謝罪する。

 彼女は何も悪くなかった。

 ただ俺と関わってしまったがために、宮本は女性としての尊厳を蹂躙され、憧れの企業から去る羽目になった。

 俺と出会わなければ、付き合わなければ……と何度も思ったに違いない。

 しかし俺の知っている宮本は『他人を恨むぐらいなら自分が傷付いたほうがマシ』と笑って言う人だ。

 だからボロボロになっても俺に恨み言を言わないよう、静かに立ち去ったのかもしれない。

 その時の俺は将来を奪われ、周囲のすべてを敵と思い込んでいたから、明るい宮本に救いを感じていた。

 ――そして一方的に去られて深い悲しみと絶望を抱いた。

 だがそれは、宮本なりの精一杯の優しさだったのだ。

 打ちのめされたように項垂れ、沈黙する俺を見て、風磨は「すまない」と呟く。

「……本当はこんな事、聞きたくなかっただろう。だが、俺としても宮本さんの想いを知ってしまった以上、黙っているのは罪だと思ったんだ」

 そう言って風磨は立ちあがり、一度自室に向かうと手紙を持って戻ってきた。

 四通の手紙には俺の住所が書かれ、宮本の筆跡で〝篠宮様方 速水尊様〟と書かれてある。

「……これは……」

 ノロノロと尋ねると、風磨は言いにくそうに答える。

「……お前のマンションに届いた郵便物は、母の手の者がチェックしていた。……だから尊の元には届かなかったんだ」
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