14 / 14
14 夜の始まり
しおりを挟む
数日後に目覚めた聴蝶はひどく私を責めた。路傍を助けられたはずなのに見殺しにした。一生口もききたくないと――そして半狂乱の状態になり看護師たちに押さえつけられる。そんな毎日が続き,医者のアドバイスを受け,私たちはしばらく距離を置くことにした。
私は以前のように昼夜逆転の生活を送り,観空の店で払うものも払わず飲んだくれている。手話通訳も辞めた。
毎度のごとくトイレで吐いていると,今夜から店に出はじめた観空が入ってくる。
「体はもういいのかい?」右手2指でピストルを模り,おどけた調子で狙い撃ちしてみせる。
「それはこっちの台詞だよ」大理石のウォッシュスタンドに腰かけ,鏡に映る荒くれ女を見つめてくる。
私の体調は至って良好だった。飛行船に乗っていた人々のうち大方がリドルに感染した。16人の死亡者を出し,依然不調を訴える人も多い。感染しなかったのは3人。いずれも路傍と親交のあった者たちだ。だが,その3人のリドルに感染しなかった理由を現代医学は説明できない。
「そんな飲み方してると,そのうち体まで壊れちまうぞ――聴蝶の我が儘は気にするな。おまえは命の恩人だ。あいつだって本当は感謝してるんだよ」
口中に血の味が広がった。唇を嚙む癖がまた出たのだ。焦点の定まらない細い目が鏡のなかでより細くなる。醜くて悪い顔をしている――「ふふっ……」
「何だよ。何がおかしい?……」
「観空は全く分かっていないねぇ」
「……何が……何が分かってねぇんだよ」
「聴蝶はいっそ死にたかったんだ。路傍が死ぬなら一緒に死にたかったんだよ」
「でも彼は生きて欲しかった――」観空は鏡から目を逸らし,私を直視した。「聴蝶の生きることが彼の願いだった。そのために自滅してリドルを封じこめたんじゃねぇのか」
両眼と鼻孔とが水っぽくなる。
「あいつはさ――彼の願いを受けとめなきゃなんねぇ。それができるのはおまえのおかけだ。おまえが助けてくれたから,あいつは彼の分まで頑張って生きられんのさ」
意味もなく乱暴にペダル式の流水装置を踏みつけ,無茶苦茶に顔面を洗った。何もかも忘れるまで飲みあかしてやる――
「時間が解決してくれるさ。あいつがおまえに感謝の言葉を言う日はきっと来る。でも俺は違う――」
顔をあげた。
「俺は――」漆黒の瞳が揺れている。「俺はおまえにありがとうって言えねぇ。次からはやめて欲しい。聴蝶を助けてくれなくていい――」
「どういう意味だい――」
「聴蝶を助けるために危険を冒すのはやめてくれ。今回,正直思った――聴蝶がいなけりゃ,おまえは危ない目に遭わずに済むのにって――」
腹の奥底から抑えようのない怒りがこみあげた――拳に痛みが走る。多分指が折れた。観空がクッション仕立ての両開き戸にぶつかり外部の廊下に倒れこんだ。追っていけば私の剣幕に驚いた男女が逃げていく。観空の胴に飛び乗りもう一発お見舞いしてやる。綺麗な顔が台無しだ――誰よりも涼やかで清らかな目が腫れあがり,誰よりもチャーミングでナチュラルな高い鼻が折れ曲がっていた。私が観空の美しさを同等に醜くしていく――
「結良,何処にも行くな」腕を摑まれる。「聴蝶も俺もいつまでもおまえの面倒を見てやるから。俺らが役に立たなくなったら捨ててもいい。けど,使えるまでは使ってくれよ。だから利用価値のあるまではずっとそばにいてくれ――」
憑かれたみたいに拳を振りおろし続けた。ほかのホストたちが6人がかりで観空と私を引き離す。
「また言ってみろ!――ぶっ殺してやる!」金切り声を発して店を飛び出た。
人生を一緒に歩いてきた彼らと別れるときが来たのだと思った。
歩行者天国の手前で学生の集団とぶつかりかけて走るのをやめる。白いものが睫毛を掠めて落ちていく。3月の空を見あげれば,また雪が降っていた。
「夜はまだこれからじゃない――」女の子たちがビジネスマンに纏わりついている。そのなかの1人と視線を絡ませ刹那の楽しみを得た。
私は以前のように昼夜逆転の生活を送り,観空の店で払うものも払わず飲んだくれている。手話通訳も辞めた。
毎度のごとくトイレで吐いていると,今夜から店に出はじめた観空が入ってくる。
「体はもういいのかい?」右手2指でピストルを模り,おどけた調子で狙い撃ちしてみせる。
「それはこっちの台詞だよ」大理石のウォッシュスタンドに腰かけ,鏡に映る荒くれ女を見つめてくる。
私の体調は至って良好だった。飛行船に乗っていた人々のうち大方がリドルに感染した。16人の死亡者を出し,依然不調を訴える人も多い。感染しなかったのは3人。いずれも路傍と親交のあった者たちだ。だが,その3人のリドルに感染しなかった理由を現代医学は説明できない。
「そんな飲み方してると,そのうち体まで壊れちまうぞ――聴蝶の我が儘は気にするな。おまえは命の恩人だ。あいつだって本当は感謝してるんだよ」
口中に血の味が広がった。唇を嚙む癖がまた出たのだ。焦点の定まらない細い目が鏡のなかでより細くなる。醜くて悪い顔をしている――「ふふっ……」
「何だよ。何がおかしい?……」
「観空は全く分かっていないねぇ」
「……何が……何が分かってねぇんだよ」
「聴蝶はいっそ死にたかったんだ。路傍が死ぬなら一緒に死にたかったんだよ」
「でも彼は生きて欲しかった――」観空は鏡から目を逸らし,私を直視した。「聴蝶の生きることが彼の願いだった。そのために自滅してリドルを封じこめたんじゃねぇのか」
両眼と鼻孔とが水っぽくなる。
「あいつはさ――彼の願いを受けとめなきゃなんねぇ。それができるのはおまえのおかけだ。おまえが助けてくれたから,あいつは彼の分まで頑張って生きられんのさ」
意味もなく乱暴にペダル式の流水装置を踏みつけ,無茶苦茶に顔面を洗った。何もかも忘れるまで飲みあかしてやる――
「時間が解決してくれるさ。あいつがおまえに感謝の言葉を言う日はきっと来る。でも俺は違う――」
顔をあげた。
「俺は――」漆黒の瞳が揺れている。「俺はおまえにありがとうって言えねぇ。次からはやめて欲しい。聴蝶を助けてくれなくていい――」
「どういう意味だい――」
「聴蝶を助けるために危険を冒すのはやめてくれ。今回,正直思った――聴蝶がいなけりゃ,おまえは危ない目に遭わずに済むのにって――」
腹の奥底から抑えようのない怒りがこみあげた――拳に痛みが走る。多分指が折れた。観空がクッション仕立ての両開き戸にぶつかり外部の廊下に倒れこんだ。追っていけば私の剣幕に驚いた男女が逃げていく。観空の胴に飛び乗りもう一発お見舞いしてやる。綺麗な顔が台無しだ――誰よりも涼やかで清らかな目が腫れあがり,誰よりもチャーミングでナチュラルな高い鼻が折れ曲がっていた。私が観空の美しさを同等に醜くしていく――
「結良,何処にも行くな」腕を摑まれる。「聴蝶も俺もいつまでもおまえの面倒を見てやるから。俺らが役に立たなくなったら捨ててもいい。けど,使えるまでは使ってくれよ。だから利用価値のあるまではずっとそばにいてくれ――」
憑かれたみたいに拳を振りおろし続けた。ほかのホストたちが6人がかりで観空と私を引き離す。
「また言ってみろ!――ぶっ殺してやる!」金切り声を発して店を飛び出た。
人生を一緒に歩いてきた彼らと別れるときが来たのだと思った。
歩行者天国の手前で学生の集団とぶつかりかけて走るのをやめる。白いものが睫毛を掠めて落ちていく。3月の空を見あげれば,また雪が降っていた。
「夜はまだこれからじゃない――」女の子たちがビジネスマンに纏わりついている。そのなかの1人と視線を絡ませ刹那の楽しみを得た。
0
お気に入りに追加
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
ピエロの嘲笑が消えない
葉羽
ミステリー
天才高校生・神藤葉羽は、幼馴染の望月彩由美から奇妙な相談を受ける。彼女の叔母が入院している精神科診療所「クロウ・ハウス」で、不可解な現象が続いているというのだ。患者たちは一様に「ピエロを見た」と怯え、精神を病んでいく。葉羽は、彩由美と共に診療所を訪れ、調査を開始する。だが、そこは常識では計り知れない恐怖が支配する場所だった。患者たちの証言、院長の怪しい行動、そして診療所に隠された秘密。葉羽は持ち前の推理力で謎に挑むが、見えない敵は彼の想像を遥かに超える狡猾さで迫ってくる。ピエロの正体は何なのか? 診療所で何が行われているのか? そして、葉羽は愛する彩由美を守り抜き、この悪夢を終わらせることができるのか? 深層心理に潜む恐怖を暴き出す、戦慄の本格推理ホラー。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
四次元残響の檻(おり)
葉羽
ミステリー
音響学の権威である変わり者の学者、阿座河燐太郎(あざかわ りんたろう)博士が、古びた洋館を改装した音響研究所の地下実験室で謎の死を遂げた。密室状態の実験室から博士の身体は消失し、物証は一切残されていない。警察は超常現象として捜査を打ち切ろうとするが、事件の報を聞きつけた神藤葉羽は、そこに論理的なトリックが隠されていると確信する。葉羽は、幼馴染の望月彩由美と共に、奇妙な音響装置が残された地下実験室を訪れる。そこで葉羽は、博士が四次元空間と共鳴現象を利用した前代未聞の殺人トリックを仕掛けた可能性に気づく。しかし、謎を解き明かそうとする葉羽と彩由美の周囲で、不可解な現象が次々と発生し、二人は見えない恐怖に追い詰められていく。四次元残響が引き起こす恐怖と、天才高校生・葉羽の推理が交錯する中、事件は想像を絶する結末へと向かっていく。
徹夜でレポート間に合わせて寝落ちしたら……
紫藤百零
大衆娯楽
トイレに間に合いませんでしたorz
徹夜で書き上げたレポートを提出し、そのまま眠りについた澪理。目覚めた時には尿意が限界ギリギリに。少しでも動けば漏らしてしまう大ピンチ!
望む場所はすぐ側なのになかなか辿り着けないジレンマ。
刻一刻と高まる尿意と戦う澪理の結末はいかに。
Syn.(シノニム)
かの翔吾
ミステリー
嘘と隠し事は似て非なるもの。矢倉梗佑はそんな当たり前の事に気付けなかったため一番大切な人を失う。どうして梗佑は大切なテルと言う存在を失ったのか? 梗佑とテル。そして第三の男である郷田レイエス斗真。日本とメキシコを舞台に三人の男達が現在と過去を走り抜けるクライムサスペンス。
#ゲイ #ミステリー #クライムサスペンス #犯罪
リシアンサスとユーストマ。Syn.(シノニム)に込められた思いとは?
虚像のゆりかご
新菜いに
ミステリー
フリーターの青年・八尾《やお》が気が付いた時、足元には死体が転がっていた。
見知らぬ場所、誰かも分からない死体――混乱しながらもどういう経緯でこうなったのか記憶を呼び起こそうとするが、気絶させられていたのか全く何も思い出せない。
しかも自分の手には大量の血を拭き取ったような跡があり、はたから見たら八尾自身が人を殺したのかと思われる状況。
誰かが自分を殺人犯に仕立て上げようとしている――そう気付いた時、怪しげな女が姿を現した。
意味の分からないことばかり自分に言ってくる女。
徐々に明らかになる死体の素性。
案の定八尾の元にやってきた警察。
無実の罪を着せられないためには、自分で真犯人を見つけるしかない。
八尾は行動を起こすことを決意するが、また新たな死体が見つかり……
※動物が殺される描写があります。苦手な方はご注意ください。
※登場する施設の中には架空のものもあります。
※この作品はカクヨムでも掲載しています。
©2022 新菜いに
一➕一
ターキー
ミステリー
今日本いや、世界は変わってしまった外に出る時はマスク着用、消毒、180度変わってしまった。しかし変わらない物は一つあるそれは人と人との繋がりだ、しかしもしその世界が嘘だったら!ミステリー風味もする物語が今始まる
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる