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第四章――②

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「そんなわけで、あんたを利用した形になって悪かったが、おかげで助かった。礼を言わせてくれ」
「いえ、その、私一人の力じゃないですし……昨日偶然アリサの杖を拾わなかったら、今でも私はただの侍女でしかなかったわけですし……」
「あれはアリサのものじゃない。昨日あんたが手にしたのはこの杖だ」

 ユマはベッドの上に置かれた細長い金属製の箱を指さす。
 蓋がされたその箱の中には、私が今日使った予備の杖が、柔らかなクッションの上に鎮座している。
 え。それってどういうこと?

「あんたは知っているだろう。俺の部屋にこの杖が保管されていることを」

 私は小さくうなずいた。
 ゲーム中ではヒロインはある戦い――ちょうど今回の四天王との対決で戦術ミスを犯すと、杖を失ってしまう。
 途方に暮れるヒロインに、ユマは叱咤激励と共にこの予備の杖を渡すのだ。

 ユマがメインで登場する貴重なイベントだし、わざとここでミスするのがファンのお約束となっているのだが、それはさておき。

「アリサは特訓と称して俺の部屋に頻繁に出入りして、箱の収められた抽斗の鍵を開け、侍女たちを使いこれを盗み出した。それを自分の杖を盗まれたと騒ぎ、あんたに容疑がかかるよう仕向けた」

 訝しむ私に、ユマは淡々と、でもどこか怒りが垣間見える声色で話す。
 アリサも『聖魔の天秤』プレイヤーなら、私と同様予備のありかを知っていてもおかしくない。
 でも、そこまでして私を陥れたいなんて、ありえるのだろうか。

 私が聖女の力を持っていると知っていた?
 いや、それなら予備とはいえ杖を私の前に出したりはしない。
 そもそも嫌がらせ自体はハティエットが受けていたもので、私はあとから引き継いだだけに過ぎない。
 じゃあ一体どんな理由があるの? 単純明快に生理的嫌悪とか?

「俺もアリサの行動原理が何なのかまでは分からない。だが、リュイのドラゴン化は偶然でも故意でも、一歩間違えれば無関係な人間を巻き込む惨事が起きていた。このままアリサを聖女にしておくのは、個人的にも使徒としても好ましくない」
「では、アリサは……」

「俺に権限があればすぐにでも資格を剥奪したいが、残念ながらそれは不可能だ。下手に騒げば騎士たちの反感を買う。民衆もアリサの味方だし、暴動が起きればそれこそ歴史が歪んでしまう」
「身も蓋もないですけど、あとでリセットするなら問題ないのでは?」
「あまりに大筋から逸れてしまうと、別の世界が発生してしまう可能性がある。一本の川が枝分かれすれば、容易く一本には戻らないのと同じだ」

 歴史の分岐点が大きく異なると、パラレルワールドができちゃうってヤツね。これもよく聞く話だ。
 だからユマは、歴史の流れを正常に保つ役割を任されているってことか。

 となると、現行の歴史の中でアリサをどう扱うのかが問題だ。
 女神様とコンタクトが取れない以上、アリサを聖女から降ろすという選択肢はない。ユマの言う通り、騎士たちは随分アリサに入れ込んでいる様子だ。

 昨日見たロイやリュイは、純粋にアリサのために行動していた。
 純粋で盲目的な忠誠心、あるいは深い愛情が原動力だ。理屈でどう丸め込もうとしても反発されるだけで逆効果にしかならない。

 そもそも、アリサが彼らの人心掌握に長けているのは、私と同じくらい『聖魔の天秤』をやり込んできたからだろう。
 攻略対象を落とすための言動は頭に入っているだろうし、これから何が起きるのか把握しているなら、神のごとく振る舞って信頼と実績を勝ち取るのは容易だ。

 では、その驕りを逆手にとれないだろうか。
 予想外の出来事が起きればアリサも動揺してボロを出すかもしれない。
 しかし、それを歴史が歪まない程度に抑えるとなると、派手なことは起こせないわけだし、どうしたものか。

「先代の聖女……」

 ふと、さっきユマが自警団員に使った言い訳を思い出す。

 正しい歴史の流れとは、アリサがこれ以上問題を起こさず魔王封印を成し遂げることだ。
 女神様にとっては好ましくない結末だろうが、下手にパラレルワールドができるよりはマシだと思ってほしい。

 ともかく、その流れにもっていくためには、少々アリサにお灸をすえる必要がある。
 今を生きる人間が実行すれば禍根を残し、のちのち面倒なことになりかねないが、過去の人間ならば話は別だ。

 デウス・エクス・マキナ――古代ギリシャの演劇において、乱れたシナリオに調和をもたらす、ご都合主義の機械仕掛けの神。
 それを先代の聖女に当てはめて、アリサをぎゃふんと……ではなく、ちょっぴり懲らしめてやることはできないだろうか。

「……あんたも同じことを思いついたみたいだな」

 口の端に小さな自嘲的な笑みを刻みながらユマが言う。

「同じことって、先代の聖女を騙るってことですか?」
「ああ。とっさの嘘だったが、我ながら使える嘘だと思った。あんたに損な役割をさせるのは気が引けて、実行は悩んでいたんだが、その様子だと存外乗り気だな」

 い、いや、そこまでノリノリで考えてたわけじゃないけど、今までの鬱憤を晴らせると思うとちょっとウキウキしたし、その辺が顔に出てたかも。
 こんなに性格悪いのに、なんで聖女に選ばれたのか。

 モヤモヤした気持ちをごまかすように、私は手つかずの焼き菓子に手を伸ばす。
 木の実が練り込まれたクッキーは香ばしくて食感がいい。

「ところで今さら訊くのなんだが……あんたの名前を教えてくれ」
「ぐほっ……はい?」

 本当に今さらな問いかけに、クッキーの欠片が変なところに入りそうになった。
 立場的に侍女だから自己紹介の必要性は感じなかったし、あんたと呼ばれてても不自由がなかったから、別にいいかと思ってたんだけど……訊かれたからには答えるべきか。

「この体の持ち主はハティエットで、今話してる私は羽里です」
「ハリか。いい名前だな。あんたたちの世界ではガラスを玻璃とも言うんだろう。曇りなく透き通る様は、あんたの心をよく表現してると思う」

 な、何を突然真顔で言い出すの、この人は!
 こんな台詞発するようなキャラじゃないでしょうに!
 女たらしのキーリでも乗り移ってるとしか思えないキャラ崩壊ですけど!
 そもそも、私の心がきれいとかありえない。性格の悪さは今しがた自覚したばっかりだっての。

「顔が赤いが、やはり体調がまだ悪いのか?」

 さらに天然ボケで畳みかけてこないで!
 恋愛感情があろうがなかろうが、イケメンかつ大大大推しキャラに褒められたこともない名前を褒められて、平静でいられる方がおかしいの! いい歳した大人でも赤面くらいはするわ!

「い、いえ。ご心配なく」

 心持ち椅子を引いて距離を取る。
 勘違いするな、自分。私はヒロインじゃない。
 ユマは色恋御法度の使徒だ。単に素直な感想を述べただけだ。社交辞令って線もある。
 とにかく他意はないのだけは確かだ。心を無にしろ。

「それじゃあ、さっそく今夜から実行に移す。先代聖女の話題はすでに街中に広まってるだろうしな。アリサが戻ってこないうちに地盤を固めておきたい」

 いつの間に考えたのか、なかなかに練り上げられた作戦を淡々と伝えるユマは、さながら歴戦の指揮官のようだ。いや、格好的に名軍師か?

 作戦通りうまくいけば大成功だが、世の中どんな落とし穴があるかは分からない。
 特に私はボロが出れば一発でアウトだ。
 私はとっくに死んでるからいいけど、体の持ち主であるハティエットのためにもヘマはできない。

 気持ちを引き締め、今夜の作戦に臨む決意を固めた。
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