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二十

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 まさか相川さんから名前が出て来ると思わなくて、どきり、と心臓が鳴った。何か言わなければと思うのについ声が出ず、うんともすんとも出来ないままいたが、相川さんは気にした様子もなく続けた。
「入学早々、大人気だよね。お姉ちゃんには負けるけど」
「あー、すごい人だかりになってたよね」
「私にはよく理解出来ないけど。だって、ああ見えてもっと嫌な感じの……あ、いや、紀ノ川さんの弟に向かって何言ってるんだろ私」
 こつんと自分の頭を叩くと相川さんは口を噤み、「ねえ?」と何かしらの賛同を得ようと俺を見上げた。相川さんが弟のことを、当時からよく思っていないのは確かである。
「二人、すごく仲悪かったよね」
「正直、紀ノ川さんの弟じゃなかったら……いやいや、私ってば何言ってるんだろ」
「あははは」
 俺は空笑いするばかりである。かつて、二人はずっと俺の後ろで険悪な雰囲気でいた。しかし、それ以降、二人は会うことはなかったはずである。その後、弟は弟で変わったし、相川さんを取り巻く状況だって変わっただろう。人は変わる。今なら、仲良く出来る可能性もあるのではないか、などと気休め程度に言いかけた時「でも」と相川さんが目を伏せた。
「今は、普通なんだよね。別に喋るわけじゃないし、遠目から見ただけなんだけど……憑き物が落ちたのかな? 面白味もないし、嫌いってほど関心が向かない対象になってる」
「それ、一番最悪なパターンなんじゃ?」
 好きの反対は、嫌いではなく無関心だと聞く。相川さんは、とんでもないと首を振った。
「私の心は平穏だよ? あれもあれなりに、人生経験積んでるのかもね。本性は覆い隠すのが吉ってやつかな?」
「本性って?」
「泉井君はよく知ってるでしょ。今だって仲良く買い物してるんじゃないの?」
 俺と弟の関係性について、相川さんの情報は更新されていなかった。かつてのあの関係性のままだと、信じ切っているようだ。俺がふいに黙り込んだのを見て、相川さんは何かを察したようだった。隠す話でもないので、俺は「実は」と切り出した。
 買い物なんてとんでもない、ろくに会話もしないのだ。事実を告げると、相川さんは大仰に驚いていた。
「嘘でしょ。あいつ、異常なほど泉井君に執着してたから、てっきり今もそうなんだと思ってた」
「異常って、それは言い過ぎだって」
「言い過ぎてないよ。むしろ言い足りてないくらいだよ。どうしてそんなことになったの?」
 弟との記憶が走馬灯のように駆け巡る。思い出すのは、こうなったきっかけの日のことである。逃げるように走り去ったあの背中を追いかけていれば、こんな風にはなっていなかったのだろうか。後悔ではないが、俺は時々そんなことを考えることがあった。
「俺、弟の考えてることがさっぱり分からない」
「分からないことはないと思う。泉井君のことが好きっていうのは、揺るぎない真実なはずだよ」
「もしそうだとして、何であんなにそっけないの?」
「泉井君は、思い当たることない?」
 返答が出来ずに唸っていると、相川さんはそれをイエスと受け取ったようだ。
「とにかく、私だって泉井君は良い人だと思ってるんだから、あいつに嫌われるなんてことはないよ。そこだけは自信持ってよ。で、今日のお弁当の総評についてなんだけど」
 相川さんは、細かく俺に聞き取りを始めた。熱心な様子には毎回感心させられるが、急な話題転換に今日ばかりは付いていけない。俺は、今日のおかずは何だっただろうかと、そこから思い出すことを始めた。せっかく考えて来た感想は、すでに彼方である。
 必死に考えながら答えていると、その熱に当てられそうになった。これほどの情熱を向けられて、どうして佐野が飄々としていられるのか、俺にはやはり分からない。絆されても良さそうなものを。
 相川さんは、弟が俺を好きだと言うけれど、すでにそんな熱は受け取っていない。俺なんて、寒々しい日々を送っている。自信なんてそんなもの、いったいどこに落ちているというのだろう。俺が好きなら、弟の行動はどうしたって腑に落ちない。本当に、訳が分からない。
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