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旅先で出会った〝朱里〟 編

その時は宜しく

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 この子がこの先生きていくのは、父親がいない現実の世界だ。

 朱里自身が父親のいない環境で、母親と協力して過ごし、学んで、将来の事を考えなければならない。

 誰かに頼るのは悪い事じゃない。

 でも現実から目を逸らして、スマホの中だけに安らぎを求めるのは、健康的な生き方ではない。

 朱里だって誰かに本音を話したいだろうし、甘えたくなるのは分かる。

 理解するけど、朱里の今後を思うからこそ、彼女の手を振り払う事にした。

 もっと言えば、自分を止めるためだ。

 人に頼られるのは気持ちいい。朱里が俺の言葉を信じ、それを支えに生きていくと思うと、何とも言えない甘美な感情に見舞われる。

 俺も孤独だ。

 何度も恋人を作ろうとして、失敗し続けた。

 もう自分しか信じられないと思っているのに、それでもなお『誰かに必要とされたい』『愛されたい』と願ってしまう。

 そんな中、朱里に頼られたら俺のほうが依存してしまう。

 最悪、共依存になって、お互いスマホの向こう側ばかり気にし続け、自分の隣に立つ恋人を必要としなくなるかもしれない。

 せめて朱里が大学生なら、関わり続ける可能性はあったかもしれない。

 でも大学生が中学生に依存し、依存されて……の関係はキツい。あと二年も経てば俺は社会人になるし、絶対に駄目だ。

『忍の旅館は? スマホを取ってきて、連絡先を……』

 俺はなおも食い下がる朱里の頭を、ポンと撫でた。

『俺はまだ未熟だ。社会人にもなっていない。朱里の人生に関わって、責任を持てる自信がない』

『……忍に責任なんて求めない』

 朱里は肩を落とし、悄然として言う。

『この縁が本物なら、いつか大人になった時にまたどこかで会える。その時は運命だと思って、ちゃんと向き合うよ』

 女子が好きそうなフレーズを口にすると、朱里は物憂げな目で川向こうのネオンを見た。

『……絶対だよ。私の事、忘れないでね』

『このクソ寒い時期に寒中水泳しようとした奴を、そうそう忘れられねぇよ』

『もう! 人が真剣に悩んでるのに!』

 茶化すと、朱里は怒って俺の腕を叩いてきた。でもその顔は笑っている。

 やがて俺たちは、彼女が泊まっているホテルの前で別れる事にした。

『じゃあね、忍』

『元気でな。あんまりお母さんを困らせるんじゃねぇぞ』

『うん』

 朱里は俺に手を振り、出入り口に向かって歩いていく。

 ――と、立ち止まって尋ねてきた。

『忍って彼女いるの?』

『いない』

『あと十年経ってもまだ恋人がいなかったら、私が結婚してあげる! その時は私、二十四歳で立派な大人だよ』

『そん時は俺は三十歳だよ。さすがに誰かいるだろ』

『いなかったら? 三十歳で独身だったら?』

 朱里は挑発するような目で俺を見てくる。

 まったく、女って生き物は中学生でも〝女〟だ。

『……その時は宜しく』

 仕方ねぇな、と思って譲歩すると、朱里は嬉しそうに笑った。

 今泣いた烏がもう笑う。

 コロコロと表情が変わる朱里を見て、本当の彼女は感情豊かで前向きな性格なんだろうと思った。

 もしかしたら朱里は、絶望していたところを年上の男に助けられ、擬似的な恋をしたのかもしれない。吊り橋効果ってやつだ。

 その気持ちに応えるつもりはないが、今の朱里の希望になるなら『いつか会える』と期待させるのは一つの手だ。

『幸せになれよ』

 俺はそう言って朱里に手を振り、自分が泊まっている旅館に向かって歩き始めた。

 もう会うつもりはないし、万が一遭遇したとしても、夜に少し話した男の顔なんて、ろくに覚えていないだろうと思っていた。

 それに、人生の黒歴史になった日の事を連想させる奴なんて、覚えていないほうがいい。

 それが俺の結論だった。



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