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初デート 編

部長の事情

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「心して聞かせていただきます」

 私も一口水を飲んだタイミングで、部長が切りだした。

「母親が、兄の恋人と結婚しろと言ってくる」

「凄い! 昼ドラも真っ青!」

 部長の事情を聞き、私は開口一番突っ込みを入れる。

「だからその縁談を受けたくないんだよ」

 彼は手持ち無沙汰にメニューを捲りながら、アンニュイに溜め息をつく。

「……確かに、気持ちは分かります。お兄さんとは仲がいいんですか? 悪い?」

「どうかな。兄とは母親が違うんだ。俺の実母はとうに亡くなっていて、今の母親は実の息子推し。自分の息子が好きすぎて、俺に対しては〝意地悪な継母〟になってるかな」

「とんだシンデレラじゃないですか」

 私は呆然としてさらに突っ込む。

「まぁ、自分の息子が大切なのは当然として、あの人は父の事が大好きだから、母親そっくりの俺が憎いんだろうな」

「あぁ……」

 私は納得して溜め息をつく。

 部長の実母が前妻なのか不倫相手なのか知らないけど、本妻からすれば母子ともども気に食わないのは当たり前だ。

 今の奥さんの事だって愛しているから結婚したんだろうけど、〝前の女〟を気にする気持ちは分かる。

 部長ぐらいの年齢の息子がいる母親なら、もっと割り切ってそうだなと思うけど、愛情とか独占欲は、年齢で一概に言えるものじゃないしね。

「でも、自分の息子……お兄さんの事は大事なんでしょう? どうして実の息子の恋人を奪うような真似を……」

 そこは腑に落ちない。

「母親は兄貴に、いい所のお嬢さんと結婚してほしいと思ってるんだよ」

「うわぁ……。本当に昼ドラだ」

 私はげんなりとして呟く。

「……ていうか、部長のところの家って何なんです? 部長ってお坊ちゃん?」

「尊」

「ん?」

「デートの時ぐらい、名前で呼べよ。俺も朱里って呼ぶから」

 名前呼びするよう言われ、ジワッと頬が熱を持った。

『尊さん……っ!』

 あの夜、私は無我夢中になって彼の名前を呼び、タガが外れたように求めてしまった。

 また部長を名前で呼ぶとなると、どうしても獣のように求め合った夜を思いだしてしまう。

「普通にデートしてるように見えるのに、『部長、上村』呼びだと不倫臭いだろ」

「わ……、それは嫌だ」

 自分たちが周りの人から〝不倫カップル〟と思われるのが嫌で堪らなく、私は鼻の頭に皺を寄せる。

「……じゃあ、……み、尊さん……」

 渋々と名前で呼ぶと、彼は「よくできました」と言ってにっこり笑った。

 ……この、掌の上で転がされてる感、ムズムズするんだよなぁ……。

「俺の家は……、んー。勿体ぶるつもりはないけど、聞いたら後戻りできなくなるかも。俺と付き合ってくれる?」

 微笑まれ、私は目を逸らした。

 向かいに沼の化身がいる……。

 顔も良くて仕事もできて、エッチがうまい。女性社員からは「将来有望」と言われてこっそり狙われる優良株。

 付き合いましたなんて言ったら、嫉妬されて袋だたきだろう。

 今までも彼は、女性社員に『部長って奥さんいないんですか?』『恋人いないんですか?』と聞かれていた。

 彼女たちはふざけ半分の雰囲気だったけど、日常会話の中で探りを入れていたのはすぐ分かった。

 尊さんは『いや、仕事一筋』と言って、本当に女性の影を見せなかったし、彼女たちの誘いにも乗らなかった。

 その悔しさを紛らわせるためか、『ゲイじゃないの?』という噂が流れるほどだ。

 今少し聞いた感じから、まだ私の知らない事情は沢山あるんだろう。

 そして尊さんの〝事情〟を知ってしまえば、後戻りできなくなる可能性が高い。

 ……というか、二回もしてしまったし……。

 勝手にセフレ認定されてるし……。

「〝恋人役〟を引き受けるとして、私にメリットがないように感じられます」

 もうこれ以上傷付きたくない。

 まだ昭人にフラれた傷だって癒えていないのに、目の前にエサをチラつかされたからって、簡単に飛びついてさらに傷付いていたら世話がない。
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