70 / 89
第4章 悠久を渡る「黒虚」の暇つぶし
70.指先で辿る
しおりを挟む【フィーユ・ドレスリート】
お父様の書斎から発掘した古い地図帳を抱えて、自室に駆け込んだ。普段なら流石に就寝している時間だけれど、今夜は部屋の灯りを煌々と点したまま。
事情を一切尋ねることなく、目当ての品を一緒に探してくれたシオンには、ありがとうの言葉だけじゃ足りないわ。今度ハーバルさんの喫茶店に誘って、絶品のスイーツをご馳走してあげなきゃ。
「ティアちゃん、お待たせ!」
「はわっ! れっレインさん、フィーユちゃんが戻ってきましたよ! 地図帳さん、あったみたいですっ!」
初めて訪れる部屋に一人残されて、おろおろと歩き回っていたのかも知れない。
安堵の表情を浮かべたティアちゃんは腰を屈めて、背の低い円卓に置いた通信機に向かって声を張り上げた。耳も尻尾もピンと伸びている。
オウゼでの通信のときも少し声が大きかった気がするけれど、もしかして、頑張って声を遠くへ飛ばそうとしているのかしら……?
後輩の可愛らしさに一瞬だけ緩んだ口元をきゅっと引き締めて、通信機の位置を調整、円卓に地図帳を広げた。むわっと漂う、長い間封じ込められていた古紙の香り。
本というよりは、複数の地図を一冊にまとめたファイルに近いものだった。1枚目はシェールグレイ王国全域、2枚目は王領……そして3枚目が、お目当ての王都の地図!
「あったわ、王都の地図! かなり古いけれど、地名や施設名の記載は相当に細かい……期待できそうよ!」
『良かった、助かるよ。
ザカレア大路の方が見つけやすいだろうな……オレの記憶が確かなら、北西の方角に在った筈だ』
大きな地図の左上を、円卓の中央に固定。私の肩に寄り添ったティアちゃんと一緒に、4つ目のヒントに記された地名を探す。
黄ばんだ紙に、茶色くなったインク。けれどお父様の保存方法が良かったためか、損傷やシミは少なく、大体の文字ははっきりと読み取ることができた。
「……っ!」
鼓動が、高鳴った。
地図の上にぐいと身を乗り出して、人差し指で「ザカレア大路」という文字に触れる。
「見つけた、ザカレア大路! ティアちゃんお願い、ノートに記録したヒント4をゆっくりと読み上げて!」
「りょ、了解しましたっ!」
ティアちゃんは、椅子の上に広げてあった私の依頼ノートを、大事そうに手に取って、
「で、では、読みますよ? せぇーのっ……ザカレア大路を南方より北上、2つ目の十字路を、左へ」
ガイドに従って人差し指を動かしていくと、「アーデルミ通り」という文字に辿り着いた。完全に、当たり。
「アーデルミ通りを直進。噴水広場を抜けた直後より、向かって右、並びの5番目」
辿り着いた先に噴水広場という地名はない。けれど恐らく、この円形の空間のことを示しているんだわ。
向かって右、並びの5番目に該当する建物には、次のような施設名が書かれていた。
『リーゲネス聖堂』。
「リーゲネス聖堂。指定の住所にあるのは、どうやらケラス教会みたい。
でも、情報が古いから……もしかしたら今は建て替えられた後で、別の建物になっているかも知れないわね」
『リーゲネス聖堂……』
レインくんは繰り返したきり、沈黙した。
もう! ただでさえ何を企んでいるのかわかりづらいのに、通信機越しだと尚のこと、全然情報が足りないわっ!
仕方ない。こちらはこちらで、この奇妙過ぎるヒントについて話し合う!
「あ、あたし、王都には行ったことがなくて、この教会のお名前も初めて聞いたんですけど……でもあの、影さんはヒントその2で、答えは身近にあるって仰ってましたよね?
で、でも、このヒントが示してるのは、王都にある教会で……それって、あんまり身近じゃないような気がするんですけど……」
「同感ね、今からこの場所を訪れろって指示するつもりはないと思う。
それなら……この『リーゲネス聖堂』という建物を、何かの象徴と見做す、とか?」
たとえば……安直ではあるけれど、教会や歴史的建造物、ケラス教やその教義。
教会。カルカにはカルカ大聖堂を含めて、ケラス教会が3箇所ある。影はそのどこかに潜んでいたり、そのどこかにヒントを隠しているのかも。
でも、引っかかる。クロは敬虔な教徒というわけじゃない。お母様が祈りを捧げている時間に、自分は魔物を殲滅するための鍛錬を積むってタイプ。影が化けているのは、クロのごく身近な存在である筈……教会が彼にとって身近だと言えるかしら?
正解を導き出すには、ヒントという名の「条件」を全て満たす必要がある。矛盾するとわかったなら、それを解消する方法を考えなきゃ。思い浮かばなければ、深追いせずにさっさと違う着眼点に切り替えるのが賢明……
クロに身近、かつケラス教会。
クロに身近、かつ教会にまつわる何か。
ふいに、脳内に閃きが走った。
「ねえ、魔糸向鑑定術師さんはどう!?」
「ふ、ふぇ? あ、あの、ましこうかんていじゅちゅ……はうぅ、また噛んじゃいましたあぁ……!」
シェールグレイ王国領に暮らす人間にとっては常識だけど、森を故郷とする獣人のティアちゃんには馴染みのない文化みたい。
舌を噛んだ痛みのせいで涙目になったティアちゃんにハンカチを手渡しながら、すぐに「前提」の説明に取り掛かった。
「シェールグレイでは、生まれた子供がある程度育ったら、どんな魔力の素質をどれくらい宿しているか確かめるために、その地域にある大教会に連れて行く習慣があるのよ。
魔糸向鑑定術師は、各自治体内の教会に最低でも一人は配置されている、他者の魔力を鑑定する魔法を習得した魔導士のことで、」
『フィーユちゃん、ありがとう』
レインくんが、私の説明を遮った。
私は……口を噤んでしまった。
口調は決して鋭くないのに、相手を怯ませるような重圧感を持つ声だった。普段ならムッとするところだけれど、耳を澄まさずにはいられなかった。
『ようやく思い出したよ。
数年前……「リーゲネス聖堂」で「魔糸向鑑定術師」として勤務していたある男が、異端審問を受けた末、流刑に処された。
たまたま読んだ新聞記事をきっかけに興味が湧いて、野次馬として少々調べたことがある一件だ』
異端審問って……ケラス教の教義に背き、尚且つ暴動等の社会問題に繋がる「危険思想」を抱いた人物が、その責任を追及される裁判のこと、よね?
私の意見はこう。『私達が生まれる以前からカルカ大聖堂に勤続している魔糸向鑑定術師さんも、影の候補者の1人として数えられるのでは?』
息子が『転生者』であることを確かめるために、クロのご両親は、カルカ大聖堂の魔糸向鑑定術師に再鑑定を依頼した。クロはその結果を私に伝えた。
魔糸向鑑定術師が厳格な守秘義務を持つのは、それぞれの家の秘密を握っているがゆえ。つまり、あの方だけはクロの秘密を知っている。こじつけ染みてはいるけれど、ある意味では、クロにとって身近な存在と呼べるかも知れない。
それがまさか、異端審問の話に繋がるなんて……
理解が追いつくわけ、ないじゃない。
『その男は教会に勤めていながら、ケラス教の教義に反する「危険」な思想の持ち主だった。
しかし同時に人格者でもあった。未だ貧富の差を抱える王都において、道端に蹲っている人々を見れば迷わず手を差し伸べ、彼等が飢えていると知れば自らの食事を分け与えた。そして彼等の心を救う為だけに、独自の思想を打ち明けた。
やがて、彼に救われ、彼の信奉者となった人々が、聖堂の内外で思想の布教活動を始めた。その熱量は凄まじく、当代教務卿の耳にまで届いた。
「何らかの処置を取らなければ暴動に発展する可能性が高い」、そう判断した教務卿は、男を異端審問にかけた。拷問なんてナシ、事実確認だけの微温いもんだ。流刑は重罪ではあるが、その実質は、離島にお家を建ててあげるから生活の場をそちらへ移してくれってだけ。
男は妻子を持たず、自分の言動が引き起こした事態について、疎だった髪を罪の意識で一層薄くしている程だった。教務卿の提案を快諾し、離島への片道切符を手に、船に乗り込んだ……。
経緯は以上だ。平和的に収まり過ぎている点が珍しいってだけの、よくあるくだらねえ出来事さ』
「くだらない、って……確かにありそうな出来事だけれど、きみが興味を抱くだけの何かがあったのよね? 信奉者が広めようとしたのは、一体どんな思想だったの?」
『「神は複数存在する」。
神という高次の存在は、天上に座す女神様、ただ一柱では非ず。奇跡を求める全ての人心に、平等に存在する。
ケラス教が崇めているのは「女神」ただ一柱のみ、他の神格は認めてない。心優しい男の密やかな望みが「異端」と烙印を押されたのはそんな、至ってシンプルな理由からだよ』
「神様が、いっぱい……!?
はわわわ……も、もしかして、あたしの中にもいらっしゃって、今日もティアは駄目駄目だなって、毎日呆れていらっしゃるんじゃ……!?」
ティアちゃんが頭を抱えながら、宙の一点を凝視している。その一点に触れれば、彼女の思考そのものに触れられるような気がした……まあ、そもそも全部声に出ちゃっているけれど。
ティアちゃんはやがて、酷く混乱した表情で、私と通信機とを交互に見た。
「ええと、ええとぉ……っ、ごめんなさいレインさん、フィーユちゃん、馬鹿なティアを助けてくださぁぁあい!
この4つ目のヒントが示してるのは、『カルカにある教会のどこかに影さんがいます!』とか、『影さんの手がかりが、こっそり隠されてます!』とか、そういう意味じゃないってこと……なんでしょう、か?」
『可能性は否定できない。だが、ラウラはリーゲネス聖堂を選んだ。カルカの教会ではなく、遠く離れた王都に複数あるうちの一教会を、敢えて選択したんだ。
必ず、何かしらの意図がある』
何かしらの、意図。
今すぐギルドの書庫へ走って、リーゲネス聖堂の史実について調べ尽くしたい……無茶な欲求が膨らんでは萎む。流石に、そんな猶予はないわよね。
4つ目のヒントがわかれば、その分だけ影に迫れると思っていた。だけど結果は、先の見えない暗闇の中に引き戻されただけのように思える。
わからないのは、ラウラの意図だけじゃない。
レインくんは質問に答えながら、同時に答えてくれていない。
きみは、リーゲネス聖堂周辺で起こった一連の事件の「どこに」「どうして」興味を引かれたの?
まるで、私の幼馴染みたい。
たった1人、夜目が利くとでも言うかのように、迷うことなく漆黒へと踏み入っていく……
『事態が動いたらすぐに連絡する。君達もそうしてくれ。
オレの考えが正しければ、なんだが』
レインくんは、深夜の通信をこう締め括った。
『ヒントは、次で終わりだろう』
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
165
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる