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聖女様と教国

465:聖女の帰還

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 数日の船旅を終えて辿り着いた先は、俺たちがこの前までいたギルド連合国のものと同じ家が立っていたので、ここが本当に教国なのかと思ってしまった。
 俺たちが操作したわけじゃないし間違えることがあるはずがないんだから、ここは教国で合ってるに決まってるんだけどさ。

 まあでも、国が違うって言っても隣なわけだし、それに港町なんてのはどこも似たようなものなのかもしれないから特におかしなことでもないか。

「ようこそ! ここが我が故郷である教国でっす! 陰謀や暗殺なんかあるかもしれないけど、存分に楽しんでください!」

 降ろしてもらった馬たちを回収し、乗せてくれた船の船長とマイアルの部下の人に挨拶をしてから港から離れて歩き出すと、突然目の前のバカがそんなことを言い出した。

「ちょっ! そんなこと言っていいの!?」

 そんなミアの言葉に環は慌てたようにミアを諫めるが、ミアはなんでも無いかのように笑っているだけだ。

「へーきへーき。音消しの魔術は使ってるし、口元も読まれないように喋ったから」

 そう言われてよくよく周囲へと感覚を巡らせると、うっすらとだが異常な魔力の流れを感じた。
 喫茶店の時も驚いたが、こいつは魔術の扱いがかなり上手い。その繊細さは俺や環なんかよりも圧倒的だ。まあ俺たちの場合は勇者としての力でゴリ押し照るところがあるから比べものにならなくても仕方ないけど。

「で、まずはどこに行くんだ? 話は聞いてたが、俺たちは地理に疎いから案内してもらわないとさっぱりだぞ」

 このあとは適当に準備を整えて大聖堂──聖女と教皇の住むこの国の中心へと向かう予定だ。
 だが船を降りて教国にたどり着いたはいいけど、俺たちはこの地は初めてだ。当然ながらどこに何があってどっちに進めばいいかなんてわからない。

「あー、とりあえずこっちこっち。私ってば結構有名人だからね。ここでは任せてくれれば万事オッケーよ!」
「不安しかないな」
「ひどいですね。でも、そんなことを言ってられるのも今のうちですよ」

 突然丁寧な言葉遣いに変わったミア。そのことに違和感を感じて首を傾げるが変えたからには理由があるのだろう。
 それに船に降りる前に着崩していた法衣もしっかりと着直したし、多分だがこれからは聖女として猫をかぶるということなんだろう。……相変わらず所々擦り切れたりとボロいままだが。

 言葉遣いも服の着方も、歩き方さえ変わってもその自信満々な様子は変わることなく、俺はそんなミアに若干の不安を感じつつも、目の前を先導するように歩いているミアの後をついていった。

 ミアは何かを探しているようで、歩きながら顔をキョロキョロと動かしている。

「あっ、いた!」

 しばらく海沿いを歩いていると、目当ての誰かを見つけたようでそんな声を出した。

「すみません。少々よろしいでしょうか?」

 そしてミアはその目的の人物らしき人に小走りに近寄っていくと、やはり丁寧な態度で話しかけた。

「あん? なんだよ。これから魚が──あ、ああ……」

 海辺の小屋の前で何人かと集まっていた老人は魚を手に作業をしていたが、背後から呼び掛けられたことで嫌そうな声を出しながら振り返った。
 だがその言葉は途中で止まり、声にならない、掠れた嗚咽のような声を漏らした。

「お久しぶりですね。覚えてくださっていてよかったです。一度だけですので、てっきり忘れられてしまったかと思──」
「聖女様!」

 ミアがまだ話している最中だったが、その途中で老人が持っていた魚を放り出してミアに縋り付く。

「おお、生きて……生きておいでだった……」

 海沿いで作業していたために放り出した魚は海へと落ちていったが、老人はそんなことを気にしていない様子でミアに縋り付いたまま泣いている。

 多分だが、この人はミアが死んだと思っていたんだろう。そしてそれは多分この老人だけではなくこの国のほぼ全員がそう思っているはずだ。

 ミアはそんな老人を無理に剥がすことなくその肩に手を置いて困ったように、だがどこか嬉しそうに微笑んでいた。



「申し訳ありません。年甲斐もなくみっともない姿を見せちまいました。それに聖女様にとんだご無礼を……」

 しばらくして老人は涙を止めると、自分が聖女に縋り付いていることを思い出し慌てて離れ、まさに平身低頭という感じで土下座をして自身の失態を詫びた。

 だがミアはそんな老人に微笑みながら首を横に振り、その場に膝をついてしゃがみ込むと老人の手に自分の手を重ねた。
 そして優しげな声で語り出す。

「みっともなくなどありませんよ。誰かのために涙を流すことができるというのは、とても素敵なことです。私のために泣いてくださったのでしょう? ありがとうございます」
「もったいないお言葉です」

 そんな光景を見て、俺は言葉が出なかった。
 なんか、もう、なんていうか……うん。本当に言葉がない。

「……なあ」
「……はい」
「……何かしら」

 だがそれは俺だけではないようだ。今のミアの姿を見て言葉が出ないのは、俺だけではなくイリンと環も同じのようだ。

「一つ聞きたいんだが……あれは誰だ?」

 目の前にいるのは確かにミアのはずだ。さっきまで一緒に歩いていたし話していた。その言葉遣いや態度なんかは変わっても性格まで変わることはなく適当にバカ話をしながら歩いていたのだが、今目の前にいるのはそんなミアとはかけ離れていた。

 確かにもともと見た目はかなり整っていたし聖女様と言われても納得できるものだった。だが初対面のこともあって俺の中ではミアのことを聖女とは見れないでいた。

 だがそれも今はどうだ? 

 服はボロく、所々擦り切れ、決して綺麗な格好をしているというわけでもなく、劇的に何か見た目が変わったと言うわけではない。
 だがそれでも、今目の前で跪く老人に微笑みながら手を差し伸べている女性は紛れもない『聖女様』だった。

「ミア、ですね」
「幻じゃないわよね?」

 二人もあのミアの姿に混乱しているようで、環なんかは幻じゃないかと疑いまでしている。
 だがそんな環の気持ちも十分に理解できる。

「いくらなんでも詐欺だろ……」

 俺の言葉に両隣にいた二人も頷いている。

「──はい。それで一つ頼みたいことがあるのですが……正直にいうと少し危険があるのです。なので……」

 俺たちがそんなふうに混乱している間にもミアと老人の話は進んでいた。

「貴方様の頼みであればこの老体、命を捧げましょう」
「そうまで言ってくださるのはありがたいのですが、命は大切にしてください。……私が頼みたいことは、旅の装備と聖印を用意して欲しいのです」

 ミアの言葉を受けて、頭を上げた老人はまるで騎士が王に忠誠を誓うかのように曇りのない瞳でミアを見つめて宣言した。
 だがミアはそんな老人の言葉に微笑みながら首を振った。

「旅の装備と聖印ですか」

 聖印とは教会の信者であることを示すための飾りで、まあ十字架みたいなものだ。それがあれば何かの得をする、というものではない。どちらかというと得をするためのものではなく、持っていないと損をする類のものだ。
 これから教国内を進んで行く聖女様一行なんだから聖印くらい持っていないと話にならないということで、手に入れようとしたわけだ。

「はい」

 老人の呟きにミアは頷くと、直後、予想外の事を言い始めた。

「……実は、五十人ほどの王国の兵に殺されかけてしまいまして」
「……は!?」
「命からがら逃げ出したのですが、賊に捕まり他国へと売り払われそうになったのです」
「な、ななな……」
「そこで助けてくださったのがこちらの方々です」
「おお……!」

 老人はさっきからろくに言葉にならない反応しか返していないが、その気持ちは俺にもわかる。

 だが、ミアのやつなんでこんなところでそんなことを話してんだ? こんなところで話せば敵側に聖女が生きてるって漏れるってのに……まったく、わけがわからない。

 だがそんな俺の疑問に答えることなどなく、ミアは老人に向けて話を続けていく。

「私はこれから大聖堂に行って現状を確かめなければなりません。王国の兵をこの国に入れたのは教皇様ですが、もし私を襲ったのが王国の兵ではなく何者かの偽装によるものであったとしても、それがなぜ行われたのか調べなければなりません」
「それは教皇が兵を……」
「いいえ、それは違います。確かにあなたのおっしゃる通りその可能性が高いですが、まだ可能性です。ですから私はそれを調べなければならないのです。何がこの国に住む者への害となっているのかを」

 今のミアのセリフ、疑う老人の言葉に対して教皇をフォローしているように感じるが、その実、ミアも教皇が犯人であると思ってるって言ってるようなもんだよな。

「そのためには色々と必要なのですが、私は襲われた際に聖印を落としてしまいましたし、この方々は実力は確かですし信頼もできるのですが、外国の方ですから聖印を持っていないのです。……ですが貴方に頼めば貴方まで危険に晒してしまう恐れがありますので、協力するかはあなたが──」
「構いませぬ! この身は一度貴方様に助けられた命! 貴方様をお守りするためであれば、捨てることに何を迷うことがありましょうか!」
「ありがとうございます」

 意気込む老人の叫びに反応して 周りにいた者たちも立ち上がり気炎を上げた。
 それに対して、ミアは聖女らしく微笑んでいた。




「ありがとうございました。無事にが終わった時は……その時はまたおいしいお魚をいただきに来ますね」

 ミアが老人に話してから一時間程度で用意された旅の道具を受け取って、俺たちは馬車に乗り込んだ。
 馬車は当然ながら俺たちが以前から乗っていたものだ。ちゃんと馬も船に乗せて連れてきたのだ。
 流石に馬車を一から用意するには時間がかかりすぎるしそれに、今更普通の馬車に長時間乗っていたくない。あれば尻と腰が痛いんだ。何気に全身が疲れるし。

「はい! この程度のことしかできず心苦しい限りですが、その時は最高の料理と酒を用意して待っております!」

 そうして俺たちは……というかミアは街の出口を塞ぐほどの港の住民に見送られて、大聖堂へと進み始めた。

 港を出てしばらく進んだところで、未だニコニコと聖女様スマイルを浮かべてお行儀良く座っているミアに話しかける。

「……なあ──」

 今後はずっとその態度でいくのか? と尋ねようとしたところで、俺の言葉はミアによって遮られてしまった。

「あー、疲れたー! 聖女様も楽じゃないよね、ほんと……あ、ごめん、何か言いかけてた?」
「……や、なんでもない」

 しかし同時に、そんなミアの態度と言葉で俺の聞きたかったことも解消したので、俺は首を振ってミアの問いを否定する。

「そう?」

 首を傾げているミアに、話題を変えるためにもう一つ気になっていたことを尋ねる。

「というかあれはよかったのか? さっきの人に教皇のことを教えてただろ?」
「いいんだよ。あれはあれで。ああして話しておけば、教皇が悪いって話が広まるからね。噂ってのは重要だよ? 広げるにしても、集めるにしてもね。周りで聴いてた人たちもいるから、あの人だけを殺して隠蔽っていうのもできないし」

 まあ、いくら教皇と言えど、流石に村一つを潰すことなんてできないだろうな。

 ……しかし噂か。今回話したことが広まるとしたら、敵側は大変だろうな。ただでさえ民衆は聖女の味方なのに、敵側の悪い噂が広まれば更に味方が多くなるんだから。

 一度噂が広まってしまえば、いくら教皇側が弁明しようと国民は納得しない。聖女が正しくて教皇が悪だという先入観があるから。

 こういうのは先に言ったもん勝ちだ。この世界では平民の学はないわけじゃないけど、高くはない。しかも情報収集方法が口頭による噂話くらいしかないから、最初に聞いた話が真実だと思ってしまう傾向が強い。
 日本でも自分が最初に聞いた情報こそが真実だと思う人はいたけど、こっちではそれがより顕著な感じだ。

 そして平民からすれば偉い奴が後から何を言おうと、それは先に聞いた真実を誤魔化すための言い訳でしかないのだ。

 そういう意味では良い手だと思う。聖女が正義だと擦り込めるんだから。まあ、問題がないわけではないけど。

「この後もいくつか村によるけど、その時も同じような感じで行くよ」
「教皇側にバレる心配は?」

 そう。噂を広げるのは構わないが、バレてしまうということが問題だ。
 このまま同じ感じで行くのだとしたら、ミアの存在が敵側にバレてしまうことになる。いずれはバレるだろうけど、それはできる限り遅らせたほうがいいんじゃないかと思うんだが……。

「あるけど、何か問題ある? どうせ大聖堂に着いたらバレるんだし、どうでも良くない? それに、私たちがたどり着くよりも前にバレてたなら、それはそれでいいんだよね。私たちがたどり着いた時の教皇の準備の程度で敵がどこにいて私たちの話を聞いたのかがわかるし。私たちがつく前に私の生存を聴いてたってことはそこには敵の手が潜んでるってことだから」

 だがミアはあっけらかんとした態度でそう言ってのけた。

 でもそうか。教皇の手がどこまで伸びてるかの確認か……なるほど。

「……いろいろ考えてるんだな」
「ひどいなー。私、元は孤児だけど、これでも聖女様だよ?」

 そんな風に話しながら俺たちはほぼ直線の道を進んで、途中で立ち寄った村での滞在もそこそこに数日の旅を経て大聖堂とそれを囲むようにしてできているこの国の首都へとやってきた。

「ああ懐かしき大聖堂。我が家よ。私は帰ってきたぞー!」

 窓の外を覗きながらそんな風に冗談めかして言ったミア。
 俺もつられて窓の外を覗いてみると、遠目にも分かるほどにでかい建物が街を囲んでいる壁の中に二つ立っていた。
 最初は二つ? と疑問に思ったけど、大聖堂の他に城があることを思い出して納得した。

「……これでやっと、あのクズどもにお返しができるよ。精一杯楽しんでもらわないとね」

 そんな声が聞こえて窓の外から中へと視線を戻すと、ミアが胸の前で何かを握りしめながら大聖堂を睨んでいた。
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