紀ノ川さんの弟が何を考えているのか分からない

糸坂 有

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十九

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 当時、相川さんはしばらく俺に付きまとっていた。しかし、例の弟との取引によりぱったりとそれはなくなり、俺は平穏な日常を送っていた。そんな時、相川さんは「感想が欲しい」とひょっこり弁当を持って現れたのである。いつか佐野に食べてもらいたいという乙女心を滾々と聞かされた俺は、断るにも断れず、結果的にそれが日常と化した。今となってば、相川さんの弁当は美味しいし、自分の弁当を作る時間が省けるし、申し訳ないような気持ちもありつつ、ラッキーだったなとポジティブに受け止めている。基本的に、俺は自分で作ったものを食べて暮らしているので、他人が作ってくれたものというのは特別感があって好きだった。どうしてわざわざ俺なんだろうと思ったが、理由は簡単で、「泉井君は不味いなんて絶対言わなさそうだから」だそうだ。
「そんな気はした。泉井、今日弁当持ってる気配なかったもんな。デリバリーの日だったか」
 苦虫を噛み潰したような顔で、佐野は呻いた。佐野は、俺が相川さんから弁当を受け取ることを、心良く思っていないようだ。曰く、「泉井のおかずを食べる機会が減るから」とのことである。そんな佐野を、相川さんはにまにまと見つめていた。相川さんとはそれなりに親交を深めたつもりだが、こういう顔を見ていると、やっぱりよく分からない人である。
 相川さんが横で待機しているので、俺はさっそく蓋を開けた。
 唐揚げ、卵焼き、ほうれん草とベーコンのソテー、肉じゃが。いつもにも増してボリュームのある内容だった。おかずの配置の仕方にも工夫が見え、見た目はとても美味しそうだ。
 俺はさっそく手を合わせた。
「いただきます」
 箸を持つ俺を、相川さんはじっと見つめていた。始めこそ緊張したが、今となっては慣れてしまった。相川さんが、人が食べているところを見るのが好きなのだそうだ。堂々と言われてしまっては、こちらも堂々と食べるしかない。俺は、まず肉じゃがから手を付けた。
「うーん。これ、もう普通に売れるレベルなんじゃないかな」
「泉井君のおかげ」
「俺は何もしてないよ。あ、これも美味い」
「でしょう」
 時折感想を交えて食べ進めていくのを、相川さんは立ったまま眺めていた。いつものことなので、もう気にしない。ある程度食べ進めたところまで眺め、気が済んだ頃に帰るだろうと思い、次は卵焼きを頬張る。
 佐野は、居心地の悪そうな顔をしている。いつもそうだ。いつもの饒舌はどこへやら、この時間だけは大人しくなった。そんな顔をしばらく見続けていると、さすがに不憫な気持ちが湧いてくる。だからと言って、これを止める気はさらさらない。
「佐野も食べる? すげー美味いよ」
 佐野は、他人が作ったものを食べるのが苦手である。だからこそ、こんなに美味しい弁当を作る相川さんですら難儀している。しかし、ある時俺は発見した。他人が美味しそうに食べているものが欲しくなるのが人間というものである。隣の芝は青いものだ。
 佐野の目の前で、これみよがしに唐揚げを口へ放り込んだ。美味しいのは本当なのである。相川さんの期待の目を感じながら、佐野の反応を待った。
「…………じゃあ、何でも良いから食わせてくれ」
「これやるよ」
 俺は箸で唐揚げをつまみ、佐野の口へ放り込んだ。これが今日の本命であろうと判断したからだ。
「美味いだろ」
「まあな」
 こういう時に限って、素直に美味しいと言わないところが、佐野が佐野たる所以である。
「ふふふふ」
 相川さんは、その答えで十分満足したようだった。聞きようによっては不気味とも取れる笑い声を上げながら、俺たちに背を向ける。自分の教室へ戻るのだろう。佐野は唐揚げを飲み込むと、「やっと行ったか」と息を吐きながら言った。人類全員から好かれたいなどと抜かす佐野が、こんな反応を示すのは相川さんくらいのものである。
「全部、佐野のためなんだからな。自ら蒔いた種だ」
「そんなこと言われても、俺は泉井のおかずで十分なんだよ」
「俺より、可愛い子が作ってくれた弁当の方が良いだろ」
「泉井で良いんだよ、俺は」
 佐野は、パンに噛り付いた。
「泉井は、俺が何でみんなに好かれたいか、知らないもんな」
「何だよそれ?」
「いーや?」
 佐野の言うことはよく分からなかったが、説明してくれる気もなさそうである。「そういえば」と新たな話題を振られて、俺はそんなことはすぐに忘れてしまった。適当な雑談をしていたら、弁当箱は空になった。満たされた気分で手を合わせ、俺はさっそく立ち上がった。空になった弁当箱は、昼休みのうちに洗うようにしているのである。相川さんには、そのまま返してくれていいと言われているのだが、さすがにそういうわけにはいかない。水音を聞きながら、本日の弁当の感想を考えた。弁当返却時に、いつも細かい感想を訊かれるのである。それがなければ、わざわざ俺が食べている理由もない。昼休み終了まであと十分のところで相川さんのクラスをひょいと覗くも、会えなかったため、その日の返却は放課後になった。
 教室を一番手で出た俺は、隣のクラスを覗く。お目当ての人物を見つけた時、「あれ?」と素っ頓狂な声が聞こえた。
「泉井だ。何でいんの?」
 声をかけて来たのは、一年の時に同じクラスだった加藤である。
「よっす加藤。ちょっと用事!」
「何か、泉井見るの久しぶりな気がするな」
「何だよ、こっちまで会いに来てくれても良いんだぞ!」
「行かねーよ」
 加藤とは、今でも会えば軽口を叩く仲である。付かず離れず、きっと卒業したらそのまま一生会うこともないような関係だが、俺は加藤みたいな男は嫌いじゃなかった。へらへらと笑っていると、その光景を眺めていた相川さんが「ふうん」と静かに頷いた。いつの間にか背後に立たれていてぎょっとしたが、すんでのところで叫び声は出さずに済んだ。
「泉井君のこと、最初はうるさい人だなって思ってたの思い出したよ。ちょっと懐かしい気分」
「確かに、うるさいって言われたことあったかも」
 俺は苦笑いである。弁当箱を返すと、相川さんは承知のごとく、頷いて受け取った。
「そんなこと言ったっけ? 覚えてないや」
「そう? 俺はけっこう覚えてるけどな。相川さんといろいろ話すようになった時のこととか」
「記憶力良いんだね。でも、私だってちゃんと覚えてることもあるよ。……そういえば」
 相川さんは弁当箱を持ったまま、声のトーンを僅かに低くした。
「あの人、入学してきたでしょ」
「あの人って?」
「紀ノ川樹」
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