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奈留なるくんかーえろ」
「……何でいつも俺ん家来る時顔色悪いの?」

 ペタンコに潰した通学バッグを手に奈留くんに駆け寄る。今日はゲーセンに寄り道するらしいのでついて行くのだ。

「来るのがストレスなら、」
「いや全然そんなことねえです!!」

 嫌そうに顔を歪める奈留くんの背中を押して会話を遮った。
 おれの体調なんかどうでもいいんだよ遊びたいのおれは! 奈留くんと!
 真犯人を追い詰める探偵みたいな奈留くんの目線を躱しながら、今日も放課後デートに向かう。



「奈留くんゲーセン行ったら何すんの?」
「……音ゲーとか」
「音ゲー出来んの? やば、見たい!」
「見てても楽しくないと思うけど」
「出来ねーやつは見てる方が楽しいじゃん、奈留くんから技術盗んでやる」
「……俺から盗めるとでも?」

 不敵な笑みを浮かべるおれの彼氏マジ格好良い。
 最近はキレられる回数も減ってきてますますお付き合いしてます感が出てるんだよ。おれ大満足。こんな毎日ハッピーでいいんだろうか。

 なんて考えてるからテコ入れが入ったのかもしれない。

 夢中になって話していたせいで、向かいから歩いてくる人に気付かなかった。
 奈留くん肩と通行人の肩が結構盛大にぶつかる音がして、あっとおれが顔を上げた瞬間には、奈留くんの悪癖が出てしまっていた。

「…………チッ……」

 舌打ちである。

「…………あ?」

 ぶつかった相手はその小さな音を耳敏く広い、こちらを睨みつけてくる。
 やっべえよりにもよって柄が悪い。ツナギを着たゴツい三人組は、どう見ても穏やかなタイプではない。鼻ピとか開けてる。怖過ぎる。
 瞬間湯沸かし器奈留くんは既に熱が冷めたのか目に怯えを宿らせている。ああもう、厄介な性格してるねお前。
 おれは無い頭をフル回転させる。どうしたらいい? 奈留くんだけは守らないと。相手に渡って困るものはどれだ?
 ズボンからそっとスマホを取り出すと、相手に見えないよう身体で隠しながら奈留くんの上着のポケットに忍ばせる。

「すんませんちょっと気が立ってて、つい!」

 なるべく情けない笑顔を作りながら前に出るおれに三人の視線が集まる。
 よし、舌打ちしたのはおれだと思ってくれたみたいだ。おれの見た目がチャラくて助かった。

「ついじゃねえんだよ何ヘラヘラしてんだ」
「ナマ言ってんじゃねえぞコラ」

 ですよねえ!
 鼻ピのおっさんがおれの胸倉を掴む。シャツが嫌な音を立てて軋んだ。
 どう転んでも何発か貰いそうな雰囲気だ。
 仕方ない、どうせ喰らうなら10でも20でも同じだ。腹を括れ。

 おれは鼻ピの顎に向けて思い切り頭突きをかました。

「……っぐ……!」

 鼻ピが怯み、シャツを掴んだ腕が外れる。

「走れ!!!」

 奈留くんに向かって叫ぶと、青い顔で震えていた奈留くんは弾かれたように顔を上げ、踵を返した。

「待てやテメェ!」

 怒号を浴びせ、逃げる獲物を追いかけようとした金髪のおっさんの襟首を掴んで引き倒す。
 おっさんは「ぐえっ」と苦しそうな声を上げて仰向けにすっ転んだ。
 おれを睨む他二人の目付きが変わる。完全におれにヘイトが向いたようだ。

「お前タダで帰れると思うなや」

 首に伸ばされたおっさんの腕を特に避けずに受け入れる。
 もう大丈夫、後は殴られるだけだ。
 路地裏に連れ込まれながら、奈留くんが無事に帰ってるかだけが気になっていた。



「こいつマジで何も持ってねえ」

 鞄からおれの小銭入れを出してチャリチャリ揺らすハゲのおっさんが忌々しそうに鞄を蹴飛ばした。

「なあ坊ちゃん身分証どこだ?」
「……わ、すれ、ちゃって」

 途端に腹に膝を入れられる。散々殴られたそこは多分嫌な色に変わっているだろう。
 ゲホゲホと噎せながら唾液を吐くおれの頬を指輪の付いた拳で殴りつけてくる鼻ピのおっさん。めちゃくちゃ重い。骨折れてないといいけど。

「……ほ、んと、……、ません、した……」

 鼻血を垂らしながら頭を下げる。実際悪いのはこっちだ。舌打ちした挙句殴りかかったんだから。逆ギレもいいとこである。
 おっさんたちは何かヒソヒソした後、おれの下半身からズボンと下着を取り払って股を開かせ、記念写真を撮り始めた。

「これ手配書だから」

 しゃがみこんで俯いたおれの前髪が掴まれて無理矢理上げさせられる。
 鼻ピ男の獰猛な笑みが視界いっぱいに広がっていた。

「次俺らの前に顔出したら、もっといじめちゃうかもよ」

 最後におれの頭を勢いよく壁に叩きつけると、三人はゲラゲラ笑いながら去っていった。

「…………あー……」

 座るのもキツくて、下も穿かないままその場にズルズルと倒れ込む。
 マジでおれが替わって良かったと安堵の溜息が出る。あいつら身分証探してた。奈留くんだったらもっととんでもねえことになってた。
 しばらく息を整えて、痛む全身を誤魔化しながら服を直す。
 奈留くんが無事か確認しに行かないと。

 ところが家に行っても奈留くんは居なかった。
 おれの背に嫌な汗が伝う。どうしよう。痛い目に遭って帰れなくなってたら。
 焦りながら来た道を戻る。怪我なんて気にしてる場合じゃない。もうさっさと休みたいと訴えてくる足を叱咤しながら走る。走る。
 おれらがおっさん達にぶつかった通りは何人かの警察官がパトロールしていた。
 もしかしたら奈留くんが呼んでくれたのかもしれない。おれはすぐ路地裏に引きずり込まれちゃったけど、精一杯助けようとしてくれたのかもしれない。
 鳩尾がシクシク痛む。早く奈留くんを見つけないと。



 奈留くんは最初の現場からほど近いビルの非常階段に座り込んでいた。
 膝を抱えて丸くなる姿が酷く幼く見える。

「……なる、くん、」

 おれが弾む息を鬱陶しく思いながら声をかければ奈留くんはびくりと肩を揺らしたけど、顔を上げてはくれなかった。
 怖い思いをさせてしまった。おれの頭が良かったらもっとスマートに解決できたかもしれないのに、と思うと悔しくてしょうがない。
 途方に暮れた気持ちで黙り込んでしまうと、いつもより更に小さくくぐもった震え声が聞こえてきた。

「……俺が、悪いって、思ってるんだろ」

 その声を聞いて、泣いてるかもしれない、と感じた。
 寄る辺のない、迷子みたいな、そんな音色だった。

「俺なんかと一緒に居たせいで酷い目に遭ったって言いたいんだろ」
「……奈留く、」
「いいよもう、全部終わりでいい。殴ってもいいよ。アンタの好きにすれば」

 おれはこれほど説得力の無い言葉を今まで聞いたことがなかった。
 こんなに小さくなって、不安そうにして、それでも素直になれない奈留くんが、どうしようもなく苦しかった。

 きっと奈留くんには今まで、叱ってくれる人が居なかったんだ。

 両親は出張ばかりしてるって言ってた。
 綺麗な一軒家に奈留くんの趣味が詰まったあの部屋を見ると、決して愛されてない訳じゃないんだろうけど。
 奈留くんにとって必要なものは、与えられてこななかったんだろう。
 今こうして奈留くんは叱られ方が分からないまま、怯えながら、おれが罰を下すのを待っている。
 その感覚は、おれも少し共感できるよ。
 怒られるって怖いよな。でも怒られないのはもっと怖いよな。
 おれは一列に並んだ父さんと母さんとねーちゃんを思い出した。
 どれだけおれがこいねがっても、三人はおれを叱らない。腫れ物を扱うようにおれを見ていたじいちゃんもばあちゃんも、叱らない。
 叱られないって、許されないのと一緒だ。
 だからおれは、奈留くんに罰をあげようと思う。

「奈留くん、いっこだけおれのワガママ聞いて」
「……」
「そしたら許してあげる」

 膝に埋めたままの奈留くんの髪に指を差し入れる。宥めるようにゆっくり撫でていると、ようやく「……何」と返事が返ってきた。少し落ち着いたかな。

「別れたくなったら、おれのこと大嫌いって言って」

 奈留くんがノロノロと顔を上げる。
 やっぱり泣いてた。
 やっとおれを瞳に映した奈留くんは、唇をブルブル震わせながらまた新しい涙を零した。
 あー、そういえばおれ今二目と見られん顔してたわ。奈留くんのこと考えてる内に全部飛んでた。
 恐る恐るおれの袖口を摘んで、堰を切ったように首筋に額を擦り付けて本格的に泣き出す奈留くんの背中をさすってやる。

「…………アンタは、卑怯だ……」

 大丈夫だぞ、奈留くん。
 奈留くんがどんだけ怖くなっても、おれからは絶対に離れないからな。




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