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第一章 14歳の真実
11 照合
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あのやろう、相変わらず細かいな。
まあいい、おとなしく少年課に行ったようだ。
岩崎は、先週に逮捕した覚せい剤の売人の送致書類に目を通していた。
その中の報告書の一つに先ほどから関心を奪われている。
それは売人が使っていた携帯電話の電話帳データの一覧で、売人を捕まえた場合、このデータから客、つまり薬物乱用者に当たりを付けて捜査をしていく。
下っ端の売人も最近はよく教育されていて、携帯電話は肌身離さず持ち歩き、警察に捕まりそうになったときは、躊躇なく自分の携帯電話をへし折ることが多い。が、こいつはどんくさいのか、密売の現場を押さえられたとき、気が動転してしまったのだ。
結果、こうして貴重な資料が目の前にあるのだ。
この売人は、まだ若くて身軽なせいか、けっこうな量を捌いていたようだ。
扱っているブツも、覚せい剤と大麻の他、危険ドラッグまで手広く扱っていた。
……危険ドラッグ、か。むしろ一番危険なのはこれかもしれない。
なにしろ歴史が浅いうえに成分が多種多様なので、今最も死人を出している薬物はおそらくこれだ。
この電話帳データは、おそらくお得意様だけが登録されているのだろう。登録件数は50もない。
そして、別の売人に引き継いでも商売ができるように、データの「名前」部分に必要最低限の情報が詰められている。……マメな売人だ。
かわい(氷)デブメガネ
さいとう(草)チンピラ金髪
たなか(草)やせたおばさん
みかみ(氷)パンチパーマこわい
わたなべ(ハ)ノッポ柔道
氷は覚せい剤、草は大麻、ハは……おそらく危険ドラッグだ。以前は脱法ハーブなどと呼ばれていたから。「パンチパーマこわい」「ノッポ柔道」なども売人にとっては重要な情報なのだろう、危険な商売なのだから。
そして、ここにある名前の9割は、おそらく偽名だ。本名で薬を買う人間は少ない。……大して効果はないのに。
岩崎が引っ掛かっているのは、五十音順に並んだデータの一番目だった。
いとう(ハ)女こども
……いとう……伊藤、か。
偽名は大抵、本名に近い響きのものが使われることが多い。
女こども……。乳飲み子を持つ母親なのかもしれないが、女のこども、あるいは女と子供……なのかもしれない。
……考えすぎか。しかし、岩崎のこれまでの経験がこのデータを素通りさせまいとしている。
つい一時間前、加藤に電話で聞いたときは、美咲ちゃんは子どもケータイ以外の携帯電話は持っていないと言っていたが……。
いや、杞憂であればそれでいいのだから、確認だけはしてみるか……。岩崎は再度、加藤に電話をかける。
(さすがに刑事課長は耳が早いな)
「え、なんのことだ?」
(ん、違うのか?)
「……どうかしたのか?」
(ああ。空き巣に入られた。今、交番の人に来てもらっている)
「なんだと?」
(さっき岩崎の電話を受けたとき、俺は事故現場にいたんだ。花を供えようと思ってな)
「……どれくらい空けてたんだ?」
(まあ、一時間半ってところか)
「で、何を盗られた?」
(盗られたものは、ない)
「ない? 確かか?」
(ああ、幸か不幸か、出る前に自分で家捜しをしたんでな。間違いない)
「そうか……。どうやって入られたんだ?」
(交番の人が言うには、プロか……合鍵だそうだ)
「……つまり、どうやって入ったのか判らないんだな?」
(そういうことだ。だが、部屋は見事に荒らされていた)
「金目のものは置いてなかったのか?」
(置いていた。香典があったから現金だけでも相当な額をな)
「それを盗まれなかったってのか?」
(そうだ。なあ岩崎、これは偶然か? 俺は、たまたま被害に遭ったのか?)
「まあ……偶然なわけねえよな」
(俺はどうすればいい?)
「……そうだな。とりあえず身辺には気を付けろ。空き巣の目的が分からない。交番の見分が終わったら、玄関にチェーンをかけておけ」
(分かった)
「片付けが大変だろう。富永を行かせようか?」
(いや大丈夫だ。もともと物が少ない家だ)
「そうか……」
(それはそうと、お前はなんの用だったんだ)
そうだった。電話をしたのは自分の方だった。
危うく用件を忘れるところだった。
「そうだった。加藤、美咲ちゃんの遺影に使った顔写真、家にあるか?」
(ああ、あるぞ)
「それ、携帯で写真撮って、俺にメールで送ってくれないか」
(それは構わないが……なんに使うんだ?)
「ちょっと見せたい奴がいるんでな。詳しくは明日だ」
(分かった、送る。……じゃあ切るぞ)
「ああ頼む。……加藤、気を付けろよ」
(ああ、そうする。また明日……だな)
電話が切られた。……1時間半の留守中に空き巣だと? しかも金目当てではない。間違いなく計画的、かつ複数人での犯行のように思える。
おい加藤、急にキナ臭くなってきてないか?
岩崎は、間もなく送られてきたメールに添付された加藤美咲の笑顔の写真を眺める……。
邪気は感じられないんだがな。……この写真には。
岩崎は気を取り直して、加藤美咲の写真をプリントアウトした。
そして薬物捜査担当の巡査部長を呼び止める。
「はい、なんでしょう」
岩崎は、机の上にある送致書類を顎で指した。
「こいつを出してきてくれ、ちょっと聞きたいことがあるんだ」
巡査部長は心配そうな顔になった。
「……なにか不備がありましたか? 書類に」
「いや、そうじゃない。個人的に聞きたいことがあるだけだ。書類はこれでいい」
「分かりました。ちょっと待っててください」
巡査部長は胸を撫で下ろしながら、留置場から売人を出す手続きを始めた。
杞憂であってくれ……。今度は岩崎の方が心配顔になっていた。
「課長、出しました。2室です」
「分かった」
そう、これはあくまで確認だ。岩崎は印刷した加藤美咲の写真を持って第2取調べ室に入り、番をしていた巡査に声をかける。
「代わろう。俺が一人で調べをする」
取調べ室で待たされていた売人の顔が青ざめる。
「……課長さん、ですか。……今日は」
「ああ、ちょっと聞きたいことがあってな」
「勘弁してください。もうこれ以上は何も話せませんよ、本当に。でないと俺、消されちまう」
「分かってる。分かってるから心配すんな。ちょっと見てもらいたいものがあるんだ」
「……見てもらいたいもの……ですか?」
岩崎は、祈るような気持ちで加藤美咲の写真を差し出す。
「うん。……お前さん、この娘に見覚えはないか?」
翌朝、岩崎が出勤して自席に着くなり内線電話が鳴った。署長室からだ。
「おはようございます。岩崎です」
(ああ、今、空いてるか?)
「はい、大丈夫です」
(じゃあ、ちょっと来てくれ)
「分かりました。すぐ行きます」
おそらくは加藤の件だろう。加藤美咲の通夜以降、岩崎はまだ報告らしい報告をしていなかった。
岩崎はすぐに署長室に向かい、ドアをノックした。
「入ってくれ」
「はい、失礼します」
ローテーブルの角を挟み、岩崎は署長の直近にあるソファに体を沈める。
「……で、どんな塩梅なんだ? 例の件は」
「はい、今日の夕方に加藤を署に呼んでいるので、おおよその話はそれで終わるかと思います」
「署に呼んでいる? なぜ?」
「ああ……いえ、週末に私が加藤の家に行ったので、今度は来てもらおうかと。……それだけです」
「……そうか。それで、事件絡みの線はあるのか?」
「ええと、まだちょっと確認することもありますが、まあ、加藤美咲がいじめにあっていたとか、犯罪の被害に遭っていたとかいう状況はなさそうです」
「じゃあどうして14歳が自殺するんだ」
「署長、死んだ加藤美咲は、心は充分に大人でした。普通の14歳とは明らかに違います」
「説明になってないぞ、岩崎」
「……そうですね。自殺の具体的な動機については、今日明日中に、おおよそのことは判ると思うんですが、今の時点では、なんとも……」
「そうか。……岩崎」
「はい」
「このまま任せていいのか?」
署長が岩崎の顔を覗きこむ。定年が近いこの署長、元々は刑事が畑だ。
痩身ながら眼光に衰えはない。そして口よりも目が語るものに重きを置く。
岩崎は意識して目を逸らさぬようにして答える。
「はい。大丈夫です」
岩崎が答えたあとも、署長は岩崎を見つめている。
時間にすれば5秒ほどだったが、岩崎には倍以上に感じられた。
「やはり知り合いというのも良し悪しだな。岩崎、一つだけ言っておく」
「……なんでしょう」
「危険なものを一人で抱え込むな。抱え込むなら俺も仲間に入れろ」
「……了解しました」
やはり年の功には勝てないな。そんなことを考えながら岩崎は署長室を出た。
刑事部屋に戻った岩崎は、そういえば富永の姿が無いことに気が付く。
始業10分前……。いつもなら誰より早く出勤して刑事部屋の掃除をしている。
岩崎は一度座った席を立ち、富永の直属の上司、強行犯係長に小声で尋ねる。
「富永はまだ来てないのか?」
「あれ? 富永ならさっき、今日は出先に直行しますって連絡してきましたよ。……課長の特命、なんですよね?」
あいつ……。俺にも連絡しろよ、まったく。
「……ああ、そういえばそうだったな。忘れてた。じゃあ、誰に頼もうかな」
「別命ですか?」
「いや、いいんだ」
そう言って岩崎は、今度は薬物担当の巡査部長に声をかける。
「お前、今日の午前中、空けられるか?」
「急ぎものは……ありません。なんでしょうか」
「そうか、じゃあ悪いが急ぎで携帯の照会を一件、頼んでいいか?」
「はい。大丈夫です」
「じゃあ頼む。ええと番号は……あった、これだ。これの契約者と……そうだな……3ヶ月分の通話履歴を照会してくれ。投げ込みでな」
岩崎は机の中に入れていたメモ紙を巡査部長に手渡す。
「え……っと、これは……たしか昨日の……」
「そうだ。ちょっと気になるんでな」
「分かりました」
巡査部長はメモ紙を見つめる。
そこには一件の携帯電話番号と
いとう(ハ)女こども
という文字が書かれていた。
結局富永は出てこないまま、時刻は昼近くになろうとしていた。携帯電話の照会も結果待ちだ……。
富永は何をしているんだろう。加藤美咲の同級生に当たっているのか?
いや、今日は月曜だから中学生は学校に行っているはずだ。
そして、加藤はもう何かを掴んだだろうか?
加藤……。俺には落としどころを用意することなどできないぞ……。
岩崎が思案に耽っていると、内線電話が鳴った。
ディスプレイを見ると、署の落とし物係からだった。
……会計が何の用だ?
「……はい、岩崎です」
「あ、岩崎課長、あの……交通にかけたんですが、先週の死亡事故の件は刑事課長にって言われたんですが、よろしいですか?」
会計課の若い女性事務だった。
「ああ俺でいい。どうかしたのか?」
「市役所の道路維持課の人が拾得物を届けに来たんで預かったんですが……」
「道路維持課?」
「はい、例の事故現場の花が一杯なので片付けていたら花の陰にスポーツバッグが置かれていたらしくて、これはさすがに処分できないということで届け出に」
「ん、分かった。取りに行く」
スポーツバッグ……か。何が入っているんだろう。
岩崎は会計課に行き、その赤い合皮製のスポーツバッグを受け取った。自席に戻り机の上に置く。
ちょうど昼か……。一寸考えてから、岩崎は加藤に電話をかける。
「俺だ、加藤、今いいか?」
(ああ、暇だ)
暇……か。今、暇な時間ほど加藤を苦しめるものはないだろう。
「じゃあ予定変更で、昼一番で署に集合できるか?」
(構わんが……何か見つかったのか?)
「加藤、美咲ちゃんは赤いスポーツバッグを持っていなかったか?」
(……そういえば、持ってたな。ん? 言われてみれば見当たらないな)
「そのスポーツバッグ、事故現場に置かれてたぞ」
(なに?)
「誰が置いたかは判らん。それと、ファスナーが南京錠で結ばれている。加藤、この南京錠に心当たりはあるか?」
しばらく間が空く。加藤は考えているようだ。
(……おそらく、ある)
「鍵が……あるのか?」
(……おそらく、な)
「そうか、まあいい。その、おそらく……とやらを持って署に来てくれ」
(了解した)
あとは……富永か。岩崎は続けざまに机上の電話で富永にかける。
(あ、課長、すいません。すぐかけ直します)
一方的に切られた。が、30秒ほどで折り返しが来た。
「富永、今どこにいる?」
(図書館です)
「図書館? なんだ、サボりか?」
(違いますよ。調べものです。それより、どうしたんですか?)
「ああ、加藤美咲の物と思われるスポーツバッグが事故現場に置かれていた」
(え?)
「鍵がかかってるんで中身は不明だ。加藤が鍵に心当たりがあるらしい。集合を早めるぞ、午後一番に加藤が署に来る」
(……分かりました。急いで戻ります)
「応接室に集合だ。じゃあな」
……図書館で調べものだと? あいつは何を掴んだんだ?
想像がつかない岩崎は、もう一度、赤いスポーツバッグを見つめた。
まあいい、おとなしく少年課に行ったようだ。
岩崎は、先週に逮捕した覚せい剤の売人の送致書類に目を通していた。
その中の報告書の一つに先ほどから関心を奪われている。
それは売人が使っていた携帯電話の電話帳データの一覧で、売人を捕まえた場合、このデータから客、つまり薬物乱用者に当たりを付けて捜査をしていく。
下っ端の売人も最近はよく教育されていて、携帯電話は肌身離さず持ち歩き、警察に捕まりそうになったときは、躊躇なく自分の携帯電話をへし折ることが多い。が、こいつはどんくさいのか、密売の現場を押さえられたとき、気が動転してしまったのだ。
結果、こうして貴重な資料が目の前にあるのだ。
この売人は、まだ若くて身軽なせいか、けっこうな量を捌いていたようだ。
扱っているブツも、覚せい剤と大麻の他、危険ドラッグまで手広く扱っていた。
……危険ドラッグ、か。むしろ一番危険なのはこれかもしれない。
なにしろ歴史が浅いうえに成分が多種多様なので、今最も死人を出している薬物はおそらくこれだ。
この電話帳データは、おそらくお得意様だけが登録されているのだろう。登録件数は50もない。
そして、別の売人に引き継いでも商売ができるように、データの「名前」部分に必要最低限の情報が詰められている。……マメな売人だ。
かわい(氷)デブメガネ
さいとう(草)チンピラ金髪
たなか(草)やせたおばさん
みかみ(氷)パンチパーマこわい
わたなべ(ハ)ノッポ柔道
氷は覚せい剤、草は大麻、ハは……おそらく危険ドラッグだ。以前は脱法ハーブなどと呼ばれていたから。「パンチパーマこわい」「ノッポ柔道」なども売人にとっては重要な情報なのだろう、危険な商売なのだから。
そして、ここにある名前の9割は、おそらく偽名だ。本名で薬を買う人間は少ない。……大して効果はないのに。
岩崎が引っ掛かっているのは、五十音順に並んだデータの一番目だった。
いとう(ハ)女こども
……いとう……伊藤、か。
偽名は大抵、本名に近い響きのものが使われることが多い。
女こども……。乳飲み子を持つ母親なのかもしれないが、女のこども、あるいは女と子供……なのかもしれない。
……考えすぎか。しかし、岩崎のこれまでの経験がこのデータを素通りさせまいとしている。
つい一時間前、加藤に電話で聞いたときは、美咲ちゃんは子どもケータイ以外の携帯電話は持っていないと言っていたが……。
いや、杞憂であればそれでいいのだから、確認だけはしてみるか……。岩崎は再度、加藤に電話をかける。
(さすがに刑事課長は耳が早いな)
「え、なんのことだ?」
(ん、違うのか?)
「……どうかしたのか?」
(ああ。空き巣に入られた。今、交番の人に来てもらっている)
「なんだと?」
(さっき岩崎の電話を受けたとき、俺は事故現場にいたんだ。花を供えようと思ってな)
「……どれくらい空けてたんだ?」
(まあ、一時間半ってところか)
「で、何を盗られた?」
(盗られたものは、ない)
「ない? 確かか?」
(ああ、幸か不幸か、出る前に自分で家捜しをしたんでな。間違いない)
「そうか……。どうやって入られたんだ?」
(交番の人が言うには、プロか……合鍵だそうだ)
「……つまり、どうやって入ったのか判らないんだな?」
(そういうことだ。だが、部屋は見事に荒らされていた)
「金目のものは置いてなかったのか?」
(置いていた。香典があったから現金だけでも相当な額をな)
「それを盗まれなかったってのか?」
(そうだ。なあ岩崎、これは偶然か? 俺は、たまたま被害に遭ったのか?)
「まあ……偶然なわけねえよな」
(俺はどうすればいい?)
「……そうだな。とりあえず身辺には気を付けろ。空き巣の目的が分からない。交番の見分が終わったら、玄関にチェーンをかけておけ」
(分かった)
「片付けが大変だろう。富永を行かせようか?」
(いや大丈夫だ。もともと物が少ない家だ)
「そうか……」
(それはそうと、お前はなんの用だったんだ)
そうだった。電話をしたのは自分の方だった。
危うく用件を忘れるところだった。
「そうだった。加藤、美咲ちゃんの遺影に使った顔写真、家にあるか?」
(ああ、あるぞ)
「それ、携帯で写真撮って、俺にメールで送ってくれないか」
(それは構わないが……なんに使うんだ?)
「ちょっと見せたい奴がいるんでな。詳しくは明日だ」
(分かった、送る。……じゃあ切るぞ)
「ああ頼む。……加藤、気を付けろよ」
(ああ、そうする。また明日……だな)
電話が切られた。……1時間半の留守中に空き巣だと? しかも金目当てではない。間違いなく計画的、かつ複数人での犯行のように思える。
おい加藤、急にキナ臭くなってきてないか?
岩崎は、間もなく送られてきたメールに添付された加藤美咲の笑顔の写真を眺める……。
邪気は感じられないんだがな。……この写真には。
岩崎は気を取り直して、加藤美咲の写真をプリントアウトした。
そして薬物捜査担当の巡査部長を呼び止める。
「はい、なんでしょう」
岩崎は、机の上にある送致書類を顎で指した。
「こいつを出してきてくれ、ちょっと聞きたいことがあるんだ」
巡査部長は心配そうな顔になった。
「……なにか不備がありましたか? 書類に」
「いや、そうじゃない。個人的に聞きたいことがあるだけだ。書類はこれでいい」
「分かりました。ちょっと待っててください」
巡査部長は胸を撫で下ろしながら、留置場から売人を出す手続きを始めた。
杞憂であってくれ……。今度は岩崎の方が心配顔になっていた。
「課長、出しました。2室です」
「分かった」
そう、これはあくまで確認だ。岩崎は印刷した加藤美咲の写真を持って第2取調べ室に入り、番をしていた巡査に声をかける。
「代わろう。俺が一人で調べをする」
取調べ室で待たされていた売人の顔が青ざめる。
「……課長さん、ですか。……今日は」
「ああ、ちょっと聞きたいことがあってな」
「勘弁してください。もうこれ以上は何も話せませんよ、本当に。でないと俺、消されちまう」
「分かってる。分かってるから心配すんな。ちょっと見てもらいたいものがあるんだ」
「……見てもらいたいもの……ですか?」
岩崎は、祈るような気持ちで加藤美咲の写真を差し出す。
「うん。……お前さん、この娘に見覚えはないか?」
翌朝、岩崎が出勤して自席に着くなり内線電話が鳴った。署長室からだ。
「おはようございます。岩崎です」
(ああ、今、空いてるか?)
「はい、大丈夫です」
(じゃあ、ちょっと来てくれ)
「分かりました。すぐ行きます」
おそらくは加藤の件だろう。加藤美咲の通夜以降、岩崎はまだ報告らしい報告をしていなかった。
岩崎はすぐに署長室に向かい、ドアをノックした。
「入ってくれ」
「はい、失礼します」
ローテーブルの角を挟み、岩崎は署長の直近にあるソファに体を沈める。
「……で、どんな塩梅なんだ? 例の件は」
「はい、今日の夕方に加藤を署に呼んでいるので、おおよその話はそれで終わるかと思います」
「署に呼んでいる? なぜ?」
「ああ……いえ、週末に私が加藤の家に行ったので、今度は来てもらおうかと。……それだけです」
「……そうか。それで、事件絡みの線はあるのか?」
「ええと、まだちょっと確認することもありますが、まあ、加藤美咲がいじめにあっていたとか、犯罪の被害に遭っていたとかいう状況はなさそうです」
「じゃあどうして14歳が自殺するんだ」
「署長、死んだ加藤美咲は、心は充分に大人でした。普通の14歳とは明らかに違います」
「説明になってないぞ、岩崎」
「……そうですね。自殺の具体的な動機については、今日明日中に、おおよそのことは判ると思うんですが、今の時点では、なんとも……」
「そうか。……岩崎」
「はい」
「このまま任せていいのか?」
署長が岩崎の顔を覗きこむ。定年が近いこの署長、元々は刑事が畑だ。
痩身ながら眼光に衰えはない。そして口よりも目が語るものに重きを置く。
岩崎は意識して目を逸らさぬようにして答える。
「はい。大丈夫です」
岩崎が答えたあとも、署長は岩崎を見つめている。
時間にすれば5秒ほどだったが、岩崎には倍以上に感じられた。
「やはり知り合いというのも良し悪しだな。岩崎、一つだけ言っておく」
「……なんでしょう」
「危険なものを一人で抱え込むな。抱え込むなら俺も仲間に入れろ」
「……了解しました」
やはり年の功には勝てないな。そんなことを考えながら岩崎は署長室を出た。
刑事部屋に戻った岩崎は、そういえば富永の姿が無いことに気が付く。
始業10分前……。いつもなら誰より早く出勤して刑事部屋の掃除をしている。
岩崎は一度座った席を立ち、富永の直属の上司、強行犯係長に小声で尋ねる。
「富永はまだ来てないのか?」
「あれ? 富永ならさっき、今日は出先に直行しますって連絡してきましたよ。……課長の特命、なんですよね?」
あいつ……。俺にも連絡しろよ、まったく。
「……ああ、そういえばそうだったな。忘れてた。じゃあ、誰に頼もうかな」
「別命ですか?」
「いや、いいんだ」
そう言って岩崎は、今度は薬物担当の巡査部長に声をかける。
「お前、今日の午前中、空けられるか?」
「急ぎものは……ありません。なんでしょうか」
「そうか、じゃあ悪いが急ぎで携帯の照会を一件、頼んでいいか?」
「はい。大丈夫です」
「じゃあ頼む。ええと番号は……あった、これだ。これの契約者と……そうだな……3ヶ月分の通話履歴を照会してくれ。投げ込みでな」
岩崎は机の中に入れていたメモ紙を巡査部長に手渡す。
「え……っと、これは……たしか昨日の……」
「そうだ。ちょっと気になるんでな」
「分かりました」
巡査部長はメモ紙を見つめる。
そこには一件の携帯電話番号と
いとう(ハ)女こども
という文字が書かれていた。
結局富永は出てこないまま、時刻は昼近くになろうとしていた。携帯電話の照会も結果待ちだ……。
富永は何をしているんだろう。加藤美咲の同級生に当たっているのか?
いや、今日は月曜だから中学生は学校に行っているはずだ。
そして、加藤はもう何かを掴んだだろうか?
加藤……。俺には落としどころを用意することなどできないぞ……。
岩崎が思案に耽っていると、内線電話が鳴った。
ディスプレイを見ると、署の落とし物係からだった。
……会計が何の用だ?
「……はい、岩崎です」
「あ、岩崎課長、あの……交通にかけたんですが、先週の死亡事故の件は刑事課長にって言われたんですが、よろしいですか?」
会計課の若い女性事務だった。
「ああ俺でいい。どうかしたのか?」
「市役所の道路維持課の人が拾得物を届けに来たんで預かったんですが……」
「道路維持課?」
「はい、例の事故現場の花が一杯なので片付けていたら花の陰にスポーツバッグが置かれていたらしくて、これはさすがに処分できないということで届け出に」
「ん、分かった。取りに行く」
スポーツバッグ……か。何が入っているんだろう。
岩崎は会計課に行き、その赤い合皮製のスポーツバッグを受け取った。自席に戻り机の上に置く。
ちょうど昼か……。一寸考えてから、岩崎は加藤に電話をかける。
「俺だ、加藤、今いいか?」
(ああ、暇だ)
暇……か。今、暇な時間ほど加藤を苦しめるものはないだろう。
「じゃあ予定変更で、昼一番で署に集合できるか?」
(構わんが……何か見つかったのか?)
「加藤、美咲ちゃんは赤いスポーツバッグを持っていなかったか?」
(……そういえば、持ってたな。ん? 言われてみれば見当たらないな)
「そのスポーツバッグ、事故現場に置かれてたぞ」
(なに?)
「誰が置いたかは判らん。それと、ファスナーが南京錠で結ばれている。加藤、この南京錠に心当たりはあるか?」
しばらく間が空く。加藤は考えているようだ。
(……おそらく、ある)
「鍵が……あるのか?」
(……おそらく、な)
「そうか、まあいい。その、おそらく……とやらを持って署に来てくれ」
(了解した)
あとは……富永か。岩崎は続けざまに机上の電話で富永にかける。
(あ、課長、すいません。すぐかけ直します)
一方的に切られた。が、30秒ほどで折り返しが来た。
「富永、今どこにいる?」
(図書館です)
「図書館? なんだ、サボりか?」
(違いますよ。調べものです。それより、どうしたんですか?)
「ああ、加藤美咲の物と思われるスポーツバッグが事故現場に置かれていた」
(え?)
「鍵がかかってるんで中身は不明だ。加藤が鍵に心当たりがあるらしい。集合を早めるぞ、午後一番に加藤が署に来る」
(……分かりました。急いで戻ります)
「応接室に集合だ。じゃあな」
……図書館で調べものだと? あいつは何を掴んだんだ?
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