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レベッカ・バーチェリー
しおりを挟む悶々としたまま、出立の時間となった。ミーナ好みのボンネットをつけて、ついに殿下には挨拶をすることなく馬車に乗り込む。
『フェアリル殿下は執務が立て込んでいるとのことです』
初めて見る顔の秘書官にそう言われて、こっちは話があるのよ!と言えるほど図太くない。仕方なく私は彼からの手紙を鞄に詰め込んで、帰路へと着いたのだ。
(私が彼をたずねれば、私は助かる)
そして、その時点で私はこの国の王妃になるという。ここからデスフォワードまでは、馬に魔装具をつけて一日かかるかどうか、というところ。デスフォワードで探し物や調査に乗り出せる時間は長く見積っても九日あたりしかない。いや、万一ここに戻る日数も入れれば八日程度……。
(自分の命と、人を悲しませる裏切りの行為。天秤にかけて傾くのはどっち?)
私はそこまで敬虔深い信徒というわけではないが、私がフェアリル殿下にそれをすることで悲しむ人がいる。婚約者が見ず知らずの娘と契ったことを知り悲しまない女性はいないだろう。最悪国家間の問題にも発展しかねない。
(契ってないだけでかなり怪しいところまではしてしまったけど……契ってなればセーフ。セーフ……よね?)
いや、なにがセーフなのか。既に泥沼だ。
私はため息をていて、窓の外へと支線を寄越した。こういう、頭が爆発しそうな時は現実逃避に限るわ。
***
白で統一された清潔な一室。窓は開けられ、カーテンが風にたなびく。窓の外には緑が美しく広がり、都会とは違う自然な木の香りが鼻をくすぐった。扉をノックされて、彼女はちらりとかたわらの侍女に視線を寄越して、思わせぶりに指先で彼女の手のひらを伝う。侍女ーーファンティーヌは頬を僅かに染めて頷き、所定の位置についた。
扉が開かれて、従僕が入室する。その頃には、この部屋の主、レベッカはベッドの上の住人で、さながらそれが自然な様子だと周りに思わせた。
「突然失礼致します。ご気分はいかがでしょうか」
「……ええ。だいぶ良くなったわ。お父様に感謝しなくちゃ」
レベッカが作り上げたかぼそい高い声で言うと、レベッカの|恋の病(けびょう)を信じきっている従僕はほっとしたように息を吐いた。
いつから、嘘を吐くことに罪悪感を感じなくなったのか。今では彼らがその素振りを見せるごとに安心はすれど罪悪感など微塵も湧いてこない。
風にたなびくカーテンを見つめるレベッカに、従僕が続ける。
「王太子殿下よりお手紙です」
「殿下が?」
レベッカに渡しに来るのだから先触れではない。では、私信?なんの用件で?
レベッカは僅かに肩が重くなる。フェアリルが無害だとして、レベッカは男全般が嫌いだ。もっといえば、自分の内側に入り込んでこようとする男が。
彼は共犯者として欠かせない人間ではあるが、それだけだ。彼が男である以上、レベッカには拒否反応が生まれる。
だけど、レベッカは婚姻しなければならない。フェアリル以上に都合のいい男は見つからないだろう。こちらの事情を理解した上で、共犯であることを受け容れたフェアリル。彼が愛を知らないのは可哀想なことだが、いつか知ることがあればいいと思う。レベッカとファンティーヌを見て、どこか羨ましそうに。そして、どこか切なそうに見ている彼はなんだか。
「あー……あれだ。飢えてる?」
「?何かおっしゃいました?レベッカ様」
従僕のいなくなった部屋で、ファンティーヌが手紙を手に首を傾げた。さらさらとした緑の髪が滑らかに肩から落ちて、まるで森の妖精のようだ。レベッカは瞳を緩ませた。
「なんでもないよ。ペーパーナイフ、ある?今読んじゃおう」
「こちらに」
ファンティーヌから渡されて、レベッカは手紙の封を切った。本当は、男などに頼らずともファンティーヌと共に生きていきたい。自分の愛する人は彼女なのだと堂々と言いたい。だけどそれは法が許さない。貴族に生まれた以上、責務をなさなければならない。それは彼女も痛いほど理解している。
フェアリルが協力してくれて、彼女達の関係は守られる。それはいいことだ。だけどレベッカは本当は。
本当は、こんな形を取らずとも、誰にはばかることなくファンティーヌを愛していると公言したかった。彼女にも辛い思いをさせる。レベッカのために、彼女はずっと未婚を貫くのだ。事情を知らない周りは早く結婚しろと急かすだろうし、親には呆れられてしまう。何より、レベッカは愛する人の親にも挨拶に行けない。こんなに、気持ちは本当なのに。
フェアリルの手紙は短文で、そして必要なことしか書いてなかった。
目を通したレベッカは、さすがの彼女もうろたえて動揺した。
「はぁ………?」
何度読み返しても、書いてある文章は同じだった。
「レベッカ様?」
なにか悪いことでも書いてあったのかと案じるファンティーヌに、レベッカはしばらく黙り込んでそして彼女に聞いた。真剣味を帯びた口調だった。
「……今、確か王城にはデスフォワードの王女が来てるんだったね」
「え?あ………そうですね。確か」
ファンティーヌは突然のことに目を白黒させながら答えた。レベッカは手紙を強く握りながら、ベッドから身軽に降りた。赤い髪がはらりと舞う。
「レベッカ様?」
「その王女様ってどこにいるの?」
「え?」
「会いに行く」
「ええっ!?」
ファンティーヌの驚いた声に、レベッカはいたずらっぽく笑った。
「あの頑固な不憫男の幸せとやらを見に行きたいんだ」
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