異世界喫茶『甘味屋』の日常

癸卯紡

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一夜明けて

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 事件が起きた次の日の朝、俺はいつもより少し早起きをして浴室に設置されている鏡の前に立っていた。俺は鏡が手放せないナルシストでもなければ、女性陣の視線を気にして身だしなみを整えるようなタイプでもない。そんな俺が朝早く人目を忍ぶようにして鏡の前に立ったのは昨日刺された背中がどうなっているか気になり確認するためだった。

昨日刺された箇所は背中の中心からやや右下のだったはずだ。そのため俺は鏡に映った自分の背中を確認するために身を捩って鏡を覗き込んだが、どういうわけか昨日あれだけ血が出ていた俺の背中は傷一つない綺麗なものだった。

(どういうことだ? 傷が1日で無くなるなんてことはないはずだが・・・・)

だが、いくら背中を見てもどこにも昨日の傷は確認できない。昨日俺に巻かれていたゴム状の包帯のようなものは傷を残らず消してしまうほどの治癒効果を持っていたのだろうか? まぁここは魔法なんてものが存在する異世界だ、そういうこともあるのだろうと俺は自分に言い聞かせ納得するとシャワーを浴び、昨日心配をかけてしまったニナたちへの謝罪の意味を込めて4人分の朝食を作るため店のカウンターの中へと入った。

 朝食がある程度できた頃、店の玄関の扉が勢いよく開きポックル達が入って来た。店の玄関の扉は建付けがいいのか誰が開けてもバタンッと勢いよく開いてしまう。そのため夜、のんびりとコーヒーを飲んでいる所に誰かが入って来たりしてドキッとさせられることが何回かあった。

「おはよう、マスター! もう起きて大丈夫なのか!?」

ポックルが心配そうに俺を見て言う。後でライラから聞いた話では、ポックルたちケモ耳’sが俺を助けようといろいろと迅速に動いてくれていたようだ。最近ではライラやニナと共にギルドの依頼をこなしている彼らだが、自分たちが依頼でケガをした時のためにいくつか薬草を持っていたようでその薬草を迷うことなく俺に使ってくれたようだ。

ちなみに、ポックルはいつの間にか俺のことを『マスター』と呼ぶようになっていたが、どうやらそれはニナの影響らしい。ニナが俺を『ますたぁ』と呼んでるのを聞きポックルも俺をマスターと呼び始めたようだが、どうやらポックルはマスターというのが俺の名前だと思っているっぽい。

まぁ、それでも特に問題ないからと指摘もしなかったのはポックルが再び『オッちゃん』呼びに戻ってしまうのをまだ若いつもりでいる俺が恐れたからだ。俺の名前は言い難いと以前ニナに言われたことがある。おそらくそれはポックルにとっても同じで十中八九『オッちゃん』呼びに戻るだろう。

老いに対する俺のささやかな抵抗だ。


「あぁ、もう大丈夫だ。みんなにも心配かけたな」

「本当に心配したぞ!! テトラなんか青ざめてこの世の終わりみたいな顔してたんだ」

「なっ!? カイルだってどうしよどうしよって慌ててたじゃないか!!」

「まったく、お前らはもっとオイラみたいに冷静にだな・・・・」

「何言ってるんだよ!? ポックルだって薬草をそのままオッちゃんの背中に使おうとして止められてたじゃないか!!」

「いや、あれはちょっと間違えただけで・・・・」

薬草というものは煎じたりすり潰したりして使わないと意味がないらしい。もちろんポックルもそんなことはわかっていたようだが、突然俺が刺されたのを見て気が動転し使い方をド忘れしてしまった挙句、薬草の葉をそのまま俺に押し当てようとしたようだ。

「何はともあれ3人共ありがとうな。おかげで助かったよ」

「へへっ 仲間を助けるのは獣人として当たり前だ」

「今度刺されてもまた助けてやるからな!!」

「お、俺だって」

   ―――――そうそう刺されてたまるか。

4人でそんなことを話しながら盛り上がっているとカウンターの中にあるドアが開きライラたち3人が眠そうに目を擦りながら出て来た。3人ともどうやら昨晩は泣きはらして寝たようで目が腫れている。

「あ、ますたぁが起きていますです! もう元気になったですか!? もう死なないですか!?!?」

「あぁ、ニナにも心配かけたね」

「マスターさん、もう大丈夫なの? 痛い所はない?」

「はい、ご心配おかけしましたヴィエラさん」

「うむ。私はあれくらいで死ぬわけないと思っていたぞ!! だがマスター殿、この先なにがあるかわからんからな。身を守るためにも冒険者として経験を積んでみてはどうだ?」

「いえ、そっちの方は専門外なので遠慮しておきます」

「そうか。だが気が変わったらいつでも言ってくれ!!」

「ありがとうございます、ライラさん」

それから俺はニナに手伝ってもらいながら朝食を食べてないというポックル達の分を追加で作り皆で店のホールにあるテーブルを囲み朝食をとった。ポックルたち獣人は朝昼晩の決まった時間に食事をとるという習慣がないため朝食を食べるという概念がない。

そのため彼ら獣区の獣人は食える時に食うというのが普通で、食えない時はずっと飯にありつけず道端の草を食べたりして飢えを凌ぐようだ。

奴隷時代のニナでさえ質素ではあるが朝晩の飯は貰えていたというのだからここの獣人たちの暮らしは想像を絶するものなのかもしれない。人区の村人たちと手を取り合い上手くやっていければ多少は違うのかもしれないが、俺が口出したところでロクなことにならないだろう。

俺はもう余計な事はしないと決めたのだ。痛いのは嫌だからね。

「ぷはーっ。やっぱマスターの飯はサイコーだな」

ポックルが椅子の背もたれに体を預けながら満足気に腹をポンポンと叩いていた。それを見たカイルやテトラもポックルを真似るとニナまで真似をしていたため、「女の子がはしたないわよ」とニナはヴィエラから軽く説教をされていた。

名の知れた一流冒険者になると貴族やお城からパーティに誘われたりすることがあるらしく、最近ではニナも淑女教育をライラから受けていた。周りから戦神などと呼ばれ俺からは密かに脳筋美人と評されているライラではあるが、彼女にはどこか気品のようなものを感じる。

これにはヴィエラも同じ意見で、もしかするとライラは冒険者になる前は貴族とかだったのではないかと言っていたが女性の過去を根掘り葉掘り聞いたらダメと念を押されたので俺はそれ以上詮索することをしなかった。

まぁ、ぶっちゃけ貴族だろうが王族だろうがなんでもいい、ライラはライラだ。

「じゃあ、行ってくるぜマスター! 今日は1日寝てないとだめだからな!!」

「そうだぜオッちゃん。きょうはゼッタイアンセーにしてろよ」

「また薬草取って来てやるからな」

ライラやニナたちと依頼を受けに冒険者ギルドへと向かうケモ耳’sが俺を心配して玄関先から声をかけた。背中の傷もないし痛みもないので俺としては店を開けるつもりだったのだが、ライラやヴィエラそれにニナからも今日はまだ寝ているようにキツく言われてしまったためライラたち冒険者組を見送ると俺はそのまま自分の部屋へ行きベッドに寝転がる。

朝食で使われた食器は留守番のヴィエラが洗って片付けてくれるとのことだったので、やることがなくなってしまった俺は久々にのんびりとした朝を過ごすこととなった。

だが、この世界にはテレビやスマホはもちろん本もないため暇をつぶす手段として今俺にできることは寝る以外ないため、その日は朝から昼寝ならぬ朝寝をしてダラダラと過ごすことにした。

洗い物が終わったヴィエラもカウンターの中にある休憩所に来ると浴室でシャワーを浴び始めたようで、俺は部屋の外から聞こえてくるシャワーの音になぜか少しドキドキしていた。
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