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馴れ初め編/最終章 その瞳に映るモノ、その唇で紡ぐモノ
67.立ち止まってはいけない その1
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まるで打ち寄せる波が引いていくように、頭の中が数秒白一色に染まる。
呆然と見つめる先には、未だ鳴り止まぬスマートフォンがあるだけ。
『俺……っ。ずっと……ずっと、お前のことが好きなんだ!』
そして思い出すのは、真っ赤な顔をし、必死に想いを告げる篠原の姿だった。
あの一件以来、彼と個人的な接触をしていない。
向こうから声をかけられることは無く、千優も、自発的に接触しようとはどうしても思えなかった。
あれは、二人が同時に見た悪い夢であって欲しい。そんな願いを抱いたところで、子供だましな言葉で片付けられるものでは無い。
それを自分達は理解している。だからこそ、以前と同じ和やかな雰囲気を、いまだ取り戻せないでいるのだ。
そしてあの件は、茅乃達の態度にまで影響を及ぼしている。
『……でさ、この前……っと。千優、ちょっと飲み物買うの付き合って!』
『……え? ちょ、走るな!』
それは数日前、昼食後に二人で雑談をしつつ社内を歩いていた時のこと。
それまでニコニコと笑っていた茅乃は、急に来た道を逆走し始めたのだ。
一度だけなら、特に何も思うことは無いが、二度、三度と続けば、疑念を抱かざるを得ない。
加えて、毎々ほぼ同じパターンで逃げるように自動販売機へ向かうのだから、怪しさ満点だった。
茅乃は何を思い、奇行をくり返すのかと千優は悩む。
そんな時、茅乃に腕を引かれ走り出す直前、彼女は目にしてしまった。
自分達の方へ向かってくる後藤の姿、そして彼の隣に居るもう一人の人物の姿を。
茅乃が下手な芝居を打ち、必要としていない飲み物を買う理由。
それはきっと、千優と篠原が鉢合わせないようにするため。
彼女に余計な気を遣わせていることが申し訳無くなり、千優は気にするなと言及する。
しかし彼女は「何言ってるの。本当に喉が渇いただけだって」と笑うだけ。
いい歳をした大人が何をと己に呆れる。それと同時に、申し訳なさと感謝の気持ちが、心をギュッと締め付けてきた。
『ありがとう』
『……何を気にしてんだか。そうだ! 今度一緒に見て欲しいブルーレイがあるんだよ。声優さんが、キャラのように、歌って踊るから……見て!』
その瞬間、口をついて出たのは小さな感謝の言葉。そして、すぐそばからクスリと小さく笑う声が聞こえ、眼差しに友人の姿をとらえる。
そこに居たのは、千優を己の世界へ引き込もうとする、オタクモードな茅乃だった。
『お、おう……クスッ。いいよ』
あまりの迫力に、一瞬たじろぐも、すぐに体勢を立て直した千優は、感謝の気持ちも込めて、友人の言葉に頷く。
『やったー! あぁ、もう本当に千優ったらいい子なんだからー。大好きだー、愛してるー』
突然彼女は声を張り上げたかと思えば、時折通り過ぎる社員達の目もはばからず、勢いよく抱きついてきた。
そのまま頬をすり寄せてくる姿に、驚きつつ、少しだけ可愛らしいと感じる。
『ちょっと、化粧崩れても知らないよ? あ、でも……そういうのって、後藤さんと見た方が盛り上がるんじゃない?』
『それは大丈夫。もう見せたから。でも……あっちは、騒がずじっくり静かに噛みしめたい派なわけよ。隣で騒いでると、聞こえないって怒られる』
『あは、は……』
千優に抱きついたまま、茅乃はいつも怒られてばかりだと不満げな声を漏らす。
しかし、その表情はどこか優しくて、文句を言いつつ恋人への気持ちが滲んでいることは、恋愛に疎い千優でも理解出来た。
(どうしよう……)
思考を現実へ引き戻し十数秒。今この電話を取るべきか否か、千優は真剣に悩んでいた。
立ち上がろうと、一旦はあげた腰を下ろし、ジッとテーブルの上にあるそれを凝視する。
しばらくすれば、諦めて切れるかと思いきや、そんな様子は微塵もない。
きっと向こうも、鳴り続けるコール音を聞きながらモヤモヤしたものを抱えているはずだ。
「…………」
恐る恐る手をのばすが、あと一歩の所で怯えが動きを妨げる。
引き延ばせば、それだけ言葉を伝えるタイミングを逃すとわかっているのに、最後の勇気が出てこない。
あの時、開けた浴衣からのぞく肌にひんやりと風を感じた。己を見つめる二対の視線が確かにあった。
ここ最近、ふとした瞬間にそれらを何度も思い出してしまう。
足元から全身へ虫のように這いずる気味悪い感情に、何と名前をつければいいかと、千優はいつも悩んでいた。
そんな彼女のなかでわかることはただ一つ。それが、自分にとって好ましいものでは無いということだけ。
「あぁ、もう……くそっ!」
千優は、テーブルへのばしかけた手を一旦戻し、すぐそばに転がっていたモノを掴むと、勢いよくそれを壁に向かって投げつけた。
先程まで抱きしめていたクッションを力任せに放れば、ボフッと少し重たい音を立て、壁を伝い床へ転がる。
心の中で渦巻く仄暗い感情。それがクッションへ移るよう祈り投げつけてみたが、あまり効果は無い。
自分の苛立ちをモノにぶつけるなど、どうかしている。そんな理性が、新たな自己嫌悪の種を増やしそうで、心底嫌になった。
大きなため息を吐きながら、彼女が視線を向けるのはいまだ着信を知らせるスマートフォン。
このまま逃げ続けても、無意味なことくらい、今までの経験で十分わかっていると言うのに。
(もう……こうなったら自棄だ)
クッションを投げた状態で固まっていた腕を動かし、次の瞬間、千優は勢いよくスマートフォンをつかみ取る。
そのまま、通話ボタンをタップする彼女の指に、もう迷いは無かった。
呆然と見つめる先には、未だ鳴り止まぬスマートフォンがあるだけ。
『俺……っ。ずっと……ずっと、お前のことが好きなんだ!』
そして思い出すのは、真っ赤な顔をし、必死に想いを告げる篠原の姿だった。
あの一件以来、彼と個人的な接触をしていない。
向こうから声をかけられることは無く、千優も、自発的に接触しようとはどうしても思えなかった。
あれは、二人が同時に見た悪い夢であって欲しい。そんな願いを抱いたところで、子供だましな言葉で片付けられるものでは無い。
それを自分達は理解している。だからこそ、以前と同じ和やかな雰囲気を、いまだ取り戻せないでいるのだ。
そしてあの件は、茅乃達の態度にまで影響を及ぼしている。
『……でさ、この前……っと。千優、ちょっと飲み物買うの付き合って!』
『……え? ちょ、走るな!』
それは数日前、昼食後に二人で雑談をしつつ社内を歩いていた時のこと。
それまでニコニコと笑っていた茅乃は、急に来た道を逆走し始めたのだ。
一度だけなら、特に何も思うことは無いが、二度、三度と続けば、疑念を抱かざるを得ない。
加えて、毎々ほぼ同じパターンで逃げるように自動販売機へ向かうのだから、怪しさ満点だった。
茅乃は何を思い、奇行をくり返すのかと千優は悩む。
そんな時、茅乃に腕を引かれ走り出す直前、彼女は目にしてしまった。
自分達の方へ向かってくる後藤の姿、そして彼の隣に居るもう一人の人物の姿を。
茅乃が下手な芝居を打ち、必要としていない飲み物を買う理由。
それはきっと、千優と篠原が鉢合わせないようにするため。
彼女に余計な気を遣わせていることが申し訳無くなり、千優は気にするなと言及する。
しかし彼女は「何言ってるの。本当に喉が渇いただけだって」と笑うだけ。
いい歳をした大人が何をと己に呆れる。それと同時に、申し訳なさと感謝の気持ちが、心をギュッと締め付けてきた。
『ありがとう』
『……何を気にしてんだか。そうだ! 今度一緒に見て欲しいブルーレイがあるんだよ。声優さんが、キャラのように、歌って踊るから……見て!』
その瞬間、口をついて出たのは小さな感謝の言葉。そして、すぐそばからクスリと小さく笑う声が聞こえ、眼差しに友人の姿をとらえる。
そこに居たのは、千優を己の世界へ引き込もうとする、オタクモードな茅乃だった。
『お、おう……クスッ。いいよ』
あまりの迫力に、一瞬たじろぐも、すぐに体勢を立て直した千優は、感謝の気持ちも込めて、友人の言葉に頷く。
『やったー! あぁ、もう本当に千優ったらいい子なんだからー。大好きだー、愛してるー』
突然彼女は声を張り上げたかと思えば、時折通り過ぎる社員達の目もはばからず、勢いよく抱きついてきた。
そのまま頬をすり寄せてくる姿に、驚きつつ、少しだけ可愛らしいと感じる。
『ちょっと、化粧崩れても知らないよ? あ、でも……そういうのって、後藤さんと見た方が盛り上がるんじゃない?』
『それは大丈夫。もう見せたから。でも……あっちは、騒がずじっくり静かに噛みしめたい派なわけよ。隣で騒いでると、聞こえないって怒られる』
『あは、は……』
千優に抱きついたまま、茅乃はいつも怒られてばかりだと不満げな声を漏らす。
しかし、その表情はどこか優しくて、文句を言いつつ恋人への気持ちが滲んでいることは、恋愛に疎い千優でも理解出来た。
(どうしよう……)
思考を現実へ引き戻し十数秒。今この電話を取るべきか否か、千優は真剣に悩んでいた。
立ち上がろうと、一旦はあげた腰を下ろし、ジッとテーブルの上にあるそれを凝視する。
しばらくすれば、諦めて切れるかと思いきや、そんな様子は微塵もない。
きっと向こうも、鳴り続けるコール音を聞きながらモヤモヤしたものを抱えているはずだ。
「…………」
恐る恐る手をのばすが、あと一歩の所で怯えが動きを妨げる。
引き延ばせば、それだけ言葉を伝えるタイミングを逃すとわかっているのに、最後の勇気が出てこない。
あの時、開けた浴衣からのぞく肌にひんやりと風を感じた。己を見つめる二対の視線が確かにあった。
ここ最近、ふとした瞬間にそれらを何度も思い出してしまう。
足元から全身へ虫のように這いずる気味悪い感情に、何と名前をつければいいかと、千優はいつも悩んでいた。
そんな彼女のなかでわかることはただ一つ。それが、自分にとって好ましいものでは無いということだけ。
「あぁ、もう……くそっ!」
千優は、テーブルへのばしかけた手を一旦戻し、すぐそばに転がっていたモノを掴むと、勢いよくそれを壁に向かって投げつけた。
先程まで抱きしめていたクッションを力任せに放れば、ボフッと少し重たい音を立て、壁を伝い床へ転がる。
心の中で渦巻く仄暗い感情。それがクッションへ移るよう祈り投げつけてみたが、あまり効果は無い。
自分の苛立ちをモノにぶつけるなど、どうかしている。そんな理性が、新たな自己嫌悪の種を増やしそうで、心底嫌になった。
大きなため息を吐きながら、彼女が視線を向けるのはいまだ着信を知らせるスマートフォン。
このまま逃げ続けても、無意味なことくらい、今までの経験で十分わかっていると言うのに。
(もう……こうなったら自棄だ)
クッションを投げた状態で固まっていた腕を動かし、次の瞬間、千優は勢いよくスマートフォンをつかみ取る。
そのまま、通話ボタンをタップする彼女の指に、もう迷いは無かった。
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