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王国との戦争

310:二人の話し合いの後

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 どうやらイリンは治療着からいつものメイド服に着替えたようで、部屋から出てきた時にはすでにどこも悪くなっていない、いつものイリンのように見えた。
 ああでも、今までは短くなっていた尻尾が見えないように服に穴を開けたりはしてこなかったが、これからはそう言った細工というか一手間必要になるのか?

 俺はそんなことを考えていたのだが、突然イリンが俺のことを見つめて口を開いた。

「申し訳ありませんが、一度この方と勝負をしてもよろしいでしょうか?」

 イリンと環ちゃんが思ったような争いはしなかった事でホッとしていたというのに、イリンはそんな俺の安心をぶち壊すかの様な提案をしてきた。

「け、喧嘩は……」
「ご安心ください。話し自体は既につきました。ですが、このままではこの者も感情の収まりがつかないでしょう。ですので、試合を行いたいと思っております」

 俺は止めようとしたのだが、それはイリンによって遮られてしまった。
 試合って言っても、さっきまでの二人の様子を見ている限りだと絶対にそれは試合の範疇に収まるとは思えない。

「私からもお願いします」
「環ちゃん……」

 これも当然というべきか、環ちゃんまでもがイリンと同じように試合をさせろと言ってきた。

 ……まあ、このままでは収まらないというのも納得できるし、理解もできる。だがそれでも、出来ることなら二人に戦って欲しくはない。

 俺は数秒ほど考えた後、二人を見据えて口を開いた。

「……試合をすれば、それ以上は何もしないと約束できるか?」
「はい」

 そう返事をしたのはイリンだったが、環ちゃんの目も、どうあっても戦いをやめる事はないのだと語っていた。

 俺はため息を吐くと、二人の願いを渋々ながら承諾をした。

「……ならチオーナに頼んでみよう」
「ありがとうございます。彰人さん」
「ご迷惑おかけします」

 今の話し合いのように、俺が見ているところで喧嘩をしてくれた方がまだマシだろう。
 そう結論づけた結果なのだが、それでも気が重い。……はぁ。



「あら、おはようイリンちゃん」

 ひとまずの話がついた俺たちは、試合の場所を借りるためとイリンが起きたことを伝えるためにチオーナを探して階下へと降りていった。

「おはようございます。ご迷惑をおかけしました」
「いいのよ。迷惑だなんてことはないわ」

 チオーナはいつもの笑顔で笑いながら、首を横に振った。

「話す事もあるけれど、それはまた後で、夕食の時にでもお話ししますね。今はそちらでお話しする事もあるでしょうし」

 そしてチオーナはそう言いながら、スッとその視線を俺の背後にいたイリンと環ちゃんへと向けた。

 み、見抜かれてる……

 たった一瞬二人に目を向けられただけではあるが、俺はチオーナが俺たちの関係について察していることを察した。
 これはチオーナが凄いのか、それとも誰が見たとしても察することができるような状態なのか。
 まあイリンと俺の関係性を考えて、その上で環ちゃんの存在を考えればそう難しいことではない……のかもしれないな。

「あー、そのことで話があるんだが……」

 俺はチオーナに事情を話し、何処か戦えるような広い場所を借りられないかと相談する。
 これが俺とイリンで戦うとかなら森の中で適当に、で構わないんだけど、環ちゃんの場合は炎を使う。森が燃えないように戦うとなれば彼女が不利になりすぎるのだ。
 まあ環ちゃんのスキルが炎系じゃなく十全に能力を使えたとしても、森の中でイリンを相手にするのはそれだけで不利だと言えなくもないけど。

「……そう。なら訓練場を使って頂戴。あまり派手に壊されると困るのだけれど、それ以外だといい場所がなくて……ごめんなさいね」
「いや、場所を借りられるだけでも充分だ。ありがとう」
「場所はわかるかしら?」
「ああ、前にコーキスに案内してもらったからな」

 俺はチオーナの言葉に頷いて再び礼を言ってから部屋を後にするべく、くるりと振り返り彼女に背を向ける。

「ああそうだわ。今夜はお祝いを用意させてもらうわね」

 そして最後に投げかけられた少し場違いとも言えるその言葉を背に、俺たちはチオーナの部屋を出ていき訓練場へと向かった。




「……む。アンドー殿か。それとイリン殿。起きられたのだな」

 さてどうなる事か。そんな風にこの後の展開を不安に思いながら訓練場に行くと、そこにはコーキスの姿があった。どうやら訓練をしていたらしい。まあこいつらしいと言えばらしいか。

「ああ、お陰さまでな」
「祝いとして何か渡せるわけではないが、せめて言葉だけでも贈らせてもらいたい。おめでとう」
「ありがとう。けどお前が守ってくれたお陰でもあるんだ。それがもう贈り物だよ」

 こいつがイリンのことを守ってくれなければ、俺は戦争なんていけなかった。

「ふむ。まあ元気になったのであれば何よりだ」

 そこで一旦話が途切れてしまい、俺はふと思い出した事について尋ねる事にした。

「……ソーラルは……」

 だが、いざ聞こうとすると何と尋ねたものかと言葉に詰まってしまいそれ以上言うことはできなかった。

 帰ってきた時にソーラルを持って帰ってきたが、あいつはあれ以来全く起きていないようだ。一応スーラの元に預けて変異した体を戻しているらしいが、どうなるかは分からないとの事だ。

「まだ起きぬよ。なに、貴殿のせいというわけでもない。それに、奴の件は今話さなければならぬ事でもあるまい。何やら動きがあったようであるしな。今日は別の用があって来たのであろう?」
「……わかるか?」
「うむ。その者は以前とは眼が違う。以前の己が定まらずただ流されていた時とは違い、何かしらの覚悟を定めたものの瞳だ」
「そうか……まあ色々とな」

 俺が苦笑しながらそう言うと、コーキスは俺の後ろにいる二人へと視線を向け、そして再び俺へと戻した。

「で、ちょっと話があるんだけど……」

 そうしてチオーナにした様にコーキスにも事情を話す。

「ふむ。イリン殿と勇者の試合か。わかった。他の者にも話は通しておこう」
「悪いな」
「何。神子様のご許可があるのだ。問題無い」

そう言ってコーキスは俺たちをその場に残し、他に訓練をしている者達の元へと進んで行き事情を話し始めた。



「それじゃあ二人とも。あまり周りに被害が出るような事はするなよ? それとあくまでも試合だ。当然殺しは無しで、必要以上の追撃も無しだ」
「はい、分かっております」
「大丈夫です」

 本当に大丈夫なのかと思うが、今更言ったところでどうにもならない。

 人の居なくなった訓練場。その真ん中で二人は距離をとって向かい合う。
 まあ人が居なくなったって言っても、それは訓練場の中には、であって周りに見物人としては存在しているんだけど。

「……なら始めるが、くれぐれも頼むぞ?」

 二人からの返事はなく、ただお互いを見つめているだけだった。

「はぁ……それじゃあ、カウント三で始める」

 先ほどの声には返事をしなかったのに、俺がそう言った瞬間にイリンも環ちゃんも武器を構えてお互いがお互いに向けた。

「──三」

 イリンは以前に俺が渡した国宝級の短剣二本を両手に持って、いつもより少しばかり前傾姿勢をとって始まるのを待っている。

「──二」

 環ちゃんもイリンと同じく国宝級の杖を、剣を持つには広すぎる間を開けて掴み構えている。

「── 一」

 二人の戦いを見学している者たちも、雑談をやめて目の前の少女たちに集中し始める。

「始め!」

 そして二人は同時に動き出した。
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