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第四章 マリオネット教団編(花視点)
EP112 天恵
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時は、少し前に遡る――。
――――――――――――――――――
花達が教団の島で目覚めた日。太陽が沈み、夜の闇が深みを増して来た頃、サランの預けられている牧場に一人の来訪者があった。
すでに梅雨は明け、空気は乾燥している。
だがシャノンでの激戦の余波は、異常気象として大陸に降りかかっている。
花たちは数日間に渡り、半ば封印状態で眠っていたので気付かなかった。
だが直近の天気は雨と雪、そして肌を焦すほどの熱波が数時間ごとに切り替わる。
そんな、かつて無いほどの”天変地異”に見舞われていた。
男はこの数日間、戦いで疲弊した身体に鞭を打って、この世界に与えた歪みを修正していた。
だが、本調子であれば数時間とかからずに終わる事も、かなり難航してしまっていた。
そんな中、花とシンが目覚めた事を感じ取った彼は、作業を一時中断してこの牧場に来たのだ。
「ここがサランのいる牧場か。」
全身を黒いマントとローブに包み、顔をフードの影で隠した男は、品定めをするように遠巻きで全容を見渡す。そして、すぐに簡潔な評価を下した。
「広大で、古い牧場の割に整備がよく行き届いている。
ここまで良い牧場を探し出すなんて、流石だ・・・。」
男は少し満足げに言うと、牧場の中心にある家までゆっくりと歩いて行き呼び鈴を鳴らした。
呼び鈴を鳴らすと1分と経たない内に扉が開く。
白い顎髭を生やし、灰色のセーターを着ている痩せた老紳士が現れた。シワのあるその顔には、温かい笑みを讃えている。
「いらっしゃいませ、お客様。大変申し訳ないのですが、当牧場は今日はもう閉場しているのです。
また明日・・・と言いたいですが、今日はもう夜遅いです。空いている部屋がございまので、粗末な部屋ではありますが泊まって行かれませんか?」
「急いでる。泊まりは無理だ。コーヒーを一杯くれないか。」
男は口調を保ちながらも、威圧感を与えないように気を付けながら老紳士にコーヒーを要求した。
真の目的はコーヒーではなく、それを飲む際の対話であることは老紳士も気付いている。
「畏まりました。すぐに淹れますので、中に入ってお待ちくださいませ。」
老紳士が微笑みを絶やすことなく言うと、男の方は軽く会釈をして開かれた扉の向こうへと進んだ。
~~~~~~~~~~
男が中に入ると、こじんまりとした居間に通された。
質素ながらも品の良いカーペットと、壁紙と調和したデザインのシャンデリアが、老紳士の成熟された心持ちを如実に表している。
男をソファに座らせると、カウンター越しにつながったキッチンで、老紳士はじっくりとコーヒーを淹れていく。
慣れているためか、とても手際が良い。しかし雑に淹れているのではなく、しっかりと真心を込めていることが不思議と伝わってくる。
数分後、淹れ終えたコーヒーを皿に乗せた老紳士は、男の座るソファの反対側に腰を下ろした。
「お口に合えばよいのですが・・・。」
老紳士は温かな微笑みと共に、白い湯気と芳醇な香りが立つコーヒーを男に差し出した。
差し出されたコーヒーを男はゆっくりと口元に運ぶと、一切の音を立てることなく半分ほど飲むと、カップを皿に下した。
「美味いな。これまでに飲んだコーヒーの中で、其方のコーヒーが二番目に美味い。」
男は二番目と言ったが、これが最上位の誉め言葉であることを老紳士の方も察していた。
それと同時に、姿を隠してはいるが、明らかに自分より年下。
具体的には30歳にも満たないような若い声の男が、自分の事を其方と呼ぶことに少しだけ違和感を覚えた。
「一番は奥様ですね?」
老紳士は無粋な質問であることを承知で聞いた。
男は返事をしなかったが、それ自体が返事であった。
もし、目の前の男が尊大な態度をとっているだけであれば、この質問に返事をしただろうと思い、実年齢と精神年齢に乖離があることを暗に悟った。
「実は、其方に頼みがあるのだ。」
質問の余韻が晴れたころになって、男は静かに話を切り出した。
恐ろしいほどに無機質な声で、一切の感情を窺い知ることができない。
「何でございましょうか?この土地をお譲りすることでしたら、それはできません。」
老紳士は優しくも、芯の強い声で主張した。
「土地は欲していない。確かに広大であり、悪くない立地ではあるがな。
見たところ相続人はいなさそうだが、死後はどうするつもりなのだ?」
男は純粋な好奇心から老紳士に質問した。
壁には若い頃の妻らしき女性との写真らしきものはあっても、息子や娘との写真は一切無かったのだ。
「私が死した後は、シャノンに住む有志の手によって牧場は継続される予定です。土地は国有の物になるでしょうね。」
男がしたのはかなり無粋な質問ではあったが、先にしたのは自分の方だと考え、老紳士は観念したように答えた。
「そうか、この牧場は見事に整備されている。
荒廃してしまっては勿体ないと思ったが、その心配はなさそうだ。
だが、私の頼みは別にある。実は、この牧場にいるユニコーンを譲り受けたいのだ。」
「それはできません。あのユニコーンは大切なお客様からの預かり物です。
無断で売り払ったりすれば、私を信用してくださったお客様への裏切りになってしまいます。」
老紳士は間髪を入れることなく毅然とした声で言いきった。
気持ちが少しも揺れていないことが伝わって来る。
「言い値を出そう。あのユニコーンの本当の主人が来たら、この住所まで連絡するように伝えてくれればいい。それまで擦り傷一つ付けないことを誓おう。」
男はそう言うと、懐から持ち出したペンで傍にあったメモ帳に何かを書き込んだ。
それは確かに実在する住所ではあったが、少し迷いながら書く様子には明白な嘘を感じさせる。
「何と言われようとお譲りすることはできません。
それに私にはもう、あって20年ほどしか余生はないのです。
使い道もないのに、信頼を裏切ってまで大金を得ようとは思いません。」
老紳士は今度も、少しも揺れない声で言った。
それを聞いた男の方は少し動揺している。それは老紳士が金を要らないと言ったからでは無い。老紳士の義理堅さに、感動と驚愕の入り混じった不思議な感情が出てきたからだ。
「なるほど・・・其方、名は何という?」
男は突然、脈絡のないことを聞いた。老紳士は名前ぐらいは答えてもよいと思い、答えた。
「ジョンと申します。」
老紳士は呪いをかけられることを恐れ、あえて苗字は言わなかった。
しかし、男が名前を聞いたのは呪いをかけるためではなく、称賛するためだった。
「賢者ジョンよ・・・其方の真の仁義、しかと心に刻み込んだぞ。」
男はそういうと、申し訳なさそうな声で次の言葉を発した。
「もし、軽々しく引き渡そうとしたら、私は其方に神罰を下していたかもしれぬ。
だが、あのユニコーンが必要なのも事実・・・悪いが、少し記憶をいじらせてもらうぞ。」
男はそういうと、右手を自らの目ほどの高さにあげ、指を鳴らした。
~~~~~~~~~~
老紳士の目は一瞬だけ光を失い、数秒後に光を取り戻した。
「お待ちしておりました。
花様に代わり、お引き取りにいらしたのですね。餌代の方を頂けますでしょうか?」
老紳士は光を取り戻した直後に、男に対してこういった。
男は花との契約時の記憶に、代理人として自分が引き取りに来る可能性があることを付け加えたのだ。
ところが、男が行った記憶操作は完璧に作用していた中、一つだけおかしな点があった。
「餌代だけ・・・?契約時の世話代金、50ファルゴはどうなったのだ?」
男は堪らずに聞いた。餌代とは別に花が約束した世話代は請求に含まれていなかった。
「ははは・・・覚えていらっしゃいましたか。
実は世話をするうちに、ユニコーンを見れただけで十分だと感じるようになったんですよ。
知能が高く、あんなに愛らしい生き物と一緒に過ごせただけで、私は十分に幸せなんです。」
老紳士は不気味に感じられるほど、満面の笑顔で答えた。
その顔に、代金を惜しがる気持ちは少しも感じ取れない。その代わり、二つの異なる感情がにじみ出ている。
それはサランを失う事による喪失感と、それ以外の原因により齎された耐えがたい孤独感だった。
この絶望に満ちた感情が、これまでの老紳士の物とは明らかに違う、作られた笑顔を顔に張り付けていたのだ。
「私には其方の心の中が見える。其方は今、人の身で背負うには重すぎる絶望を抱えているな。」
男は憐れむような声で言った。
その声には"共感"や深い悲しみ、使命感、そして"老紳士の物を遥かに凌駕する絶望"が込められている。
「一体なぜ、今になってそう思うようになったのだ。
愛していた動物を失うのは、今回が初めてではないだろう。」
男は質問をしたが、そこに疑問は存在しない。
老紳士の心の全てを見透かし、諭すような声で語りかけている。
それを聞いた老紳士はこれまでの落ち着いた様子が消え去り、号泣と共に感情が爆発し始めた。
「懐かしくなったんです・・・彼女のことが・・・今でも忘れられないんです・・・!」
老紳士の言葉は目の前の客人に向けられたものではない。遥か天上の神へ向けられた告白にも聞こえる。
その告白には一切の老いが感じられず、まるで”宝物を失くした少年”のようである。
「なぜ、今になってそう思ったのだ。」
男は同じ質問をしたが、男にはとっくにその質問の答えを知っていた。
そして、老紳士の返事はその予想と完璧に一致していた。
「花様が・・・似ていたからです・・・私が愛した彼女に・・・あの優しい眼差しが・・・。」
老紳士は、支離滅裂なことを言っている自覚があった。
常識的に考えて、死別した妻と、数回会っただけの1人の客を重ねるなどあり得ない。
しかし、その数回の対面の中で、花はこの老人に耐え難いまでの郷愁を与えてしまったようだ。
彼女は自分でも気付かないうちに、不思議な母性を周囲に振り撒いてしまう。
普段はそれを、陽気な振る舞いの中に隠しているが、人の本性という物はそれを欲する者の瞳に色濃く映る物である。
そして何よりも、目の前にいる男ならそのすべてを汲み取ってくれるという、不思議な安心感があったのだ。
「”同じ”と言うわけか・・・彼女は違うと言うのにな・・・。」
それを聞いた男は少し苦笑して顔を俯かせると深呼吸をした。
<天の道から外れし、哀れなる人の子よ・・・其方が心のうちに秘めし、真の祈りを告げるがよい・・・。
過ぎたる歪みに罰を下し・・・過ぎたる絶望に救いを与える・・・それこそが、神に与えられし使命なり・・・神罰と天恵の真理は此処にあり・・・。>
それを聞いた老紳士は、目の前の男の豹変ぶりに驚きを隠せなかった。
しかし、口からは自然と願いがこぼれ出た。
「私は・・・愛してくれる家族が欲しいです・・・。」
老紳士は目をつぶりながら答えた。目を開けていたら、奇跡が起こらないような気がしたからだ。
しかし、次の瞬間に飛んできたのは"平手"だった。それを喰らった老紳士は、力なく床に転がる。
<違うであろう人の子よ・・・其方が内に秘めし本当の祈りはそれではないはずだ・・・。
私には時間がない・・・急がねば去ってしまうぞ・・・。>
男は何事もなかったかのように、荘厳な声のままで老紳士に語り掛けた。
それを聞いた老紳士は我に返ったかのように懇願し始めた。
「待ってください!!!!私の本当の祈りは・・・妻に、死んだ妻にもう一度会うことです!」
老紳士はすがるような顔で、泣きながら男のマントの裾ににしがみついた。
「もう一度、彼女の笑顔を見られるなら!私はこの命を捧げても構いません!だから・・・お願いです・・・彼女に・・・彼女に合わせてください・・・!」
<どんな苦痛でも、乗り越えると誓えるか・・・?>
男は老紳士を見下ろしながら、冷淡な口調で聞いた。
「もちろんです・・・!」
老紳士は迷うことなく答えた。
<良いだろう・・・では、共にその者の墓へと向かわん・・・。>
~~~~~~~~~~
「墓を明かすのですか・・・?」
「あぁ、妻にもう一度会う為なら、それくらいは出来るだろう。」
「わ、分かりました・・・。」
牧場の外れにある大理石の質素な墓。決して高級な物ではないが、手入れは完璧に行き届いている。
男はその墓石の前に立ち、怯えた不安そして何よりも期待に押し潰されそうな老人に、淡々と指示を与えていく。
ゴロゴロと重苦しい音を立てて、墓石が地面からズレた。
老人は見た目の割に力持ちなのか、それとも火事場の馬鹿力なのかは分からないが、苦労している様子は無い。
その下にある紺色の棺桶、それを見た老人は大きく息を飲んだが、小さく謝罪の言葉を述べると、その蓋を開けた。
「うっ・・・!」
「目を背けるな、これも其方が妻の姿だ。」
老人の妻がこの世を去ったのは、数十年も前の事である。
その死は安らかな物であったが、骸が白骨化している事は揺らぎようの無い事実だ。
「命の再生には、破壊と創造を凌駕する奇跡の力が必要となる。
そして、今の私にはそれを可能とする魔力が足りない。そこで其方の出番と言うわけだ。」
「私に・・・一体、何をさせるおつもりですか・・・?魔法の類は一切の心得がございません・・・。」
「原初にして究極の魔法、不可能を可能とする無限の力。
其方にその気があるなら、やるべき事は分かるだろう?」
「・・・まさか!」
「皆まで言うな。私が力を貸す、あとは其方の勇気次第だ。」
そう言われた男は大きく頷くと、一世一代の勇気を出した。
死んだ”姫”を甦らせるのは、古くから”アレ”と決まっている。
そして・・・希望を掴み取った――。
~~~~~~~~~~
「無理に強奪しても、良かったのでは無いですか?」
「無理やり連れて行かれるのは嫌だろう?
あの少年も、決して悪人では無いのだし。」
「そうですね・・・。」
雷夜と男は、厩舎に眠るサランを前にして話し込んでいる。
電灯がチカチカと点灯して、より一層夜の闇を引き立たせている。
雷夜の髪色は”鮮やかな金髪“に戻り、この僅か数日で彼女の人格封印が解かれた事を暗に物語っている。
「雷夜様ぁ~!サランちゃん、触っても良い!?触っても良い!?」
「そうだな、そろそろ起きてもらわないと困るし構わな」
「だ、ダメですっ!絶対ダメ!!」
主君の言葉を遮るように、雷夜は断固拒否した。
その顔は引きつり、不快感よりも恐怖を感じさせる。
「えぇ~?何でさぁ?」
「雷夜、その話はもう終わったはずだ。円満に考えてくれ・・・。」
「うぅ・・・わ、分かりました・・・。」
雷夜は渋々、提案を了承した。
「最近は神罰ばかり与えていた。たまには天恵を与えねば、この世界にも申し訳が立たぬからな。」
「・・・え、あ、はい。そうですね・・・。」
砂武を睨み付ける雷夜は、心ここに有らずと言った具合だ。
「あと数千人分、同じ作業を行わねばならないのだ。
練習にもなった上に、他人を幸せにするのも、昔を思い出せて悪くない・・・。
流石に、"若返り"はサービスし過ぎたかもしれないが・・・。
尤も、落とし前を付けるだけなのだから、蘇生に関しては今回よりは楽だと思うがな。」
男は少し遠い目をして、何かに浸るような表情をした。
「ま、マスター・・・!あ、あの、起きました・・・起きました!
ほ、ほら見て!起きてる!も、もう起きてます!早く引き剥がして!」
感傷に浸る男に対し、雷夜は無粋にも感慨を切り裂くように焦る声を上げた。
服の袖を引っ張り、助けを求めるような声で訴えている。男の顔を見上げながら、砂武を指差して震えている。
見ると、サランは目を覚ましており、不機嫌そうな顔で砂武に触られていた。
「よしよし良い子だ。初めましてサンダーランス。
突然で申し訳ないが君の主人は今、離島にて危機に陥っている。君には彼女を助けて欲しいんだ。・・・出来るね?」
男は律儀にも、優しい言葉を用いてサランに語りかける。
サランの方はかなり上機嫌になると、男の方へ軽く会釈した。なんだか表情も嬉しそうである。
「君が賢くて、強いユニコーンだと言う事は、私が一番よく知っているよ。だから、君に任せても良いかい?」
そう言うと、男は厩舎の柵を開けた。力強い足取りでサランが外へ出てくる。
そして雷夜の前で、不思議そうな顔をしたまま立ち止まった。雷夜は少しもどかしそうに、はにかんだ笑みを浮かべている。
「眉間に力を入れて、主人の事を強く念じるのがコツです・・・。」
顔を真っ赤にした雷夜は、短く何かのアドバイスをすると、そのまま厩舎から出て行った。
厩舎の外では、柔らかな笑みを浮かべた美しい女性と、穏やかな雰囲気の”若い男”が数十年ぶりの口付けを交わしている。
”先ほどまで老人だった”男は、暗闇から2人を見つめる雷夜に気がつくと、不思議そうに見つめ返した。
「お幸せに・・・!」
雷夜は少し微笑むと、彼にだけ伝わるような声で、祝福の言葉を述べた――。
~~~~~~~~~~
「サランは行ったみたいだ。多分、良い感じのタイミングで向こうに着くだろう。・・・どうしたんだ?」
「あのユニコーン、全然強くない上に馬鹿ですよ。
ヨワヨワです。気難しい上に臆病だし、教養とか全然無さそうだし・・・。」
「お前が冗談を言うなんて珍しいな!・・・何かあったのか?」
「本当の事を言ってるつもりですが・・・。
強いて言えば、マスターがあの方と接触したのが効いたのでしょうか?式神の性能は、使役者の精神状態に大きく依存していますので。」
「面影を見ているだけで、彼女は別人だよ。それでもたしかに、心は安らいでいる気がする・・・。あの少年の気持ちも分かるさ。
・・・それはそうと、お前の感情が豊かになって来て嬉しいよ。」
「それはマスターも同じです。以前の何倍も温和な性格に成り・・・いえ、戻られました。
口調なども、先程の口調が”意図的に作った物“であると感じられるほどには、本来のあなた様が戻りつつあるのだと思います。」
「・・・それでは困る、とは敢えて言うまい。
ただ、同じ過ちは繰り返さないさ・・・"理想郷"に向けて、宇宙は進化しているのだから。」
「そうですね・・・。」
雷夜と男が肩を寄せ合って天上を見上げると、一筋の光が宇宙を駆けて行った――。
――――――――――――――――――
花達が教団の島で目覚めた日。太陽が沈み、夜の闇が深みを増して来た頃、サランの預けられている牧場に一人の来訪者があった。
すでに梅雨は明け、空気は乾燥している。
だがシャノンでの激戦の余波は、異常気象として大陸に降りかかっている。
花たちは数日間に渡り、半ば封印状態で眠っていたので気付かなかった。
だが直近の天気は雨と雪、そして肌を焦すほどの熱波が数時間ごとに切り替わる。
そんな、かつて無いほどの”天変地異”に見舞われていた。
男はこの数日間、戦いで疲弊した身体に鞭を打って、この世界に与えた歪みを修正していた。
だが、本調子であれば数時間とかからずに終わる事も、かなり難航してしまっていた。
そんな中、花とシンが目覚めた事を感じ取った彼は、作業を一時中断してこの牧場に来たのだ。
「ここがサランのいる牧場か。」
全身を黒いマントとローブに包み、顔をフードの影で隠した男は、品定めをするように遠巻きで全容を見渡す。そして、すぐに簡潔な評価を下した。
「広大で、古い牧場の割に整備がよく行き届いている。
ここまで良い牧場を探し出すなんて、流石だ・・・。」
男は少し満足げに言うと、牧場の中心にある家までゆっくりと歩いて行き呼び鈴を鳴らした。
呼び鈴を鳴らすと1分と経たない内に扉が開く。
白い顎髭を生やし、灰色のセーターを着ている痩せた老紳士が現れた。シワのあるその顔には、温かい笑みを讃えている。
「いらっしゃいませ、お客様。大変申し訳ないのですが、当牧場は今日はもう閉場しているのです。
また明日・・・と言いたいですが、今日はもう夜遅いです。空いている部屋がございまので、粗末な部屋ではありますが泊まって行かれませんか?」
「急いでる。泊まりは無理だ。コーヒーを一杯くれないか。」
男は口調を保ちながらも、威圧感を与えないように気を付けながら老紳士にコーヒーを要求した。
真の目的はコーヒーではなく、それを飲む際の対話であることは老紳士も気付いている。
「畏まりました。すぐに淹れますので、中に入ってお待ちくださいませ。」
老紳士が微笑みを絶やすことなく言うと、男の方は軽く会釈をして開かれた扉の向こうへと進んだ。
~~~~~~~~~~
男が中に入ると、こじんまりとした居間に通された。
質素ながらも品の良いカーペットと、壁紙と調和したデザインのシャンデリアが、老紳士の成熟された心持ちを如実に表している。
男をソファに座らせると、カウンター越しにつながったキッチンで、老紳士はじっくりとコーヒーを淹れていく。
慣れているためか、とても手際が良い。しかし雑に淹れているのではなく、しっかりと真心を込めていることが不思議と伝わってくる。
数分後、淹れ終えたコーヒーを皿に乗せた老紳士は、男の座るソファの反対側に腰を下ろした。
「お口に合えばよいのですが・・・。」
老紳士は温かな微笑みと共に、白い湯気と芳醇な香りが立つコーヒーを男に差し出した。
差し出されたコーヒーを男はゆっくりと口元に運ぶと、一切の音を立てることなく半分ほど飲むと、カップを皿に下した。
「美味いな。これまでに飲んだコーヒーの中で、其方のコーヒーが二番目に美味い。」
男は二番目と言ったが、これが最上位の誉め言葉であることを老紳士の方も察していた。
それと同時に、姿を隠してはいるが、明らかに自分より年下。
具体的には30歳にも満たないような若い声の男が、自分の事を其方と呼ぶことに少しだけ違和感を覚えた。
「一番は奥様ですね?」
老紳士は無粋な質問であることを承知で聞いた。
男は返事をしなかったが、それ自体が返事であった。
もし、目の前の男が尊大な態度をとっているだけであれば、この質問に返事をしただろうと思い、実年齢と精神年齢に乖離があることを暗に悟った。
「実は、其方に頼みがあるのだ。」
質問の余韻が晴れたころになって、男は静かに話を切り出した。
恐ろしいほどに無機質な声で、一切の感情を窺い知ることができない。
「何でございましょうか?この土地をお譲りすることでしたら、それはできません。」
老紳士は優しくも、芯の強い声で主張した。
「土地は欲していない。確かに広大であり、悪くない立地ではあるがな。
見たところ相続人はいなさそうだが、死後はどうするつもりなのだ?」
男は純粋な好奇心から老紳士に質問した。
壁には若い頃の妻らしき女性との写真らしきものはあっても、息子や娘との写真は一切無かったのだ。
「私が死した後は、シャノンに住む有志の手によって牧場は継続される予定です。土地は国有の物になるでしょうね。」
男がしたのはかなり無粋な質問ではあったが、先にしたのは自分の方だと考え、老紳士は観念したように答えた。
「そうか、この牧場は見事に整備されている。
荒廃してしまっては勿体ないと思ったが、その心配はなさそうだ。
だが、私の頼みは別にある。実は、この牧場にいるユニコーンを譲り受けたいのだ。」
「それはできません。あのユニコーンは大切なお客様からの預かり物です。
無断で売り払ったりすれば、私を信用してくださったお客様への裏切りになってしまいます。」
老紳士は間髪を入れることなく毅然とした声で言いきった。
気持ちが少しも揺れていないことが伝わって来る。
「言い値を出そう。あのユニコーンの本当の主人が来たら、この住所まで連絡するように伝えてくれればいい。それまで擦り傷一つ付けないことを誓おう。」
男はそう言うと、懐から持ち出したペンで傍にあったメモ帳に何かを書き込んだ。
それは確かに実在する住所ではあったが、少し迷いながら書く様子には明白な嘘を感じさせる。
「何と言われようとお譲りすることはできません。
それに私にはもう、あって20年ほどしか余生はないのです。
使い道もないのに、信頼を裏切ってまで大金を得ようとは思いません。」
老紳士は今度も、少しも揺れない声で言った。
それを聞いた男の方は少し動揺している。それは老紳士が金を要らないと言ったからでは無い。老紳士の義理堅さに、感動と驚愕の入り混じった不思議な感情が出てきたからだ。
「なるほど・・・其方、名は何という?」
男は突然、脈絡のないことを聞いた。老紳士は名前ぐらいは答えてもよいと思い、答えた。
「ジョンと申します。」
老紳士は呪いをかけられることを恐れ、あえて苗字は言わなかった。
しかし、男が名前を聞いたのは呪いをかけるためではなく、称賛するためだった。
「賢者ジョンよ・・・其方の真の仁義、しかと心に刻み込んだぞ。」
男はそういうと、申し訳なさそうな声で次の言葉を発した。
「もし、軽々しく引き渡そうとしたら、私は其方に神罰を下していたかもしれぬ。
だが、あのユニコーンが必要なのも事実・・・悪いが、少し記憶をいじらせてもらうぞ。」
男はそういうと、右手を自らの目ほどの高さにあげ、指を鳴らした。
~~~~~~~~~~
老紳士の目は一瞬だけ光を失い、数秒後に光を取り戻した。
「お待ちしておりました。
花様に代わり、お引き取りにいらしたのですね。餌代の方を頂けますでしょうか?」
老紳士は光を取り戻した直後に、男に対してこういった。
男は花との契約時の記憶に、代理人として自分が引き取りに来る可能性があることを付け加えたのだ。
ところが、男が行った記憶操作は完璧に作用していた中、一つだけおかしな点があった。
「餌代だけ・・・?契約時の世話代金、50ファルゴはどうなったのだ?」
男は堪らずに聞いた。餌代とは別に花が約束した世話代は請求に含まれていなかった。
「ははは・・・覚えていらっしゃいましたか。
実は世話をするうちに、ユニコーンを見れただけで十分だと感じるようになったんですよ。
知能が高く、あんなに愛らしい生き物と一緒に過ごせただけで、私は十分に幸せなんです。」
老紳士は不気味に感じられるほど、満面の笑顔で答えた。
その顔に、代金を惜しがる気持ちは少しも感じ取れない。その代わり、二つの異なる感情がにじみ出ている。
それはサランを失う事による喪失感と、それ以外の原因により齎された耐えがたい孤独感だった。
この絶望に満ちた感情が、これまでの老紳士の物とは明らかに違う、作られた笑顔を顔に張り付けていたのだ。
「私には其方の心の中が見える。其方は今、人の身で背負うには重すぎる絶望を抱えているな。」
男は憐れむような声で言った。
その声には"共感"や深い悲しみ、使命感、そして"老紳士の物を遥かに凌駕する絶望"が込められている。
「一体なぜ、今になってそう思うようになったのだ。
愛していた動物を失うのは、今回が初めてではないだろう。」
男は質問をしたが、そこに疑問は存在しない。
老紳士の心の全てを見透かし、諭すような声で語りかけている。
それを聞いた老紳士はこれまでの落ち着いた様子が消え去り、号泣と共に感情が爆発し始めた。
「懐かしくなったんです・・・彼女のことが・・・今でも忘れられないんです・・・!」
老紳士の言葉は目の前の客人に向けられたものではない。遥か天上の神へ向けられた告白にも聞こえる。
その告白には一切の老いが感じられず、まるで”宝物を失くした少年”のようである。
「なぜ、今になってそう思ったのだ。」
男は同じ質問をしたが、男にはとっくにその質問の答えを知っていた。
そして、老紳士の返事はその予想と完璧に一致していた。
「花様が・・・似ていたからです・・・私が愛した彼女に・・・あの優しい眼差しが・・・。」
老紳士は、支離滅裂なことを言っている自覚があった。
常識的に考えて、死別した妻と、数回会っただけの1人の客を重ねるなどあり得ない。
しかし、その数回の対面の中で、花はこの老人に耐え難いまでの郷愁を与えてしまったようだ。
彼女は自分でも気付かないうちに、不思議な母性を周囲に振り撒いてしまう。
普段はそれを、陽気な振る舞いの中に隠しているが、人の本性という物はそれを欲する者の瞳に色濃く映る物である。
そして何よりも、目の前にいる男ならそのすべてを汲み取ってくれるという、不思議な安心感があったのだ。
「”同じ”と言うわけか・・・彼女は違うと言うのにな・・・。」
それを聞いた男は少し苦笑して顔を俯かせると深呼吸をした。
<天の道から外れし、哀れなる人の子よ・・・其方が心のうちに秘めし、真の祈りを告げるがよい・・・。
過ぎたる歪みに罰を下し・・・過ぎたる絶望に救いを与える・・・それこそが、神に与えられし使命なり・・・神罰と天恵の真理は此処にあり・・・。>
それを聞いた老紳士は、目の前の男の豹変ぶりに驚きを隠せなかった。
しかし、口からは自然と願いがこぼれ出た。
「私は・・・愛してくれる家族が欲しいです・・・。」
老紳士は目をつぶりながら答えた。目を開けていたら、奇跡が起こらないような気がしたからだ。
しかし、次の瞬間に飛んできたのは"平手"だった。それを喰らった老紳士は、力なく床に転がる。
<違うであろう人の子よ・・・其方が内に秘めし本当の祈りはそれではないはずだ・・・。
私には時間がない・・・急がねば去ってしまうぞ・・・。>
男は何事もなかったかのように、荘厳な声のままで老紳士に語り掛けた。
それを聞いた老紳士は我に返ったかのように懇願し始めた。
「待ってください!!!!私の本当の祈りは・・・妻に、死んだ妻にもう一度会うことです!」
老紳士はすがるような顔で、泣きながら男のマントの裾ににしがみついた。
「もう一度、彼女の笑顔を見られるなら!私はこの命を捧げても構いません!だから・・・お願いです・・・彼女に・・・彼女に合わせてください・・・!」
<どんな苦痛でも、乗り越えると誓えるか・・・?>
男は老紳士を見下ろしながら、冷淡な口調で聞いた。
「もちろんです・・・!」
老紳士は迷うことなく答えた。
<良いだろう・・・では、共にその者の墓へと向かわん・・・。>
~~~~~~~~~~
「墓を明かすのですか・・・?」
「あぁ、妻にもう一度会う為なら、それくらいは出来るだろう。」
「わ、分かりました・・・。」
牧場の外れにある大理石の質素な墓。決して高級な物ではないが、手入れは完璧に行き届いている。
男はその墓石の前に立ち、怯えた不安そして何よりも期待に押し潰されそうな老人に、淡々と指示を与えていく。
ゴロゴロと重苦しい音を立てて、墓石が地面からズレた。
老人は見た目の割に力持ちなのか、それとも火事場の馬鹿力なのかは分からないが、苦労している様子は無い。
その下にある紺色の棺桶、それを見た老人は大きく息を飲んだが、小さく謝罪の言葉を述べると、その蓋を開けた。
「うっ・・・!」
「目を背けるな、これも其方が妻の姿だ。」
老人の妻がこの世を去ったのは、数十年も前の事である。
その死は安らかな物であったが、骸が白骨化している事は揺らぎようの無い事実だ。
「命の再生には、破壊と創造を凌駕する奇跡の力が必要となる。
そして、今の私にはそれを可能とする魔力が足りない。そこで其方の出番と言うわけだ。」
「私に・・・一体、何をさせるおつもりですか・・・?魔法の類は一切の心得がございません・・・。」
「原初にして究極の魔法、不可能を可能とする無限の力。
其方にその気があるなら、やるべき事は分かるだろう?」
「・・・まさか!」
「皆まで言うな。私が力を貸す、あとは其方の勇気次第だ。」
そう言われた男は大きく頷くと、一世一代の勇気を出した。
死んだ”姫”を甦らせるのは、古くから”アレ”と決まっている。
そして・・・希望を掴み取った――。
~~~~~~~~~~
「無理に強奪しても、良かったのでは無いですか?」
「無理やり連れて行かれるのは嫌だろう?
あの少年も、決して悪人では無いのだし。」
「そうですね・・・。」
雷夜と男は、厩舎に眠るサランを前にして話し込んでいる。
電灯がチカチカと点灯して、より一層夜の闇を引き立たせている。
雷夜の髪色は”鮮やかな金髪“に戻り、この僅か数日で彼女の人格封印が解かれた事を暗に物語っている。
「雷夜様ぁ~!サランちゃん、触っても良い!?触っても良い!?」
「そうだな、そろそろ起きてもらわないと困るし構わな」
「だ、ダメですっ!絶対ダメ!!」
主君の言葉を遮るように、雷夜は断固拒否した。
その顔は引きつり、不快感よりも恐怖を感じさせる。
「えぇ~?何でさぁ?」
「雷夜、その話はもう終わったはずだ。円満に考えてくれ・・・。」
「うぅ・・・わ、分かりました・・・。」
雷夜は渋々、提案を了承した。
「最近は神罰ばかり与えていた。たまには天恵を与えねば、この世界にも申し訳が立たぬからな。」
「・・・え、あ、はい。そうですね・・・。」
砂武を睨み付ける雷夜は、心ここに有らずと言った具合だ。
「あと数千人分、同じ作業を行わねばならないのだ。
練習にもなった上に、他人を幸せにするのも、昔を思い出せて悪くない・・・。
流石に、"若返り"はサービスし過ぎたかもしれないが・・・。
尤も、落とし前を付けるだけなのだから、蘇生に関しては今回よりは楽だと思うがな。」
男は少し遠い目をして、何かに浸るような表情をした。
「ま、マスター・・・!あ、あの、起きました・・・起きました!
ほ、ほら見て!起きてる!も、もう起きてます!早く引き剥がして!」
感傷に浸る男に対し、雷夜は無粋にも感慨を切り裂くように焦る声を上げた。
服の袖を引っ張り、助けを求めるような声で訴えている。男の顔を見上げながら、砂武を指差して震えている。
見ると、サランは目を覚ましており、不機嫌そうな顔で砂武に触られていた。
「よしよし良い子だ。初めましてサンダーランス。
突然で申し訳ないが君の主人は今、離島にて危機に陥っている。君には彼女を助けて欲しいんだ。・・・出来るね?」
男は律儀にも、優しい言葉を用いてサランに語りかける。
サランの方はかなり上機嫌になると、男の方へ軽く会釈した。なんだか表情も嬉しそうである。
「君が賢くて、強いユニコーンだと言う事は、私が一番よく知っているよ。だから、君に任せても良いかい?」
そう言うと、男は厩舎の柵を開けた。力強い足取りでサランが外へ出てくる。
そして雷夜の前で、不思議そうな顔をしたまま立ち止まった。雷夜は少しもどかしそうに、はにかんだ笑みを浮かべている。
「眉間に力を入れて、主人の事を強く念じるのがコツです・・・。」
顔を真っ赤にした雷夜は、短く何かのアドバイスをすると、そのまま厩舎から出て行った。
厩舎の外では、柔らかな笑みを浮かべた美しい女性と、穏やかな雰囲気の”若い男”が数十年ぶりの口付けを交わしている。
”先ほどまで老人だった”男は、暗闇から2人を見つめる雷夜に気がつくと、不思議そうに見つめ返した。
「お幸せに・・・!」
雷夜は少し微笑むと、彼にだけ伝わるような声で、祝福の言葉を述べた――。
~~~~~~~~~~
「サランは行ったみたいだ。多分、良い感じのタイミングで向こうに着くだろう。・・・どうしたんだ?」
「あのユニコーン、全然強くない上に馬鹿ですよ。
ヨワヨワです。気難しい上に臆病だし、教養とか全然無さそうだし・・・。」
「お前が冗談を言うなんて珍しいな!・・・何かあったのか?」
「本当の事を言ってるつもりですが・・・。
強いて言えば、マスターがあの方と接触したのが効いたのでしょうか?式神の性能は、使役者の精神状態に大きく依存していますので。」
「面影を見ているだけで、彼女は別人だよ。それでもたしかに、心は安らいでいる気がする・・・。あの少年の気持ちも分かるさ。
・・・それはそうと、お前の感情が豊かになって来て嬉しいよ。」
「それはマスターも同じです。以前の何倍も温和な性格に成り・・・いえ、戻られました。
口調なども、先程の口調が”意図的に作った物“であると感じられるほどには、本来のあなた様が戻りつつあるのだと思います。」
「・・・それでは困る、とは敢えて言うまい。
ただ、同じ過ちは繰り返さないさ・・・"理想郷"に向けて、宇宙は進化しているのだから。」
「そうですね・・・。」
雷夜と男が肩を寄せ合って天上を見上げると、一筋の光が宇宙を駆けて行った――。
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