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第0話 夜が始まった日

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 しまった……!
 夜の路地裏を、一人の少女が駆けていた。
 彼女は『仕事』をミスしたのだ。先程までだった相手は、既に自らを狩るに変わっていた。
 如何に権力があろうとも、少女の身体ではならず者には敵わない。

「てめえっ」
「いやっ……離してぇっ」

 暗がりから現れた男に手を伸ばされて、少女は掴まれたブレザーを脱ぎ捨てた。ブラウスからはボタンが飛び、ネクタイには握り跡が付いた。

 少女は仕立ての良い制服を振り乱しながら、息を殺して影から影へ。
 男たちは合流して、その背中を追いかける。もう既に曲がり角はない。表通りまで走り抜けることはできないだろう。

 少女の未来は、閉ざされようとしていた。
 狩るものと狩られるもの、それが入れ替わる街。

 ここは西院房さいいんぼう――。
 壁の向こうの清浄なる学園都市から切り離された、汚穢と欲望に満ちた街。

「た……助けてっ! 誰かぁ……」

 少女は消え入りそうなか細い声を上げて、表通りに向かって走る。
 だが、その声に反応するものはない。この街にとって、女の叫び声など茶飯事に過ぎない。誰もが通り過ぎる、日常の一コマに過ぎない。
 少女の靴底が、何かを踏んだ。靴底が滑り、もつれた足は均衡を崩して地面に崩れていく。

 崩折くずおれた身体の上には、息を荒げた男達が馬乗りになる。

「やだっ、やだぁ……! 離して……! 離しなさい!」
「はぁ……はぁ……よくも俺たちを狙ったな……このクソガキがァ。生きて返さねえぞゴミ女」
「おい、ボスぅ。こいつ、なかなか上玉ですぜ。横流しする前に散々使っちまいましょうぜ」
「それもいいなァ。使えなくなったら臓器にしちまえばいいし」

 男たちは下卑た笑みを浮かべ、少女の衣服に手をかける。ブラウスを乱雑に破り開け、まるで菓子の包み紙でも破るように少女の肌を露わにしていく。

「わたしに、手を出してみなさい! あなた達なんて、すぐに足がついて……!」

 少女の視線は男たちの瞳をきつく睨むが、男たちはそれを聞いて腹を抱えて笑い始めた。

「で、それがどうしたんだよ。俺たちみたいなゴミは、いつか死ぬんだよ! それなら良い思いできる時にしとく方が得なんだよ。なんでも知ってる偉いお嬢ちゃんは黙ってな」
「ほんとわかってねえなあ。ここでは、命よりも快感の方が高いんだよォ」
「そ、そんな、意味がわからないわ! や、やめなさい……やめなさんっ――!」

 猿ぐつわのように口に下着を詰められた少女は、既に悲鳴すら上げられない。男の身体は徐々に近付いてくる。
 絶望のまま、少女は目を閉じようとした。
 その、瞬間だった。

 パン。

 柏手かしわで一つ打ったような、空気の弾けた音が響いた。
 闇を切り裂くような閃光が路地裏を照らす。
 少女は音の在り処を探るように、薄く瞼を開ける。

 馬乗りになった大男が、仰向けに転がっている。隣の小男は、なにが起こったのか理解できず、風見鶏みたいに首を振っている。

「なんだ……? 何があった?」
「ほい、キャッチ――」

 知らない声が一つ響く。それは小男の更に後ろからだ。
 少女は身体を起こし、後ずさると、小男の方を見つめていた。新たな敵かもしれない。警戒しなくては――。

 すると、奇怪な事が起こった。

 小男の身体が、二メートルほど急に下がったのだ。膝立ちのまま、まるでコンベアに載せられたように後方に。なぜだ――物理法則を無視している。

「アンド・リリースッ」

 その掛け声と共に、小男が飛んだ。
 比喩でもなんでもない。本当に、四メートルくらいの高度まで飛翔したのだ。そしていつの間にか頭を下にした降りてくると、自由落下でそのまま地面に突き刺さった。地面はコンクリートである。だのに、腰辺りまで埋まっている。

「ひ、ひぃっ……! なんだ、が来たのか……!? 西院房のバケモン――嘘だ……! 俺たちは運がいい男だぞ……ッ ありえねえ……」

 俺だけでも!
 そう叫び、今まで寝転がっていた男はみっともなく転がるように立ち上がると、表通りに向かって走り出した。

 パン。

 再び、音が鳴った。
 閃光が走る。男の身体が進行方向と逆に弾ける。
 瞬きの間、残像のように映ったのは、弾丸のように男にぶつかった何かがあったことだった。

 それは空中で何度も錐揉み回転をしながら、表通りに至る照明の下に舞い降りた。銀色の髪の猫のような金目の少女。あまりにも幼すぎるのに、彼女が大男にぶつかって弾き飛ばしているのだ。その体は小学生の低学年ほどか、それかそれ以下程度の質量しかないというのに。

「ナイス上海ッ仕上げるぜ」
「やっチャイナ!」
「おうっ」

 銀髪の幼女が誰かと話している。その人は、わたしの、後ろ――。
 閃光を上げた幼女は、先程コンクリートに人を埋めた人間とは違う。二人組なのだ。

 振り向いた少女は、初めてその少年の横顔を見た。淡い金色の瞳と、汚れた服と肌。みすぼらしいけれど視線はまっすぐと気高い。
 彼は転がった男に近寄りきらないまま、小さく重心を回して垂直跳びをした。その後、やはり。少年の腕の中に、彼よりもずっと大きい男が収まった。

 ジェットコースターのベルトみたいに男の身体を掴んだ少年は、やはりまた高く高く跳躍して、男を地面へ突き刺した。コンクリートには、網目状の亀裂が走っている。
 勝敗は、決していた。
 ここまで、一分も掛かっていない――。

「ありがとう――。でもあなたたち、何者なの」

 少年に飛びついて、銀髪の少女は彼の胸の中に収まった。少年の年はいくつだろう。しかし、どう上に見積もっても同年代くらいまでにしか見えない。

「何者って……何者でもねえよ」
「?」

 少女は言葉が理解できないのか、じいっとこちらを眺めている。

「じゃ、もうここに近付くなよ。危ねえから」

 少年は踵を返す。

「待って。お礼させて」
「礼って、要らねえけど」
「じゃあ、あの――わたしと、一緒に来てくれない?」
「飯か?」
「ええ、じゃあ、そうしましょう!」

 惚けた顔の少年は、少女とにやりと笑い合う。

「いっぱい食ってもいい?」
「え、ええ! なんでも! わたしが出すもの!」
「じゃあ、決まりだ」

 少年と少女は、表通りの光を浴びた。少年にとっては何年ぶりだろう――。

「あなた――名前は? その子の名前も」
「ああ、俺の名前――? それは……」

 二人の名前が交換されたその日――もう一つの夜が始まった。
 
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