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第六章――⑤

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「ハリ!?」
「どきなさい、ユマ」

 慌てて駆け寄ろうとしたユマを制し、女神様が私に手をかざす。
 すると、淡い光が集まってきて徐々に痛みが引いてきて息が楽になっていく。

 でも、体が鉛のように重くて自力で立ち上がれそうになく、お礼を言おうにもゼーゼー声でまともな言語にならない。ぐったりしたまま呼吸を整えていると、誰かが運んできた長椅子に寝かされた。

 フカフカのクッションが縫い付けられた座面に体を沈めると、女神様が私の額に手を当てながら難しい顔をする。

「……体と魂が分離しかけてるわ。元の世界のハリちゃんが瀕死状態だったし、仕方なくこの子の体に魂だけ召喚したけど……さすがにもう限界ね。これ以上はこの器が持たなくなる」
「それじゃあハリは……!」
「心配しないで。ハリちゃんの体は無事よ。そもそも、肉体と魂は一時的に切り離すことはできても、どちらか片方が消滅すれば連動して消えるものなの。この世界を去ってもハリちゃんがそのまま死ぬことはないわ」

 そういえば前に、病院で意識不明のまま寝かされているような夢を見た。
 あれはなんらかの力で元の世界の状況を垣間見た状態だったのか。

 つまり私は、あの事件のあとちゃんと救急搬送されて治療され、延命措置を施されていることになる。
 後遺症の有無までは分からないが、ひとまずは生きていると分かっただけでもほっとした。

 でも、これから先ずっとこの初恋を引きずって生きるのかと思うと気が沈む。
 私がいなくなったあと、ユマが女神の使徒を続けるのかどうかは分からないが、どちらにせよ色恋禁止の制約はなくなるわけだし、自警団の女の子たちにモテモテだったことを考えると、そのうちに新しいカノジョを作って結婚するんだろうなっていう未来は容易に想像がつく。

 それに引き換え、私は非モテ非リアの三十路オタク喪女。一生独り身確定である。
 ユマが幸せならそれでいい……と、悟れたらどれだけよかったか。そこまで人間ができていない。

 恋なんてロクなもんじゃないな、と心の中で自嘲しているうちに回復魔法を追加でかけられ、容態が少しだけよくなる。ユマに支えられて体を起こすと、女神様が神妙な顔で告げた。

「今は応急処置でこの世界に繋ぎ止めてあるけど、それも長くはもたないわ。一時間か、それより短いかもしれない。悔いのないように、ちゃんとユマと話をしておくことね」

 言葉の終わりに小さく笑みを浮かべ、三々五々別れの言葉を口にしながら出て行く騎士たちを追って、女神様はイーダの手を取り食堂を出て行く。

 その様子は夫婦というより年の離れた兄妹のようであったが、二人の間には低俗にして壮絶な喧嘩をしていたとは思えない穏やかな空気が流れている。
 この夫婦がきちんと仲直りできるのか、闇落ちしたイーダは神格を取り戻せるのか、いろいろと心配が残ったままではあるが、それはこの世界の問題であり、去りゆく異世界人には関わり様のない話だ――またあんなことさえ起きなければ。

 パタン、と食堂の戸が閉まった音と共に息を吐き出すと、私の横にユマが腰かける。
 分かりやすく気を遣われたことにむず痒い気持ちになりながらも、女神様の言う通り悔いのないよう、言いたいことはしっかり言わねば。

「あの、ユマ。さっきは――えっと、杖をすり替えてたことを黙ってて、ごめんなさい。ちょっと調子乗ってたっていうか、カッコつけたかったというか……ちゃんと相談すればよかったって反省してる」
「あ、いや、あれは……俺も怒鳴って悪かった。すり替えに気づかず、民間人の避難を優先した結果、ハリに怪我を負わせることになった。結局のところ俺のミスだ」

「あれは私が独断でやったことだから、ユマに責任なんて……」
「あるんだ。本当に守りたいなら、誰よりも大切だと想うなら、絶対に傍を離れるべきじゃなかった」

 悔いるように言葉を紡ぎながら、ユマは私の頬に手を滑らせた。
 遠目には形のいいきれいな手に見えるのに、こうして直接触れてみると少しザラリとしていて、節くれだった指とか手のひらに点在する肉刺とか男の人らしい感触が伝わってきてドキドキする。

「ハリ……改めて言わせてもらうが、俺はあんたのことが好きだ。外見がどうかなんて関係ない、魂のあり方そのものが好きなんだ。それで……できれば、あんたの気持ちも聞かせてほしい」

 口調だけははっきりしているのだが、顔は真っ赤だし視線があらぬ方向にフラフラ泳いでるしで、なんとも間の抜けた告白だ。
 でも、不器用なりに精一杯頑張っている様子は大いに萌えと胸キュンを誘い、うわああっと意味不明な叫びを上げそうになったが、それをグッと飲み込む。

 こ、こう言われたらやっぱり返事しなきゃダメだよなぁ。
 でも、気持ちを伝えたところでなんの意味もない。数時間経てばそれぞれまったく別の世界の住人になって、一生人生が交わることなんかないんだから。

「そ、そんなのきっと勘違いよ。この見た目だからそう思うだけで、もしありのままの私だったらきっと好きにはならなかったわ。ハティエットが言った通り地味で野暮だし、女子力手底辺のオタクだし、しかも三十のおばさんなのよ?」
「そんな言い訳が聞きたいんじゃない。あんたが俺をどう想っているか知りたいんだ。それとも、答えたくないほど俺が嫌いか?」

「そんなわけないでしょ。でも、知ったところで無意味じゃない。どうせ離れ離れになっちゃうのよ? それに、この体は借り物で……たとえ気持ちが通じ合ったとしても、何もできない。戻った瞬間死ぬかもしれないのに、好きな人となんの思い出もないまま別れるな、んて――」

 ポロっと「好きな人」という言葉が漏れてしまい、慌てて口をつぐんだが遅かった。
 しっかり聞かれていたらしく、さっきよりもさらに顔を赤くしてこちらを見下ろしている。

「それは……俺のこと、か?」
「い、今の文脈からしてユマ以外にないでしょ!?」

 いたたまれなくなって目を逸らしたが、両頬を包むようにして引き寄せられ、至近距離で目を合わせることになる。

 ち、近い近い! この距離感でのイケメンは心臓に悪すぎる!
 少しでも離れようと思って体を押すが、私の力じゃびくともしない。
 さすが使徒……って感心してる場合じゃない!

「ちょ、ちょっと……この体はハティエットのなんだから、変なことしないでよ? まだハティエットはあなたのことを諦めてないっぽいし、キスひとつでも責任取らされるかもしれないんだから」
「たとえそうなっても、女神の使徒だからいくらでも逃げようはあるが」
「一途な女心を踏みにじるクズ男は嫌いよ」

 半眼で睨みつければ、ユマはバツ悪そうに私の顔から手を離す。
 その温もりが離れると無性に寂しい気分になったが、万が一の間違いが起きるよりはマシだ。

「はあ……だが、ハリの言うことはもっともだな。こうして触れ合える距離にいるのに、恋人らしいことは何もできないのはつらすぎる。何をするにもあんたの体じゃないと意味はないのは分かってるが」

 えっと……もしこれが私の体だったら、どこまでする気だったんだ?
 いやまあ、三十の喪女相手にナニをする気にもなれないだろうけど。

 ていうか恋人って……乙女ゲームの推しキャラと恋人になるって、どんなご都合主義な夢展開だよ。
 歴代の聖女も騎士たちとゲームと同じように恋仲になった、っていう夢オチ体験してるみたいだから似たようなものだけど。

 そんなことをぼんやりと考えているとユマが肩を寄せ、私の手に自分の手を重ねて指を絡ませる。
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