失われた右腕と希望の先に

瑪瑙 鼎

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第9章 孤立する北

145:ただ一人の勝利者

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 ――― そして、ゲルダ・へリングは、自分の胸ほどの身長しかない小柄な少女を両腕で抱えたまま、その光景を目にする。



「汝に命ずる。大地より鉄を吸い上げ、灼熱を抱いて鋼の錘を成せ。錘は長さ3m、底の直径75cmとし、その数は54。我の前方10m、高さ1.5m、幅200mの間に等間隔で横列を成し、各々が青炎を纏いて我に従え」

 少女の詠唱に応じて、二人の目の前に地面から黒い靄が立ち昇り、渦を巻いて次第に黒槍を形作っていく。その1本1本がゲルダの身長以上の長さを有し、ゲルダさえ容易に貫けるほどの凶悪な尖端を前方へと向け、青炎と白煙を吹き上げながら、横一列にずらりと並ぶ。列はゲルダの視界内に全て収まらず、その全貌を見るために、自分の頭を大きく左右に振らなければならなかった。

 オズワルドから話は聞いていたが、初めて見る光景を前に、ゲルダは敵前にも関わらず呆然としたまま視線を動かす。そんなゲルダの胸元から、少女の声が聞こえて来る。

「汝に命ずる。礫を束ねて直径10cmの岩を成せ。その数、――― 1,000。我の前方10m、高さ1.5mに、幅200mで等間隔に並び、炎を纏いて我に従え」

 その途端、両腕で抱えた少女の重さが突然増し、ゲルダの腕からするりと滑り落ちそうになる。ゲルダは慌てて両腕に力を入れ、力の抜けたままの少女を抱え上げた。

「ミカ!しっかりおし!」

 ゲルダには似つかわしくない、動揺を帯びた掛け声に、しかし少女は反応しない。ゲルダは少女を抱えたまま身を揺すり、少女の意識を確かめようとするが、視界の隅に捉えた光景に、思わず少女を揺する腕が止まる。

 二人の前方、黒槍が一列に並ぶすぐ後ろに、石の噴水が何本も噴き上がっていた。噴水は、まるで砂時計の砂が逆流するかの様に、地面から細い線を描いて立ち昇り、やがて丸くなって拳大の塊となる。その塊は、黒槍に従うように横一列に並び、長い長い1本の数珠状の線を形成する。その一つ一つが炎を纏い、次第に灰色から橙色へと輝いていく。

 表情が固まったゲルダの耳に、か細い少女の呟きが聞こえてくる。ゲルダは思わず少女を見るが、少女の頭は生命を感じられないほど無機質で、ゲルダの腕の動きにされるがままに揺れ動く。ゲルダは腰を据え、少女をより深く抱え込み、両腕を交差して、少女の反対側の肩をしっかりと抱え込む。



「…全弾…音速、で…水平…斉射。彼…の…者を…穿ち…食い…破…れ…」

 突然、ゲルダの目の前に「白い壁」が押し寄せ、二人は轟音とともに「白い壁」に叩き付けられた。



「ぐぅぅぅ!」

 踏ん張る事もできなかった。

 ゲルダは平衡感覚を失い、足から大地の感触が消え失せる。視界は一瞬真っ白になった後、目まぐるしく動き回り、自分がどちらを向いているのかもわからない。ゲルダは力いっぱい目を瞑り、少女を抱える両腕により一層力を入れて背中を丸め、膝を曲げ、少女の身を自らの体で覆い尽くす様に抱え込んで、運を天に任せる。

「ぐぉっ!」

 左肩に激痛。直後に頭部。激痛はそのまま右腕、右足へと伝播し、ゲルダの体はボールの様に二転三転し、地面を転がり続ける。ゲルダはその動きに逆らおうとせず、ひたすら身を小さく縮め、腕の中にいる少女を抱きしめた。

 そのまま数十m地面をバウンドし続けたゲルダは、ようやく摩擦に負けてその巨体が動きを止めると、即座に起き上がった。土と血と痣で茶と赤と青に彩られた自分の身を顧みる事なく、腕の中にいる少女を揺さぶって、声をかける。

「ミカ!ミカ!しっかりしな!」
「…」

 ゲルダに揺すられるまま、美香の頭は前後に動き、意識が感じられない。ゲルダは、美香を地面に寝かせ、口元に鼻を寄せる。

「…くっ!」

 呼吸が感じられない。

 ゲルダは頭を上げ、美香の上に跨ると、唇を重ねて人工呼吸を行う。顔を上げると、美香の胸に両手を当てて規則正しく強く押し込み、再び唇を重ねる。

「ミカ!死ぬんじゃないよ!早く戻ってこい!」

 討伐隊の面々が馬に乗り、二人を避けてハヌマーンへと突撃する中、ゲルダはひたすら人工呼吸を繰り返す。

「…ひゅぅ…」

 やがて、美香の口から微かに空気の流れが起き、真っ青だった唇に僅かながら紅色が射す。それに気づいたゲルダは大きく息を吐き、美香の首の後ろと膝裏に両腕を通すと、壊れ物を扱うようにゆっくりと抱え上げ、胡坐をかいた自らの膝の上に載せた。

「ゲルダっ!ミカの容態は!?」
「ミカ様は、大丈夫ですか!?」

 護衛小隊を引き連れたニコラウスが血相を変えてゲルダに詰め寄り、馬車から転がり出てきたレティシアが泣きながら問う。ゲルダは美香を膝に載せたまま、顔の表情を和らげ、二人に答えた。

「一瞬ヤバかったが、持ち直した。予断は許さないけど、峠は越えたと思う」
「そう…良かったぁ…ミカぁ…うえぇぇぇぇん」

 ゲルダの脇に座り込んだレティシアは、美香の手を取り、そのまま泣きじゃくってしまう。続けて駆け寄ってきたカルラが、頭を深く下げ、ゲルダに礼を述べた。

「ゲルダ様、ミカ様を助けていただき、ありがとうございました。今、馬車に寝所を拵えていますので、少しお待ち下さい。その後、ゲルダ様の治療もさせていただきます」
「ああ、頼んだよ、カルラ」

 駆け付けた護衛小隊が円陣を組んで周囲を警戒する中、三人はそのまま座り込んで、寝所の完成を待ち続けていた。



 ***

 そして、オズワルドが率いる討伐隊の騎士1,400は、その光景を目にする。



 討伐隊の前方に佇む、二人の女。二人は、重なるようにして立ち並び、押し寄せてくる茶色の帯にたった二人で立ち向かおうとしている様にも見える。

 やがて大柄な女が片膝をつき、二人の姿が完全にひとつに重なると、目の前に異変が起きる。地面から立ち昇った黒い靄が渦を巻き、次第に黒槍を形成していく。黒槍は横一列に並び、その幅は後方に控えている討伐隊の視界の中にも納まりきれない。そして、その黒槍同士を繋ぐ鎖のように、地面から立ち昇った新たな点が黒槍の間を埋め、二人の前に大小2種類の点からなる点線が描かれる。オズワルドは、静かに点線が形成されるさまを眺めながら、ゆっくりと腕を振り上げた。



 そして突然、局面は静から動へと移る。横一線に轟音が鳴り響き、騎士達の目にも明らかな白い壁が二人の前に出現し、一瞬茶色の帯が見えなくなった。二人の女は一つになったまま、白い壁に弾き飛ばされ、ボールの様に討伐隊の方へと転がっていく。それを見たオズワルドが、腕を振り下ろし、怒鳴り声を上げた。

「全軍!突撃せよ!退転はない!この先、御使い様の後ろに我々の生きる場所はないと思え!」
「「「おおおおおっ!」」」

 オズワルドの指令に、討伐隊は槍を揃え、馬を駆って一斉に前方へと躍り出す。その想いは、誰もが同じだった。一匹たりとも、彼女には近寄らせない。

 討伐隊の騎士は、その想いを胸に前方に出現した白い壁に向かって突入して行くが、白い壁が霧の様に晴れると、異様な光景が目の前に広がっていた。



 先ほどまで地上を埋め尽くすほどだった、茶色の帯。その茶色の帯が無数に切り刻まれ、虫食いの如き無数の穴が空き、血の色に染まっていた。そして、茶色の帯は明らかに怯え、浮足立ち、狼狽している。

 討伐隊は驚きの表情を浮かべたまま次々に54本の溝に飛び込むと、槍を突き出し、剣を振り回して、茶色の帯に開いた傷口を広げていった。



 ***

「〇×##△!? ×$$□□!」
「〇□&&△□! 〇〇$△ $$〇!」
「□×\\\!」

 部族の男達は皆混乱し、狼狽して浮足立っている。東の族長も、男達と同じ様に混乱から立ち直れないでいた。



 目の前に広がった人族の群れ。その兵力は決して無視できないものであったが、東の部族から見れば、明らかに寡兵であった。奴らは一斉に魔法と呼ばれる、ハヌマーン達には容易には扱えない力を使って東の部族を強かに張り飛ばすが、勇猛な男達はそれに顧みる事なく、痛手を受けた仲間を踏み越えて人族へと突入する。それに対し、人族達は臆病風に駆られたように背を向け一目散に逃げ出して行く。

 それが3回ほど繰り返された所で、奴らは諦めたのか、二人の女を目の前に差し出し、恭順するかの様に動きを止めた。それを見た東の族長は、口の端を釣り上げ、嘲笑する。長く美しい毛に覆われていない女など、いらん。貴様らの命で償え。族長の嘲笑混じりの雄叫びを耳にした男達は、意気軒昂で人族へと殺到する。

 それが、一変した。



 族長はおろか、部族の男の誰一人として、何が起きたか理解できなかった。彼らの許に突如押し寄せてきた、目にも止まらぬ速さの黒い槍。その黒い槍が族長の脇を通り過ぎると、その直後、辺り一面に轟音が鳴り響き、族長は強い衝撃を受けて吹き飛ばされた。転倒して部族の男を下敷きにした族長は、強かに打った腰を擦りながら立ち上がろうとするが、その手がいやにぬめっている。思わず掌に目を落とした族長は、その掌が真っ赤に染まっている事に気づき、族長は手を眺めたまま固まった。

 何だ!?何が起きた!?

 族長は呆然としたまま顔を上げ、周囲を見渡す。周囲は惨憺たる有様だった。辺り一面大混乱に陥り、その誰もが、赤と茶色の二色で彩られている。多くの者達が倒れており、陣中には、その倒れた者達によって幾本もの深い溝が前後に刻まれていた。溝は赤く染まり、倒れた者達の多くが原型を留めていない。そして、族長が目にしたと思っていた黒い槍は、まるで幻の様に跡形もなく消え失せ、何処にも見当たらない。

 前方から喚声が上がり、族長は錆びついたブリキの玩具の様に軋みを上げながら顔を向ける。

 東の部族自慢の茶色い絨毯は、赤くひび割れていた。絨毯には無数の亀裂が走り、真っ赤な染みが次第に広がりを見せている。そして絨毯の前半分は、まるで深紅の液体を零したかの様に一面に紅く染まり、その赤い水に塗れた男達が倒れ、呻き声を上げていた。

 そして、その向こうからは、人族の群れが怒涛の様に押し寄せてくる。

「×□□#$$! %%〇□$++□!」
「〇□%%!? □××〇&&&!?」
「□××△! △△〇%%!」

 族長は恐怖に駆られ、後背へと逃げ出した。生まれて初めて見た族長の狼狽する姿に、部族の男達は恐慌をきたし、混乱に一層の拍車がかかる。そして、そこに人族の突入を受けた東の部族は、皆一斉に背を向け雪崩を打って逃げ始める。

 東の部族は、この日初めて、「ロザリア」の恐ろしさを知った。



 ***

 オズワルドをはじめとする討伐隊の騎士達は、呆然としたまま、その場に佇んでいた。辺りにはハヌマーンの死体が至る所に転がり、一面に茶色と赤二色の斑模様を描いている。周囲には立っているハヌマーンは一頭もおらず、目を前に向けると、自分達に背を向け遠ざかって行くハヌマーン達が見える。

「…勝った…のか?」

 誰かがぼそりと呟いたが、その声に誰も答えない。ただ皆一様に、後ろを振り返る。

 彼らの視線の先には、自分達の後方に佇む1台の馬車と、それを取り囲む20人程の兵士達。



 確かにハヌマーンには勝った。だが、勝ったのは自分達ではない。勝ったのは、一人だけ。



 彼らは皆一言も発する事なく、兵士達に囲まれて此処からは決して見えない、ただ一人の勝利者を眺めていた。
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