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エピローグ
59 おいしさの秘密【1】
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うららかな春の陽気に満ちている。湖の水面がさらさらと風で揺れていた。
「ワズワース、どこに行ったか聞いたか?」
バウが思い出したように言い、続報など半ば諦めていた俺は驚く。
「え、見つかったのか?」
ロコが作ってくれた小さな椅子に腰掛けながら焚き火を囲んでいる。
沸かした湯の中に茶葉を注ぎ込むと、透明なゆらぎにじわりと色がにじんだ。脇に置いてしばらく蒸らす。
決闘の日に俺たちを魔王城へ送り届けてから飛竜ワズワースと連絡が取れなくなっていた。
だから、リオンの誕生日パーティーの送迎もベクトルドが別の飛竜を喚んだのだ。
ジェードは「心配が必要な種族ではない。どうせ好きに生きているだろう」と言っていたが、知己が失踪して気にならないはずもなく、密かにバウと探していたようだった。
「噂なんだが……ハヤトキって名前の人間が、魔族の国から人間の国に移住したって。そのあまりの美しさから魔族に飼われていたところをジェードに助けてもらって送ってもらったとかなんとかかんとか……」
「なにて?」
「いやだから、つまり……ワズワースの野郎、あんたの名前で人間のふりして遊んでるっぽいんだ」
「えぇ……!?」
なんでそんな話がややこしくなることを。
いや、退屈を持て余した竜ならそのくらいするか。
持ってきたバスケットをテーブル代わりにして、クッキーと紅茶を注いだカップを並べる。
湖から上半身だけ出したロコが、手を伸ばしてごっそりとクッキーを持っていくのが見えた。
「どうするハヤトキ、文句を言いに行く方法を考えるか?」
「……ほっとくしかなくないか?」
「連れ戻せるようなヤツじゃないのはそう」
はあ~あ……。バウと二人でため息をつく。
心配して損した。
今ごろ、書斎で頭を抱えているジェードが目に浮かぶ。
クッキーを紅茶で流し込んで一息つく。こうやって三人でのんびりするのもひさびさだった。
バウたちも何かと予定があったし、俺は俺で忙しかった。
俺はどうしてもおかかのおにぎりが食べたくて、鰹節モドキを自力で発明したのが先月のこと。
その味に大興奮したバウに背中を押され、次の日には彼の知人であるドワーフを通して市場で販売してみたところ売れた。
その日のうちに口コミが広まって、翌日も俺は同じ場所でおにぎりを売っていた。飛ぶように売れていっそ怖かったまである。
そうして俺のこの世界での職業が《おにぎり屋》になってしまいそうになり、引き留めようとするドワーフに謝り倒して帰宅した。
すると、せめてレシピを売ってほしいとジェードの屋敷の前に座り込む者が現れた。
仕方なく作り方を教える約束をしたら、噂が広まって予想以上の人が集まってしまった。そのうえ他のレシピまで知りたいと強く希望され、屋敷のキッチンで料理教室が定期開催されるようになっている。
しかも、街から通うのがめんどくさくなった者が、ヴィニの森を気に入りがてら移住をこころみるなんて珍事も起きた。
ヴィニにはかつての集落の名残りで家が何軒か放置されている。それを買い取って改修を始めたのだとか。
領主としてのジェードの仕事も増やすはめになってしまったが、彼は案外楽しそうだった。
バウも、自分の畑の手伝いを雇いやすくなると喜んでいる。
「ジェードの領地に住みたがるヤツが現れるなんて、前じゃ考えられなかったよな。オレは雇用が増えるから嬉しいけど。ロコだけじゃキツくなってきてるからな」
あ、とロコが顔を上げた。
「ボクさ、バウの畑、もう手伝わないよ」
「は!? なんで!?」
目をぱちくりさせてバウが立ち上がる。
長年の親友を見上げて、ロコはにんまりと笑った。長く秘密にしていたことをようやく明かすいたずらっ子のような笑顔だった。
「街でアイドルするから~」
「な……っ、なんで!?!?」
狼男の過去イチでかい声が森に反響し、木々の間から鳥たちが一斉に飛び立っていく。
「歌うの好きだもん。二人を見てたらボクもやりたいことやろうと思って。街におうちも借りたんだよ。遊びにきてね」
「おまえ、そんな金あったのかよ」
「んふふ~。バウからのおこづかい貯めてたし、仕立て屋のバピットさんがお金と衣装を貸してくれるんだ」
バピット……ジェード御用達の仕立て屋だ。リオンの誕生日パーティに行くための服もこしらえてくれた。
急な話への動揺が伝わってくるなか、バウは深呼吸をしてその場へ座り直した。
「まあ……ロコのやりたいことなら……応援するよ」
「ありがと、バウ! ボクが有名になったら、バウのお仕事たくさん宣伝するねぇ」
美しい人魚の尾が水面を揺らしていた。
それから俺たちは、根掘り葉掘りロコのアイドル計画を聞き出す。
おっとり気味の末の弟が芸能界でいじめられないよう、過剰に心配する兄たちのごとき質問攻めになってしまったが仕方がない。
その話題だけで、空はすっかり茜色に塗り変わっていた。
「──そろそろ帰るよ」
あまり暗くなると相変わらずジェードが心配するから。
持参したものをバスケットに片付けて立ち上がると、ロコとバウはなごやかに見送ってくれた。
歩き慣れた帰り道を進む。
確かこのあたりで魔物に襲われ、リオンに助けられた。
もちろん今日は、そんなトラブルなど起きない。
なんてことのない平和な日常が一番いいな、と改めて思う。
「……でも結局、この世界でも俺はモブだったなあ」
あはは、とひとり笑う。
知らない世界に放り出されて、自分が特別なような特性を持っていて、何かを期待しなかったと言えば嘘になる。
けれど現実ははっきりしていた。
自分らしいオチだ。
オフィスで死の淵にいたとき、俺は自分自身を──モブにしかなれない人生を嘆いていた。
でもいま思えば、本当は……自分の人生を愛せなかったことを後悔していたのだと思う。
そうでなければ、この世界でも主人公じゃなかったと知ってなお、こんな清々しい気持ちにはならないだろう。
主人公かどうかは重要じゃなかった。
いまこの場所で、ジェードと生きてる。
彼を愛し、愛される人生に満足してる。
それで充分だ。
前庭を抜けて玄関に着いたとき、なんとなくジェードのいる場所が屋内ではない気がした。
直感に従って中庭へまわると、いた。
彼はとうに俺に気付いていて、振り返ってくれる。
優しい光の色をした瞳が、俺を捉えて微笑んだ。
「おかえり、ハヤトキ」
「ただいま」
右腕も取り戻したジェードはこのごろ、リハビリがてら破壊されたままになっていた薔薇園の片付けにいそしんでいる。
「何にも不自由してなさそうだな。ずっと右手代わりをしていたから、なんだか寂しいよ」
「おまえは頼んでいないことまで世話を焼こうとするから、私はせいせいした」
やりすぎの自覚はあったので苦笑する。
手招きされて近寄ると、両腕で抱き上げられた。いわゆる姫抱きである。
「ちょっ……」
「うむ。私はこのほうがいい」
どのほうなんだ。
そのまま屋敷の中へ連れていかれる。いい歳の男がこうされるのは恥ずかしくもあったが、誰も見てないから……まあいいか。
それに結構、甘やかされるのは嫌いではない。彼も楽しそうだし。
「ワズワース、どこに行ったか聞いたか?」
バウが思い出したように言い、続報など半ば諦めていた俺は驚く。
「え、見つかったのか?」
ロコが作ってくれた小さな椅子に腰掛けながら焚き火を囲んでいる。
沸かした湯の中に茶葉を注ぎ込むと、透明なゆらぎにじわりと色がにじんだ。脇に置いてしばらく蒸らす。
決闘の日に俺たちを魔王城へ送り届けてから飛竜ワズワースと連絡が取れなくなっていた。
だから、リオンの誕生日パーティーの送迎もベクトルドが別の飛竜を喚んだのだ。
ジェードは「心配が必要な種族ではない。どうせ好きに生きているだろう」と言っていたが、知己が失踪して気にならないはずもなく、密かにバウと探していたようだった。
「噂なんだが……ハヤトキって名前の人間が、魔族の国から人間の国に移住したって。そのあまりの美しさから魔族に飼われていたところをジェードに助けてもらって送ってもらったとかなんとかかんとか……」
「なにて?」
「いやだから、つまり……ワズワースの野郎、あんたの名前で人間のふりして遊んでるっぽいんだ」
「えぇ……!?」
なんでそんな話がややこしくなることを。
いや、退屈を持て余した竜ならそのくらいするか。
持ってきたバスケットをテーブル代わりにして、クッキーと紅茶を注いだカップを並べる。
湖から上半身だけ出したロコが、手を伸ばしてごっそりとクッキーを持っていくのが見えた。
「どうするハヤトキ、文句を言いに行く方法を考えるか?」
「……ほっとくしかなくないか?」
「連れ戻せるようなヤツじゃないのはそう」
はあ~あ……。バウと二人でため息をつく。
心配して損した。
今ごろ、書斎で頭を抱えているジェードが目に浮かぶ。
クッキーを紅茶で流し込んで一息つく。こうやって三人でのんびりするのもひさびさだった。
バウたちも何かと予定があったし、俺は俺で忙しかった。
俺はどうしてもおかかのおにぎりが食べたくて、鰹節モドキを自力で発明したのが先月のこと。
その味に大興奮したバウに背中を押され、次の日には彼の知人であるドワーフを通して市場で販売してみたところ売れた。
その日のうちに口コミが広まって、翌日も俺は同じ場所でおにぎりを売っていた。飛ぶように売れていっそ怖かったまである。
そうして俺のこの世界での職業が《おにぎり屋》になってしまいそうになり、引き留めようとするドワーフに謝り倒して帰宅した。
すると、せめてレシピを売ってほしいとジェードの屋敷の前に座り込む者が現れた。
仕方なく作り方を教える約束をしたら、噂が広まって予想以上の人が集まってしまった。そのうえ他のレシピまで知りたいと強く希望され、屋敷のキッチンで料理教室が定期開催されるようになっている。
しかも、街から通うのがめんどくさくなった者が、ヴィニの森を気に入りがてら移住をこころみるなんて珍事も起きた。
ヴィニにはかつての集落の名残りで家が何軒か放置されている。それを買い取って改修を始めたのだとか。
領主としてのジェードの仕事も増やすはめになってしまったが、彼は案外楽しそうだった。
バウも、自分の畑の手伝いを雇いやすくなると喜んでいる。
「ジェードの領地に住みたがるヤツが現れるなんて、前じゃ考えられなかったよな。オレは雇用が増えるから嬉しいけど。ロコだけじゃキツくなってきてるからな」
あ、とロコが顔を上げた。
「ボクさ、バウの畑、もう手伝わないよ」
「は!? なんで!?」
目をぱちくりさせてバウが立ち上がる。
長年の親友を見上げて、ロコはにんまりと笑った。長く秘密にしていたことをようやく明かすいたずらっ子のような笑顔だった。
「街でアイドルするから~」
「な……っ、なんで!?!?」
狼男の過去イチでかい声が森に反響し、木々の間から鳥たちが一斉に飛び立っていく。
「歌うの好きだもん。二人を見てたらボクもやりたいことやろうと思って。街におうちも借りたんだよ。遊びにきてね」
「おまえ、そんな金あったのかよ」
「んふふ~。バウからのおこづかい貯めてたし、仕立て屋のバピットさんがお金と衣装を貸してくれるんだ」
バピット……ジェード御用達の仕立て屋だ。リオンの誕生日パーティに行くための服もこしらえてくれた。
急な話への動揺が伝わってくるなか、バウは深呼吸をしてその場へ座り直した。
「まあ……ロコのやりたいことなら……応援するよ」
「ありがと、バウ! ボクが有名になったら、バウのお仕事たくさん宣伝するねぇ」
美しい人魚の尾が水面を揺らしていた。
それから俺たちは、根掘り葉掘りロコのアイドル計画を聞き出す。
おっとり気味の末の弟が芸能界でいじめられないよう、過剰に心配する兄たちのごとき質問攻めになってしまったが仕方がない。
その話題だけで、空はすっかり茜色に塗り変わっていた。
「──そろそろ帰るよ」
あまり暗くなると相変わらずジェードが心配するから。
持参したものをバスケットに片付けて立ち上がると、ロコとバウはなごやかに見送ってくれた。
歩き慣れた帰り道を進む。
確かこのあたりで魔物に襲われ、リオンに助けられた。
もちろん今日は、そんなトラブルなど起きない。
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あはは、とひとり笑う。
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けれど現実ははっきりしていた。
自分らしいオチだ。
オフィスで死の淵にいたとき、俺は自分自身を──モブにしかなれない人生を嘆いていた。
でもいま思えば、本当は……自分の人生を愛せなかったことを後悔していたのだと思う。
そうでなければ、この世界でも主人公じゃなかったと知ってなお、こんな清々しい気持ちにはならないだろう。
主人公かどうかは重要じゃなかった。
いまこの場所で、ジェードと生きてる。
彼を愛し、愛される人生に満足してる。
それで充分だ。
前庭を抜けて玄関に着いたとき、なんとなくジェードのいる場所が屋内ではない気がした。
直感に従って中庭へまわると、いた。
彼はとうに俺に気付いていて、振り返ってくれる。
優しい光の色をした瞳が、俺を捉えて微笑んだ。
「おかえり、ハヤトキ」
「ただいま」
右腕も取り戻したジェードはこのごろ、リハビリがてら破壊されたままになっていた薔薇園の片付けにいそしんでいる。
「何にも不自由してなさそうだな。ずっと右手代わりをしていたから、なんだか寂しいよ」
「おまえは頼んでいないことまで世話を焼こうとするから、私はせいせいした」
やりすぎの自覚はあったので苦笑する。
手招きされて近寄ると、両腕で抱き上げられた。いわゆる姫抱きである。
「ちょっ……」
「うむ。私はこのほうがいい」
どのほうなんだ。
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