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加速する絶望 編
理由と理解
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――彼女が好きだった。
宮本となら付き合っていけると思っていた。
照れくさいからまだ秘密にしておいたが、指輪を贈るために、こっそりとジュエリーブランドをリサーチしていた。なのに――。
『…………何も……っ』
彼女に、何も贈る事ができなかった。
宮本は『金銭的な借りは作りたくない』と言って、恋人になってからも何もねだらなかった。デートをしても割り勘で、テーマパークなども行きたがらない。
彼女とのデートは公園をブラブラ歩いたり、海へ行くぐらいだ。
俺はもっと宮本にご馳走したり、プレゼントをしたかったのに、彼女は許してくれなかった。
『…………こうなるなら…………っ、指輪の一つでも贈っておけば良かった……っ』
ゆっくりとその場にしゃがみ込んだ俺は、ドアに額をつけて嗚咽し始める。
しばらく泣いたあと、がらんどうになった俺はふらりと帰路についた。
まるであの時みたいだ。
高校を卒業してもどこにも行けず、篠宮フーズで飼い殺しされると分かった絶望の日。
恋人を失った分、あの時より喪失感が強い。
俺は茫然自失としたまま家へ帰り、そのあとも魂が抜けたように過ごした。
篠宮家では、息子二人が実家を出て一人暮らししたあと、父の意向で月に一回家族全員が集まって食事をする事になっていた。
家族全員同じ会社に勤めているとはいえ、バラバラに住んでいるので近況報告のため、という名目だ。
宮本を失った俺は仕事に対する熱意を失った。
だが無責任な事はしたくなく、何事も淡々とこなすようになっていた。
その様子を、怜香はどこかから聞いていたのだろうか。
『最近は勤務態度がまじめになったそうじゃない』
こいつが俺に話しかけてくる時は、ロクな時じゃない。
嫌な予感を抱いた俺は、疑念の籠もった目で継母を見る。
『お友達がいなくなって落ち込んでいるみたいだけど、あの子は優秀だからヘッドハンティングがあったのよ。親友なら喜んであげなさい』
――お前か!
俺は目を見開き、ガタッと音を立てて立ちあがった。
『……何よ』
怜香は冷笑し、食事の続きを口にする。
『上層部と人事では情報を共有していたけれど、あなたは平社員だし、知らなくても仕方がないでしょう』
そう言ったあと、怜香は邪悪な笑みを浮かべた。
『あなたみたいな未熟な人が、女性を幸せにできると思わないで。私が母親として、相応しい女性を見つけるまで、誰ともお付き合いしてはなりませんよ』
言われて、すぐに理解した。
頭に浮かんだのは、今まで俺に近寄っては、何も言わず去っていった女性たちの顔だ。
最初、彼女たちは俺を好きだと言って寄ってきた。
それが、なぜいきなり離れた?
五人と付き合えば、五人全員が大した理由もなく去っていった。
俺を憎んで悪い噂を流すでもなく、いきなり興味を失ったようにスッと消えた。
学校内ですれ違っても空気のように無視され、宮本にいたっては俺の目の前からいなくなった。
――すべて、怜香の差し金だとしたら?
『……あなたがやったんですか……』
低く呟いた俺の声を聞き、継母は目を細めて笑った。
『はした金を掴ませた程度で別れるなら、大してあなたの事を好きじゃなかったのよ。あなたのような人と付き合うより、お金やブランドバッグを選んだほうが現実的でしょう? あなたよりもっと将来性のある男性を紹介したら、目をハートにして鞍替えした子もいたわね。女性なんてそんなものよ。騙されたあなたが悪いけど』
そう言って怜香は軽やかに笑った。父と風磨は押し黙り、食事を続けている。
『…………っ!』
あまりの怒りと衝撃で叫びそうになった俺は、そのままレストランの個室を出た。
それから、本当に生活のすべてに色がなくなったように思えた。
飯を食ってもうまくない。映画を見ても、本を読んでも感動できない。
俺のマンションには、母の形見のグランドピアノがある。
もともと母は速水家から勘当されたあと、身一つで父と結婚しようとしていた。
だから所持しているピアノは速水家に縁のある物ではなく、父が母にマンションを買い与えた時、一緒に贈ったものだ。
学生時代、父は音楽室で母が弾くピアノをうっとりとして聴いていたらしく、将来は子供にピアノを習わせたいと決めたようだ。
グランドピアノのある環境で育った俺は、自然と音楽を愛するようになった。
十歳までは母にピアノを師事し、篠宮家に移ったあとは、父に『ピアノだけは続けてほしい』と頼まれて都内のピアノ教室に通った。
ピアノ教室の先生には期待され、コンクールにも出場してそこそこの成績を収めた。
だが音楽学校に入るつもりはなく、プロになるつもりもない。
クラシックも好きだが、自由さを求めてジャズピアノにも手を染め始めた。
ピアノは唯一、俺が自分を表現する手段だった。
篠宮家で弾けば怜香がうるさいと言うのは目に見えているので、俺のピアノは防音が効いた借り物件に移された。
寝食は篠宮家でしていたが、他の時間はその部屋でピアノを弾いて過ごし、ひたすらに勉強した。
――だが今は、ピアノを弾いても楽しいと思えない。
宮本となら付き合っていけると思っていた。
照れくさいからまだ秘密にしておいたが、指輪を贈るために、こっそりとジュエリーブランドをリサーチしていた。なのに――。
『…………何も……っ』
彼女に、何も贈る事ができなかった。
宮本は『金銭的な借りは作りたくない』と言って、恋人になってからも何もねだらなかった。デートをしても割り勘で、テーマパークなども行きたがらない。
彼女とのデートは公園をブラブラ歩いたり、海へ行くぐらいだ。
俺はもっと宮本にご馳走したり、プレゼントをしたかったのに、彼女は許してくれなかった。
『…………こうなるなら…………っ、指輪の一つでも贈っておけば良かった……っ』
ゆっくりとその場にしゃがみ込んだ俺は、ドアに額をつけて嗚咽し始める。
しばらく泣いたあと、がらんどうになった俺はふらりと帰路についた。
まるであの時みたいだ。
高校を卒業してもどこにも行けず、篠宮フーズで飼い殺しされると分かった絶望の日。
恋人を失った分、あの時より喪失感が強い。
俺は茫然自失としたまま家へ帰り、そのあとも魂が抜けたように過ごした。
篠宮家では、息子二人が実家を出て一人暮らししたあと、父の意向で月に一回家族全員が集まって食事をする事になっていた。
家族全員同じ会社に勤めているとはいえ、バラバラに住んでいるので近況報告のため、という名目だ。
宮本を失った俺は仕事に対する熱意を失った。
だが無責任な事はしたくなく、何事も淡々とこなすようになっていた。
その様子を、怜香はどこかから聞いていたのだろうか。
『最近は勤務態度がまじめになったそうじゃない』
こいつが俺に話しかけてくる時は、ロクな時じゃない。
嫌な予感を抱いた俺は、疑念の籠もった目で継母を見る。
『お友達がいなくなって落ち込んでいるみたいだけど、あの子は優秀だからヘッドハンティングがあったのよ。親友なら喜んであげなさい』
――お前か!
俺は目を見開き、ガタッと音を立てて立ちあがった。
『……何よ』
怜香は冷笑し、食事の続きを口にする。
『上層部と人事では情報を共有していたけれど、あなたは平社員だし、知らなくても仕方がないでしょう』
そう言ったあと、怜香は邪悪な笑みを浮かべた。
『あなたみたいな未熟な人が、女性を幸せにできると思わないで。私が母親として、相応しい女性を見つけるまで、誰ともお付き合いしてはなりませんよ』
言われて、すぐに理解した。
頭に浮かんだのは、今まで俺に近寄っては、何も言わず去っていった女性たちの顔だ。
最初、彼女たちは俺を好きだと言って寄ってきた。
それが、なぜいきなり離れた?
五人と付き合えば、五人全員が大した理由もなく去っていった。
俺を憎んで悪い噂を流すでもなく、いきなり興味を失ったようにスッと消えた。
学校内ですれ違っても空気のように無視され、宮本にいたっては俺の目の前からいなくなった。
――すべて、怜香の差し金だとしたら?
『……あなたがやったんですか……』
低く呟いた俺の声を聞き、継母は目を細めて笑った。
『はした金を掴ませた程度で別れるなら、大してあなたの事を好きじゃなかったのよ。あなたのような人と付き合うより、お金やブランドバッグを選んだほうが現実的でしょう? あなたよりもっと将来性のある男性を紹介したら、目をハートにして鞍替えした子もいたわね。女性なんてそんなものよ。騙されたあなたが悪いけど』
そう言って怜香は軽やかに笑った。父と風磨は押し黙り、食事を続けている。
『…………っ!』
あまりの怒りと衝撃で叫びそうになった俺は、そのままレストランの個室を出た。
それから、本当に生活のすべてに色がなくなったように思えた。
飯を食ってもうまくない。映画を見ても、本を読んでも感動できない。
俺のマンションには、母の形見のグランドピアノがある。
もともと母は速水家から勘当されたあと、身一つで父と結婚しようとしていた。
だから所持しているピアノは速水家に縁のある物ではなく、父が母にマンションを買い与えた時、一緒に贈ったものだ。
学生時代、父は音楽室で母が弾くピアノをうっとりとして聴いていたらしく、将来は子供にピアノを習わせたいと決めたようだ。
グランドピアノのある環境で育った俺は、自然と音楽を愛するようになった。
十歳までは母にピアノを師事し、篠宮家に移ったあとは、父に『ピアノだけは続けてほしい』と頼まれて都内のピアノ教室に通った。
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だが音楽学校に入るつもりはなく、プロになるつもりもない。
クラシックも好きだが、自由さを求めてジャズピアノにも手を染め始めた。
ピアノは唯一、俺が自分を表現する手段だった。
篠宮家で弾けば怜香がうるさいと言うのは目に見えているので、俺のピアノは防音が効いた借り物件に移された。
寝食は篠宮家でしていたが、他の時間はその部屋でピアノを弾いて過ごし、ひたすらに勉強した。
――だが今は、ピアノを弾いても楽しいと思えない。
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