【R18】勇者の姉君は塔の上

千咲

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第二章

21.リュカの降伏

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 それは、あまりにも異例な披露宴だった。

 国民に知らされていたのは、コレット様と隣国の王子の子レイナルド様との婚約、そしてドミニク様とガリマール侯爵令嬢エリザベト様との婚約だった。今朝までは。
 聖教会本部内が昨日に増して慌ただしいので、総主教様の世話係ロランを捕まえて理由を聞き出して、慌てるのも無理はないことだと納得した。
 コレット様とドミニク様の婚約が決まり、レイナルド様とエリザベト様が婚約なさった、と通達があったのは、披露宴開場の直前らしい。
 王族同士の婚約となれば、聖教会の青い聖衣を着るか、王族の色である赤色のものを身につけるか、判断に迷う者も出てくる。赤い宝飾品が借りられないか、廊下のあちこちで話し合いが行なわれている。
 聖教会だけでもこうなのだから、王城なんて大わらわだろう。様々なものの名前を書き換える作業を始め、準備してしまっているものを廃棄したり、新たに準備したり、大変なことになっていそうだ。
 だから、開場予定時刻を大幅に遅らせ、夕刻になってから披露宴は催されることになった。

 開場を待つ間、貴族たちの乗る馬車が聖教会本部の庭に長蛇の列を作った。総主教様が聖教会や神殿内を貴族たちの待合室にすることを許可したのだ。
 さすがに僕も仕事をしないわけにはいかない。調理場で菓子を作る手伝いをしたり、皿やグラスを洗ったりして、開場の時を皆と待つことになった。
 招待状はあるものの、着ていく服は聖衣か世話係の服しかない。会場へ行って父の顔を見たいわけではない。ただ、四つの媚薬を持っていったのが誰なのか、気にはなる。
 だから、まだ披露宴に出席するかどうかは、悩んでいる。

「コレット様とドミニク様が密会し、エリザベト様とレイナルド様が密会したらしい」
「それぞれが想い人だったんだそうだ」
「婚約発表を前に、それぞれが昨夜本懐を遂げられたらしいぞ」
「国王陛下も兄王子殿下も、最終的にはコレット様とエリザベト様の想いを尊重されたとか」
「意外と丸く収まったのかもしれないな」

 漏れ聞こえる噂話だが、信憑性は高いのだろう。何しろ、情報元はジョエルだからだ。総主教様に伝えられたことがそのまま下にも伝わってきている。そう考えて間違いない。
 婚約発表前に、四人がそれぞれの気持ちに忠実に行動した……本当に? 「四」という数字が気になる。もしも、四人の飲み物に四本の媚薬が混入していたとしたら、どうなるだろう? 想い人を前に、一線を超えることに躊躇いはなくなるかもしれない。
 そんなことを考え、頭を振る。王族に対して媚薬――いや、毒を盛るなんて、失敗したら死罪になる蛮行だ。相当の覚悟が必要となるだろう。それに、彼らに疑いを抱かせることなく媚薬を盛るなんて、四人に近しい者にしかできないはずだ。
 ……まさか。高貴な方、とは、王族か?
 もちろん、父ではないだろう。父なら僕を脅さずとも総主教様から媚薬を手に入れるはずだ。父が塔を出入りしていることに気づき、僕とオルガ様の存在を知る人間は限られてくる。
 浮かんだ顔と名前に、やはり「まさか」と言葉が零れる。しかし、納得もできる。
 ――クラリッサ様なら、僕の母と父の不貞に気づいていたであろうし、オルガ様の存在にも気づいていたはずだ。父を憎む動機もある。
 ただ、なぜ、夫を貶めるようなことをしたのか。息子を恥さらしにしたのか、その真意が見えてこない。
 わからないことだらけだ。
 披露宴に行けば、わかるのだろうか。すべての謎が解けるのであろうか。それさえもわからない。
 ただ、もし、すべてクラリッサ様の計画だとしたら――。

「……恐ろしいな」

 心底、女とは恐ろしいものだと、思う。オルガ様には感じたことのない恐怖に、僕はただ、震えていた。



 披露宴の開場からどれくらい遅れたか。遠方から来ている貴族や、年配の聖職者たちが次々と帰途についている中、披露宴が行なわれている舞踏会場へと入る。世話係の服を着ていても招待状を求められたので、厳戒態勢が敷かれているのだと知った。
 既にコレット様とドミニク様、レイナルド様とエリザベト様のそれぞれの婚約が発表されたあとだ。隣国との協力関係を再度確かめ合うという場もあったらしい。すべて、会場にたどり着くまでに聞いた噂話だ。
 異例な婚約披露だったにも関わらず、噂話をしている人々はこの婚約を意外と好意的に捉えているようだった。ドミニク様もレイナルド様も、「愛する人と一緒に愛する国を守っていきたい」というような趣旨の挨拶をしたためだろう。王位を継ぐかもしれない男女の、「愛」という不確かな感情を、貴族も聖職者も受け入れたらしい。

 あたりを見回すと、婚約を発表した四人はそれぞれ相手と仲良く寄り添っている。国王陛下も第一王子も、隣国の王子殿下も、笑みを浮かべている。どうやら、皆に祝福される婚約となったようだ。
 父もクラリッサ様もいないようなので、安心してテーブルに残っている料理を摘む。さすが、王城の料理長が腕をふるっただけのことはある。オレンジトマトと白身魚のカルパッチョも、サリエヤギのチーズケーキも美味だ。

「……主が会いたいと仰せです」

 隣に立った男が、そう呟いた。見上げると、媚薬を買っていった男に間違いない。グリーンエビのフリッターを頬張って、男についていく。
 会場の奥、いくつかある扉のうち一つをノックし、男が入室を促した。さほど広くはない部屋のソファに座っていたのは、深い朱色のドレスを着た――クラリッサ様だ。
 あぁ、やはり。納得できる展開だ。

「あら、驚かないの? 見当はついていたようね」
「……はい」
「どうぞ、お掛けになって」

 クラリッサ様に促されるまま、扉に一番近い椅子に座る。父の姿はない。それぞれに控室が準備されているのかもしれない。

「ご子息のご婚約、おめでとうございます」
「ご子息とは他人行儀ね。ドミニクはあなたの兄に当たるのに」
「畏れ多いことでございます」

 クラリッサ様の鋭い視線が僕を探る。冷や汗が止まらない。恐ろしくて、頭が上げられない。

「ジャスミーヌのことは残念だったわね。器量のいい娼婦だったと聞いているけれど」
「もったいないお言葉、痛み入ります」
「なぜ身分を明かしませんの? セドリックの息子であると名乗りを上げれば、王族の末席に加えられるやもしれませんのに」

 そんなことをしたら、クラリッサ様は僕を殺すでしょう? もちろん、面と向かって指摘することはできない。彼女は、おそらく、息子を国王にしたいのだから。王子の血を引く僕は、彼女にとっては邪魔者でしかないのだ。

「今後一切、身分を明かすつもりはありませんし、王位継承権を主張することもありません。僕の親は、母だけです。父はいません」
「あら、そう。強情なのはジャスミーヌに似たようね。あの女も、夫には妊娠を告げずに去ったのだから」
「母に会ったことがあるのですか?」
「まさか。手切れ金を使いの者に持たせたときの話を聞いただけよ。会うわけがないでしょう」

 クラリッサ様は笑みを浮かべているようで、笑っていない。僕のことも、母のことも蔑んでいる。それを隠すこともしない。
 高貴な方、という身分に間違いはない。

「薬を何に使ったか知りたいのではなくて?」
「予想はつきますが……知りたくはありません。クラリッサ様がドミニク様を国王に据えたいがためになさったことだと、僕は理解しております」
「ええ、そう。息子を国王に、と母親なら誰でも思うでしょう?」

 僕の母はそうは思わなかったようですが、なんて口が裂けても言えそうにない。
 何しろ彼女は、目的のためなら息子にも姪にも隣国の王族にさえも媚薬を盛るような人だ。狂っていないとは思えない。おそらくは、狂っている。父と同じように、狂っている。

「あの男との子どもであっても、ドミニクはわたくしの血を引く者ですから」
「セドリック王子を憎んでいらっしゃるのですか?」
「憎む、ねぇ。そんな一言で終わらせられるような気持ちでないことだけは確かでしょうね」

 母のことも、オルガ様のことも、僕自身のことも、クラリッサ様は憎んでいるはずだ。そして、彼女はそれ以上に、父のことを深く憎んでいる。

「愛のない結婚だと噂されているけれど、わたくしはわたくしなりに夫を愛そうとしましたのよ。けれど、あの人はわたくしを愛してはくださらなかった。惨めな話でしょう。娼婦にも、ただの村娘にも、わたくしは敵わなかった」
「……だから、父に恥をかかせたのですね」
「ドミニクとコレットが関係したと聞いたときの夫の顔、あなたにも見せてあげたかったわ。おかしくておかしくて、わたくし、笑いを堪えるのが大変でしたのよ」

 クラリッサ様は笑う。顔を歪ませて、笑う。美醜では語ることができない、恐ろしい笑み。
 この人は、何なんだ?
 どうして、こんな化け物がこんな場所にいるんだ?
 恐ろしくて仕方がない。けれど、母やオルガ様の存在が彼女を歪ませたことだけはわかる。そもそも、父が彼女と向き合ってさえいれば、こんな化け物は生まれなかったであろう。
 彼女の存在は、父の罪だ。

「……クラリッサ様、僕はあなたにもドミニク様にも害をなすつもりはありません」
「そうでなければ困るわ。ドミニクの弟を手にかけたくはないもの」
「僕はこれまでと変わらず聖教会で働きたく思います」
「わたくしがそれを許すと思って?」

 覚悟はしている。
 父と母を憎んでいる彼女が、僕を恨んでいないわけがない。僕を殺すか? 国外追放か? いつかオルガ様に会うことができるのであれば、四肢を切り落とされるくらい、我慢しよう。たぶん、我慢できる、と思う。たぶん……まぁ、痛いのは嫌だけど。

「わたくし、手駒は近くに置いておく性分なの」

 近く……?
 クラリッサ様は笑みを浮かべたままだ。真意がわからない。僕をどうするつもりだ?

「あなたは聖教会ではなくてわたくしの駒になるの」
「……え?」
「聖騎士になりたいのでしょう? わたくしが口を利いてあげるわ。王立騎士団の騎士を目指しなさい。そうすれば、地方勤務だって可能になるでしょう。例えば、モラン地方の駐在騎士になることもできるはず」

 なぜ。
 どうして、僕をそこまで……いや、思惑が何もないわけがない。僕をどうする気だ? どうしたいんだ?

「ふふ。夫の隠し子をそばに置いておくなんて狂気の沙汰よね。あなたに気づいたときの、夫の顔や態度を見るのが楽しみで仕方ないの。それに、あなたが裏切ったら、すぐにわかるでしょう? 男は裏切るものだもの。ねぇ、裏切ったら、わかっているわよね?」

 ゾッとするほどに美しい笑みを浮かべ、クラリッサ様は僕を見据える。

「怪我だけで済んでいる左足と、健康な右足、切り落とすわね」

 男色家の総主教様の世話職のほうが、マシだったんじゃないか。そう思わずにはいられない。

「あなたが裏切らないことをわたくしに証明してちょうだい」

 父よりも残酷でしたたかな化け物、クラリッサ様。
 オルガ様を生かしておくため、僕は、狂気の王子殿下妃の配下につくことを強いられるのだった。


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