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〝彼女〟の痕跡 編

勿体ぶるなよ

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 ――宮本凜。

 十年前、俺の心を奪っておきながら突如として姿を消した女の名前が、メモ紙に書かれてあった。

 場所は広島県。

「……なんで……」

 ――どうして今さら。

 ――どうして広島県に。

 様々な理由が込められた言葉を聞き、風磨は溜め息をついて言った。

「朱里さんとうまくいってる時にすまない。俺も教えるべきか悩んだが、このまま『知っているのに教えない』のは寝覚めが悪くて……」

 ――速水くん。

 一瞬、彼女の声が脳裏に蘇った気がして、俺は大きく息を吸うと目を閉じ、幻聴を振り払う。

 ――尊さん!

 代わりに思いだしたのは、朱里の声だ。

 朱里こそ、今の俺が最も大切にしなければならない女性だ。間違えるな。

 自分に言い聞かせたあと、俺は溜め息をついて尋ねる。

「……とりあえず、なぜ今になって俺に宮本の話をしたのか、事情を教えてくれ」

 そもそもの問題から片づけようと思って尋ねると、風磨は一つ息を吐いてから語り始める。

「……宮本さんがいなくなった直後、尊が荒れていたのを知って、すぐ母の仕業なんだとピンときた。だが父に尋ねても『関与していない』の一点張りで、人事に尋ねても『答えられない』……、当時はそれで八方塞がりになっていたんだ」

 風磨なりにあの時の事に負い目を感じていたのか。

 今なら感謝できるのかもしれないが、当時の俺は風磨から何を聞いても聞き入れられる精神状態ではなかっただろう。

「一月に母のした事が明るみに出て、会社も新体制に入ろうとした時、母が〝懇意〟にしていた人事部部長も左遷されかかった」

 人事部長は五十代の男性で、篠宮フーズに勤めて長いだけあり、怜香ともズブズブの仲だったんだろう。

 そういえば経理部で怜香の太鼓持ちをしていた奴が、他部署で昇進したっていう話はよく聞いたな。その関係か。

「人事部部長は確かに公平とはいえないやり方で母の望みを聞いていたが、その他の事に関しては、労働法、コンプライアンス、ハラスメント等にしっかり対策しているという評価を得ていた。今後いっさい母に頼まれたような事をしない、加えて宮本さんの話を教えてもらう事を条件に、続投する事にした」

「……あの人の事は必要悪か? 不正を行ったと思ったなら切ればいいだろ」

 少しいやみっぽい言い方をしてしまったが、風磨は動じない。

「尊だって母の性格を知っているだろう。権力をチラつかせ、自分の言う事を聞かなければ……と脅されたなら、五十代の男性部長職でもひとたまりもない。……本当は俺も父も人事部部長から相談を受けていたが、母に知られれば彼がどうなるか分からないから『応えられない』としか言えずにいたんだ」

「……どっちもどっちだろうが」

 俺は溜め息をつく。

 人事部部長が怜香の我が儘に困っていたのを知っておきながら無視をし、今度はそれを逆手にとって「左遷されたくなければ条件を呑め」なんて、酷い話だ。

「……全員に良く思われようなんて、もう諦めてるよ。人事部部長に関しては、自分のした事をほぼ無条件で見過ごすと言っているも同然だから、彼が失うものは何もないはずだ。彼が母を怖れているとしても、彼女はもう会社に影響力など持たないし」

「まぁ、確かにそうだけど」

 俺はもう一度息を吐き、メモ紙を見る。

「……彼女に何があったのか教えてもらったが、……尊は今ここで俺から聞くより、宮本さんに実際に会って聞いたほうがスッキリできるんじゃ……と思う」

「勿体ぶるなよ。ここまで話して事情を知ってるなら、教えてくれたっていいだろ」

 苛立ったように言うと、風磨は気の毒そうな目で俺を見てきた。

「何も聞かなければ、広島に向かうか向かわないかを、自分の意志で決められる。……だが聞いてしまえば、尊の性格なら必ず宮本さんに会いに行くと思う。……それに、お前も彼女も、朱里さんも苦しむ事になるだろう」

 それだけを聞いて、愉快な話じゃないのはすぐに分かった。

 どうせ怜香が関わっているなら、ろくな事をしなかっただろう。

「……自分の事は自分で決める。……とりあえず、話してくれ」

 覚悟を決めて風磨に尋ねると、彼は視線を落として溜め息をつき、語り始めた。

「……母は宮本さんが邪魔だったみたいだ。……お前を徹底的に苦しめたいと思って篠宮の姓を語らせず、一般社員から始めさせた。お前は進んで合コンとかに行くタイプじゃないし、孤独にやっていくと踏んでいたんだろう。……が、宮本さんと意気投合した尊は日々楽しそうにしていた。……だから、彼女は母に目を付けられた」

 暗い声で言う風磨は、すべて自分の母が仕組んだ事だという事実に嫌気を感じているようだった。

「母は宮本さんに声を掛け、当時の浮気相手である伊形社長に会わせたみたいだ」
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