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3. 農園編
平穏な日常
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チボー村から聖域に帰ってきた僕は、聖域の庭園でのんびりと芝の上に寝そべっていた。
アグネスカは今日も屋敷の家事全般に精を出していることだろう。
アリーチェはヴァンドに買い物に出かけると言っていた。
ルドウィグは今日も畑仕事の監督をしていて。
エクトルは狼人達と一緒に畑仕事にかかりっきり。
リュシールは大聖堂や他の聖域との情報共有でてんやわんやだそうだ。
そんな中で僕は何をするでもなく、のんびりとしているわけだ。
そこに。
『エリク、何してんだこんなところで』
「イヴァノエ。んー……何もしてない、ってやつかな」
『はーん?』
イヴァノエがのっしのっしと、大きな足で芝を踏みながら僕の顔を覗き込んだ。太陽が遮られて顔に影が落ちる僕がうっすらと笑みを浮かべると、その短い毛の生え揃った眉間に僅かに皺が寄る。
しかしそれに文句を言うでもなく、彼は僕の傍らにそっと寝転がった。
頭上遥か高くを、数羽の鳥が飛び去って行く。ピチチ、という高い鳴き声が微かに聞こえた。
それを一緒になって見上げながら、イヴァノエがぽつりと呟く。
『エリクは、いつも大変だな』
「えっ?」
突然、突拍子もないことを言い始めるイヴァノエに、思わず空を見上げていた視線を隣にいる彼に向けた。
しかし隣にいるイヴァノエは空を見上げたまま。視線を動かすことなく口を動かし続ける。
『こないだまで、遠くに仕事に行ってたろ。泊りがけで。
俺達がこっちに越してきてから1週間しか経たないうちに、1ヶ月以上かけて次の仕事だ。
こっちにいたってルドウィグやリュシールが色々と仕事やら、訓練やら、授業やら。
お前、なんだかんだで休む暇なかったろ?』
「まぁ……うん。あんまりそのこと意識していなかったけど」
そう、使徒としての力が目覚めてからというもの、休みの時間がなかなか取れなかったのはその通りだ。
力に目覚めてからドラクロワ冒険者養成学校に入学するまでは神術の授業や神力になれる訓練にかかりきりだったし、入学してすぐにサバイバル実習に行かされて、実習が終わって1週間はイヴァノエや日輪狼や狼人たちの聖域への受け入れでてんやわんや、その上でチボー村でのこの仕事だ。
とはいえ実習が終わってからチボー村に行くまでは、僕の周りこそ慌ただしかったが僕自身はそんなに忙しかったわけでもないので、自分としては休めていたつもりでいるんだけれど。
あんまり休めていなかった事実を、意識していなかったのはその通りなのだ。
『エリク、まだ12歳……あーいや、来月が金の月だからもうすぐ13歳になるのか、畜生め。
それでもまだまだ人間種の中じゃ子供だろ? それがこんなにでかい役割背負わされてよ、あっちこっちに引っ張り出されてよ。
もうちょっと、遊ぶっつーか……何もしない時間を作っても、いいんじゃねーのか?』
「うん……そう、かもしれない」
僕のお腹の上に頭を乗せて来ながら、こちらの顔を見つめるイヴァノエ。
その慈しむような、心配してくれているような視線を僕に向ける彼の頭を、手を伸ばしてくしゃりと撫でると。
気持ちよさそうに目を細めながら、彼の喉元が小さく鳴った。
そうだ、この世界の成人年齢が地球よりは低いとは言っても、12歳の頃はまだまだ遊び盛りだ。
僕が使徒という大きな役目を背負い、その為の力を備えているとは言っても、一般的な街で生まれ、一般的な家庭で育った僕は、ヴァンドの街中にいる子供たちと何かが違うわけでもない。
確かに、もっと遊びの時間を作ってもいいはずだ。
そう思ってゆっくりと身体を起こすと。視界の中、森の向こうから銀色で大きな生き物と、同じく銀色で小さな生き物がこちらに駆けてくるのが見える。
「ルスラン! インナ!」
『ん?あぁ、日輪狼と小さな月輪狼か。どうしたんだ二人して』
『なに、小僧が久方ぶりに聖域に戻って、しかも仕事先で神罰を下したと聞いたのでな。様子を見に来たというわけよ』
『はい、しとさま。ごぶじでなによりです』
芝の上に座った状態の僕と、傍らで寝そべるイヴァノエを見下ろす形で、日輪狼ことルスランと、月輪狼ことインナが、聖域の中に姿を見せていた。
ヴァンド森や聖域の中で過ごすことで、インナの力は日に日に強まりを見せていた。アリーチェが月輪狼だった頃に有していた能力の二割にも満たない程度ではあるが、確かに神獣としての力を取り戻している。会話もベスティア語でなら可能になっていた。
ルスランが僕の足首に、僕の身体をいたわるように鼻を擦り付ける。
「やはりと言うべきか、だいぶ神力を消耗しておったようだな。
小僧、おのれは見事に使徒として土地を再生させた。神に背きし愚か者にも罰を下す任を果たした。
おのれは若輩者ながら、よくやったと言っておこう。
しばらくは仕事を回されることも無いのだろう、ゆっくり休んで遊んで、力を蓄えるといい。おのれはまだまだ年若いのだからな」
「うん、ありがとう、ルスラン」
『しとさま、いっしょにあそびましょう! せいいきにくるとわたしもげんきになります!』
『あっ、小さな月輪狼てめぇ抜け駆けすんじゃねぇぞ畜生め! 俺が先に遊ぼうってエリクにだな!』
僕の周りを回りながらきゃっきゃとはしゃぐインナに、顔を持ち上げて強い口調で噛みつくイヴァノエを、ルスランがため息をつきながら見ていた。
小さく笑みをこぼした僕はイヴァノエの首元を軽く叩きながら、彼を宥めつつ口を開いた。
「分かった、分かったから。皆で一緒に遊ぼうよ。皆と一緒の方が、きっと楽しいでしょう?」
「む、小僧それは我もということか。遊びに巻き込まれるとは心外だぞ、我は聖域でのんびり昼寝をと思っておったのに」
『日輪狼もエリクに遊べって言ったんだろ? 言ったてめぇがエリクと遊ばなくてどうするよ』
『にいさまも! にいさまもいっしょにあそびましょう!』
きゃー、と声を上げながら我先にと駆け出すインナを、勢いよく立ち上がったイヴァノエがすぐさまに追いかけていく。
やれやれ、と肩の力を抜くルスランを置いてけぼりにして、立ち上がった僕は二人の後を追った。
世界は回っていく。
自然は移ろっていく。
その中で僕達は食べて、育って、勉強して、今日を生きていく。
そんな人の営みを、生活を、歴史を、神様はきっと見ていてくださる。
僕はその神様に連なる者の一人として、この世界で生きて、世界を、自然を守り、支えていくのだ。
そうあるためにも、僕の周りにいる皆と一緒に生きていく。
皆と生きていくって、こんなにも面白いのだから。
アグネスカは今日も屋敷の家事全般に精を出していることだろう。
アリーチェはヴァンドに買い物に出かけると言っていた。
ルドウィグは今日も畑仕事の監督をしていて。
エクトルは狼人達と一緒に畑仕事にかかりっきり。
リュシールは大聖堂や他の聖域との情報共有でてんやわんやだそうだ。
そんな中で僕は何をするでもなく、のんびりとしているわけだ。
そこに。
『エリク、何してんだこんなところで』
「イヴァノエ。んー……何もしてない、ってやつかな」
『はーん?』
イヴァノエがのっしのっしと、大きな足で芝を踏みながら僕の顔を覗き込んだ。太陽が遮られて顔に影が落ちる僕がうっすらと笑みを浮かべると、その短い毛の生え揃った眉間に僅かに皺が寄る。
しかしそれに文句を言うでもなく、彼は僕の傍らにそっと寝転がった。
頭上遥か高くを、数羽の鳥が飛び去って行く。ピチチ、という高い鳴き声が微かに聞こえた。
それを一緒になって見上げながら、イヴァノエがぽつりと呟く。
『エリクは、いつも大変だな』
「えっ?」
突然、突拍子もないことを言い始めるイヴァノエに、思わず空を見上げていた視線を隣にいる彼に向けた。
しかし隣にいるイヴァノエは空を見上げたまま。視線を動かすことなく口を動かし続ける。
『こないだまで、遠くに仕事に行ってたろ。泊りがけで。
俺達がこっちに越してきてから1週間しか経たないうちに、1ヶ月以上かけて次の仕事だ。
こっちにいたってルドウィグやリュシールが色々と仕事やら、訓練やら、授業やら。
お前、なんだかんだで休む暇なかったろ?』
「まぁ……うん。あんまりそのこと意識していなかったけど」
そう、使徒としての力が目覚めてからというもの、休みの時間がなかなか取れなかったのはその通りだ。
力に目覚めてからドラクロワ冒険者養成学校に入学するまでは神術の授業や神力になれる訓練にかかりきりだったし、入学してすぐにサバイバル実習に行かされて、実習が終わって1週間はイヴァノエや日輪狼や狼人たちの聖域への受け入れでてんやわんや、その上でチボー村でのこの仕事だ。
とはいえ実習が終わってからチボー村に行くまでは、僕の周りこそ慌ただしかったが僕自身はそんなに忙しかったわけでもないので、自分としては休めていたつもりでいるんだけれど。
あんまり休めていなかった事実を、意識していなかったのはその通りなのだ。
『エリク、まだ12歳……あーいや、来月が金の月だからもうすぐ13歳になるのか、畜生め。
それでもまだまだ人間種の中じゃ子供だろ? それがこんなにでかい役割背負わされてよ、あっちこっちに引っ張り出されてよ。
もうちょっと、遊ぶっつーか……何もしない時間を作っても、いいんじゃねーのか?』
「うん……そう、かもしれない」
僕のお腹の上に頭を乗せて来ながら、こちらの顔を見つめるイヴァノエ。
その慈しむような、心配してくれているような視線を僕に向ける彼の頭を、手を伸ばしてくしゃりと撫でると。
気持ちよさそうに目を細めながら、彼の喉元が小さく鳴った。
そうだ、この世界の成人年齢が地球よりは低いとは言っても、12歳の頃はまだまだ遊び盛りだ。
僕が使徒という大きな役目を背負い、その為の力を備えているとは言っても、一般的な街で生まれ、一般的な家庭で育った僕は、ヴァンドの街中にいる子供たちと何かが違うわけでもない。
確かに、もっと遊びの時間を作ってもいいはずだ。
そう思ってゆっくりと身体を起こすと。視界の中、森の向こうから銀色で大きな生き物と、同じく銀色で小さな生き物がこちらに駆けてくるのが見える。
「ルスラン! インナ!」
『ん?あぁ、日輪狼と小さな月輪狼か。どうしたんだ二人して』
『なに、小僧が久方ぶりに聖域に戻って、しかも仕事先で神罰を下したと聞いたのでな。様子を見に来たというわけよ』
『はい、しとさま。ごぶじでなによりです』
芝の上に座った状態の僕と、傍らで寝そべるイヴァノエを見下ろす形で、日輪狼ことルスランと、月輪狼ことインナが、聖域の中に姿を見せていた。
ヴァンド森や聖域の中で過ごすことで、インナの力は日に日に強まりを見せていた。アリーチェが月輪狼だった頃に有していた能力の二割にも満たない程度ではあるが、確かに神獣としての力を取り戻している。会話もベスティア語でなら可能になっていた。
ルスランが僕の足首に、僕の身体をいたわるように鼻を擦り付ける。
「やはりと言うべきか、だいぶ神力を消耗しておったようだな。
小僧、おのれは見事に使徒として土地を再生させた。神に背きし愚か者にも罰を下す任を果たした。
おのれは若輩者ながら、よくやったと言っておこう。
しばらくは仕事を回されることも無いのだろう、ゆっくり休んで遊んで、力を蓄えるといい。おのれはまだまだ年若いのだからな」
「うん、ありがとう、ルスラン」
『しとさま、いっしょにあそびましょう! せいいきにくるとわたしもげんきになります!』
『あっ、小さな月輪狼てめぇ抜け駆けすんじゃねぇぞ畜生め! 俺が先に遊ぼうってエリクにだな!』
僕の周りを回りながらきゃっきゃとはしゃぐインナに、顔を持ち上げて強い口調で噛みつくイヴァノエを、ルスランがため息をつきながら見ていた。
小さく笑みをこぼした僕はイヴァノエの首元を軽く叩きながら、彼を宥めつつ口を開いた。
「分かった、分かったから。皆で一緒に遊ぼうよ。皆と一緒の方が、きっと楽しいでしょう?」
「む、小僧それは我もということか。遊びに巻き込まれるとは心外だぞ、我は聖域でのんびり昼寝をと思っておったのに」
『日輪狼もエリクに遊べって言ったんだろ? 言ったてめぇがエリクと遊ばなくてどうするよ』
『にいさまも! にいさまもいっしょにあそびましょう!』
きゃー、と声を上げながら我先にと駆け出すインナを、勢いよく立ち上がったイヴァノエがすぐさまに追いかけていく。
やれやれ、と肩の力を抜くルスランを置いてけぼりにして、立ち上がった僕は二人の後を追った。
世界は回っていく。
自然は移ろっていく。
その中で僕達は食べて、育って、勉強して、今日を生きていく。
そんな人の営みを、生活を、歴史を、神様はきっと見ていてくださる。
僕はその神様に連なる者の一人として、この世界で生きて、世界を、自然を守り、支えていくのだ。
そうあるためにも、僕の周りにいる皆と一緒に生きていく。
皆と生きていくって、こんなにも面白いのだから。
応援ありがとうございます!
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