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第9章 孤立する北

146:憂い

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 周囲には一面、取り囲むように篝火が焚かれ、辺り一帯を明るく照らしている。近くに森が広がる方角には、篝火の他にいくつものストーンウォールが立ち並び、突然の奇襲に備えている。篝火の近くには歩哨が立ち並び、周囲に異常が見られないか注意深く目を光らせていた。

 すでに時刻は深夜に近く、多くの者が眠りについていたが、いつもよりその数は少ない。昼間の戦いで騎士達は皆一様に疲労していたが、彼らの心に引っ掛かった気がかりが睡魔を追い払ってしまい、何時まで経っても彼らは寝返りを繰り返していた。

 時折彼らは目を開け、体を起こして野営地の中心へと顔を向ける。そして、中心に佇む1台の馬車と、その周囲で動き回る騎士達を眺めた後、馬車に背を向けて横になり、眠りにつこうと努力していた。



 野営地の中心に佇む馬車の周りでは、深夜にも関わらず何人もの騎士達が動き回っていた。

 元々この馬車の護衛小隊は20名であったが、戦いの後、馬車の周りに少しずつ人が増え、深夜を迎える頃には50名を超えていた。新たに増えた騎士達は、それまでの護衛小隊所属の騎士と共に警備を行ったり、カルラやマグダレーナを助け、彼女達の代わりに細々とした作業を代行したりしてした。この増えた騎士達には、一つの共通点があった。騎士達は皆、第1第4大隊に所属する数少ない女性達だった。

 彼女達は戦いの後、自分の所属する部隊長に対し美香の介添えを願い出て、許可を得ていた。彼女達の申し出を受けた部隊長達は、皆鷹揚に頷き、彼女達を快く送り出していった。それどころか、一部の部隊長はわざわざ彼女達に同行し、レティシアやカルラ、マグダレーナに彼女達を紹介するほどだった。オズワルドとゲルダは彼女達の行動に途中から気が付いていたが、何も言わなかった。

 部隊長は彼女達を紹介すると、去り際に後ろを振り返り、暫くの間立ち止まって馬車を気遣わしげに眺める。部隊長の許には、馬車の主に関する朗報が、未だ届いていなかった。



「…ミカの様子は、どうだい?」

 馬車の近くに拵えた焚火に当たっていたオズワルドの脇にゲルダが歩み寄り、静かに腰を下ろす。彼女の体にはいくつかの青痣が残っていたが、擦り傷や裂傷はすでに治癒魔法で回復していた。

 オズワルドは座ったままゲルダに顔を向け、低い声で答える。

「変わってない。未だ眠ったままだ」
「そうか…」

 オズワルドの言葉にゲルダは頷き、周囲を見渡す。焚火の向こう側ではマグダレーナが横になり、静かに寝息を立てている。馬車の扉は閉ざされ、中の様子は窺えないが、レティシアとカルラが美香につきっきりで看護を行っており、その他にも女性騎士が1人、張り付いていた。レティシアとカルラは、心配のあまり自分を顧みようとしない。美香の介護が長期に渡るのが確定している以上、マグダレーナの元ハンターらしいドライな行動と、女性騎士達の介添えは、頼もしかった。

「…オズワルド」
「…何だ?」

 ゲルダとオズワルドは、焚火を眺めながら、静かに言葉を交わす。

「…今日のミカは、ヤバかった。アレ以上踏み込んだら、五体満足では戻って来れない。アイツに加減を教えておかないと、マズい」
「ああ…」

 ゲルダは腕を組み、仏頂面で焚火に語り掛ける。

「…槍が54、弾が1,000。それだけでもふざけているのかと言いたいが、それに加えて、あの出鱈目な射出速度だ。誰かが傍について、首根っこを捕まえておかないと、すぐにロザリア様の許に逝っちまうぞ」
「…」

 オズワルドは押し黙ったまま、苦悶の表情を浮かべる。それを横目で見たゲルダは溜息をつき、オズワルドの肩を叩いて、立ち上がった。

「男はこういう時、意気地がなくて、いけないねぇ。ま、脳筋の悩みは、同じ脳筋に任せておきな」
「…ゲルダ?」

 オズワルドが顔を上げると、ゲルダはすでにオズワルドに背を向け、手を振りながら遠ざかっていた。



 ***

 結局、美香が目を覚ましたのは、ほとんど丸一日が経過した、翌日の昼だった。

「…あれ…此処、何処…?」

 馬車の天井をぼんやりと眺めながら、美香が小さな声で呟く。それを耳にしたレティシアとカルラは、目の下に隈を作ったまま弾かれるように頭を上げ、唇を戦慄かせた。

「…ミカぁ!ホント、勘弁して!お願いだから、これ以上心配させないで!うえぇぇぇぇぇぇん!」
「…え、レティシア、どうしたの?」

 未だ状況が把握できず、ぼんやりとした顔を向ける美香に、レティシアは堪らず抱きつき、泣き出してしまう。カルラでさえも、馬車の中でへたり込み、目を見開いたまま、ボロボロと涙を流していた。



 二人がやっとの事で泣き止み、美香が説明を受けて状況を飲み込むと、二人は傍らに控える女性騎士を紹介した。女性騎士は動かない美香の手を取ると自分の胸元へと引き寄せ、ハヌマーンから救ってくれた御礼と、美香の自らを顧みない献身ぶりを讃える。そして、その瞳に浮かんだ憧憬の光に美香が内心で動揺するのを余所に、美香の介添えへの参加を願い出、脳みそが追い付かない美香が脊髄反射で頷くと満面の笑みを浮かべ、美香に感謝の意を表した。この場面は昼夜関わらず当直の騎士が交代するたびに繰り返され、途中から美香が抵抗を諦めた事によって、介添えを担う女性騎士の数は、日を追う毎に膨れ上がっていく事になる。



「ミカ」

 美香が目を覚ましたその夜、馬車へと乗り込んで来たゲルダは、美香の枕元に膝をつくと身を乗り出し、美香の上に覆い被さる。そして、突然の事に目を白黒させる美香の頬を、軽くぺちんと言う音を立てて叩いた。

「ゲ、ゲルダさん?」
「ミカ。槍54、弾1,000。アレは、アウトだ」
「え?」

 状況が理解できない美香の目を、ゲルダは真っすぐに見据えたまま、日頃の人懐っこい笑みを消し、しかめっ面で説明する。

「今回の魔法は、アウトだ。アンタ、一時呼吸が止まっていたんだからね?」
「え、ほ、本当!?」
「ああ」

 驚きのあまり目が点になった美香の顔を、ゲルダは頭を引いて枕元に座り直しながら、大きな溜息をつく。

「アンタはアタシと同じ脳筋だからね、どうせ止まれと言っても、止まりゃしないだろう?なら、せめて加減は覚えな。槍54、弾1,000であの射出速度は、アウトだ。今度撃つ時には、それより抑えな」
「…はい、ごめんなさい、ゲルダさん」

 布団の端から頭を覗かせ、小さく頷く美香に、ゲルダは手を伸ばして額に手を当てる。

「…ま、ともあれ、意識が戻って良かった。それと、討伐隊が生還できたのは、ミカがあの魔法を撃ってくれたおかげだ。ありがとう、ミカ」
「ゲルダさん…」

 ゲルダに真っ直ぐに見つめられ、直球で礼を述べられた美香は、得も言われぬ熱を覚え、思わず顔を赤くする。そんな美香の顔を見たゲルダは、口の端を釣り上げ、笑みを浮かべた。

「それに、アンタが無茶をしたおかげで、アタシも役得があったしね。今回は大目に見てあげるよ」
「え?役得って?」

 布団の中で首を傾げる美香の前で、ゲルダは人懐っこい笑みを浮かべ、舌なめずりをする。

「何だい、忘れちゃったのかい?せっかくアタシと、待望の濃厚なキスを何度も交わしたというのに」
「…え、えええええええええええええ!?」

 ゲルダの自白に、美香はみるみる顔を赤くし、慌ててレティシアの顔を見る。

「…何で、私を見るの?」
「…い、いや、何となく」

 ばつが悪そうに視線を逸らす美香に対し、レティシアが呆れた様に溜息をついた。

「いくら何でも、あなたの救命のための行動だもの、文句なんてないわよ。何しろ、呼吸が止まっていたんだから」
「う…」

 早合点に気づき、顔を赤らめる美香に、レティシアは笑みを浮かべる。

「でも、まあ、文句はないけど、悔しいのは確かね。その時私が居れば、私が救ってあげたのにって思うもの。…ねぇ、ゲルダ。人工呼吸の仕方、私に教えてくれる?」
「…あぁ、そうだね。レティシア様には、教えておいた方が良さそうだね」

 レティシアが顔を上げてゲルダの方を向き、それに対しゲルダが頷き返す。そのままお互いの目を見つめたまま動かなくなった二人を見て、美香は不安を覚え、慌てて声を挟んだ。

「ちょ、ちょっと待って、二人とも。まさか今ここで、二人で始めるとか、…ないよね?」
「…あっきれた。そんな事、するわけがないじゃない」
「その通りだ、ミカ。アンタ、邪な考えが過ぎるんじゃないかい?」
「そ、そうだよね。ゴメン…」

 二人揃って美香の方を向き、呆れた様に溜息をついたのを見て、美香は羞恥を覚え、顔を赤くする。そんな美香の目の前で、レティシアが床に手をつき、陶然とした表情が次第に大きくなる。

「…だって、此処に格好の教材があるじゃない。どうせ私が人工呼吸する相手は、あなただけなんだし」
「…え、ちょっと待って、レティシア!?カ、カルラさんも居る…んんん!」

 手足の動かない美香には、覆い被さるレティシアを払いのける術はなく、美香はあっという間に組み伏せられる。そのままの体勢で頭を振る二人を、ゲルダは面白そうに眺め、傍らに座るカルラは頬を染めたまま礼儀正しく目を閉じ、そっぽを向いていた。



「…はぁ、はぁ。レ、レティシア、一つだけ言っていい?」
「なぁに?ミカ」



「人工呼吸の時は、舌絡めなくて良いから」
「あ」
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