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エルフの森の姉妹

494:もう一度

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 ──コンコンコン。

 部屋についてしばらく経つと、扉を叩く音が聞こえた。

「は~い。どちら様~?」

 その音に反応して、紙で埋め尽くされた机に向かって例の魔術を考えていたケイノアが顔を上げて返事をする。

 普段なら何かに集中している時は声をかけても気づかないのだが、今は行き詰まっていたからすぐに返事をできたのだろう。

「お姉さま。私です」
「……シアリス!?」

 そうして呑気な声で誰何したケイノアだが、返ってきた声を聞いて一瞬呆けたように間を作ると、ガタリと音を立てて椅子から立ち上がり叫んだ。

「お父様から伝言をお持ちしました」

 だがそんなケイノアの慌て具合とは対照的に、扉の外にいるシアリスは抑揚のない声で淡々と話している。

「え、ちょ、ちょっと待って! 今──」
「そのままで結構ですので、お聞きください」

 慌てながら扉を開こうと足を踏み出したケイノアを制するかのように、シアリスは姉の言葉を遮って話す。

 そんなシアリスの言葉を聞いたケイノアは、先程の慌て具合は何処へやら、ピタリと動きを止めてしまった。

 だが部屋の中の様子は見えないからか……シアリスはなおも淡々と話を続ける。

「アンドーさん達の滞在を認めるそうです。ですが、一部の区画への侵入禁止、および住民への過度の接触の禁止とのことです」
「……」

 そんなシアリスの声にケイノアはなんの反応もなく、見てみるとケイノアは動きを止めた状態のまま変わらずにドアを見ている。

「その一部っていうのは?」

 シアリスの言葉になんの反応もすることもなく黙ったままのケイノアの代わりに、俺はシアリスに問いかける。

「研究区画、管理区画、それから氏族長とその後継のみが侵入を許された禁止区画です。それ以外はご自由に行動してくださって構いません。お部屋もこの部屋の隣に用意させましたのでご自由にお使いください。食事は時間となりましたら担当の者がお伺いしますので、必要であれば申し付けください」

 伝えるべきことはそれで終わったのだろう。シアリスの声はそこで止まった。

 シアリスの声は止まり、ケイノアも未だ動き出せずに止まったまま。

「……それでは私はこれで失礼します」

 そんな状態で一分はたっただろう。ドアの向こうにいたシアリスがそう言うと、その気配が離れていった。

「あ……ま、待って! ねえ、待ってよシアリス!」

 このまま放っておけば、妹はまた自分から離れていってしまう。
 そう危惧したのだろうか。ケイノアはハッと意識を取り戻すと、足を縺れさせながらもなんとか転ぶことなくドアノブへと手をかけ、勢いよくドアを開けると転げるように廊下へと飛び出た。

「どうかされましたか?」

 だがそんな様子のケイノアに返ってきたのは、変わらずに淡々とした妹の声。
 部屋の中にいる俺たちからはケイノアの様子は見えても、ドアの前から離れてしまったシアリスの様子は見えない。だが、彼女が今どんな表情をしているのかはなんとなく予想がつく。
 おそらく、彼女はまた感情を感じさせない作り物のような顔をしているのだろう。

「あ……えっと……」

 今までもう一度シアリスと仲良くしたいがために頑張ってきたケイノアだが、いざ目の前にすると何を言っていいのかわからないのだろう。
 言葉に詰まったケイノアはいろんな方向へと視線を向けて迷ったような様子を見せたが、ついに決心がついたのか、ケイノアはシアリスのいる方を見据えて口を開いた。

「私は今──」
「ああ、そういえば一つ言い忘れていました」

 だが、そんなケイノアの言葉はそれまでよりも僅かながら強い語調で話されたシアリスの言葉によって遮られた。

「この度は次期氏族長の決定、おめでとうございます」
「……え?」

 氏族長の決定? その件はまだ決まっていなかったはずじゃなかったか?
 内定はしていただろうし、この地のエルフ達も皆そう思っていただろうが、それでもまだ正式に発表があったわけではないとケイノアは言っていた。

 それなのに、なぜ突然シアリスはそんな事を?

「人間とはいえ、強力な力を持つ者と繋がることのできるお姉さまは氏族長として問題なくやっていけると判断されたようで、お姉さま方がいなくなられたあと、お父様が宣言されました」

 つまり、俺達が力を見せ過ぎたことが原因だと?

 ……なんだそれは。氏族長と言うのは、決められた手順を踏んで初めて認められるものじゃないのか? やつ自身、そう言っていたじゃないか。

 今回ここにきたのは俺たちの影響だが、ケイノアは次期氏族長の身分を捨て、妹と和解して再び笑い合うことを目的としてここまで戻ってきた。

 だと言うのに、向こうは自分で言い出したルールを無視してそんな想いを踏みにじっただと? そんなふざけた話があっていいのかよ。

 俺がその事を決めたであろう氏族長であり目の前にいる姉妹の父親であるケルヴェスに怒りを感じていると、ケイノアはギギギッと錆び付いたかのように重い動作で俺たちへと視線を向けたが、その顔は呆けたように口が開かれていた。

「ご友人や才能に恵まれたお姉さまであれば、誰も、なんの文句も言うことはないでしょう。…………私と違って」

 そうして吐き出された最後の言葉には、はっきりとシアリスの感情が込められており、そんな妹の言葉を聞いたケイノアはハッとしたように再びシアリスへと向き直った。

 そしてゆっくりと首を横に振りながら震える唇で言葉を紡ぎだす。

「わ、私は……そんなものいらない。ねえ聞いて、私、今氏族長にならなくて済む方法を探してるの。あいつらだって、そのために来てくれたのよ。だから私は氏族長なんかにならなくても──」
「お姉さまはいいですね。私が欲しいものをそんなに簡単に捨てることができて」

 だがシアリスは、ケイノアが必死になって紡ぐ言葉すら最後まで聴くことなく、感情をにじませた声で遮った。

「私は、お姉さまが羨ましいです。私がいくら努力しても手に入らないものをいくつも持っていて……今回も、どうにかするためにわざわざこのような僻地にまでついてきてくださるご友人にも恵まれて……。ご自身では気づかれていないでしょうけれど、人を惹きつける魅力も持っていらっしゃる。すごいですよね。小さい頃からお姉様の背を追いかけてきましたが、何をやっても届かない。全然届かない。お姉さまは私とは全然違う。姉妹だというのにっ、全然、違う」

 最初はうっすらと感情が滲み出ていただけの言葉。
 だが、それも進んでいくにつれて言葉に宿るシアリスの感情は強くなっていった。

 もうここまでくると、先ほどまでドア越しに俺たちに話しかけていた者と同一人物が話しているのかわからなくなってくるほどに、そう話す声には暗い人間味のある感情が宿っていた。

「私だってこんなことは思いたくはありません。こんな、醜悪な感情を撒き散らすだなんて……。私だって、もっと。もっと……」

 そこでシアリスの言葉は聞こえなくなり、代わりに小さく嗚咽が聞こえたかと思うと、数秒後には小さく何かがぶつかる音が聞こえた。今のは壁からだろうか?

 そして再びシアリスが話し出す。

「ですがそれでも止まらないんです。お父様からお姉様の監視を命じられ、お姉さまの様子を見るためにそばに居るようになった時も、常に心のどこかではお姉様の存在を疎ましく思っていました。お姉さまを見ているだけで……当たり散らしてしまいたくなるほど不快な気持ちが溢れてくるんです。でもそんな事を思う自分が嫌で、もっと不快な気持ちが溢れてしまう。……私は、お姉さまのことが、本当に……ああ、本当に──妬ましい」

 今までの言葉にも感情は篭められていたが、その言葉の最後だけは違った。
 シアリスの紡いだ最後の言葉だけは、その短い言葉の内にはそれまでの言葉など比較にならないほど、重く、深く、暗い感情が込められていた。
 それは、直接言葉を向けられわけではない俺でさえもが思わずゾッとするようなものだった。

 二人の間にあるのはよくある姉妹間の優劣の話だ。
 程度は違えども、兄弟、姉妹のいる者なら感じたことはあるだろう。

 だが、そんなありふれた感情も、百年も重ね続ければこれほどまでに重くなるものなのか……。

「お見苦しい姿を見せました。それでは皆さま、失礼いたします」

 そのまま数分が経ち、シアリスはドア越しに俺たちに話しかけてきた時のような感情の感じられない声でそう言うと、それ以上は彼女の声は聞こえなくなった。おそらくは去って行ったのだろう。

 そんなシアリスが去った後も、ケイノアはその場に座り込みながらシアリスがいたであろう方向を見続けている。

「……退いて」

 その後、ケイノアはしばらくするとふらふらと立ち上がり部屋へと戻ってきたが、その視線は虚で、何も写していなかった。

「ケイノア……」
「静かにして頂戴」

 そんなケイノアが心配になり声をかけようと思ったのだが、何を言えばいいか分からずに戸惑いがちにかけた言葉は、ケイノアらしくない静かな暗い声によって止められてしまった。

 だが、俺はそれでも放っておくことができなかった。

 だから俺は一度深呼吸をすると、ふらふらと机に向かって歩いていくケイノアの背に声をかけた。

「お前は、このままでいいのか?」
「うるさい! 静かにしてって、言ってんのよ!」

 俺がそう言い終えた瞬間、ケイノアは怒声をあげて机の上にあった紙の山を思い切り払い、シアリスを氏族長にするためにと考えてきた魔術を書き記した紙を床にぶちまけた。

「……なんでよ。なんでこんなことになってんのよ。私は力なんていらなかった。ただあの子と笑っていられればそれで良かった。毎日遊んで、食べて、笑って。それだけでよかったの!」

 ケイノアはその場に崩れ落ちると乱暴に髪を振り乱し、涙をこぼしながら悲痛な声を上げて叫んでいる。

「それなのにどうしてあんな事を言われないといけないの!? どうしてあの子はあんな目で私を見るの!? たった一人だけの妹なのにっ! どうして私はあの子と争わないといけないのよ!?」

 一頻り叫んだからか、ケイノアはのそのそと立ち上がると、床にぶちまけられた紙の上を歩いてベッドへと向かって歩き出した。

「……いや。もういやよ。こんなのが現実だって言うんなら、私はずっと夢の中でいい。ずっとずっと、夢の中の方がいい」

 ベッドに手をついて寝ようとしたケイノア。

「お前、何馬鹿な事を言ってんだ」

 だがそんなケイノアの肩を掴んで強引にこちらに振り向かせると、その顔を正面から見据えて話しかける。

「お前はそれをどうにかするために今まで頑張ってきたんだろ? 思い出せよ。お前は、なんのためにここまで戻ってきたんだ! またシアリスとなんの蟠りもなく笑っていられるようになるためじゃないのか!?」

 そのためにこいつは何年も前から方法を探してきて、やっとその方法を一応の完成まで漕ぎ着けた。
 だと言うのに、これまで頑張ってきたのに、それをなんの意味もなくすてるだなんて、そんなことは認めたくない。

 一生懸命頑張ったのだ。辛い思いをして、苦しんで、それでも耐えて頑張ってきたのだ。
 だったら、最後には救われなければ、そんなのは救いがなさすぎる。

 俺はそんな事を認めない。
 どれほど苦しく、辛いことがあっても。
 どれほど理不尽や不条理に襲われたとしても、誰だって幸せになる権利はあるはずだ。
 だから頑張ったやつは最後には救われてほしいし、幸せになってほしい。

 それなのに、努力は報われず、絶望と悲嘆で泣いて終わるだなんて、そんなもの、俺は絶対に認めない。

 だが、そんな俺の思いもケイノアに届くことはなく、ケイノアは俺から視線を逸らして肩を掴んでいる俺の手を払うと俺の体を突き飛ばし、ボスンと乱暴にベッドに座った。

「だって、あんたも聞いてたでしょ? あんなふうに思われてたのよ? 仲良くしたいなんて思ってたのは私だけで、今更私が何を言ったところで──」
「ケイノア。いいからやりなさい。やってダメなら、その時に死になさい。何もせずに嘆いて終わらせるなど、私は許しません」

 だが、そんな諦めを口にしたケイノアの言葉をイリンが遮った。
 そしてイリンはケイノアの前に歩みでたのだが、その表情は怒っているように歪められていた。

「イリンの言葉はちょっと過剰だけど、そうね。どうせ諦めるなら、やらないで諦めるんじゃなくて、やってみて、それで失敗してから諦めるべきね」

 そんなイリンに続き、環までもがケイノアの前に立った。

「でも……」

 イリンと環に言われ、だがそれでもまだ迷いをみせているケイノア。

 そんなケイノアの肩をイリンが掴み、自分と正面から向き合わせた。

「いい加減になさい。どうせ何もしなければ何も変わらないのです。現状に不満があるのなら、伝えたい想いがあるのなら、動きなさい」
「動けば何か変わるかもしれないわ。私は自分の願いを叶えるために動いたわ。そして変えた。望む未来を掴んでみせた。だから貴方も望む未来があるのなら、まずは行動するべきよ」
「それでもまだ何かぐだぐだ言うようなら……」

 イリンはそこで一旦言葉を止めるとケイノアから手を離した。そして……

「叩きますよ」
「燃やすわよ」

 イリンは顔の前に拳を持っていき、環は右手に小さな炎を生み出しながら、笑いなど一切感じられない真剣な表情で言い放った。

 二人からそんなことを言われたケイノアは、ベッドへと背中から倒れ込むと、腕で顔を覆い隠した。

「…………できると、思う? ……また、あの子と笑ってられると思う? 今度は……今度こそは心から笑い合えると、本当に思う?」

 イリンと環の言葉を受けて、ケイノアは顔を覆ったまま震える声で問いかける。

 が……

「いいえ? 何をしたところで、完全に蟠りが消えることは難しいと思います」
「え……」

 それは正しいのだろうが、あんまりと言えばあんまりなイリンの言葉に、問いかけたケイノアも驚き、微かに動いていた体はピタリと止まってしまった。

 そんなケイノアの反応も仕方がないだろう。俺だってイリンの言葉に驚いている。

「ですが、それがどうしたのですか? あなたは、その程度で自身の願いを諦めるのですか? それを本当に願うのなら、誰に何を言われたところでやればいいではないですか。諦めなくてはならない理由など、どこにもないのです」
「何度失敗したとしても、あなたが諦めない限りいつかは願いは叶うわ。そう信じなさいよ。私たちは、その手伝いをするためにここにきたのよ。だから、あなたの願いを掴みましょう? できるかな、じゃなくて、絶対にできると信じて。やってやると」

 ケイノアは自分へと語りかける二人に、顔を覆っていた手をどけて少しだけ体を起こすと、呆然とした顔を向けた。
 そして口を結んで俯き、再びベッドへと倒れ込んだ。

「あんた達ってさ、いつもそんなに厳しいの? そのうち辛くなってアキトに逃げられるんじゃない?」

 そしてそう言ったのは強がりからだろう。この少しの時間であれだけの不安がきれいになくなるなど、あるはずがない。
 だがそうだとしても、ケイノアはもう一度立ち上がることを選んだ。

「でも、ありがと。もうちょっとだけやってみるわ」

 ケイノアはそう言うと大きく深呼吸をし、跳ね起きるように勢いよく体を起こして立ち上がった。

「だから、そのために協力しなさい!」
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