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第五章 喜んで咎を受け入れよう

47.ナンバー九十九発生

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 数か月ぶりに見る先輩の姿を前に、セラフィーナが抱いたのは再会の歓喜ではなく、大きな戸惑いだった。
 養成所で散々世話になったというのに、どうしてそんな感情を抱くのか。その答えは自分のすぐそばにある。
 恐々と隣へ向けた目線をわずかにあげれば、いつもは前髪に隠れているはずの茶色い瞳が戸惑いの感情に塗れ自分を見下ろしていた。
 二人の視線が交わった瞬間、腰に回された腕の力が強くなり、これまで以上にアイザックの方へ身体が引き寄せられる。

「なっ! これは一体どういう事だ。説明しろ、セラフィーナ・ケトラ!」

 アイザックの胸元に抱きこまれた瞬間、対象を射貫くような鋭い声が自分へ向けられる。
 そこに、記憶の中で軽快に笑う先輩は居らず、多大な困惑を含む強張った音だけが、嫌という程耳についた。

(先輩、すごく怒ってる)

 いつもはセラと愛称を口にするサウルが、名前を、しかもフルネームで自分を呼ぶ。それが示す意味を理解すれば、アイザックとの甘いひと時に感じていた鼓動とは違うリズムを刻む心音に気づく。
 次第に速くなるそれは、返答せんと開きかけた口を閉じさせ、彼女の思考をかき乱していった。

「貴様こそ突然何だ。彼女に用があるのなら、まずはその殺気を消してからにしてもらおう」

 沸々と抑えきれない怒りを露わにするサウルを前に、アイザックは臆する様子を一切みせず、果敢に立ち向かおうと一歩足を前へ踏み出した。
 それとは逆に、己が抱えるモノを守らんとますます腕に力を込めているようで、彼に抱きすくめられている身体は、より一層己では無い体温を感じずにはいられない。

 男達が殺気を飛ばし睨みあうなか、混乱がおさまらない思考を強制的に働かせ、彼女は必死に考えた。
 サウルがどういった経緯で自分の前にあらわれたかはわからない。
 しかし彼は、人間と一緒にいる後輩の姿を目撃し、感情を昂らせているのは明らかだ。
 単に隣を歩いていたわけではなく、恋人同士のそれを目の当たりにし、彼は今にも爆発しそうな感情を必死に抑えつけているのだろう。
 アイザックは、突然あらわれた見知らぬ男をひどく警戒している。
 恋人の名を呼び、彼女に殺気を向けていることから、サウルを自分達の敵と判断したのかもしれない。

「お前、まさか人間に擬態してな……っ、ということは、この男、俺達が見えるのか?」

「っ!」

 感情が昂る最中、サウルはより正確に現状を把握したらしい。
 人間に擬態していないことや、アイザックが自分達天使の姿を目視出来ることを言い当てられたセラフィーナの心臓は一際大きく脈打ち、その反動で華奢な肩が愛する人の腕の中で無意識に跳ねる。

「自分が何を目指しているのか、忘れて人間にうつつを抜かしていたとでも言うのかセラフィーナ!」

 すると、こちらの様子を目聡く見ていたサウルの語気が荒くなる。
 自分に対し、彼がこんなにも感情を露わにするのは初めてだ。そのことに驚くと共に、滅多なことが無い限り怒鳴らない先輩を怒らせてしまったという事実が重く、そして鋭く自分の胸に突き刺さる。
 向き合わなければいけないと思っていた現実が、ついに目の前にあらわれてしまった。
 何度も向き合おうとして、そのたびに目をそらし、逃げ続けた報いを自分は今受けているのだと、様々な感情がせめぎ合い嵐の中に取り残されたような感覚に陥る。

 今更何を言っても、すべて言い訳にしか聞こえないかもしれない。
 例えそうなったとしても、自分は真実を告げなければいけない。
 そして、アイザックを罰さないで欲しいと懇願しなければいけない。

「ちがっ、違います先輩! この人と一緒に居るのには理由があって」

「下がれ、セラ……ぐあっ!」

 気を抜けば今にもその場に崩れ落ちそうな両足に力を入れて踏ん張り、セラフィーナは怒り狂うサウルへ向かい叫んだ。
 すると次の瞬間、腰回りの圧迫感が消える。同時に、耳元で恋人の焦る声が聞こえた。
 反射的にふり返ろうとするが、それよりも早く無骨な手に肩を掴まれ後方へ押しやられる。
 アイザックが身を挺して自分を庇おうとしてくれた。
 その一連の流れ、そして意味を理解出来たのは、視界に映り込む恋人の背中を目にした時ではない。
 自分を庇い前に出たはずの彼の姿がいつの間にか消え、呻き声と共に何かがぶつかり合う音を森に響かせ、森のなかで休息をとっていただろう鳥たちが一斉に飛び去る音を聞いた後だった。





「ザック!」

 ようやく思考が現実に追いつき、周囲を確認すれば、近くにあった大木に背中から叩きつけられ、その場に倒れこむ彼の姿が目についた。
 慌てて名を呼び駆け寄ろうとするも、一歩踏み出した途端身体が言う事を利かなくなる。
 そのまま背後から突き飛ばされるような感覚と共に前方へ倒れこむセラフィーナ。
 倒れ込んだ衝撃で胸を地面に打ちつけた彼女の口からは、言葉にすらならない呻きが漏れる。

 胸や膝、様々な箇所に痛みを感じるも、彼女は尚もアイザックのもとへ駆け寄ろうと必死だった。
 しかし、起き上がろうとしてもその身体はピクリとも動かない。
 まるで背中に大岩でも乗ったような重さをズシリと感じ、気づけば起き上がることすら出来なくなっていた。

(どうして? どうしてなの?)

 アイザックを突き飛ばし、現在進行形で自分の行動を妨げている犯人。それは明らかにサウルだった。
 彼は、養成所で一通り習うものの、ほとんど使い道の無い攻撃や捕縛絡みの術を自分達へ向け放っている。
 何もサウルと争いたいわけではない。
 どうして自分がアイザックのそばにいるのか、その理由と経緯を説明したいと思っていても、それすら口にすることも叶わないのかと、これまで困惑しかなかった心に深い悲しみが満ちていった。

「…………」

 頬に触れる地面が、夏だというのにやけに冷たく気持ちいい。どこか他人事のような感覚を頭の片隅に抱けば、そんな大地を踏みしめる音が、徐々にこちらへ近づいてくるのがわかる。
 コツン、と不意に止まる足音。そして視界の端に映り込む靴に、先輩の彼がそばにたたずんでいると知った。

「せ……ぱ、話を、きいて……ださい」

「ああ、聞いてやるよ。天界に戻ってから、じっくりと、な」

 どうにか彼に自分の想いを伝えたい。その一心で、セラフィーナは息苦しさを堪え、口を開く。
 しかし、彼女の想いとは裏腹に、口から零れ落ちる声はか細く途切れてばかりだ。

「セ、ラを……はな、せ、ゲホッゲホッ」

 得体の知れない術によって吹き飛ばされ、大木に身体を叩きつけられたせいで、きっとアイザックは身体中に襲いくる痛みと闘っているのだろう。
 しかし、そんな最中でも、自分の事より恋人を気にかける。
 愛する人の呻きに乗って紡がれた己の名。
 そのたった二言を耳にしただけで、不思議と溢れ出た涙が頬を伝う。

 自分達を抑えつける男との実力差を実感し、同時に何も出来ない自分が情けなくなる。
 せめて、アイザックだけでもこの場から逃がしたい。強い想いは消えることなく、心の中で燻っているのに、自分にはそれを実行に移す力も、勇気も無い。
 自分が知っている優しい先輩の面影が消えた男。目の前に居る天使は、今となってはただの死刑執行人のように思えてならなかった。

 数々の掟を破っておきながら、こんな事を思うなど許されないかもしれない。
 それでも今、彼女が願うことはただ一つ。愛する人の救済だ。
 罰を受けるのは自分だけで良い。人間である彼を解放して欲しい。
 その願いすら許されないのかと、新たな涙が頬を濡らした時、全身に感じていた重みが消え、己の意思に反し、身体が宙に浮きあがった。

「っ! は、ぁ……ゴホッゴホッ」

 突然のことに混乱するなか、胸が地面に押しつけられていたことで圧迫されていた肺へ新鮮な空気が一気に流れ込む。
 その状況変化に身体が追いつかず、セラフィーナはしばし咳き込み続けた。
 そんな彼女の瞳は涙の膜によって覆われ、ぼやけてしまった視界に映り込む太陽光がやけに眩しくて仕方ない。
 落ち着け、落ち着けと何度も心のなかで自分に言い聞かせながら、一度、ゆっくり瞼を閉じる。
 直後、両頬の辺りを何かが流れ落ちる感覚に気付いた。それが自身の涙だと知ったのは、再度開けた視界が鮮明になっていたからだろう。

(先輩……)

 自ら翼を広げていないにも関わらず宙に浮く両脚。
 自分をそんな状態にしているのは、術によって浮いている後輩を見上げ鋭い視線を向ける男だということは明らかだった。
 数分ぶりに見た彼の顔は、相変わらず怒りに満ち酷く強張っている。
 現状に対し、彼自身も戸惑いを感じていることを理解し、ズキリと胸の奥が痛んだ。

 そのまま、セラフィーナは無意識に目線を動かし探しものをする。
 忙しなく動いていた彼女の視線が留まったのは、いまだ大木の前から動けず、わずかながら上半身を起こしこちらを悔しげに見つめているアイザックの姿。
 城を出る前セットしたはずの髪は乱れ、ヴィンスから借りた服のいたる所に泥汚れが付着していた。
 あれでは本当に、彼の姿を初めて見た人は誰も王子だと気づかないはず。

(もう一度、頼んでみよう)

 事情説明に、懲罰、これから与えられるモノ、そして己が迎える未来。いくつものことを想像したセラフィーナは、何よりも先にアイザックの解放を嘆願しようと決めた。
 いまだ息苦しさが残る状態で、どうにか胸の奥へ出来る限りの空気を吸い込み、鋭い視線を向ける指導者に話しかけるため口を開く。

「おいセラフィーナ。これは……一体何だ?」

 しかし己の声に音を乗せるよりも先に、しばしこちらから視線を外し、腰を屈めたサウルの口から再び言葉の矢が放たれる。

「……え?」

 体勢を戻した彼は、手に何かを握り、それをこちらへ見せつけるように腕を突き出す。
 視界に飛び込んできたもの。それは、セラフィーナが地上で使っていた試験用の矢だった。
 だが、輝くような純白を身に纏っているはずのそれは、何故か限りなく黒に近い灰色へ変色していた。

 初めて目にする矢の色に、彼女は大きな動揺を示す。
 混乱のあまり、無意識に眼球が揺らぐせいで視界が定まらない。そんな最中、視界の端に見覚えのあるものが映り込んだ。
 縋るように急いで視線を向ければ、地面に落ちたショルダーバッグが目に留まる。それは、アイザックの自室を出る際、いつも持ち歩いていた自分のモノ。

 今日ももちろん持ち歩いていた大切な相棒である。
 それが今では、鞄の留め具が外れ、無残に中身が地面の上へ散らばっているではないか。
 きっと、サウルから攻撃を受けた際、肩から外れて地面に叩きつけられたのだろう。
 バッグから飛び出したモノの中には、今サウルが手にしている矢と同じ色に染まったもう一本のそれも残されていた。

「な、に、これ……?」

「お前まさか、そこに居る男に身体を許したんじゃないだろうな?」

「……っ!」

 これまで一度たりとも、見たことの無い黒々とした矢。それが何を示しているのか、彼女はすぐにわからなかった。
 しかし、今までで一番辛辣な言葉がサウルの口から自分へ向けられる。
 その意味、そして彼の鋭い睨みを前にすれば、底知れぬ恐怖と耳にした言葉に対する羞恥に、全身を巡る血液が瞬く間に熱くなる。
 すぐに返答出来ず、ただ大きく目を見開き戦慄わななくことしか出来なかった。

「お前のこと、馬鹿だ馬鹿だと笑ってたけど……ここまで馬鹿だったなんて、知らなかったぜ」


 ――失望したよ、お前には。


 その場に吐き捨てるように言葉を紡ぐサウル。その瞳にはもう懐かしい光は残っていなかった。

 セラフィーナが懇願すら躊躇わせる冷酷な眼差しをこちらに向け、彼は己の肩にかけていたショルダーバッグから、通信機を取り出す。
 それは、特殊な技術を用いて作られた、地上派遣任務の者が持ち歩く、天界と連絡が取れる機器だ。
 それを口元に当てたサウルは、ぬくもりの無い声のまま口を開く。

「至急、至急。本部への通信許可を願います。ナンバー九十九発生、ナンバー九十九発生。直ちに本部への通信許可並びに応援部隊の要請を願います」

 初めて聞く男の声と、耳慣れない言葉の数々を耳にしたセラフィーナは、声を発することなく、ただ青ざめるしかなかった。
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