46 / 54
第四章 それぞれの想いの先に
46.衝撃の再会
しおりを挟む
補佐官クラースから視察許可は下りたものの、それにはいくつかの条件が盛り込まれていた。
これではどちらが上の立場かわからない、と肩を竦め笑うアイザックの姿を見ても、補佐官は然程動揺したりせず、淡々と懸念点を上げ始める。
視察を行う大前提として、やはりアイザックが単身城の外へ出ることは叶わないらしい。
城の近くを少々見回るだけと言っても、王位継承者という彼の立場が、大きな足枷となり自由を奪うのだ。
『こんなわがままに付き合ってくれる護衛なんて居るでしょうか。……仕方ない。先日視察の際にお世話になった部隊に相談することにします。あの人達なら信頼出来るし、多少の融通は利くでしょう』
『今回のことは……わがまま、なのだろうか? ……ふむ、わがままか』
当事者であるアイザックの思考を置き去りにし、クラースは今回の作戦の準備に一人取りかかる。
その様子を、どこか腑に落ちない表情で見つめるアイザック。
自問自答を繰り返す彼の肩には、隙を見て移動したセラフィーナが居り、恋人の長髪越しに、男達のやり取りを覗き見ていた。
『アイザック様、つかぬ事をうかがいますが……この城の騎士に知り合いなどおりませんよね?』
一人思考の海に沈みかけた彼の意識は、補佐官からの問いかけによって現実へ浮上する。
唐突な問いに驚き詳細を聞いてみれば、アイザックと親しい間柄にある騎士の方が、より融通が利く可能性が高くなるとのことだ。
しかし、自ら問いを投げかけておきながら「まあ、気難しい貴方の相手を出来る騎士がいるとは思いませんが」などとぼやくクラース。
その姿を目にした恋人は、少しだけ気を悪くした様で、前髪の奥に隠れた視線がわずかに鋭くなった。
『ね、ねえザック。ディオンは? ディオンなら、付き合ってくれそうじゃない?』
目元の変化と心の機微を感じ取ったセラフィーナは、慌てて彼の耳元へ近づき小声でアドバイスをおくる。それは、彼と親しい間柄の騎士と聞き、真っ先に頭の中に浮かんだ人物の名前だ。
『あやつは、なあ……ただ騒がしいだけだからな』
『おや、心当たりがおありで?』
元々自分の発言が発端となったこともあり、少しでも役に立てればと己の考えを主張したセラフィーナ。彼女の言葉はしっかりアイザックにも届いたようで、ため息交じりの声が返ってくる。
しかし、それは独り言というにはどこか不自然で、耳聡くその音を拾ったクラースが不意に顔をあげ、机の上に広げ作戦の詳細を練っていた紙から、主の方へ視線の矛先を変えてきた。
(ヤバッ!)
咄嗟に目の前の首筋へしがみ付くと、予期しない刺激にピクリとアイザックの肩がわずかに上下する。
これまで何度か同じ状況に陥っているものの、いまだ慣れない不意打ちに、セラフィーナは大きなため息を吐いた。
『心当たりがあるのなら、頼んでみましょうか? どの隊に所属している男ですか?』
『いや、今の事は気にしなくていい。同行させる騎士の選別はお前に任せ……』
セラフィーナの存在はバレておらず、クラースが主の不可解な言動を追求する様子も無い。どうにか話題をそらすため、誤魔化し始めたアイザックの首をポンポンと叩き、彼女は無言のエールをおくる。
このまま、同行者の選別をクラースに一任してしまえば良いと、二人がそれぞれに同じ思いを抱いていた。
『アイザック様―! 久々に時間取れたんで、遊びに来ましたよー』
しかし、それはいとも容易く砕け散る。前触れ無く勢い任せに開け放たれたドアと、その向こうから登場した賑やかさを全身に纏う男によって。
『どうしてお前は、毎回毎回予告なく突撃してくるのだ! 廊下で私を見かければ体当たりしてくるし、部屋に入る際はノックをしろと言っているのに、どうして簡単なことすら覚えていない』
『ええ……だってアイザック様の部屋に誰か居ることなんてめったに無い……あ、きょ、今日は居るんすね。俺、また後で来ますんで……グエッ!』
噂をすればなんとやら。
久方ぶりにディオンの自室襲撃を喰らったアイザックは、ピクピクとこめかみを震わせながら、必死に逃亡をはかろうとする騎士の首根っこを掴む。
すると、王子に捕らえられたディオンの口から、カエルをだみ声にも似た音が漏れ出る。
以前から散々同じ注意を受けているのに、相変わらずなディオン。
セラフィーナの中で、恋人の数少ない友人枠に入り、今しがた名前を出したばかりな人物の襲来は、彼女を激しく動揺させた。
手を離してあげて、と必死に耳元で頼み込むも、一向に手を離さないアイザック。その様子を目の当たりにしたセラフィーナは、一人頭を抱えるのだった。
『なるほど、そういうことですか』
珍しく怒りを露わにするアイザックと、その姿に顔を引きつらせる騎士ディオン。二人のやりとりを冷静に観察していたクラースの言葉が、騒々しい室内でやけにはっきりと木霊した。
あれから、どこか漠然としていた計画はクラースの手によって練られていき、日に日に現実味が増していく。
彼が一番頭を悩ませていた護衛役については、セラフィーナが思い描いた通りディオンが引き受けてくれた。
『え、アイザック様の城下視察の護衛っすか? いいですよ、全然。日にち指定してくれれば、その日が休みの誰かと勤務日交換しますから……って、あだっ! ちょっと、どうして叩くっすか、クラース様』
『貴方はもう少し緊張感というものを持ちなさい! 仮にもこの国の未来を担う王子の護衛を任されるのですよ!』
その頭に何度もクラースの鉄槌を喰らってもめげる事無く、見ているこちらの気が抜けそうな緩い笑みを浮かべてばかり。
しかし、アイザックはそんな二人のやりとりを眺め、嬉しそうに頬を緩めていた。
次に決まったことは、事情を知るクラースの同行。
だが、王子、補佐官、騎士の三人だけでは、腕っぷしの面で不安だと頭を抱えるクラース。
『そんな事を言うのなら、もうこの際、其方が納得のいく人材を連れて来い。ただし、大人数になるのは御免だぞ』
様子を見ていたアイザックのこの一言が機転となり、クラースが心を許す数少ない存在、クライヴの同行が決定したのである。
メンバーを決定した後、アイザックの仕事予定、そして他三名の休日日程を擦り合わせることしばし。
その間、背格好が割と似ていて相談しやすいヴィンスに、変装に使う私服一式を借りられないかと頼んだり。
不在を勘づかれ騒ぎになっては大変だと、前もって使用人筆頭でありアイザック自身を良く知っているチャドにも今回の作戦を打ち明けておくなど、やらなければいけない事はたくさんあった。
『ザック、本当にごめんね。だんだん大事になって』
『だから、気にするなともう何度も言っているだろう? 私自身も、今回のことは良い勉強になると思っている。人々の生活をこの目で見て、彼らの声を直に聞くことで、今後役に立つものも多いはずだ』
昨夜、就寝前にベッドの中で寄り添いながら交わした睦言が脳裏に蘇る。
いつもアイザックが一人で眠る広々としたベッドは、人間の姿となったセラフィーナが潜り込むには丁度良い広さがある。
情交を結んだ夜から彼女は、毎晩愛する人の腕に抱かれ眠りについていた。
夢心地とも言える世界へ旅立つ前に交わすのは、互いに向けた愛の囁き。しかし最近は、もっぱら今度の視察に関する内容ばかりだった。
『最近、ザック変わったよね?』
『そうか?』
『うん。出会った頃は……何て言うのかな、どこか他の人と自分に線引きをしているみたいに感じたの。自分の殻に閉じこもっているような。でも最近は、少しずつだけどそれを破っている気がする』
『…………』
自分なりに考えて、懸命に想いを伝えようとするセラフィーナ。そんな彼女を見つめるアイザックの瞳は、どこまでも穏やかに澄んでいる。
『ザックは嫌がるかもしれないけどね。クラースさんとか、ディオンとか、クライヴさんやヴィンスさんも……皆、ザックの事を悪く言ったりしないでしょ? そういう人達と一緒に居る時のザックは、とても楽しそうに見えるよ』
『……すべて其方がいるお陰だ』
『……? 何、よく聞こえな……んっ、ふぁ』
口に出すのは少々恥ずかしい想いを吐露すれば、次第に目線は下がり、気づけばコツンと目の前にある胸板に額を押しつけていた。
すべてを話し終え、じわりと火照る頬の熱を感じながら顔を上げる最中、頭上で彼が何かを呟いた声が聞こえたが正確に聞き取れない。
疑問符を浮かべ、こちらを見下ろす彼を見上げながら口を開こうにも、しっとり湿った彼女の唇は、己ではないかさつきを有したそれに阻まれる。
外へ飛び出すはずだった音は、彼女の口内へ戻っていき、気づけばどちらのともわからない唾液により、綺麗さっぱり洗い流されてしまった。
「いいですか、これから私達は、休日に街へ遊びに来た友人になります。友人同士なのですから、いつもより砕けた口調で喋りましょう。そしてアイザック様の事は、リオと呼ぶように」
集合場所に着いてすぐ、クラースが主体となり今回の視察に関する注意事項を話し始める。
すると、しばらく皆の様子をアイザックの胸元から観察していたセラフィーナはある事に気づいた。補佐官を見つめている三人の視線が、どこか遠くに向いているのは、一体どうしてだろう。
「クラース、その偽名……たった今思いつきで言っただろう?」
「はい、そうですよ。いけませんか?」
話の途中、ため息交じりに指摘をしたのは、この中では一番立場が上のアイザックだった。その言葉に、クラースは悪びれる様子無くあっけらかんと返答する。
「いけない、というか……何と言うか」
「アイザック様のこの見た目、どう考えてもリオって名前じゃないでしょう」
クライヴとディオンは互いに顔を見合いながら、どこか煮え切らない表情を浮かべ、クラースが出した偽名案に物申した。
セラフィーナも、リオという偽名は如何なものかと思っていたため、二人の進言には内心大きく頷くと同時に、指摘を受けたクラースが心配になった。
慌ててそちらを向けば、仲間内から指摘を受けた事が恥ずかしいらしく、彼の頬や耳は真っ赤に染まっていた。
普段、沈着冷静な態度を崩さない補佐官らしくない様子を目撃した彼女は、無言のまま大きく目を見開く。
「だっ、だったらあなた達はアイザック様に似合う立派な偽名を考えられるんですか? 今すぐ、この場で!」
「うえっ! い、今すぐっすか? そ、それは、ちょっと……」
「ほら御覧なさい! 代案も無いのに、一丁前に文句を言わないことですね。さっさと、行きますよ!」
赤く染まった顔を皆に見られたくないのか、プイッとそっぽを向いたクラースは、一足先にドシドシと音が鳴りそうな足取りで街の方へ向かう。
その後ろ姿をしばらく見つめていた男達は、次々と彼の後に続く。
道中、自分の前後を挟むように歩くコックと騎士に対し「私の名はリオだ、いいな?」と念押しするアイザックの姿に、小さな天使は一人、ほっこりと頬を緩ませた。
城を出てから数時間後、待ち合わせ場所で皆と別れたアイザックは、城を出発した時と同様に森のなかへ足を踏み入れ帰路につく。
部屋の前まで護衛を継続するというディオンの申し出を、休日なのに申し訳ないと言って彼は断った。
それでもと食い下がる様子に「たった数分だ」と苦笑交じりの声を発するアイザック。
待ち合わせ場所に来る際も平気だった。同じ道をたどればいいと、彼は尚も申し出を断り、貴重な残りの休日をそれぞれ過ごすよう言いつけ森のなかへ入ったのだ。
「よし、もうそろそろ良いだろう。セラ、もう誰の気配も無いから元の姿に戻っても平気だぞ」
そのまま森の中を歩くことしばし。不意に足を止めたアイザックは、自分の胸元へ視線を落とし、声をかける。
すると、愛しい声に反応し、これまでずっと胸ポケットのなかで大人しくしていたセラフィーナが勢いよくそこから飛び出してきた。
すぐさま彼女は、宙でくるりと反転しながら、自身に術を施し、元の大きさへ戻る。
無事戻れたことに安堵しながら、ひらりと地面に降り立つセラフィーナ。そのまま背中の翼を一時的に消し去ると、ほぼ同時に細い腰に己のものではない太い腕が回ったことに気づく。
「っと。ザック、お疲れ様……んっ」
「ん、ちゅ……セラも疲れただろう? 結局、恋愛話をしている街の人間は、大して見つからなかったな。正直……ディオンが終始喋っているか、クライヴが食材選びに夢中になっていた記憶しか無い」
次の瞬間、彼の太い腕に腰を引き寄せられ、密着したことで己ではない体温を感じる。
労いの言葉を紡ぎながら足元に向いていた顔を上げると、一瞬だけ唇が塞がれ、開けた視界には恋人の蕩ける様な甘い笑みが映り込んだ。
アイザックの言う通り、この数時間の間に起こった出来事は、視察というより、本当に気の知れた友人同士で街を散策した、と表現した方が正しいものばかりだった。
彼らは彼らで楽しんでいる間に、セラフィーナは隙を見てアイザックの胸元から抜け出し、数回情報収集を試みたが、事前に恋人から指摘された通り無駄足に終わった。
だが、セラフィーナ本人は今日のことについて満足していた。
駄目で元々という気持ちで臨んだため、収穫が無かったことに対する精神的ダメージは思っていたよりも少ない。
また城内を散策するに限ると、脳内の片隅で頷きながら彼女が感じたこと。それは、終始呆れや戸惑いの表情を浮かべているなかで、純粋に友人との時間を楽しむ彼の姿を見られた嬉しさだ。
これまで引きこもってばかりだった恋人が、外へ飛び出し気心の知れた仲間と打ち解けている姿は、なんとも微笑ましいものだった。
(本当に、今日はザックの言う通りにしてよかった)
あの時、視察をさせまいと動いていたら、きっと今日の素敵な時間は訪れなかっただろう。
実用的な収穫は無くても、心があたたかくなる収穫は多々あったので、今日のセラフィーナはそれだけで大満足だった。
「さあ、早く城へ戻ろう。帰ったら、メイドに頼んで冷たいものを持ってこさせよう。飲み物が良いか? それとも、この前のように氷菓子の方が良いだろうか」
「そう、だなあ……」
アイザックに腰を抱き寄せられたまま、彼にもたれるような体勢で歩き始める。
人目が無い現状に甘え、二人に互いを咎める様子は皆無だ。
森に自生する木々達が適度に陽射しを遮ってくれるお陰で、街中を歩いていた時より体感温度が低くなったのは気のせいではないはず。
そのかわりに、二人の間に漂う熱は沸々と温度を上げるばかりだ。
「セラ、フィーナ? お前、何やってるんだよ」
そんな二人の甘い空気を切り裂いたのは、色濃い困惑が滲む第三者の声。
どこか聞き覚えのあるそれに、彼女は声がした方へ反射的にふり返る。
次の瞬間、その視線がとらえたのは、久しぶりの再会となる男の姿だった。
「サウル、先輩……」
この場に居るはずの無い男。自分の指導にあたってくれていた先輩が、驚愕の表情を浮かべ立ち尽くす姿を前に、セラフィーナは言葉を失い一瞬意識が遠のきかけた。
これではどちらが上の立場かわからない、と肩を竦め笑うアイザックの姿を見ても、補佐官は然程動揺したりせず、淡々と懸念点を上げ始める。
視察を行う大前提として、やはりアイザックが単身城の外へ出ることは叶わないらしい。
城の近くを少々見回るだけと言っても、王位継承者という彼の立場が、大きな足枷となり自由を奪うのだ。
『こんなわがままに付き合ってくれる護衛なんて居るでしょうか。……仕方ない。先日視察の際にお世話になった部隊に相談することにします。あの人達なら信頼出来るし、多少の融通は利くでしょう』
『今回のことは……わがまま、なのだろうか? ……ふむ、わがままか』
当事者であるアイザックの思考を置き去りにし、クラースは今回の作戦の準備に一人取りかかる。
その様子を、どこか腑に落ちない表情で見つめるアイザック。
自問自答を繰り返す彼の肩には、隙を見て移動したセラフィーナが居り、恋人の長髪越しに、男達のやり取りを覗き見ていた。
『アイザック様、つかぬ事をうかがいますが……この城の騎士に知り合いなどおりませんよね?』
一人思考の海に沈みかけた彼の意識は、補佐官からの問いかけによって現実へ浮上する。
唐突な問いに驚き詳細を聞いてみれば、アイザックと親しい間柄にある騎士の方が、より融通が利く可能性が高くなるとのことだ。
しかし、自ら問いを投げかけておきながら「まあ、気難しい貴方の相手を出来る騎士がいるとは思いませんが」などとぼやくクラース。
その姿を目にした恋人は、少しだけ気を悪くした様で、前髪の奥に隠れた視線がわずかに鋭くなった。
『ね、ねえザック。ディオンは? ディオンなら、付き合ってくれそうじゃない?』
目元の変化と心の機微を感じ取ったセラフィーナは、慌てて彼の耳元へ近づき小声でアドバイスをおくる。それは、彼と親しい間柄の騎士と聞き、真っ先に頭の中に浮かんだ人物の名前だ。
『あやつは、なあ……ただ騒がしいだけだからな』
『おや、心当たりがおありで?』
元々自分の発言が発端となったこともあり、少しでも役に立てればと己の考えを主張したセラフィーナ。彼女の言葉はしっかりアイザックにも届いたようで、ため息交じりの声が返ってくる。
しかし、それは独り言というにはどこか不自然で、耳聡くその音を拾ったクラースが不意に顔をあげ、机の上に広げ作戦の詳細を練っていた紙から、主の方へ視線の矛先を変えてきた。
(ヤバッ!)
咄嗟に目の前の首筋へしがみ付くと、予期しない刺激にピクリとアイザックの肩がわずかに上下する。
これまで何度か同じ状況に陥っているものの、いまだ慣れない不意打ちに、セラフィーナは大きなため息を吐いた。
『心当たりがあるのなら、頼んでみましょうか? どの隊に所属している男ですか?』
『いや、今の事は気にしなくていい。同行させる騎士の選別はお前に任せ……』
セラフィーナの存在はバレておらず、クラースが主の不可解な言動を追求する様子も無い。どうにか話題をそらすため、誤魔化し始めたアイザックの首をポンポンと叩き、彼女は無言のエールをおくる。
このまま、同行者の選別をクラースに一任してしまえば良いと、二人がそれぞれに同じ思いを抱いていた。
『アイザック様―! 久々に時間取れたんで、遊びに来ましたよー』
しかし、それはいとも容易く砕け散る。前触れ無く勢い任せに開け放たれたドアと、その向こうから登場した賑やかさを全身に纏う男によって。
『どうしてお前は、毎回毎回予告なく突撃してくるのだ! 廊下で私を見かければ体当たりしてくるし、部屋に入る際はノックをしろと言っているのに、どうして簡単なことすら覚えていない』
『ええ……だってアイザック様の部屋に誰か居ることなんてめったに無い……あ、きょ、今日は居るんすね。俺、また後で来ますんで……グエッ!』
噂をすればなんとやら。
久方ぶりにディオンの自室襲撃を喰らったアイザックは、ピクピクとこめかみを震わせながら、必死に逃亡をはかろうとする騎士の首根っこを掴む。
すると、王子に捕らえられたディオンの口から、カエルをだみ声にも似た音が漏れ出る。
以前から散々同じ注意を受けているのに、相変わらずなディオン。
セラフィーナの中で、恋人の数少ない友人枠に入り、今しがた名前を出したばかりな人物の襲来は、彼女を激しく動揺させた。
手を離してあげて、と必死に耳元で頼み込むも、一向に手を離さないアイザック。その様子を目の当たりにしたセラフィーナは、一人頭を抱えるのだった。
『なるほど、そういうことですか』
珍しく怒りを露わにするアイザックと、その姿に顔を引きつらせる騎士ディオン。二人のやりとりを冷静に観察していたクラースの言葉が、騒々しい室内でやけにはっきりと木霊した。
あれから、どこか漠然としていた計画はクラースの手によって練られていき、日に日に現実味が増していく。
彼が一番頭を悩ませていた護衛役については、セラフィーナが思い描いた通りディオンが引き受けてくれた。
『え、アイザック様の城下視察の護衛っすか? いいですよ、全然。日にち指定してくれれば、その日が休みの誰かと勤務日交換しますから……って、あだっ! ちょっと、どうして叩くっすか、クラース様』
『貴方はもう少し緊張感というものを持ちなさい! 仮にもこの国の未来を担う王子の護衛を任されるのですよ!』
その頭に何度もクラースの鉄槌を喰らってもめげる事無く、見ているこちらの気が抜けそうな緩い笑みを浮かべてばかり。
しかし、アイザックはそんな二人のやりとりを眺め、嬉しそうに頬を緩めていた。
次に決まったことは、事情を知るクラースの同行。
だが、王子、補佐官、騎士の三人だけでは、腕っぷしの面で不安だと頭を抱えるクラース。
『そんな事を言うのなら、もうこの際、其方が納得のいく人材を連れて来い。ただし、大人数になるのは御免だぞ』
様子を見ていたアイザックのこの一言が機転となり、クラースが心を許す数少ない存在、クライヴの同行が決定したのである。
メンバーを決定した後、アイザックの仕事予定、そして他三名の休日日程を擦り合わせることしばし。
その間、背格好が割と似ていて相談しやすいヴィンスに、変装に使う私服一式を借りられないかと頼んだり。
不在を勘づかれ騒ぎになっては大変だと、前もって使用人筆頭でありアイザック自身を良く知っているチャドにも今回の作戦を打ち明けておくなど、やらなければいけない事はたくさんあった。
『ザック、本当にごめんね。だんだん大事になって』
『だから、気にするなともう何度も言っているだろう? 私自身も、今回のことは良い勉強になると思っている。人々の生活をこの目で見て、彼らの声を直に聞くことで、今後役に立つものも多いはずだ』
昨夜、就寝前にベッドの中で寄り添いながら交わした睦言が脳裏に蘇る。
いつもアイザックが一人で眠る広々としたベッドは、人間の姿となったセラフィーナが潜り込むには丁度良い広さがある。
情交を結んだ夜から彼女は、毎晩愛する人の腕に抱かれ眠りについていた。
夢心地とも言える世界へ旅立つ前に交わすのは、互いに向けた愛の囁き。しかし最近は、もっぱら今度の視察に関する内容ばかりだった。
『最近、ザック変わったよね?』
『そうか?』
『うん。出会った頃は……何て言うのかな、どこか他の人と自分に線引きをしているみたいに感じたの。自分の殻に閉じこもっているような。でも最近は、少しずつだけどそれを破っている気がする』
『…………』
自分なりに考えて、懸命に想いを伝えようとするセラフィーナ。そんな彼女を見つめるアイザックの瞳は、どこまでも穏やかに澄んでいる。
『ザックは嫌がるかもしれないけどね。クラースさんとか、ディオンとか、クライヴさんやヴィンスさんも……皆、ザックの事を悪く言ったりしないでしょ? そういう人達と一緒に居る時のザックは、とても楽しそうに見えるよ』
『……すべて其方がいるお陰だ』
『……? 何、よく聞こえな……んっ、ふぁ』
口に出すのは少々恥ずかしい想いを吐露すれば、次第に目線は下がり、気づけばコツンと目の前にある胸板に額を押しつけていた。
すべてを話し終え、じわりと火照る頬の熱を感じながら顔を上げる最中、頭上で彼が何かを呟いた声が聞こえたが正確に聞き取れない。
疑問符を浮かべ、こちらを見下ろす彼を見上げながら口を開こうにも、しっとり湿った彼女の唇は、己ではないかさつきを有したそれに阻まれる。
外へ飛び出すはずだった音は、彼女の口内へ戻っていき、気づけばどちらのともわからない唾液により、綺麗さっぱり洗い流されてしまった。
「いいですか、これから私達は、休日に街へ遊びに来た友人になります。友人同士なのですから、いつもより砕けた口調で喋りましょう。そしてアイザック様の事は、リオと呼ぶように」
集合場所に着いてすぐ、クラースが主体となり今回の視察に関する注意事項を話し始める。
すると、しばらく皆の様子をアイザックの胸元から観察していたセラフィーナはある事に気づいた。補佐官を見つめている三人の視線が、どこか遠くに向いているのは、一体どうしてだろう。
「クラース、その偽名……たった今思いつきで言っただろう?」
「はい、そうですよ。いけませんか?」
話の途中、ため息交じりに指摘をしたのは、この中では一番立場が上のアイザックだった。その言葉に、クラースは悪びれる様子無くあっけらかんと返答する。
「いけない、というか……何と言うか」
「アイザック様のこの見た目、どう考えてもリオって名前じゃないでしょう」
クライヴとディオンは互いに顔を見合いながら、どこか煮え切らない表情を浮かべ、クラースが出した偽名案に物申した。
セラフィーナも、リオという偽名は如何なものかと思っていたため、二人の進言には内心大きく頷くと同時に、指摘を受けたクラースが心配になった。
慌ててそちらを向けば、仲間内から指摘を受けた事が恥ずかしいらしく、彼の頬や耳は真っ赤に染まっていた。
普段、沈着冷静な態度を崩さない補佐官らしくない様子を目撃した彼女は、無言のまま大きく目を見開く。
「だっ、だったらあなた達はアイザック様に似合う立派な偽名を考えられるんですか? 今すぐ、この場で!」
「うえっ! い、今すぐっすか? そ、それは、ちょっと……」
「ほら御覧なさい! 代案も無いのに、一丁前に文句を言わないことですね。さっさと、行きますよ!」
赤く染まった顔を皆に見られたくないのか、プイッとそっぽを向いたクラースは、一足先にドシドシと音が鳴りそうな足取りで街の方へ向かう。
その後ろ姿をしばらく見つめていた男達は、次々と彼の後に続く。
道中、自分の前後を挟むように歩くコックと騎士に対し「私の名はリオだ、いいな?」と念押しするアイザックの姿に、小さな天使は一人、ほっこりと頬を緩ませた。
城を出てから数時間後、待ち合わせ場所で皆と別れたアイザックは、城を出発した時と同様に森のなかへ足を踏み入れ帰路につく。
部屋の前まで護衛を継続するというディオンの申し出を、休日なのに申し訳ないと言って彼は断った。
それでもと食い下がる様子に「たった数分だ」と苦笑交じりの声を発するアイザック。
待ち合わせ場所に来る際も平気だった。同じ道をたどればいいと、彼は尚も申し出を断り、貴重な残りの休日をそれぞれ過ごすよう言いつけ森のなかへ入ったのだ。
「よし、もうそろそろ良いだろう。セラ、もう誰の気配も無いから元の姿に戻っても平気だぞ」
そのまま森の中を歩くことしばし。不意に足を止めたアイザックは、自分の胸元へ視線を落とし、声をかける。
すると、愛しい声に反応し、これまでずっと胸ポケットのなかで大人しくしていたセラフィーナが勢いよくそこから飛び出してきた。
すぐさま彼女は、宙でくるりと反転しながら、自身に術を施し、元の大きさへ戻る。
無事戻れたことに安堵しながら、ひらりと地面に降り立つセラフィーナ。そのまま背中の翼を一時的に消し去ると、ほぼ同時に細い腰に己のものではない太い腕が回ったことに気づく。
「っと。ザック、お疲れ様……んっ」
「ん、ちゅ……セラも疲れただろう? 結局、恋愛話をしている街の人間は、大して見つからなかったな。正直……ディオンが終始喋っているか、クライヴが食材選びに夢中になっていた記憶しか無い」
次の瞬間、彼の太い腕に腰を引き寄せられ、密着したことで己ではない体温を感じる。
労いの言葉を紡ぎながら足元に向いていた顔を上げると、一瞬だけ唇が塞がれ、開けた視界には恋人の蕩ける様な甘い笑みが映り込んだ。
アイザックの言う通り、この数時間の間に起こった出来事は、視察というより、本当に気の知れた友人同士で街を散策した、と表現した方が正しいものばかりだった。
彼らは彼らで楽しんでいる間に、セラフィーナは隙を見てアイザックの胸元から抜け出し、数回情報収集を試みたが、事前に恋人から指摘された通り無駄足に終わった。
だが、セラフィーナ本人は今日のことについて満足していた。
駄目で元々という気持ちで臨んだため、収穫が無かったことに対する精神的ダメージは思っていたよりも少ない。
また城内を散策するに限ると、脳内の片隅で頷きながら彼女が感じたこと。それは、終始呆れや戸惑いの表情を浮かべているなかで、純粋に友人との時間を楽しむ彼の姿を見られた嬉しさだ。
これまで引きこもってばかりだった恋人が、外へ飛び出し気心の知れた仲間と打ち解けている姿は、なんとも微笑ましいものだった。
(本当に、今日はザックの言う通りにしてよかった)
あの時、視察をさせまいと動いていたら、きっと今日の素敵な時間は訪れなかっただろう。
実用的な収穫は無くても、心があたたかくなる収穫は多々あったので、今日のセラフィーナはそれだけで大満足だった。
「さあ、早く城へ戻ろう。帰ったら、メイドに頼んで冷たいものを持ってこさせよう。飲み物が良いか? それとも、この前のように氷菓子の方が良いだろうか」
「そう、だなあ……」
アイザックに腰を抱き寄せられたまま、彼にもたれるような体勢で歩き始める。
人目が無い現状に甘え、二人に互いを咎める様子は皆無だ。
森に自生する木々達が適度に陽射しを遮ってくれるお陰で、街中を歩いていた時より体感温度が低くなったのは気のせいではないはず。
そのかわりに、二人の間に漂う熱は沸々と温度を上げるばかりだ。
「セラ、フィーナ? お前、何やってるんだよ」
そんな二人の甘い空気を切り裂いたのは、色濃い困惑が滲む第三者の声。
どこか聞き覚えのあるそれに、彼女は声がした方へ反射的にふり返る。
次の瞬間、その視線がとらえたのは、久しぶりの再会となる男の姿だった。
「サウル、先輩……」
この場に居るはずの無い男。自分の指導にあたってくれていた先輩が、驚愕の表情を浮かべ立ち尽くす姿を前に、セラフィーナは言葉を失い一瞬意識が遠のきかけた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
114
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる