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⑦
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――三十分間、やや冷たい風に当たり続けた。
病院の入り口を照らす電灯に、名前のわからない虫がブンブンとぶつかっている。その様子をボーっと眺めていると、早足で水川がやってきた。やっぱりちょっと寒いのか、体を震わせながらこちらに向かってきた。
「水川……どうして来てくれたの?」
開口一番、率直な疑問を口にした。来てくれてありがとうとか、感謝を伝えるのが先なのに、水川が俺のために外出してくれたその理由が気になったから。
外を出歩くのは久しぶりなのだろう。水川は話す前に呼吸を整えていた。少し待った後に、言葉にしてくれる。
「青島君が、心配だったから……」
……俺のことを、心配してくれている。自分の体と向き合うだけで精一杯なはずなのに、俺のためを想って外へ出るなんて。
水川に心配をかけるなんて、俺はどうしてこうも弱い人間なのだろう。俺の家族の話なのに、水川に吐き出してしまったのがいけなかったんだ。水川に言わなかったら、今頃水川はベッドの中だった。俺のせいで、水川を外に出させてしまった……。きっと、その罪は重いんだと思う。
「水川……ごめん。俺のせいで、外に出させちゃって」
「どうして謝るの?」
「さっき、水川の家に行ったんだ。お父さんとの話聞いてただろ? 水川を外の世界へ誘うのは、お父さんにとって余計な心配をかけることになる。だから……ここに来させちゃってごめん」
詰まりながらも、水川に聞こえるように話す。水川は俺の隣に座って、横並びになって話を聞いてくれた。打ちひしがれている俺を見ながら、真剣に聞いてくれる。俺は水川の方を見れなかった。涙目や唇の震えを、水川に見せたくなかったから。
「……青島君、謝らないで」
「違うんだ。俺が弱いから、水川に心配かけちゃったんだ。妹のことも、俺がちゃんとしてたら水川に言わなくて済んだのに」
「言葉にしないと、溜まっていく一方だよ?」
「そうだけど……水川は体に負担をかけちゃいけないのに……」
とにかく、この弱さを謝りたくて……意気揚々と、水川に希望を与えるなんて言っておきながら、俺はちっとも役に立っていない。唐突な自己嫌悪が絶望感を加速させ、ますます弱気になる。
「青島君、私に言ったよね? 夢の世界から解放してくれるって」
「え……うん」
「あの言葉、私すごく嬉しかった。妹さん想いなのも伝わってるし、青島君は人のことを考えられる人間なんだよ。だからこそ、信じてみたくて」
「水川……」
ゆっくりと、心が洗われていく。今まで窮屈だった心の中が、少しずつ優しくなっていった。
水川を利用しようとした最悪な人間なのに、それでも水川は俺を信じてくれている。俺の弱ささえも、包み込むように肯定してくれる。俺に必要なのは真っ直ぐな気持ちなんだって、再度気づかせてくれた。
「妹さんが無事で、本当に良かった……」
改めて、加恋が無事だったことに安堵の表情を向けてくれる。水川の穏やかな微笑みが、さっきまで刺激されていた涙腺を再び緩ませた。俺のために、無理してここまで来てくれて、そして傍にいてくれた。
水川のことが、愛おしく感じる。これはきっと、突発的に生まれた感情ではない。最初は水川を利用しようとした罪悪感から、水川を夢の世界から解き放つ決意をしたけど……それは徐々に変化していった。頭の中で水川を考える時間が多くなって、今ではほとんどが水川のことで一杯だ。それに加えて水川の優しさをダイレクトに感じている。
俺は……少しだけ悩んだ。この流れに乗じて、俺の気持ちを伝えようか。別に気持ちの整理がついているわけではないし、水川に対する『恋心』を百パーセント伝えられる自信もない。だけど今言わないと、一生後悔するかもしれないとも思えた。
……伝えなきゃ。『好き』って思ったんだから、それを伝えないと。
「あ、あのさ……」
脳内に文章が固まっているわけではない。口から出てくる言葉に任せることにした。水川に、感謝と愛を伝える。決意を固めた俺は、背筋を伸ばして水川の方に体を向けた。男らしく、ハッキリ言おうと決める。
「あれ? 水川……?」
熱を込めて、水川に告白しようとしたその時……水川は意識がここにないことに気がついた。目を瞑りながら、頭を上下に揺らしている。このタイミングで……水川は眠ってしまった。
これが過眠症の弊害……。普段だったら絶対に眠らないタイミングでも、睡魔に襲われてしまう。水川はこの症状に悩まされているのか。日中に学校に行っても、睡魔のせいで授業が受けられない。それが積み重なってストレスになり、余計に現実の世界を敬遠するようになった。
肩透かしをくらったような気分。いや、水川が過眠症なのは知っていたことだ。俺がもっと、悩まずにスッと気持ちを伝えていれば、水川は眠ることなく俺の話を聞いてくれたはず。俺のせいでこうなってしまったのだ。
「続きは、また今度だな……」
水川の寝顔に向かって、独り言を吐く。俺の気持ちは、また今度伝えよう。今は水川に夢の世界にいてもらって、俺はそれを見届けるとする。しばらくこうして、風を浴びていたいから。
ウトウトするように頭を振っていた水川も、やがて顔を下に向けた形に固定された。その体勢のまま、気持ち良さそうにスヤスヤ眠っている。何故だか少しだけ、心が落ち着いてくる……。
「日菜乃! こんなところにいたのか!」
暗闇から大きな声がする。声の主は、さっきも聞いた声だ。直感で『これはやばいかも』と思ってしまった。物凄い剣幕でこっちに来たのは水川のお父さんだった。当然のように、怒り狂っている。
「……お父さん?」
「日菜乃! 急に家を飛び出したと思ったら、こんなところに来て……ダメじゃないか!」
「ごめんなさい……でも私、どうしてもここに来たくて」
「言い訳は後で聞く……帰るぞ!」
眠っていた分、水川はまだ意識がハッキリしていないみたいだった。
一方的に怒鳴られた後、シュンとしながらお父さんの後ろをついて行った。
俺が助けないと……水川は何にも悪くないから。
自然と、お父さんの後ろ姿に向けて声を飛ばしていた。
「あ、あの!」
俺の声が耳に入った瞬間に、お父さんの足がピタッと止まる。
そして、すぐ後ろについている水川を置いて、俺の目の前までやってきた。
一瞬殴られるのかと思ったけど、そうではない。
水川のお父さんは、俺に向かって冷たい言葉だけを残していった。
「……もう、二度と娘と関わらないでくれ」
冷ややかな目で言われた受け入れ難い言葉は、殴られるよりも辛い痛さがある。
いっそのこと体にダメージを負った方が、まだ飲み込めるだろう。
水川との距離が、離れていくような気がした。お父さんの鬼気迫る形相が、目の中にこびりついている。
水川に対して積み重ねていたものが、バラバラに砕け散った。
俺はしばらく、その場を動けなかった。
「栄人、こんなところにいたの? 加恋、目覚ましたわよ」
母さんは病院中を探し回ったみたいで、軽く息切れをしていた。
もう怒る気力もないのか、やれやれといった表情で病室まで案内される。
加恋は声を出すことは無理そうだったけど、口角を僅かに上げて笑ってみせた。
それだけで、救われた気がする。
俺の傷ついた心を、加恋の笑顔が癒やしてくれた……。
――次の日、生まれて初めて学校を休んだ。
今まで一度も学校を休んだことがなかったのに、まさか仮病を使ってしまうなんて。
自分でも驚いている。
目が開かない。全くやる気が起きない。水川はこんな感じで、現実から目を背けているのか。
いや、過眠症の水川は俺よりももっと辛い怠さと眠気を背負っている。
こんなの比べ物にならないくらいのしんどさだろう。
それはわかっている。わかっているけど……俺も言い表せないくらいに辛かった。
水川に会えなくなったのが、こんなにも辛いとは。
「水川……」
夢の中で、水川と会った。
夢の中の水川は微笑んでいるけど、心から笑っているようには見えなかった。
仮病を使って水川に会えるなら、明日も使いたいくらいだ。
どん底を歩いている俺を、誰か救ってくれるのか。
夢の中で水川に会えたとしても、所詮は夢だ。俺は現実の水川と向き合いたいんだ。
みんなが学校でつまらない授業を受けている間に、俺は寝汗を掻きながら爆睡していた。
夕方頃に一度起きて、やるせない気持ちを全身に感じる。
水川……今すぐ会いたい。でも、もう会うことはできないかもしれない。
葛藤しながら目を瞑り、枕に顔を埋める。
その日の俺は、一日中ベッドに籠っていた。
病院の入り口を照らす電灯に、名前のわからない虫がブンブンとぶつかっている。その様子をボーっと眺めていると、早足で水川がやってきた。やっぱりちょっと寒いのか、体を震わせながらこちらに向かってきた。
「水川……どうして来てくれたの?」
開口一番、率直な疑問を口にした。来てくれてありがとうとか、感謝を伝えるのが先なのに、水川が俺のために外出してくれたその理由が気になったから。
外を出歩くのは久しぶりなのだろう。水川は話す前に呼吸を整えていた。少し待った後に、言葉にしてくれる。
「青島君が、心配だったから……」
……俺のことを、心配してくれている。自分の体と向き合うだけで精一杯なはずなのに、俺のためを想って外へ出るなんて。
水川に心配をかけるなんて、俺はどうしてこうも弱い人間なのだろう。俺の家族の話なのに、水川に吐き出してしまったのがいけなかったんだ。水川に言わなかったら、今頃水川はベッドの中だった。俺のせいで、水川を外に出させてしまった……。きっと、その罪は重いんだと思う。
「水川……ごめん。俺のせいで、外に出させちゃって」
「どうして謝るの?」
「さっき、水川の家に行ったんだ。お父さんとの話聞いてただろ? 水川を外の世界へ誘うのは、お父さんにとって余計な心配をかけることになる。だから……ここに来させちゃってごめん」
詰まりながらも、水川に聞こえるように話す。水川は俺の隣に座って、横並びになって話を聞いてくれた。打ちひしがれている俺を見ながら、真剣に聞いてくれる。俺は水川の方を見れなかった。涙目や唇の震えを、水川に見せたくなかったから。
「……青島君、謝らないで」
「違うんだ。俺が弱いから、水川に心配かけちゃったんだ。妹のことも、俺がちゃんとしてたら水川に言わなくて済んだのに」
「言葉にしないと、溜まっていく一方だよ?」
「そうだけど……水川は体に負担をかけちゃいけないのに……」
とにかく、この弱さを謝りたくて……意気揚々と、水川に希望を与えるなんて言っておきながら、俺はちっとも役に立っていない。唐突な自己嫌悪が絶望感を加速させ、ますます弱気になる。
「青島君、私に言ったよね? 夢の世界から解放してくれるって」
「え……うん」
「あの言葉、私すごく嬉しかった。妹さん想いなのも伝わってるし、青島君は人のことを考えられる人間なんだよ。だからこそ、信じてみたくて」
「水川……」
ゆっくりと、心が洗われていく。今まで窮屈だった心の中が、少しずつ優しくなっていった。
水川を利用しようとした最悪な人間なのに、それでも水川は俺を信じてくれている。俺の弱ささえも、包み込むように肯定してくれる。俺に必要なのは真っ直ぐな気持ちなんだって、再度気づかせてくれた。
「妹さんが無事で、本当に良かった……」
改めて、加恋が無事だったことに安堵の表情を向けてくれる。水川の穏やかな微笑みが、さっきまで刺激されていた涙腺を再び緩ませた。俺のために、無理してここまで来てくれて、そして傍にいてくれた。
水川のことが、愛おしく感じる。これはきっと、突発的に生まれた感情ではない。最初は水川を利用しようとした罪悪感から、水川を夢の世界から解き放つ決意をしたけど……それは徐々に変化していった。頭の中で水川を考える時間が多くなって、今ではほとんどが水川のことで一杯だ。それに加えて水川の優しさをダイレクトに感じている。
俺は……少しだけ悩んだ。この流れに乗じて、俺の気持ちを伝えようか。別に気持ちの整理がついているわけではないし、水川に対する『恋心』を百パーセント伝えられる自信もない。だけど今言わないと、一生後悔するかもしれないとも思えた。
……伝えなきゃ。『好き』って思ったんだから、それを伝えないと。
「あ、あのさ……」
脳内に文章が固まっているわけではない。口から出てくる言葉に任せることにした。水川に、感謝と愛を伝える。決意を固めた俺は、背筋を伸ばして水川の方に体を向けた。男らしく、ハッキリ言おうと決める。
「あれ? 水川……?」
熱を込めて、水川に告白しようとしたその時……水川は意識がここにないことに気がついた。目を瞑りながら、頭を上下に揺らしている。このタイミングで……水川は眠ってしまった。
これが過眠症の弊害……。普段だったら絶対に眠らないタイミングでも、睡魔に襲われてしまう。水川はこの症状に悩まされているのか。日中に学校に行っても、睡魔のせいで授業が受けられない。それが積み重なってストレスになり、余計に現実の世界を敬遠するようになった。
肩透かしをくらったような気分。いや、水川が過眠症なのは知っていたことだ。俺がもっと、悩まずにスッと気持ちを伝えていれば、水川は眠ることなく俺の話を聞いてくれたはず。俺のせいでこうなってしまったのだ。
「続きは、また今度だな……」
水川の寝顔に向かって、独り言を吐く。俺の気持ちは、また今度伝えよう。今は水川に夢の世界にいてもらって、俺はそれを見届けるとする。しばらくこうして、風を浴びていたいから。
ウトウトするように頭を振っていた水川も、やがて顔を下に向けた形に固定された。その体勢のまま、気持ち良さそうにスヤスヤ眠っている。何故だか少しだけ、心が落ち着いてくる……。
「日菜乃! こんなところにいたのか!」
暗闇から大きな声がする。声の主は、さっきも聞いた声だ。直感で『これはやばいかも』と思ってしまった。物凄い剣幕でこっちに来たのは水川のお父さんだった。当然のように、怒り狂っている。
「……お父さん?」
「日菜乃! 急に家を飛び出したと思ったら、こんなところに来て……ダメじゃないか!」
「ごめんなさい……でも私、どうしてもここに来たくて」
「言い訳は後で聞く……帰るぞ!」
眠っていた分、水川はまだ意識がハッキリしていないみたいだった。
一方的に怒鳴られた後、シュンとしながらお父さんの後ろをついて行った。
俺が助けないと……水川は何にも悪くないから。
自然と、お父さんの後ろ姿に向けて声を飛ばしていた。
「あ、あの!」
俺の声が耳に入った瞬間に、お父さんの足がピタッと止まる。
そして、すぐ後ろについている水川を置いて、俺の目の前までやってきた。
一瞬殴られるのかと思ったけど、そうではない。
水川のお父さんは、俺に向かって冷たい言葉だけを残していった。
「……もう、二度と娘と関わらないでくれ」
冷ややかな目で言われた受け入れ難い言葉は、殴られるよりも辛い痛さがある。
いっそのこと体にダメージを負った方が、まだ飲み込めるだろう。
水川との距離が、離れていくような気がした。お父さんの鬼気迫る形相が、目の中にこびりついている。
水川に対して積み重ねていたものが、バラバラに砕け散った。
俺はしばらく、その場を動けなかった。
「栄人、こんなところにいたの? 加恋、目覚ましたわよ」
母さんは病院中を探し回ったみたいで、軽く息切れをしていた。
もう怒る気力もないのか、やれやれといった表情で病室まで案内される。
加恋は声を出すことは無理そうだったけど、口角を僅かに上げて笑ってみせた。
それだけで、救われた気がする。
俺の傷ついた心を、加恋の笑顔が癒やしてくれた……。
――次の日、生まれて初めて学校を休んだ。
今まで一度も学校を休んだことがなかったのに、まさか仮病を使ってしまうなんて。
自分でも驚いている。
目が開かない。全くやる気が起きない。水川はこんな感じで、現実から目を背けているのか。
いや、過眠症の水川は俺よりももっと辛い怠さと眠気を背負っている。
こんなの比べ物にならないくらいのしんどさだろう。
それはわかっている。わかっているけど……俺も言い表せないくらいに辛かった。
水川に会えなくなったのが、こんなにも辛いとは。
「水川……」
夢の中で、水川と会った。
夢の中の水川は微笑んでいるけど、心から笑っているようには見えなかった。
仮病を使って水川に会えるなら、明日も使いたいくらいだ。
どん底を歩いている俺を、誰か救ってくれるのか。
夢の中で水川に会えたとしても、所詮は夢だ。俺は現実の水川と向き合いたいんだ。
みんなが学校でつまらない授業を受けている間に、俺は寝汗を掻きながら爆睡していた。
夕方頃に一度起きて、やるせない気持ちを全身に感じる。
水川……今すぐ会いたい。でも、もう会うことはできないかもしれない。
葛藤しながら目を瞑り、枕に顔を埋める。
その日の俺は、一日中ベッドに籠っていた。
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