『量子の檻 -永遠の観測者-』

葉羽

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4章

量子の迷宮

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目を覚ますと、そこは図書館だった。

霧島研究所の地下図書館。事件の痕跡を追って訪れたはずのその場所は、しかし、明らかに「普通」ではなかった。

「葉羽くん...ここ、どこ?」 彩由美の声が、不自然に反響する。

本棚が無限に続いているように見える空間。天井は闇に溶け込み、床は微かに発光している。そして、本たちが...

「動いてる」 俺は息を呑む。

棚の本が、まるで生き物のように微かに蠢いていた。背表紙の文字が流れ、ページがひとりでに捲れる。そして、それらの本から漏れ出る光が、俺たちの体の模様と共鳴するように輝き始める。

「これは...霧島教授の研究記録?」 手に取った本を開くと、文字が踊るように変化していく。

『量子もつれによる意識転送の理論的考察』 『観測による実在の固定化と多世界解釈の実証』 『意識の量子的性質に関する実験報告』

「葉羽くん、これも!」 彩由美が手にした本には、より衝撃的な内容が。

『実験被験者報告:神藤葉羽、望月彩由美』 『観測日時:未定』 『実験状況:継続中』

「まさか...」 俺は背筋が凍る。 「この本は、未来の記録?」

その瞬間、図書館全体が振動し始めた。本棚が波打ち、天井から異様な光が降り注ぐ。

「誰か...来る!」 彩由美が俺の袖を掴む。

足音。しかし、それは通常の足音ではない。まるで複数の次元から同時に響いてくるような、重層的な音。

そして、現れたのは...霧島教授自身だった。

いや、正確には「霧島教授たち」と言うべきか。同じ人物が、わずかにずれた位相で重なり合いながら、複数同時に存在している。

「よく来てくれました」 教授の声も、複数の音が重なり合っている。 「私の実験の核心へ」

「教授...あなたは死んでいないんですか?」 俺は震える声で問う。

「死?」 教授たちが不思議そうに首を傾げる。 「私は死んでいませんよ。むしろ、永遠に生きることに成功した。ここで」

教授の手が空中を指す。そこに、複雑な数式が浮かび上がる。

「量子の檻」 俺は呟く。 「これが本当の姿...」

「その通り」 教授たちの姿が徐々に一つに収束していく。 「意識を量子状態で保存し、複数の実在を同時に生きる。これこそが、人類の次なる進化の形」

突然、彩由美が苦しそうに膝をつく。

「彩由美!」

「大丈夫...だけど」 彼女の体の模様が激しく明滅している。 「何か、見えるの。たくさんの...私」

教授が静かに頷く。 「始まっていますね。量子共鳴」

その時、図書館の本すべてが一斉に開き、ページが舞い上がった。無数の文字が空中を漂い、渦を形成し始める。

「しかし」 俺は必死に思考を保とうとする。 「これには致命的な欠陥がある。研究所で見た装置の構造から分かる...」

教授の表情が変わった。

「さすがですね」 その声は、もはや教授のものではなかった。 水沢真理の声だ。

「でも、もう遅い」

空間が急速に歪み始める。本の渦が俺たちを包み込み、意識が引き裂かれそうになる。

最後に見たのは、教授と水沢の姿が重なり合う光景。そして...渦が収まった時、図書館は一変していた。

本棚は消え、代わりに巨大な実験装置が現れる。その中心には、球状の透明なチャンバー。そして、その中に...

「これは...」 俺の声が途切れる。

チャンバーの中には、無数の「水沢真理」が浮遊していた。それぞれが微妙に異なる表情を持ち、異なる時間軸に属しているように見える。

「理解できましたか?」 背後から声がする。振り返ると、最初に会った時の水沢真理がいた。 「これが、霧島教授の実験の真の目的」

「人間の量子複製」 俺は呟く。 「しかし、それは物理法則上...」

「不可能?」 水沢が笑う。 「確かに、量子複製は理論上不可能です。でも、教授は別の方法を見つけた」

彩由美が突然、叫び声を上げる。 「葉羽くん、私の体が...!」

彼女の体が微かに透明化し始めていた。そして、複数の「彩由美」が重なって見える。

「これは予想外」 水沢が眉を寄せる。 「共鳴が早すぎる」

「説明しろ」 俺は必死に冷静さを保とうとする。 「この実験の本当の目的を」

水沢は深いため息をつく。 「人類は、三次元の檻に囚われています。時間という一方向の流れに束縛され、量子的可能性を閉ざされている。教授は、その限界を超えようとした」

チャンバーの中の「水沢たち」が、まるでそれに呼応するように明滅する。

「でも」 俺は反論する。 「そのために必要なエネルギーは...」

「そう」 水沢が俺の言葉を遮る。 「膨大なエネルギーが必要です。そして、その源として選ばれたのが...」

「人間の意識」 俺は唐突に理解した。 「俺たちの体の模様は、その証」

水沢が静かに頷く。 「あなたたちは、既に実験の一部。意識のエネルギーが、少しずつ量子の檻に吸収されている」

その時、図書館全体が激しく振動し始めた。

「制御不能!?」 水沢の表情が変わる。 「まさか、意識の共鳴が臨界を...」

チャンバーにヒビが入り始める。「水沢たち」が不安定に揺らめき、空間そのものが歪みだす。

「彩由美を...彩由美を戻せ!」 俺は叫ぶ。

しかし、もう遅かった。

チャンバーが爆発的に破裂する。無数の「水沢」が空間に飛び散り、現実が万華鏡のように砕け散っていく。

その混沌の中で、俺は彩由美の手を必死で掴もうとした。

彼女の姿が、徐々に霧のように拡散していく。 「葉羽くん...私、どうなるの...?」

その時、俺の脳裏に閃きが走った。 装置の構造、水沢の言葉、そして最も重要な...

「分かった」 俺は叫ぶ。 「これを止める方法が...!」

しかし、その言葉を最後まで言う前に、空間が完全に崩壊を始めた。

最後に見たのは、水沢の焦りに満ちた表情。そして、チャンバーの破片に映り込んだ、決定的な証拠。

この実験には、誰も予想していなかった「別の目的」があった。

そして俺は、その真実にたどり着きかけていた...。
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