ハイブリッド・ブレイン

青木ぬかり

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第二章 暗躍するもの

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 連休の最終日、加藤は昼近くまで布団と戯れてから起き、遅い朝食を摂っていた。
 食パンとカップ麺……。長生きしないな、このままじゃ。
 そんなことを考えながらテレビを見る。
 ちょうど地方のニュースをやっていた。

〝1月9日の未明に船川市内の公園で男性の遺体が発見された事件について、警察は昨日、殺人と死体遺棄の疑いで、市内に住む暴力団員の男を逮捕しました。逮捕されたのは船川市内に事務所を持つ山内組系指定暴力団二宮組の構成員、市木義人46歳で、遺体の男性は同じ市内に住む建設会社社長の三上俊一さん48歳であることが判明しました。市木容疑者は容疑を認めており、警察は現在、殺人の動機などを追及しています〟

 ヤクザの仕業だったのか。それにしても警察は仕事が早いな。自首か?
 全国ニュースでも取り上げられた事件なので加藤も当然知っていたし、同じ市内、しかも当初は身元不明と報じられていたので気にはなっていた。
 建設会社社長……カネ絡みの事件か。
 警察の締め付けでヤクザもシノギが厳しい時勢だ。しかし殺さなくてもいいじゃないか。殺された社長にも家族がいただろうに……。

 そうやって見ず知らずの会社社長の遺族の心情に思いを馳せていると、不意にインターホンが鳴る。……誰だ?
 滅多に客の来ない家……。どうせ宗教の勧誘か宅配便だろうと思い、加藤はモニターを確かめることもなく玄関を開けた。
 果たしてそこには学生服を着た男の子が直立していた。
 やっぱり宗教……か? しかし男の子は喋り出すことなく固まっている。

「……ええと、きみは……どちらさま?」

「あの……僕は、三上といいます。東中の、2年3組です」

「……ああ、もしかして美咲のクラスメイトかな?」

「はい、そうです」

 わざわざ自宅に来るような男友達がいたのか、美咲に。
 ……それにしてもオヤジくさい中学生だ。
 今どき黒縁メガネに七三分け……。これで勉強が苦手だったらそれは詐欺だ。
 ん? そういえば美咲が時々そんな男子の話をしていたな……。
 加藤は記憶を呼び覚まして男の子に尋ねる。

「きみは……もしかして、おとうさん……か?」

 老けた中学生の表情が少し緩む。

「はい、そうです。三上修一といいます」

「やっぱりそうか。よく来たね。さあ、美咲に線香をあげてくれ」

「はい、お邪魔します」


 三上青年は慣れた作法で線香をあげたあと、仏壇の横に立てている遺影を眺めて眼を潤ませていた。
 加藤は淹れたてのコーヒーを三上に勧めた。

「いいコーヒーですね。上品です」

 老けているのは外見だけではないようだ。
 美咲が言っていた「お父さんそっくりの男子」は、酸味が強めのブレンドをブラックのまま一口飲んで上品と評した。
 祭日なのに学生服で来たのも、ちゃんと弔意を示してのことだろう。

「まあ足を崩してくれよ。変わり者の娘のためにわざわざありがとう」

「いえ、加藤さんは変わり者なんかじゃなかったです。なんでもできて、気配りもできて」

「でも美咲は、勉強では君に勝てないと言ってたぞ」

「正しくは、テストでは……ですよ。加藤さんはテスト以外の何かのために勉強していました」

「まあ、そうだな。でも、それはきみだって同じだろ?」

「そうなんですかね……。よく分かりません」

「そうなんだよ。目先のテストなんかじゃない。将来のための勉強、だろ?」

 三上はこれには答えず、自嘲気味に小さく笑ってからコーヒーをもう一口飲んだ。

「……お父さん、僕は加藤さんが好きでした」

「……そうか。うん……ありがとう」

「僕は知りたいんです。加藤さんがどうして死んだのか」

「美咲は事故で死んだんだ」

 とりあえずそう答えた加藤は三上の顔を見つめて質問の重さを量る。
 三上は少し考えてから、言葉を選びながら話し始めた。

「あの加藤さんが不注意の事故で死ぬはずがないと思うんです。だって事故っていうのは、どんなに一方が悪くても、注意していれば避けられるはずです。停まっている車への追突とかは別にして、自転車とか歩行者だったら」

「…………。」

 加藤は黙ってコーヒーを啜り、三上に続きを促す。

「だから僕は、加藤さんが仲良くしていた女子に事故の原因を知らないか聞いてみました。みんな、事故のことは知らないって言うくせに、ほかの何かを知っている……そんな感じでした。特に、事故の前に加藤さんからバッグを受け取った子は」

 聞き捨てならない情報が飛び出した。
 が、努めて表情を変えずに加藤は尋ねる。

「……バッグ……なんの話だ?」

「僕はあの事故の日、通ってる塾の前で一年生の女の子が加藤さんから赤いバッグを受け取るのを見たんです。先週の金曜日に学校でその子を問い詰めたら、『知らない、知らない』と言って泣き出しちゃいました。これは只事じゃない……。そう思っていた矢先でした」

 矢先……。なにか悪い話の前置きだ。
 今度は何が飛び出す?

「矢先……でした?」

「はい。僕の父が殺されました」

「あ……」

 三上……そうか。ヤクザに殺されたのはこの子の父親なのか。加藤は絶句した。

「きっと僕は、探っちゃいけないことを探ろうとしてたんです。それで父が殺された」

 いや、それは考えすぎだろう。そんな言葉が加藤の口元まで迫ったが、辛うじて飲み込んだ。
 ……断じるのはまだ早いかもしれない。
 関係がないと言い切れるか?
 なんでそんなタイミングでこの子の父親が殺されたんだ?
 ん……そういえば確か、初めは身元不明と報じられていたはずだ。

「きみのお父さんは、その……金曜日の夜、家に帰って来なかったんだろ? きみのお母さんは電話したり警察に届けたりしなかったのか?」

「父は僕たちとは別居してました。……2年前から」

「……聞いてもいいかな」

「はい。離婚はしていませんが、父と母が話し合って決めたんです。色々考えた結果……そう言ってました」

「色々どう考えたらそうなる?」

 三上は少し考えてから答える。

「……ええと、父は自分の仕事……建設会社ですが……その仕事を以前から『ヤクザじゃないけどヤクザな商売』と言ってました。それで、兄と僕には継がせたくないと言ってましたし、自分は子供に悪い影響しか与えない、とも言ってました」

「……それで別居するのか?」

「いえ、もちろん別の理由もあると思います。実際のところ父と母は、一緒に住んでいた頃は毎日ケンカしてましたが、別居してからは仲良くしていました。……ひとつの夫婦のかたちなんだと思います」

「そうか……」

 美咲とはタイプが違うが、この子の精神もかなり大人に近いようだ。……おとうさん、か。
 美咲はこの三上という男子をかなり買っていた。
 勉強だけじゃない、「すげえいいヤツ」だと。

「お父さん、加藤さんはどうして死んだんですか?」

 加藤は答えに窮した。
 突っぱねることもできる。できるが……。

「ただの事故じゃない……。きみはそう考えてるんだな?」

「そうです。それに、もしかしたら僕のせいかもしれないとも思ってます」

「なんだって? それはどういう……」

 加藤は三上の言葉の意味を理解しかねた。
 加藤が軽く首をかしげると、三上はポケットから携帯電話を取り出した。
 加藤が気構える。……まだ何か飛び出すのか。

「ほんとは、女子に色々聞く前に僕はここに来るべきだったんです。でも勇気が出なかったんです」

 そう言って三上が差し出した携帯電話の画面には、一通の電子メールが表示されていた。


 12/17 22:10
 from:加藤さん
 私のクワガタ、おとうさんにあげる。
 年が明けたら取りに来て。
 エサも一緒に持ってって。


「これは……」

「加藤さんとはいろんな話をしましたが、クワガタを飼っていることは知りませんでした。なにかの謎かけだと思ってましたが、金曜日にクラスの女子に聞いて、加藤さんが本当にクワガタを飼っていたことを知ったんです」

「この受信時刻……確かなのか?」

「はい。僕も事故のニュースを聞いたとき耳を疑いました。ですが間違いありません。このメールを受けたのは、事故の10分前……です」

「……これも遺言、か」

「これ…………も?」

「ああ、いや……こっちの話だ。そうだな、じゃあクワガタを見てみようか」

「やっぱり、単なる事故じゃないんですね?」

 しまった。思わず遺言などと口走ってしまった。
 事故なら遺言もなにもないではないか。

「とりあえず……クワガタだ」

 加藤は三上を美咲の部屋に連れて行く。

「……これが、加藤さんの部屋……」

 三上は眼を丸くして部屋を眺める。
 既に死んだ想い人の部屋を見て、この大人びた中学生は何を思うのか……。
 さすがの加藤も想像がつかない。

「これがクワガタ……ですね?」

 三上は机上の金魚鉢を上から眺めて言う。

「ああそうだ。今は冬眠中だけどね」

「冬眠中……そうですよね。ええと、じゃあ、エサは?」

「冬眠中だから要らない」

「そうじゃなくて、メールにわざわざ『エサも持ってって』って書いてあったから……」

「ん? ……ああそうか。ええと、たしかクローゼットの上の……ああ、あった。……お? あと一個しかないじゃないか」

 三上が「一個」という言葉に反応する。

「その一個……見せてください」

「ああ、分かった。……ん、これは……」

 加藤が動きを止めたので三上が歩み寄る。一個だけ残された昆虫用ゼリーの底に、セロハンテープで紙が貼られていた。

「これが美咲のメールの真意……ってことなのか?」

「たぶんそうだと思います。お父さん、見てみましょうよ」

「メールによれば、きみが見るべきものだ」

 そう言って加藤は、その一個だけのゼリーを三上に手渡した。
 三上はテープを丁寧に剥がしてから紙を開く。

「……お父さん、マイクロSDと、手紙……です」

「……どれ」

 加藤と三上、二人の眼が小さな手紙に注がれた。


〝お父さんゴメン。私、失敗したみたい。三上くんは信じて大丈夫だから、SDはこのまま三上くんに渡して。三上くんには知る権利があるの。三上くん、メールはみさき‐おとうさんで開いて〟


「…………。」

「お父さん、これはどういう意味ですか?」

「そのままの意味だろう。美咲は、そのSDカードをきみに託したんだ」

「……なにが入ってるんですか? これ」

 このSDカードはおそらく、美咲が堤加南子から与えられていた携帯電話のものだ。
 女の子たちが空き巣に入ってまで奪おうとしたもの……。おおよその想像は付く。
 ……しかし、どの女の子よりもこの少年に信を置いたというのか、美咲は……。

「中身は、きみが家に持って帰って見るといい。……覚悟があるなら、だけどね」

 信じていいんだな? ……美咲。
 この、おっさんみたいなクラスメイトを。

「……なんの覚悟、ですか?」

「美咲は自殺だった」

「…………。」

「そのSDカードには、死ななきゃならなかった理由が詰まっているはずだ。それと、文面から察するに、君のお父さんが殺された理由も含まれている」

「……想像が付きません」

「心配は要らない。おそらくどんな想像も超える」

「…………。」

「見なくてもいい。見たらたぶん、きみの美しかった恋は幻滅に変わる」

「……あり得ません。それだけは」

「よし、じゃあその覚悟だけで中身を見るといい。きみが全部を呑み込んだらまた会おう」

「……分かりました」

「また美咲に線香をあげにきてくれ。……そうだな、今度は違うコーヒーを振る舞おう」

「はい」

「……三上くん」

「帰り道、気をつけてな」

 加藤は、若い自分の分身を玄関で見送った。


 翌日、始業して間もなく加藤の卓上の内線電話が鳴る。麻尾大臣だ。

「おはようございます。加藤です」

「ああ、おはよう。早速だが、あいつの実家に行こうと思う。口実は任せるから日程を組んでくれ。きみが随行だ」

 どうしたんだ、急に……。
 先週の密談の手応えは今ひとつだったのに。
 加藤は思ったままを口にする。

「どうしたんですか? その……あまり乗り気ではないようでしたが」

「続きは途上だ。とにかく近いうちに予定を組んでくれ。……それと」

「なんでしょう」

「もう加藤くんとは呼ばないぞ。いいな」

「……ありがとうございます」

 何故かは知らないが繋がった……。
 外務大臣が加藤の話に乗ったのだ。
 加藤は麻尾の指示どおり日程を調整して決裁を受けた。
 口実はいくらでもあるので難しいことはなかった。


 その週、加藤は手際よく進め、週末には麻尾と並んで雲の上にいた。
 ファーストクラスだ。座席ベルトを外してから加藤は麻尾に尋ねる。

「どうして急に乗り気になったんですか?」

「……加藤、お前は案外タヌキなのか?」

 どういう意味だ? 俺に後ろ暗いものはない。
 加藤は心外だった。

「大臣、私はウサギですよ。……本当に」

 麻尾が加藤の顔を覗き込む。
 加藤は精一杯の遺憾の表情を造ってみせた。

「……そうだよな。お前は愚直な正直者……。この認識に間違いはないよな?」

「ええ、それはもう。……何かあったんですか?」

「うん……。先週末にお前が言った大風呂敷をな、話したんだよ。何人か、口の堅い奴に」

「はい」

「そいつらも初めはみんな複雑な顔してたんだ。……夢みたいな話だからな」

「ええ、分かります」

「ところが、だ。週末のうちにコロッと変わって賛成してきた。ひどいやつなんか休みにわざわざ携帯で伝えてきた。大臣、やりましょうよ……ってな。お前、なんか裏で動いてないか?」

「いえ、動いてない……と思います」

「だよなあ。俺にもさっぱり判らん。まあいい。どのみち前途は多難だし、責任はとらん」

「はい」

「まあ、ロマンはある……がな」


 加藤と麻尾を載せた飛行機は着陸体勢に入った。

〝あいつ〟の実家に着いた。眩しいフラッシュを浴びながら、麻尾は笑顔で握手を交わしながら挨拶する。

「相変わらず評判悪いじゃねえか、王」

「お前にだけは言われたかねえよ、五郎」

 国連事務総長との会談……。
 この忙しい2年間の初めに日本の意気込みを伝えることに不自然はない。
 もっとも、事務総長を無理やり韓国に帰省させる強引さは、麻尾の人柄を抜きには成し得ないが。

 国外の要人とここまでフランクに意思疏通ができる政治家は日本の財産だ。
 ……この人のどこが無能だ。漢字を読み間違えたくらいで真価が見えなくなるようでは国民の民度の方が問題だ。

 今回の会談は開始時に絵撮りをするだけで、終わってからの記者会見はない。
 実家が隣の友達にホラ話をしに来ただけなのだから。
 王事務総長と麻尾が小部屋に入る。加藤は忍び込むように麻尾に続いて入室した。
 王事務総長が早速切り出す。

「で、なんの用だ? 今日は。ん? めずらしいな、連れがいるのか。……どこかで見たな。五郎の後釜か?」

「いや、官僚だ。国連担当のな」

「なんだ、台本屋の方だったか。おい、たまには格好いい役にしてくれよ。台本じゃ俺たちはいつも道化だ。なあ五郎?」

 麻尾も否定はしない。事実なのだから仕方がない。加藤は心苦しくなった。

「申し訳ありません。大統領選までには……幾つかは」

 王の頬が緩む。加藤の回答は正解だったようだ。

「頼むよ、ほんとに。で、なんの用?」

 事務総長の言葉を、今度は麻尾が受ける。

「王、こいつも囚人なんだ。娘を人質に取られてる」

 事務総長の眉間にシワが寄る。

「娘を? ……誰にだ?」

「インターネットだ」

「……そうか、気の毒に……」

 勘違いされたとは思うが、同情は獲れた。麻尾が畳み掛ける。

「それで……だ。こいつがお前に格好いいシナリオを用意した。……とびっきりだ」

「ほう?」

「お前、歴史に名を遺したくないか?」

「……今日は前置きが長いな、五郎」

「なあ王……お前、建安12年の曹操の北伐をどう思う?」
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