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第九章
193.アレッサンドロさんが最後に描きたかった絵。―――これか
しおりを挟むロレンツォが静かに告げる。
「いいや。これはボッティチェリの五百年越しの新作、だよ」
「アレッサンドロさんが最後に描きたかった絵。―――これか」
アンジェロが声を詰まらす。
その直ぐ側で、少し冷静にこの事件を捉えられるようになってきたサライは思うのだ。
(本当にアレッサンドロの奴、ユディトを絵に戻そうと思っていたのだろか)
と。
実は美術研究施設から奪ってきた絵をユディトに差し出したら必ず破壊すると分かっていたから、あの場でわざと見せたんじゃないだろうか。
二人とももうこの世にいないのだから、真実は聞きようがない。
だが、互いが互いを死で縛りあって幕を閉じた気がしてならない。
それはもう狂気的な愛。
尊敬する絵描きと惚れた女。
二人を一気に失って昼夜、塞いでいたアンジェロは、絵を丹念に眺めた後、とうとう号泣。
「なんで?どうして?もう会えないんだ」
サライはアンジェロの背中を擦ってやりながら思う。
(短期間でそこまで尊敬できる相手と出会えるなんて、よっぽどアレッサンドロとの時間は得難いものだったのだろう。涙の一部には、失恋の痛みも含まれているはずだから、どうにも切ない)
レオがロレンツォに聞いた。
「どうするつもりだ、これ」
「もちろん、心して受け取らせてもらうよ。早々にウフィツィに連絡しよう。偽物を飾る訳じゃないし、喜んでくれる」
「ってことは、本物としてウフィツィに飾るって?制作年代は違うだろ」
とサライはつっこむ。
ロレンツォが軽く首を振りながら、立ち上がる。
「大抵の鑑賞者には問題無い。彼らは、ボッティチェリという絵描きが描いた絵を見ることができればそれでいいのだから」
アンジェロが怒鳴った。
「ラブレターみたいなもんだってアレッサンドロさんは言っていた。それって、ユディトさんに向けたものだと俺、思っていたんだ。けれど、本当は父さん宛だろ?!どうして、手元に置いてやらないんだよ!」
久しぶりに息子が会話を求めてきても、父親は黙って控室を出て行ってしまう。
今日は頭を撫でつけてさらにサライにそっくりになっているヨハネが、鬱陶しそうに耳を塞いだ。
「分かってねえな、アンジェロは。ウフィツィは、メディチが手掛けた元市庁舎。今はメディチ家歴代の美術コレクションを所蔵する一級の美術館。そこに飾るっつってんだよ。この無知が。パトロンに愛しい女の絵を捧げて、パトロンがそれを民衆にお披露目する。それって、絵描き冥利に尽きるだろ」
すると、
「あ……。そういうことか。アレッサンドロさんもそのことを想定して」
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