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第二夜
052.橙の君との第二夜(二)
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「アールシュは自分のこと好き?」
「当たり前よぉ。世界中探しても、こんな美人はいないわよ」
確かにそうだね。女の人の格好をしているけど、アールシュは大変美人で魅力的だ。セルゲイやウィルフレドも美人系の部類だけど、朗らかさや親しみやすさを感じられるのはアールシュだろう。
「とは言っても、昔は大嫌いだったわよ。愛を注いでくれる人がいなかったんだもの。あたしに価値があるとしたら血筋だけだろうって思って、ぜんぶ捨てようとしていたのよね。まっさらになりたかったのよ」
まだソファの上、アールシュの両足の間に座り、後ろから彼に抱きすくめられている。背中が暖かく気持ちいい。オレンジ酒を香茶で割って、飲んでいる。体が温まる。
「身分も権力も血も捨てて、まっさらになって、どこか別の国へ行きたかったの」
「聖女宮で、まっさらになれた?」
「ええ。望みは叶ったし、こんなに可愛い奥さんまでそばにいてくれるんだから、言うことないわ」
むぎゅ、とアールシュはわたしを抱きしめてくれる。首筋にキスマークをつけながら。くすぐったい。
「あたしの奥さんがあなたで良かったわ、イズミちゃん」
「わたしも、アールシュがいてくれて嬉しい」
甘えることができる夫がいるということが、こんなにも心強い。すごく安心できる。
「わたしもアールシュみたいに強くなれたらいいのに」
「あら、どうして? あなたは十分強いでしょう」
「もっと強くなりたい」
戦闘民族じゃないから戦うのは無理だよ、もちろん。夫を守り、聖女宮を守るだけの力が欲しい。権力はないし、わたし自身まだ不安定なんだもの。
「じゃあ、素直になりなさい、イズミちゃん」
「素直?」
「そう。あなたを大事に思う人からの好意を、素直に受け取ってちょうだい」
それは……難しいなぁ。難題だ。
「あたしね、よく家出をしていたの。城を抜け出して、駅馬車に乗って何度も遠くへ行こうとしたのよ。でも、毎回毎回、捕まっちゃうのよね」
「お城の人に?」
「そう。でもねぇ、その前に城下に住む人たちに足止めされるのよ、毎回毎回。今日はどこのオレンジが入荷したからゆっくり食べて行け、今日はあそこの布地を仕入れたから見ていってちょうだい……果物、衣装、宝飾品、食べたり見とれたりしている間に、捕まっちゃうの」
橙の国がどういう国なのか、それだけでわかってしまう。きっと、いい国なんだろうな。本当は、アールシュは故郷が大好きだったんだろうな。
「あたしには何にもないと思っていたけど、きっとそうじゃないのね。たくさんの人が、たくさん愛情をくれていたのよ。親や兄弟からもらう愛だけが、愛じゃないのよね」
「……だから、アールシュは強くなれた?」
「ええ。好意や愛情を受け取ると、強くなれるわよ」
そういうものなんだろうか。アールシュが言うことだから、きっと正しいんだろうな。
元の世界で歴代彼氏からもらっていたものは、好意や愛情じゃなかったのかもしれない。わたし、ずっと弱いままだったから。
「だから、あなたも素直に受け取るのよ、イズミちゃん」
「んんっ」
後ろから、アールシュがわたしの唇を奪う。温かいオレンジの味。
「あたし、イズミちゃんのことが大好きよ」
あぁ、泣きそう。
「イズミちゃんを好きなのがあたしだけじゃないのが癪だけど、あなたが魅力的な女の子なんだからそれは仕方ないわ」
わたしは明るい茶色の瞳を見つめる。優しげな笑みを浮かべた夫を、すがるように見上げる。その言葉が、もっと欲しい。もっと、欲しい。
「アールシュ、わたし」
「好きよ、イズミちゃん。あなたのことが大好き」
わたしが聖女じゃなくても?
わたしが聖女じゃなくても、好きになってくれた?
喉元に引っかかった言葉が、出てこない。ううん、出なくていい。出てきちゃダメ。そんなこと聞いちゃダメ。アールシュに否定されたら、わたしはきっと、立ち直れない。
怖い。
好きなのは、わたし? 聖女?
愛しているのは、わたし? 聖女?
それを、夫の口から聞くのが、怖い。今さら。
「ありがとう、アールシュ。わたしも、大好きよ」
怖くて堪らないのに、聞きたくて仕方ない。
わたしがもっと強かったら、聞くこともできただろう。わたしは弱い。深い意味を探ることなく、浅い解釈をする。
『お前に嘘をつかせたまま、抱きたくはない』
リヤーフ、嘘じゃないんだよ。嘘じゃない。
だからこそ、あなたが――あなたたちが、わたしをどう思っているのか、知るのが怖いの。本当に、怖いの。
信頼した瞬間に裏切られたら、どうすればいいのかわからない。「そっか、わたしの勘違いだったんだ」って笑える自信がない。
「聖女じゃなくてわたしを愛して欲しい」なんて、敬虔な信者である夫たちに、言えるはずもない。願うこともできない。
前の聖女は、そんなこと、考えなかったんだろうか。愛し、愛されたいと、願わなかったんだろうか。
わたしは、強欲なんだろうか。
「好きよ、アールシュ」
好きになっちゃいけないのに、もう、好きなんだよ、夫たちのこと。バカだよね。わたしはバカなんだよ。ずっと変わらないんだよ。
あぁ、怖くて堪らない。
だから、こんな、薄氷の上の幸せでも構わないと思うの。薄っぺらい嘘の上で、笑っていたいのよ。
「当たり前よぉ。世界中探しても、こんな美人はいないわよ」
確かにそうだね。女の人の格好をしているけど、アールシュは大変美人で魅力的だ。セルゲイやウィルフレドも美人系の部類だけど、朗らかさや親しみやすさを感じられるのはアールシュだろう。
「とは言っても、昔は大嫌いだったわよ。愛を注いでくれる人がいなかったんだもの。あたしに価値があるとしたら血筋だけだろうって思って、ぜんぶ捨てようとしていたのよね。まっさらになりたかったのよ」
まだソファの上、アールシュの両足の間に座り、後ろから彼に抱きすくめられている。背中が暖かく気持ちいい。オレンジ酒を香茶で割って、飲んでいる。体が温まる。
「身分も権力も血も捨てて、まっさらになって、どこか別の国へ行きたかったの」
「聖女宮で、まっさらになれた?」
「ええ。望みは叶ったし、こんなに可愛い奥さんまでそばにいてくれるんだから、言うことないわ」
むぎゅ、とアールシュはわたしを抱きしめてくれる。首筋にキスマークをつけながら。くすぐったい。
「あたしの奥さんがあなたで良かったわ、イズミちゃん」
「わたしも、アールシュがいてくれて嬉しい」
甘えることができる夫がいるということが、こんなにも心強い。すごく安心できる。
「わたしもアールシュみたいに強くなれたらいいのに」
「あら、どうして? あなたは十分強いでしょう」
「もっと強くなりたい」
戦闘民族じゃないから戦うのは無理だよ、もちろん。夫を守り、聖女宮を守るだけの力が欲しい。権力はないし、わたし自身まだ不安定なんだもの。
「じゃあ、素直になりなさい、イズミちゃん」
「素直?」
「そう。あなたを大事に思う人からの好意を、素直に受け取ってちょうだい」
それは……難しいなぁ。難題だ。
「あたしね、よく家出をしていたの。城を抜け出して、駅馬車に乗って何度も遠くへ行こうとしたのよ。でも、毎回毎回、捕まっちゃうのよね」
「お城の人に?」
「そう。でもねぇ、その前に城下に住む人たちに足止めされるのよ、毎回毎回。今日はどこのオレンジが入荷したからゆっくり食べて行け、今日はあそこの布地を仕入れたから見ていってちょうだい……果物、衣装、宝飾品、食べたり見とれたりしている間に、捕まっちゃうの」
橙の国がどういう国なのか、それだけでわかってしまう。きっと、いい国なんだろうな。本当は、アールシュは故郷が大好きだったんだろうな。
「あたしには何にもないと思っていたけど、きっとそうじゃないのね。たくさんの人が、たくさん愛情をくれていたのよ。親や兄弟からもらう愛だけが、愛じゃないのよね」
「……だから、アールシュは強くなれた?」
「ええ。好意や愛情を受け取ると、強くなれるわよ」
そういうものなんだろうか。アールシュが言うことだから、きっと正しいんだろうな。
元の世界で歴代彼氏からもらっていたものは、好意や愛情じゃなかったのかもしれない。わたし、ずっと弱いままだったから。
「だから、あなたも素直に受け取るのよ、イズミちゃん」
「んんっ」
後ろから、アールシュがわたしの唇を奪う。温かいオレンジの味。
「あたし、イズミちゃんのことが大好きよ」
あぁ、泣きそう。
「イズミちゃんを好きなのがあたしだけじゃないのが癪だけど、あなたが魅力的な女の子なんだからそれは仕方ないわ」
わたしは明るい茶色の瞳を見つめる。優しげな笑みを浮かべた夫を、すがるように見上げる。その言葉が、もっと欲しい。もっと、欲しい。
「アールシュ、わたし」
「好きよ、イズミちゃん。あなたのことが大好き」
わたしが聖女じゃなくても?
わたしが聖女じゃなくても、好きになってくれた?
喉元に引っかかった言葉が、出てこない。ううん、出なくていい。出てきちゃダメ。そんなこと聞いちゃダメ。アールシュに否定されたら、わたしはきっと、立ち直れない。
怖い。
好きなのは、わたし? 聖女?
愛しているのは、わたし? 聖女?
それを、夫の口から聞くのが、怖い。今さら。
「ありがとう、アールシュ。わたしも、大好きよ」
怖くて堪らないのに、聞きたくて仕方ない。
わたしがもっと強かったら、聞くこともできただろう。わたしは弱い。深い意味を探ることなく、浅い解釈をする。
『お前に嘘をつかせたまま、抱きたくはない』
リヤーフ、嘘じゃないんだよ。嘘じゃない。
だからこそ、あなたが――あなたたちが、わたしをどう思っているのか、知るのが怖いの。本当に、怖いの。
信頼した瞬間に裏切られたら、どうすればいいのかわからない。「そっか、わたしの勘違いだったんだ」って笑える自信がない。
「聖女じゃなくてわたしを愛して欲しい」なんて、敬虔な信者である夫たちに、言えるはずもない。願うこともできない。
前の聖女は、そんなこと、考えなかったんだろうか。愛し、愛されたいと、願わなかったんだろうか。
わたしは、強欲なんだろうか。
「好きよ、アールシュ」
好きになっちゃいけないのに、もう、好きなんだよ、夫たちのこと。バカだよね。わたしはバカなんだよ。ずっと変わらないんだよ。
あぁ、怖くて堪らない。
だから、こんな、薄氷の上の幸せでも構わないと思うの。薄っぺらい嘘の上で、笑っていたいのよ。
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