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第六章 マリオネット教団編(征夜視点)

EP178 誰かを犠牲にしてでも <☆>

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 明朝、まだ朝霧が街を包んでいる頃に、セレアは目を覚ました。
 体全体が透き通るように涼しく、全身でシーツの感触を味わっている。
 右側から伸ばされた腕が彼女の体を抱きしめ、人肌の温もりを伝えていた。

 セレアは一糸纏わぬ姿でベッドから起き上がった。
 体を両手で隠しながら手早く下着を着け、上着を着る。
 秘部から滴る粘液と、喉に絡みつく不快感が、昨夜の陵辱を想起させる。

(早く・・・シャワー浴びたい・・・。)

 一刻も早くこの場から出て行きたいセレアは、身震いと共に歩み出す。
 昨晩の事を忘れたくて仕方がない。"人生最悪の記憶"と化したレイプは、今も生々しい恐怖を煽る。

「教団を辞める件、お願いしますよ。」

「淡白な事を言うんだな。」

 目を覚ましたラースは、馬鹿にしたような口調で煽った。
 彼はどうやら、もっと丁寧な対応を期待していたようだ。しかし彼女にとって、ラースは憎い敵でしかない。

「無理強いされた女が、心を開くとお思いですか?抵抗できない女を犯して、何が面白いのですか?」

「生意気な口を利くな、娼婦風情が。」

 ラースは機嫌を悪くした。右手を肩の高さまで上げ、空中で何かを握りしめる。

<<<絞まれ>>>

 どうやら、彼はセレアの首を絞めようと試みているようだ。
 窒息させるのか、骨を折るつもりなのか。それは分からない。だが、どちらにせよタダでは済まない。



 ところが、セレアには効かなかった――。

 ゆっくりと振り向いたセレアの瞳は、"黒く染まった白目"が血走っている。
 頭頂部からは二本の角が生え、鬼のような形相を浮かべている。声は低く、太くなっている。

 そこに居たのは温厚な女性ではなく、”一匹の悪魔”であった。

<"貴様"・・・!私を愚弄するのも大概にしろ!!!
 図に乗るなよ人間!"人形遊びの力"で、この私を操れると思うたか!!!>

 激昂と共に叫び、ラースを威圧する。そこに普段の面影は存在しない。
 全身からどす黒いオーラが溢れ出し、殺意が覇気となって部屋を包む。

<私を”セレスティアナ・バイオレットの実子”と知っての狼藉か!貴様!!!>

「おやおやおや。淫魔にしては上品だと思ったら、””だったのか。
 今となっては没落貴族か?スカーレット家に負けて、女王は逃げ出したそうだな。」

<お母様は負けてない!内戦を避ける為に、敢えて父と駆け落ちしたんだ!>

 絞り出した反論は、まるで幼児のような拙い物だった。
 母親や血族に対する侮辱を止めようとしたが、これでは逆効果である。

「負け犬は言い訳が上手いな。”死にたくない”ので、不倫相手と逃げた。それだけだろう?」

<黙れッッッ!!!>

 母親に対する度重なる暴言に、セレアは堪忍袋の緒が切れた。突発的な衝動に駆られて、ラースに掴みかかる。
 腕力も魔力も、昨晩とは比較にならないほど強化されている。人間を相手にして、負ける要素などない。

 その筈だった――。

(つ、強いっ!コイツ、まさか人間を辞めて・・・!)
「きゃぁっ!」

 彼女は確かに強かった。しかしラースは、それを遥かに超えて強かったのだ。
 両手首を捕まえられ、すぐに組み伏せられてしまう。ベッドに再び押さえ付けられ、嘲るような視線と共に見下ろされる。

「何の抵抗も出来ず弄ばれた女が、よくもそこまで虚勢を晴れたな。褒めてやる。」

「は、離せッ!貴様ッ!!!」

 その声には既に、先ほどの覇気が無かった。
 昨晩の恐怖が脳裏にチラ付いて、声が震えてしまう。

「生意気な女には、”お仕置き”が必要だ・・・!」

「い、イヤッ!やめてっ!」

 ラースの手が彼女の服に当てられ、胸をまさぐられる。このままでは、昨夜と同じ目に遭うだろう。
 だが彼女には、一つだけ秘策が残っていた――。

「くっ・・・うぐっ・・・はぁッ!!!」

「なにッ!?」

 押さえ付けられたセレアの背部に、巨大な”黒い翼”が現れた。
 その羽ばたきでラースを弾き飛ばし、天窓を突き破って逃走した――。

~~~~~~~~~~

「匿ってくれてありがとう・・・師匠・・・。」

 上空へと飛び去ろうとしたセレアだったが、飛んで逃げるのは目立ちすぎると思った。それでは、”追ってください”と言ってるような物だ。
 そこで彼女は、いつもの酒場へと逃げ込んだ。店主は驚いていたが、事情を説明すると快く匿ってくれた。

「そんな事より大丈夫かい!?乱暴されたんだろ?」

「ま、まぁね・・・そっちは大丈夫・・・。」

 正直なところ、心はズタボロだ。まさか自分が、性暴力でトラウマを抱えるとは、先日まで夢にも思わなかった。

「1000パラファルゴか・・・なんて可哀想に・・・。」

「ま、まぁ・・・そっちは大丈夫よ・・・何とかなるわ・・・。」

 セレアとしては、借金自体は返せると思っていた。正確には”隷属”する事に対して、極端な抵抗は無かったのだ。
 問題は、その為に必要な事である。このままでは、その”救済措置”すら使えないのだ。

「私ね・・・好きな人が居るのよ・・・でも教祖は、彼を教団に差し出せって・・・うぅっ・・・。」

 当然だが、教団に差し出された人間は処分される。
 特にシンと花は、ラースにとって私怨のある相手なのだ。男のシンはともかく、女性の花は普通に殺されるかも怪しい。

「彼も・・・友達も・・・差し出したくない!でも・・・このままじゃ殺されちゃう・・・!」

 恐怖と良心の呵責で、思わず涙が溢れ出してきた。吐き気と頭痛が心臓を締め付け、前が見えなくなる。
 命は惜しいが、大切な人を差し出すのも嫌だ。しかしそれでも、どちらかを選ぶ必要がある。

「セレアちゃん・・・。」

 店主は迷った。どんな声を掛ければ良いのか、全く分からない。
 だが彼には、親代わりの人間としての責務がある。どんな時でも、彼女を支えなければならない。

「・・・差し出すんだ。」

「・・・え?」

「二人を・・・教団に差し出せ・・・!」

「正気で言ってるの!?二人とも良い人なのに!」

 当然だが、セレアは反論する。だが店主は、それすらも押しのける。ここでめげる訳には行かない。
 もし彼女に嫌われる結果になっても、”師匠に言われたから”という理由付けで、彼女の罪悪感を減らせるのだ。

 それで彼女が救われるなら、彼はそれで良かった――。

「気をしっかり持つんだ!まずは、自分のことを考えないと!
 セレアちゃんが死んだら、多くの人間が悲しむ!君に憧れて、君に癒される人が、この町にも大勢いるんだよ!」

「で、でも・・・。」

「お願いだ・・・何としてでも・・・生き残ってくれ・・・!他人を犠牲にしてでも・・・君には生きてて欲しいんだ!!!」

 感情の板挟みにされるセレアだが、少しずつ心が和らいで来る。
 自分は生きてて良いのだ。自分は生きる必要が有るのだ。その実感を持たされた事で、責任の意識が分散される。

「私は・・・私は・・・。」

 セレアは言葉を詰まらせると、ヨタヨタとした足取りで店から出て行った。
 何かを決心したのか、それとも打ちのめされたのか。それは店主にも分からない。

 だが一つだけ分かる事、もはや自分に出来る事は何もないのだ。

「生きていれば、きっと幸せがある・・・。何かを犠牲にしてでも、人には幸せになる義務がある・・・。」

 店主はうわ言のように呟くと、セレアの背を見つめる事を止めた。
 今の彼女には、それが理解できるとは思えなかったのだ。

 彼がカウンターに向き直ると、さっきまで居なかった客が座っている。
 全身を黒衣に包んだその客は、服などでは隠し切れないほどの哀愁を漂わせている。

紫の蝶パープルバタフライを頼む。」

「かなりキツいですよ。」

「苦しむのには慣れてる。」

 その客から、ただならぬ雰囲気を感じ取った店主は、静かに酒を注ぎ始めた。
 普段なら陽気なトークで客を楽しませる彼だが、お互いに”そんな気分”ではない事を察している。

「お待たせしました。」

「綺麗な色だ・・・。」

 程よく満たされた半透明な紫の酒を、男はグラスを回しながら楽しんでいる。色や香り、風味でもその酒を評価しているようだ。

 並の人間では倒れるほどの酒を、男はゆっくりと飲み干した。
 そして余韻を楽しむかのように、一つの問いを尋ねた。

「アンタは人が幸せになる為に、どれほどの努力が許されると思う?」

「きっとそれは、お客さんにしか分かりませんよ。」

 それはセレアの事なのか、それとも他の者についての事なのか。店主には分からない。
 悩みながらも答えを追い求める人間の中に、きっと答えはあるのだろう。

 店主の返答を受け取った男は、虚空を見つめながら静かに呟く――。

「・・・その答えを求め続けて、こんな所にまで来てしまったのさ。」
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