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* * *

「青島君、ちょっと話いい?」

 今日も水川の家に行く。昨日以上の熱意をぶつければ、きっと水川も話を聞いてくれるはず。

 三時間目が終わった後の中休み。水川のことを頭で考えながら窓の外を眺めていると、冴えない顔をした池山君が話しかけてきた。

「池山君……何の話かな?」

 話を聞く体勢を作ると、池山君はトイレ休憩でいなくなっている隣の席に座った。

「昨日さ……水川さんに会えたの?」

 慎重に話そうとしているのか、池山君の声がいつもよりも小さい。それに合わせるように、俺の声も小さくなってしまう。水川に会えたかどうか……そそくさと帰った池山君も、密かに気になっていたのか。

「会えたよ、水川に」
「ほ、本当に!? どうだった? 元気だった?」

  前のめりになって、水川のことを聞いてくる。いつもの池山君より、興奮している様子だった。ここまで食いついてくるとは思わなかったので、驚いてしまう。

「あ、ごめん……取り乱しちゃった」
「池山君、水川と何か関わりがあるの?」
「え? えーと、それは……」

 前に水川の情報を聞いた時は、特に何も言っていなかった。池山君の家の近くに水川が住んでいるとは聞いたけど、関わりがあるとは思えなかった。でも、この反応は……きっと何かあるだろう。

 俺は言葉に詰まった池山君を見ながら、話してくれるのを待っていた。

「僕、小学生の時ミニバスやってたんだ。それで……ライバルチームに水川さんがいて」
「水川がバスケのチームに?」
「……うん。でも、マネージャーみたいな感じだった。水川さんがバスケをやっていたのは、井草君っていう男の子がいたからなんだ」
「井草……その子を追いかけて、水川はバスケのチームに入ったの?」

 どんどんと質問が思い浮かぶ。それほど、水川の情報を欲していた。水川は、小学校までは活発な女の子だったのか。それに井草という男の子は、水川にとってどんな存在だったのか。池山君からできるだけ話を聞き出さないと。

「井草君と水川さんは、小さい頃からの幼馴染だった。そして、水川さんは井草君のことが好きだった……はず」
「なるほど……だから、水川は井草のミニバスチームに入ったんだ」
「そうだと思う。水川さんにとって、井草君は大切な存在だった。でも……それは壊れてしまったんだ」

 ……壊れた? 井草と水川の関係が壊れたって……どういうことなのか。ゆっくりと話している池山君に、真剣な眼差しを向けて続きを急かすようにした。それを読み取ってくれた池山君は、間を空けずにその先を説明してくれる。

「中学校に上がってすぐに、井草君が死んだんだ。トラックに轢かれてね」
「……え?」

 井草が、死んだ。水川との関係を壊したのは、一台のトラックだった。衝撃の事実に、声が詰まってしまう。水川にとって大切な存在だった井草が、この世から消えた。だから水川は引きこもりになった……そういうことなのか。

「水川さんはそれ以来、学校に来なくなった。そして……引きこもり生活が続いたために、過眠症を発症してしまった」
「……水川にそんな過去が」
「水川さんは、眠ることでしか自分を保つことができないんだ。現実の世界を受け入れてしまうと、悲しみが広がるから」

 池山君の話を聞きながら、昨日の水川を思い出す。水川の虚げな目には、生命力がなかった。それは確かにそうだけど、そんな深い悲しみに囚われているとは思いもよらなかった。ただ単純に学校が嫌になって、来なくなっただけだと思っていた。過眠症という病気を、そこまで重く捉えてもいなかった。でも、全く違った。水川には心に深い傷がある。そんな状態の水川を、俺は引っ張り出そうとしていたのか。俺は……最低で、最悪な男だ。

「……青島君? 大丈夫?」
「あ、ああ。池山君、教えてくれてありがとう」
「良いんだよ。僕もあまり話したくなかったから、最初は水川さんのことを知らないと嘘ついた。でも、学級委員として役目を果たそうとしている青島君を見てたら、話さなきゃって思ったんだ」

 いや……俺は学級委員としての役目を果たしたいわけではなかった。全ては俺のために、水川を利用しようとしていただけだ。こんな職権濫用、人として終わっているだろう。人の心を踏み躙ってしまったことを、心の中で深く反省する。池山君にも悪いことをした。池山君のことも利用しようとしてしまったから。申し訳ないという気持ちが顔に出てしまった俺は、それと同時に涙がこみ上げてきそうになった。

「青島君どうしたの? 気分でも悪い?」
「いや、違うんだ。話を聞いていたら、辛くなって」
「わ、わかるよ。僕も辛いもん」
「……池山君は、どうしてそこまで水川のことを知ってるの?」

 小学校の時、ミニバスの対戦チームにいただけ。それだけなのに、どうして池山君はこんなにも水川のことを知っているのか。単純に気になってしまった俺は、何にも考えずに質問してしまった。

「それは……ごめん、話はここまでね!」

 溜め込んで、間を作って、結局言わない。その先を聞きたかったけど、本人が言いたくないなら仕方ないだろう。少しモヤモヤしたけど、それでも色々教えてくれた池山君には感謝しかない。池山君はチャイムが鳴ったと同時に、自分の席に戻っていった。

 俺は……意識を変えないといけない。家族のために、一流の企業に就職するという夢を持つのはこれからも変わらない。それでも、他人を利用することは絶対にしてはいけないだろう。加恋を助けたい一心で、自分が見えなくなっていた。水川も、加恋と同じように苦しんでいる。種類は違うかもしれないけど、水川も苦しみに苛まれているのだ。

 放課後、もう一度水川の家に行く。今度は、謝りに行こう。俺は愚かな人間だったと、懺悔しに行かないと。

 それ以降の授業は、水川に話す内容を考えていた。それだけで、あっという間に時間は過ぎていく。

 今日の水川は、俺を受け入れてくれるだろうか。
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