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七
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その日の放課後のことだ。
席の近い加藤たち数人に元気に挨拶をし、三番手で教室を出た俺は、その天使のような声に足を止めた。
「泉井君!」
この声を聞き違えるはずはない。期待して振り返ると、そこには想像通り、まばゆいほどの美少女が立っていた。直視できずに目を瞬かせていると、「大丈夫?」と近寄られる。よけいに大丈夫ではなかったが、「大丈夫」と笑顔で返答する。心に栄養がチャージされていくようだ。美少女は世界を救う。
「今日、また樹がお家にお邪魔するみたいで、いつもありがとうね。朝から嬉しそうに言ってたよ」
俺の笑顔は、心なしか引きつった。
俺にやたらと懐いている中学生、紀ノ川さんの弟、紀ノ川樹。そのきらきらとした視線を思い出し、俺はもう一度笑顔を浮かべる。
「あ、そう? いやあ、別に何するってわけでもないんだけどさあ!」
「泉井君のこと、家でもよく話するんだ。いつもありがとう」
「いやいや、とんでもない!」
紀ノ川さんは、神が丁寧に心を込めて作ったような、整った顔を俺へ向けた。眩しい。あまりにも神々しい。
本来なら、紀ノ川莉子とは、俺のような平凡高校生が親し気に会話出来る存在ではない。それが可能たらしめる理由は、まさしくあの弟である。
弟と出会ったきっかけは、紀ノ川さんだった。俺がいつも通うあのスーパーで、偶然紀ノ川さんを見かけたのだ。そこで紀ノ川さんは、安売りだったというレモングラスジュースを箱買いしていた。さすが、紀ノ川さんともなると飲んでいるジュースが一味違う、と感動しているのも束の間、どうやって持ち帰るのだろうという疑問がふつふつと湧き出た。それまで挨拶程度しか交わしたことがなかったが、一生分の勇気を振り絞り下心ありきで訊けば、弟に連絡をしたので、一緒に持ち帰るとのことだった。残念半分、安心半分でいると、台車を持った例の弟が慌てたようにやって来た。それが、俺とあいつの初体面だった。
数か月前の話が、やけに懐かしい。弟は俺の難題と成り果てているが、もしそこにポジティブな意味を見出そうとするのなら、紀ノ川莉子と接点を持てるようになったことだろう。あいつが紀ノ川さんの弟だからどうこう、というのは考えたことはないが、これはけっこう大きなことだ。普通の人間は、紀ノ川さんと会話することすら出来ないまま一生を終えるのである。
「樹があんな風に人のこと話すことってなかったから、ちょっと嬉しいんだ。これからも仲良くしてあげてね」
「こちらこそ」
あいつは、いったい俺のことをどんな風に話しているのだろうか。
笑顔で手を振ると、紀ノ川さんはきらきらと星を振りまきながら去って行った。周りの凡庸な人間たちは、その星を必死に拾い集めて生きる糧とするのだ。俺も拾いたいところだったが、直接会話をしたという出来事そのもので満たされていたので、落ちているそれは他の生徒に譲ることにした。あまり強欲なのはいただけない。それよりも、今考えるべきは弟のことである。
紀ノ川さんの言葉を思い返しながら、廊下を歩く。
そういえば、俺は弟のことをよく知らないな、と突然ふと思った。
毎回質問攻めをされて、俺が答えるばかりなのだ。あいつがどういう人物で、普段何をして過ごしているのかなんて、今まで考えたこともなかった。一緒にいるくせに、俺は何も知らないのだ。
「……二人で何しよう」
今日この後、弟が家にやって来たところで、俺は現在ノープランである。何も考えていない。いや、考えなかったわけではないが、決められなかったのだ。
以前家に遊びに来たあいつとは、ボードゲームやトランプをやりながら時間を過ごした。家だと誰もやってくれないとのことで、弟が紀ノ川家からわざわざ持参してきたのである。今回もそうであれば良いなと内心で思いながら自転車にまたがった。一人っ子で、両親も早くに離婚をしたせいかは分からないが、あまり俺はそういう機会に恵まれなかったのである。
家に着いて、電気を点ける。一日の内最も嫌な作業なのだが、この日は他に気を取られていたので、造作もなく出来た。たまにはこういう気分の時もある。
手洗いうがいをして、着替えをしてから、少しだけ部屋を片付けておく。どうしたものかとぐるぐる部屋を回っていると、インターフォンが鳴った。
来た。数秒硬直し、息を吸って気持ちを整える。出て見れば、そこには想像通りの人物がいた。
席の近い加藤たち数人に元気に挨拶をし、三番手で教室を出た俺は、その天使のような声に足を止めた。
「泉井君!」
この声を聞き違えるはずはない。期待して振り返ると、そこには想像通り、まばゆいほどの美少女が立っていた。直視できずに目を瞬かせていると、「大丈夫?」と近寄られる。よけいに大丈夫ではなかったが、「大丈夫」と笑顔で返答する。心に栄養がチャージされていくようだ。美少女は世界を救う。
「今日、また樹がお家にお邪魔するみたいで、いつもありがとうね。朝から嬉しそうに言ってたよ」
俺の笑顔は、心なしか引きつった。
俺にやたらと懐いている中学生、紀ノ川さんの弟、紀ノ川樹。そのきらきらとした視線を思い出し、俺はもう一度笑顔を浮かべる。
「あ、そう? いやあ、別に何するってわけでもないんだけどさあ!」
「泉井君のこと、家でもよく話するんだ。いつもありがとう」
「いやいや、とんでもない!」
紀ノ川さんは、神が丁寧に心を込めて作ったような、整った顔を俺へ向けた。眩しい。あまりにも神々しい。
本来なら、紀ノ川莉子とは、俺のような平凡高校生が親し気に会話出来る存在ではない。それが可能たらしめる理由は、まさしくあの弟である。
弟と出会ったきっかけは、紀ノ川さんだった。俺がいつも通うあのスーパーで、偶然紀ノ川さんを見かけたのだ。そこで紀ノ川さんは、安売りだったというレモングラスジュースを箱買いしていた。さすが、紀ノ川さんともなると飲んでいるジュースが一味違う、と感動しているのも束の間、どうやって持ち帰るのだろうという疑問がふつふつと湧き出た。それまで挨拶程度しか交わしたことがなかったが、一生分の勇気を振り絞り下心ありきで訊けば、弟に連絡をしたので、一緒に持ち帰るとのことだった。残念半分、安心半分でいると、台車を持った例の弟が慌てたようにやって来た。それが、俺とあいつの初体面だった。
数か月前の話が、やけに懐かしい。弟は俺の難題と成り果てているが、もしそこにポジティブな意味を見出そうとするのなら、紀ノ川莉子と接点を持てるようになったことだろう。あいつが紀ノ川さんの弟だからどうこう、というのは考えたことはないが、これはけっこう大きなことだ。普通の人間は、紀ノ川さんと会話することすら出来ないまま一生を終えるのである。
「樹があんな風に人のこと話すことってなかったから、ちょっと嬉しいんだ。これからも仲良くしてあげてね」
「こちらこそ」
あいつは、いったい俺のことをどんな風に話しているのだろうか。
笑顔で手を振ると、紀ノ川さんはきらきらと星を振りまきながら去って行った。周りの凡庸な人間たちは、その星を必死に拾い集めて生きる糧とするのだ。俺も拾いたいところだったが、直接会話をしたという出来事そのもので満たされていたので、落ちているそれは他の生徒に譲ることにした。あまり強欲なのはいただけない。それよりも、今考えるべきは弟のことである。
紀ノ川さんの言葉を思い返しながら、廊下を歩く。
そういえば、俺は弟のことをよく知らないな、と突然ふと思った。
毎回質問攻めをされて、俺が答えるばかりなのだ。あいつがどういう人物で、普段何をして過ごしているのかなんて、今まで考えたこともなかった。一緒にいるくせに、俺は何も知らないのだ。
「……二人で何しよう」
今日この後、弟が家にやって来たところで、俺は現在ノープランである。何も考えていない。いや、考えなかったわけではないが、決められなかったのだ。
以前家に遊びに来たあいつとは、ボードゲームやトランプをやりながら時間を過ごした。家だと誰もやってくれないとのことで、弟が紀ノ川家からわざわざ持参してきたのである。今回もそうであれば良いなと内心で思いながら自転車にまたがった。一人っ子で、両親も早くに離婚をしたせいかは分からないが、あまり俺はそういう機会に恵まれなかったのである。
家に着いて、電気を点ける。一日の内最も嫌な作業なのだが、この日は他に気を取られていたので、造作もなく出来た。たまにはこういう気分の時もある。
手洗いうがいをして、着替えをしてから、少しだけ部屋を片付けておく。どうしたものかとぐるぐる部屋を回っていると、インターフォンが鳴った。
来た。数秒硬直し、息を吸って気持ちを整える。出て見れば、そこには想像通りの人物がいた。
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