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文禄の役
摂津守敗北
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「小西様のご無念、いかばかりかとお察しいたします…。さりながら、その状況で、小西様は何を思し召し遊ばされたのでございましょう。」
「平壌は、明軍二十万に十重二十重に取り囲まれておる。手勢も、もはや五千足らずしか残っていない。加えて援軍の望みもない。城を枕に討死も悪くは無いが、さすればますます敵は意気軒昂となろう。かくなる上は、後続の味方と合流し、一旦、漢城まで退いた上で、雪辱を果たそうではないかと、五島、大村、有馬、松浦、宗らに諮った。彼らに異存はなかった。そこで、その日の夜半、摂津守は手勢を引き連れ、忍びやかに平壌から落延びていった。あくる朝、明軍二十万が平壌に猛攻を仕掛けたところ、平壌がもぬけの殻となっていることに気付いた。李将軍は、摂津守を取り逃がしたことを大いに悔しがり、半分の十万騎をもって追撃に当たらせた。じゃが、夜半に逃げた摂津守に追いつけるはずもなく、逃げ遅れた雑兵を討ち取るのがせいぜいあった。」
「小西様も、何とか虎口を脱したわけでございますな。祝着に存じます。」
「もっとも、油断は出来ぬ。逃げる途中、豊後侍従(大友義統)の居城に火をかけた。敵に利用されてはたまったものではないからのう。そして、ようやく署本城にたどり着いた。ここを守っていたのは、黒田甲斐守(長政)の家老、小川伝左衛門。この者、機知に富んでおり、摂津守が平壌から撤退することを聞くや、粥の支度を命じたのじゃ。」
「なるほど。小西様が平壌から退かれるのであれば、必ずや署本城に立ち寄ることを見越しておったのでございますな。」
「左様。そんなところ、疲労の極みにある摂津守の手勢が参ったというわけじゃ。摂津守は無論、兵卒も飢えに苦しみ、寒天に凍え、満身創痍でここまでたどり着いたというわけじゃ。小川は、まず摂津守を場内に迎え入れ、随身の諸将も招き入れた。そして、摂津守の無事を甲斐守に伝えたのじゃ。注進を受けた甲斐守は、直ちに署本城にやってきて、摂津守を労った。」
「ご無礼を承知で申し上げますが、黒田様が、大友様に従わず、踏みとどまっていたお陰で、小西様も救われたわけでございましょう。この一つだけでも、黒田様の功は並々ならぬものがあるかと心得ます。」
「返す返すも口惜しいのは、豊後侍従の腰抜けよ。そのことは、甲斐守も摂津守に伝えたのじゃ。最前、豊後侍従が当地を通り過ぎ落延びて行く際に、摂津守殿はお討死遊ばした模様、拙者も早々にお退き候えと申しておった。とはいえ、摂津守殿が本当に討たれたという証拠もない。今しばらく様子を伺おうとした際に、伝左衛門からの注進があった。誠に祝着でござる、とな。甲斐守としても摂津守の無事を確保できたのは、せめてもの救いじゃったろう。まずは、平壌の疲れを癒すよう、摂津守に勧めた。すっかり疲れを癒した摂津守は、逆に甲斐守に進言した。明軍二十万が当地に来るのも時間の問題。甲斐守殿の手勢、屈強ぞろいといえども、二十万の大軍相手では勝算は不明。ここは、早々に漢城まで撤退すべし、とな。」
「李将軍の恐ろしさを身をもって知った小西様、犬死は慎み、反転攻勢の機会を待つべし、とのご配慮でございますな。」
「左様。じゃが、甲斐守は首を縦に振らなんだ。曰く、仰せご尤もである。さりながら、敵方の旗色も見ずして当地を明け渡せば、もはや敵の勢いを食い止めることは出来ぬ。摂津守殿は、既に平壌で死闘を繰り広げた身、早々に漢城に向かい、兵卒に休息を賜るべし。拙者は、漢城からの援軍を待って、先手仕り、明軍と雌雄を決する所存、とな。」
「黒田様は、武士の誉れでございます。さりながら、明軍二十万の前では、気迫だけでは如何ともしがたくは…。」
「それは、摂津守も感じたことじゃ。ゆえに、それを聞いた摂津守は、その儀であれば、拙者も漢城に退くわけにはいかぬ。貴殿ともに、踏みとどまる所存で、覚悟を決めたのじゃ。じゃが、その折、漢城より使者が到着した。曰く、早々に漢城までお引き候え、との注進であった。漢城の決定を無視するわけにはいかぬ。こうして、摂津守、甲斐守は揃って漢城に向けて撤退を始めた。途中に在陣していた久留米侍従(小早川秀包)を説得し、ともに漢城に向かって行軍を始めたのじゃ。」
「平壌は、明軍二十万に十重二十重に取り囲まれておる。手勢も、もはや五千足らずしか残っていない。加えて援軍の望みもない。城を枕に討死も悪くは無いが、さすればますます敵は意気軒昂となろう。かくなる上は、後続の味方と合流し、一旦、漢城まで退いた上で、雪辱を果たそうではないかと、五島、大村、有馬、松浦、宗らに諮った。彼らに異存はなかった。そこで、その日の夜半、摂津守は手勢を引き連れ、忍びやかに平壌から落延びていった。あくる朝、明軍二十万が平壌に猛攻を仕掛けたところ、平壌がもぬけの殻となっていることに気付いた。李将軍は、摂津守を取り逃がしたことを大いに悔しがり、半分の十万騎をもって追撃に当たらせた。じゃが、夜半に逃げた摂津守に追いつけるはずもなく、逃げ遅れた雑兵を討ち取るのがせいぜいあった。」
「小西様も、何とか虎口を脱したわけでございますな。祝着に存じます。」
「もっとも、油断は出来ぬ。逃げる途中、豊後侍従(大友義統)の居城に火をかけた。敵に利用されてはたまったものではないからのう。そして、ようやく署本城にたどり着いた。ここを守っていたのは、黒田甲斐守(長政)の家老、小川伝左衛門。この者、機知に富んでおり、摂津守が平壌から撤退することを聞くや、粥の支度を命じたのじゃ。」
「なるほど。小西様が平壌から退かれるのであれば、必ずや署本城に立ち寄ることを見越しておったのでございますな。」
「左様。そんなところ、疲労の極みにある摂津守の手勢が参ったというわけじゃ。摂津守は無論、兵卒も飢えに苦しみ、寒天に凍え、満身創痍でここまでたどり着いたというわけじゃ。小川は、まず摂津守を場内に迎え入れ、随身の諸将も招き入れた。そして、摂津守の無事を甲斐守に伝えたのじゃ。注進を受けた甲斐守は、直ちに署本城にやってきて、摂津守を労った。」
「ご無礼を承知で申し上げますが、黒田様が、大友様に従わず、踏みとどまっていたお陰で、小西様も救われたわけでございましょう。この一つだけでも、黒田様の功は並々ならぬものがあるかと心得ます。」
「返す返すも口惜しいのは、豊後侍従の腰抜けよ。そのことは、甲斐守も摂津守に伝えたのじゃ。最前、豊後侍従が当地を通り過ぎ落延びて行く際に、摂津守殿はお討死遊ばした模様、拙者も早々にお退き候えと申しておった。とはいえ、摂津守殿が本当に討たれたという証拠もない。今しばらく様子を伺おうとした際に、伝左衛門からの注進があった。誠に祝着でござる、とな。甲斐守としても摂津守の無事を確保できたのは、せめてもの救いじゃったろう。まずは、平壌の疲れを癒すよう、摂津守に勧めた。すっかり疲れを癒した摂津守は、逆に甲斐守に進言した。明軍二十万が当地に来るのも時間の問題。甲斐守殿の手勢、屈強ぞろいといえども、二十万の大軍相手では勝算は不明。ここは、早々に漢城まで撤退すべし、とな。」
「李将軍の恐ろしさを身をもって知った小西様、犬死は慎み、反転攻勢の機会を待つべし、とのご配慮でございますな。」
「左様。じゃが、甲斐守は首を縦に振らなんだ。曰く、仰せご尤もである。さりながら、敵方の旗色も見ずして当地を明け渡せば、もはや敵の勢いを食い止めることは出来ぬ。摂津守殿は、既に平壌で死闘を繰り広げた身、早々に漢城に向かい、兵卒に休息を賜るべし。拙者は、漢城からの援軍を待って、先手仕り、明軍と雌雄を決する所存、とな。」
「黒田様は、武士の誉れでございます。さりながら、明軍二十万の前では、気迫だけでは如何ともしがたくは…。」
「それは、摂津守も感じたことじゃ。ゆえに、それを聞いた摂津守は、その儀であれば、拙者も漢城に退くわけにはいかぬ。貴殿ともに、踏みとどまる所存で、覚悟を決めたのじゃ。じゃが、その折、漢城より使者が到着した。曰く、早々に漢城までお引き候え、との注進であった。漢城の決定を無視するわけにはいかぬ。こうして、摂津守、甲斐守は揃って漢城に向けて撤退を始めた。途中に在陣していた久留米侍従(小早川秀包)を説得し、ともに漢城に向かって行軍を始めたのじゃ。」
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