ハイブリッド・ブレイン

青木ぬかり

文字の大きさ
上 下
21 / 34
第二章 暗躍するもの

3 事件

しおりを挟む
「あなた起きて。署から電話」

 1月第2週の土曜日、三連休の初日の朝に、岩崎は隣で寝ていた妻の声で目が覚めた。そして時計を見る。
 ……午前6時過ぎ。どのみちもう起きる時間だったので睡眠は充分だ。
 署からの電話……。いい話じゃないことは保証付きだ。

 岩崎は署からの電話の呼び出し音を、皮肉を込めてパチンコのBGMに設定していた。それも大当たりしたときの音に。
 音源はわざわざレンタル屋で借りたサントラCDだ。声まで入っている。
 岩崎は目を擦りながら、携帯が「スペシャルラッキー! やったね!」と告げたところで電話に出た。
 相手は当直中の強行犯係長だった。

(おはようございます、課長。変死です)

「……殺しなのか?」

(はい、おそらくは。今、現場に立ち入り規制をかけました)

「身元は?」

(今のところ判りません)

「直接行く。どこだ?」

(東公園です。公園全体を閉鎖しました)

「分かった。20分で着く」

 岩崎は飛び起きて背広に着替える。その間に妻は素早く握り飯をこさえて、コーヒーが入った小さなボトルと一緒に岩崎に持たせる。
 刑事の妻……もう慣れたものだ。

「長引かないといいわね」

「ああ、行ってくる」

 岩崎は濃いブラウンのコートを羽織って玄関を出た。


 公園の周りは、早朝にも拘わらず既に多くの野次馬が取り囲んでいた。
 運動公園ではないので広いグラウンドはないものの、内周にジョギングコースを持つ、それなりに広い公園だ。子どもの遊具も充実している。

 岩崎は出入口に立っていた交番勤務の係長に挨拶する。

「お疲れ様です」

「ああ岩崎課長、お疲れ様です。……新年早々、大変になりそうですね」

「まだ分かりませんよ。すみません、車、置いていきます」

「了解しました。現場は西側の植え込み近くです」

「はい、ありがとうございます」

 岩崎はロープをくぐる。この交番の係長は岩崎よりも十以上は年上のベテランだ。階級こそ岩崎の方がひとつ上だが、こういう立場だとお互いに敬語になる。
 よそよそしいのではなく、お互いを尊重しているのだ。
 そして、それぞれが自分の役割を果たす……。
 岩崎はこの、血のかよった警察という組織が好きだった。

「お疲れさん。で、どんな感じだ?」

 岩崎はまず、現場で足跡の鑑識をしていた係員に声をかけた。

「あ、お疲れ様です。なにぶん公園なので、いっぱいありすぎてどれが被疑者の足跡か判りません」

「そうか、間違いなく殺しなのか?」

「それも課長に視ていただいた方が早いかと」

「……ひどいのか」

「いえ、無傷ですが……。ある意味ひどいです」

「なんだそりゃ」

 次に岩崎はブルーシートが被された遺体のところに行き、岩崎の到着を待っていた強行犯係の巡査部長に尋ねる。

「無傷なんだって?」

「……はい」

「見せてくれ」

 巡査部長はもう一度「はい」と答えてから、ブルーシートをめくりあげた。岩崎は覗き込む。

「……ひどいな、こりゃ。でも、なにをもって殺しとみた?」

「持ち物が一切ないんです。被疑者が持ち去ったものと思います」

 なるほど、だからまだ身元が判らないのか……。
 物盗り……でもないな。腕には高そうな時計が光ってる。

「死因は?」

「おそらく、凍死です」

「……そんなに寒かったか? 昨日」

「いえ、この遺体は、どこか別の場所で凍死して、この公園に遺棄されたようです。昨日の夜は晴れてましたが、遺体が着ている背広はずぶ濡れです」

「そうか……」

 岩崎は改めて遺体を見る。
 男。歳は50前といったところか。
 仕立ての良さそうな背広は確かにずぶ濡れのようだ。ネクタイの趣味も悪くない。
 それなりに裕福な立場の紳士だったようだ。
 外傷はない。……だが。

「おい」

「はい」

「はじめから、この状態だったんだな?」

「そうです。朝の散歩をしていた近所のおばさんが発見者です」

「……何がしたかったんだ? 犯人は?」

「それは……被疑者を捕まえて聞いてみるしかないですね」

「ほんとにひどいな。ある意味で」

 遺体の男は両手を胸の上で組み、仰向けで姿勢良く横たわっている。が、下半身が裸だった。
 しかも、陰毛がまったくない。寒さで縮みあがった性器はまるで小学生のようだった。

「とりあえず死体遺棄だな。俺は署長に報告に行く。そうだな……採血したら至急鑑定だ。後は係長の指揮でやってくれ」

「了解です」

 岩崎は車に戻り、署に向かった。

 東署に着いた岩崎は、署長室の明かりが点いているのを確認して署長室に入る。
 そして署長に概要を報告した。

「まあ、あまり例のない状況だが、事件であることは間違いないな」

「そうですね」

「早く身元が割れるといいんだが……。ふざけているようで案外周到かもな」

「ええ、充分に時間稼ぎになります」

「とりあえず一課を呼ぼう。捜査本部の立ち上げ準備を進めてくれ」

「……やっぱり、呼びますか」

「当たり前だ。岩崎、お前の本部嫌いに付き合う場合じゃない」

「……そうですよね、了解しました」

「あとは報道発表だ。判っていることは少ないんだから簡単だろう。昼のニュースに乗せられるように早く発表しろ、いいな」

「……はい」

「なんだか親に叱られた子どもみたいになってるぞ、岩崎」

「はい……そんな気分です」

 岩崎はトボトボと署長室を出た。
 やっぱり呼ぶよな……一課。
 俺、嫌いなんだよな、捜査本部。


 自席に戻った岩崎は刑事部屋を眺める。
 さすがにみんな出て来ている……。
 強行犯係長が非常召集をかけたのだ。
 岩崎は富永を呼び止めた。

「はい、お疲れ様です、課長」

「富永、悪いが会議室に捜査本部の準備をしてくれ」

「……やっぱり、呼びますか」

「呼ぶんだよ、やっぱり」

「……了解しました」

「今から一課に連絡する。一応……そうだな、午後3時に最初の捜査会議という段取りで打診する」

「3時ですか? ……午後一番じゃなくて」

「ああ、嫌なことは先延ばしにするのが俺のやりかただ」

「そうですね。分かりました」

 富永の表情も暗い。捜査本部が立ち上がれば、それこそ一番に割りを食うのが富永だ。
 他の捜査員の小間使いに成り下がる。
 まあ、必要な仕事ではあるんだが。

「それはそうと、お前、あれから加藤に会ったか?」

「えっ? いえ、会ってません。……まだ勇気が出なくて」

「勇気? なんの勇気だ?」

「なんのって……。それはその……私も大人、ですから……」

 急にモジモジし始めた。
 大丈夫か? こいつ。

「よく分からんが、まあいい。富永、こんな事件はさっさと片付けて、また加藤の家を散らかしに行くぞ」

「は……はいっ」

 富永は急に元気になって会議室へと出ていった。
 それを見送った岩崎は報道発表用の案文を作るためにパソコンを立ち上げた。

〝今日未明、船川市内の公園で年齢50歳前後とみられる男性の死体が発見されました。男性に争った形跡はなく、警察は男性の身元の確認を急ぐとともに、死体遺棄事件の疑いもあるとみて捜査を進めています〟

 出前の親子丼を頬張りながら、先刻自分が案文を作った報道発表の内容がニュースで流れるのを聞く。
 まあ、簡単に言えばニュースのとおりだ。
 俺たちは、身元の確認を急いでいて、死体遺棄事件の疑いで捜査をしているんだ。
 男の身なりは、まっとうな、それもいいところの勤め人のようだ。背広も時計もブランドものだった。
 本当にまっとうな勤め人なら、早々に家族から捜索願いが出されそうなものだが……。
 物盗りではない、怨恨でもない、行きずりの犯行でもない……。そして身分を示す持ち物はない。
 案外現場近くに住む人間なのかもしれないが、遺体の写真を見せて「この人知りませんか?」と聞き込みをするわけにもいかない。遺体の指紋や治療痕から調べる必要がある。
 回りくどいことこのうえない。

 こんな……そう、職業的な殺しをするのは……ヤクザだ。
 だがヤクザの仕業なら遺体そのものを隠すだろう。
 でも、何かを知っている可能性は高い。それに、連中なら死体の写真を見せてもどうってことない。
 ……聞いてみるか、いちおう。

「課長、科捜研から回答です。まだ簡易鑑定ですが、強い睡眠薬とアルコールが出たそうです」

 岩崎は右手を上げて了解の合図をした。
 ……確定した、これは殺しだ。岩崎は「ちょっと出てくる」と言い残して刑事部屋を出た。
 霊安室に寄って遺体の顔をデジタルカメラで撮ってから車に乗り込む。


 岩崎はインターホンを押してからその屋敷を眺める。
 いつ来ても大袈裟な家だな……。
 そこは管内に事務所を構える唯一の暴力団、二宮組の事務所兼組長宅だった。防犯カメラまで大袈裟だ。……古いだけかもしれないが。
 岩崎は防犯カメラを睨んでみる。

(……どちらさまで?)

「東署の岩崎だ。組長いるか?」

(少々お待ちください)

 それから2分ほど待ったとき、坊主頭の若中が玄関から出てきた。門扉を開けて岩崎を招き入れる。

 応接間で再度待たされたが、今度はちゃんと組長の二宮が一人で入ってきた。
 もう70に近いはずだが、眼光はまだまだ現役だ。

「岩崎さん、世間は連休ですよ。どうしたんですか」

「ずいぶんやさしい殺し方だったな。今回は」

「なんのことです?」

「とぼけるな。東公園だ」

 岩崎と二宮の視線がぶつかり、思惑が交錯した……フリをする。
 岩崎は二宮の眼をぼんやり眺めているだけで、何も考えていなかった。
 俺、嫌いなんだよな……。こういう芝居みたいなのも。

「……さすが岩崎さんですね。おみそれしました」

「まあそう言わないで写真だけでも……って、あんた今、なんて言った?」

「あれは、うちの若いのがやりました。……おい」

 二宮の声を受けて、応接間の障子戸が開く。
 そこには一人の組員が正座していた。

「こいつがやりました。本当です。連れていってください」

 スペシャルラッキー!
 岩崎の頭の中で、大当たりのBGMが鳴り響いた。
しおりを挟む

処理中です...