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迷宮都市ヘカテクライオ、秘めたる記憶と誘う手編
7.奇跡の御業と人は言う1
しおりを挟む「清き浄化の水よ、命を蝕む悪しき毒を水牢に捕えたまえ
――――【アクア・ドロウ】……!」
血液と言う液体がファムさんの体内を巡るイメージを強く持ち、その体を侵食している禍々しい紫の毒だけを吸い出す動きを脳内で作る。
不思議と、布越しに触れている体を蝕む毒の位置が分かるような気がする。
目を閉じているはずなのに、ファムさんの影とその影を侵食している紫の光が瞼の裏にハッキリと見えているのだ。
まるでバーチャル映像のようだが、これは都合がよかった。
その毒の色を飛沫までしっかり捕えて、紙を墨汁の上に乗せた時のように、中空で作った水の中にそれらを吸収させる。
「こっ……こんな奇跡が……」
お姉さんの声が聞こえる。
薄らと目を開けて、目の前を見やると――――ファムさんの体が青く光っていて、俺が手を乗せている部分のすぐ上に、小さな水の球が浮かんでいた。
その水の球……水牢は、ファムさんの体からどんどん紫の毒を吸い上げている。
まるで分厚い殻のように毒を包み、やがて内部に紫の球体を内包した水晶のようになってしまった。これで、一応は大丈夫……かな……?
「ブラック、空き瓶を俺のバッグの中から取り出してくれる?」
「うん」
何故かちょっと安堵しているような声のブラックは、背後から手を伸ばして、俺の腰にぶら下げているでっかいバッグから空き瓶を取り出す。
ちょうど【水牢】の下に差し出してくれた瓶に、俺は神経を集中させてゆっくりと水の殻を絞って小さくしながら瓶の中に注入した。
これは……かなり、集中力を使う作業だ。
ヘタをすると、瓶を持ってくれているブラックの手に毒を垂らしてしまう。そんなことになったら、いくら“あらゆる毒に耐性を持っている”と豪語するブラックでも、ひとたまりもないかも知れないのだ。
あらゆるとは言っても、ボスモンスターの致死量越えっぽい毒じゃ無効になるかもだし、そもそも毒じゃない睡眠薬とかそういうのは普通に効いちゃうし……!
だから、なんとしてでもこれは成功させなければならないのだ。
「う……く……」
で……でも、これ……意外と、つらい……っ。
現実で変化するモノを見ながらイメージするだけなのに、喉の奥がじりじりする。頭の中で熱が渦巻いて額が痛くなった。でも、それを治める事は出来ない。
ただ眉間に皺を寄せて、ゆっくり、ゆっくりと瓶の中へ毒を封じていく。
何分経ったか分からない。
だが、やっと最後の一絞りを瓶の中に封じ込めて――――俺は、そこで緊張の糸が切れるのを感じた。
「うわっ! ツカサ君危ないっ」
背後から瓶を持ってくれていたブラックが、俺をもう片方の手で抱きとめる。
その感触が腹にグッと強くめり込んで、初めて俺は自分が膝から崩れ落ちたのだと分かった。どうやら術を解除した途端に精神力を使い切ったらしい。
水の曜術の最上級術【アクア・レクス】の時もそうだが、水の流れや人の体に干渉する術はどの術よりも頭に物凄い負荷が掛かるっぽい……。
自分でも頭が異常に発熱しているのが分かる。
急に動いた反動で体や腕から水が流れるのを感じて、俺は集中しすぎて物凄い量の汗を掻いていたのだと今更気が付いた。
そ、そうか……そんだけ俺ってば緊張してたんだな……。
「ありがとブラック……」
「もう、またムチャするんだから……オラ下僕っ、これにフタしろ!」
「へいへい」
瓶をリオルに渡して、ブラックは俺を抱え上げると椅子に座る。
また膝の上に乗せられてしまっているが、もう反抗する気力も無い。
そんなグッタリしている俺に、お姉さんが心配そうに声をかけて来た。
「あの……大丈夫ですか……?」
「は、はい……」
なんとか答えると、お姉さんは更にうるっと目を潤ませて口を手で覆った。
「ううっ……本当に、本当にありがとうございます……神官様……!」
「えっ」
し、神官様?
ちょっと待って、お姉さん何でそんな勘違いしてるの。
俺がファムさんから毒を吸い上げたからなのか。確か、こういうのを治療できるのは高位の神官でもないと無理って話だったしな……。
にしたって、俺のどこが神官に見えるんだ。
お姉さんに褒められるのは嬉しいけど、身分詐称はさすがに嫌だぞ俺は。
「おい、ツカサ君は神官じゃないぞ。勘違いするな」
「で、ですが、こんな奇跡のような御業を成し得るのは、もう神官様くらいしか……! こんなこと、水の曜術師である先生方でも難しいのに……っ」
た、確かに、今使った術である【アクア・ドロウ】は俺が創り出した口伝曜術だ。
口伝曜術ってのは、この世界で言う創作魔術みたいなもので、高位の曜術師が稀に閃いて創り出したりするレアな術らしい。
だけど、曜術師はかなりの変人揃いなので……独自に編み出された術は、術師自らが選んだ者にしか伝えない事が多い。だからそう言われるんだよな。
俺も、いくつかそういう独自に創作した曜術を使っている。
でもそれらは当然、異世界人という想像力アドバンテージとチート能力による特殊な曜術であるため、他の曜術師では真似できないものなのだ。
……だから、見慣れない術だってのは判るけど……そんな、神官レベルって話では無いとは思うんだが。
いや、でもなあ、チートを使ってるしなぁ。お姉さんが知っている知識が一般的な物だとしたら、他の人にもそう見えちゃうってコトだもんな。なら、俺が否定したとしても、結局俺の能力は誰が見ても神官級と間違われちゃうって事で……ああなんか頭がグルグルしてきた。
発熱中に考えるのはやばいぃ……。
「おい、この事は他言無用だぞ」
「えっ……」
「お前が周囲に言いふらして、ツカサ君がまたこんな風になったらどうする気だ?」
「あ……」
お姉さんは、ショックを受けたように顎を引く。
ああっ、すみません、違うんです。ブラックは言い方はキツいんですけど、お姉さんに怒ってるわけではないんですううう。
「可愛い小鳥ちゃん、なんとか誤魔化す事って出来ないかな」
瓶にしっかりフタをしたリオルが、優しい声音でお姉さんに語りかける。
ピンクのキラキラが舞うようなイケメンボイスを横から耳に流し込まれ、お姉さんは頬を薄く染めて思わず身を引いたが――それで幾分か冷静になったのか、今度は使命感を帯びたような真剣な表情になって、こくりと頷いた。
「わ、分かりました。これは奇跡のようなもの……他者を犠牲にする事を望むような者は、人を救う資格などありません。その方のありがたい偉業は、私の胸だけに留めておきます。……ですが、本当に神官様ではないのですか」
「冒険者に、まどろっこしい説教して金を貰ってるような余裕があると思うか?」
ブラックのあまりにも失礼な物言いにヒヤヒヤしたが、その粗野な言葉で納得したのか、お姉さんはコクリと頷いて「とにかく先生を呼んできます!」と急いで病室を出て行ってしまった。
「……あの女、本当にバラさないかな」
おいこらブラック、お前は何でそう人を信用しないんだよ。
あんなに瞳を潤ませた女性が嘘を吐くなんて……。
「大丈夫ッスよ。後で俺がカノジョに接近して記憶を曖昧にしときますんで。神官って言ってたし、ホントに旅の神官が来たとかそういうカンジにしときましょっか」
「ちょっ……ちょっと待て、リオルお前そんなこと出来るの……」
それって催眠術みたいなもんじゃないの。
人に掛けて大丈夫なんだろうかと相手を見やると、リオルは俺にいらないウインクを投げて「任せてください」とばかりに胸を手で打った。
「だいじょびですってぇ! 俺は妖精の中でも名うての男だったんですから~。女の子の一人や二人完璧に落としてみせますって!」
そのチャラ軽いノリが信用を落とすのだが、まあでもリオルは実際強いしな……。
まあ、お姉さんが安全なら俺は何も言うまい……てか疲れた……。
ブラックの膝の上なのは恥ずかしいけど、今は恥ずかしがる気力も無いのだ。
もうこうなったらこのまま少し休ませて貰おう。そう思い、後頭部をブラックの肩に乗せて目を閉じると、ブラックが俺を落とさないように両手で拘束してきた。
でも、痛みを感じるような縛めではない。
その力加減に息を吐いて、俺はしばらく黙って頭の熱が下がるのを待っていた。
――――と、布が擦れ合うような音がする。
なんだろうかと目を開くと……目の前の布団が動いていた。
もしかして、ファムさんが気が付いたんだろうか。重い体を起こすと、ブラックが俺の起立を補助するかのように一緒に立ちあがった。
お、俺は立ちはじめたばかりの赤ちゃんかよ。
いやでも実際足の力は抜けたままなので何も言えない……。
恥を忍んで後ろから支えられつつ、俺はファムさんの顔を見やった。
すると――――穏やかそうな寝顔が少し動き、目が開く。
「ん……こ、ここは……」
薄桃色の不思議な瞳。優しそうな声が聞こえて、その瞳がこちらを見た。
おお……イライザさんに特徴を教えて貰ってはいたけど、やっぱファンタジーならではの色をした瞳を間近で見ると不思議な気持ちになってしまうな。
っていや、そんな場合じゃなくて。
「ファムさん……ですよね?」
問いかけた俺に、相手は肯定するようにゆっくり瞬きをした。
まだ目が覚めたばかりでボーっとしているようだ。
「私は、いったい……」
まだ状況を把握していないようで、ぼうっとした声音をしている。
説明した方が良いのかなと思っていると、ドアの向こう側からバタバタと慌てたような数人の足音が近付いてきた。
ややあって、ドアが開く。
「あっ……! ファッ、ファムさん! おいキミ、急いで測定器を!」
「はい!」
背後に控えていたらしいさっきのお姉さんが、不思議な機具を持ってファムさんの方へ近付いて来る。お姉さんと一緒に来た人達は、たぶん治療院の医師だろうな。
俺達は邪魔をしないように部屋の隅に移動して、診察が終わるまで静かに待つことにした。餅は餅屋っていうもんな。
俺も毒は抽出したけど、それ以外のことはどうにもできないし……。
ちゃんとしたお医者さんの診断が受けられるのなら、その方がいい。
普段はそんなヒマもないから、俺が“大地の気”を送ったりとか結構乱暴な治療の仕方もしちゃってるし……アレが冒険者のブラック達だから耐えられる行為だったとしたら、一般人のファムさんにはヤバい作用をするかも知れないしな。
こういう時は大人しくしているのが一番だ。
「……信じられん……脈動は正常、毒の妨げも感じられない……」
「表皮にこびりついていた濃度の濃い毒も消えていますね。……おい、キミ、これはどういうことだ?」
「そ、それが私にも……あまりに突然の事で動揺していて……」
お姉さんは、うまいこと「俺達がやったことだ」と言わないでくれている。
だけど、お医者さん達はそうもいかないよな……。
「旦那、ツカサちゃん、俺がちょっと弄ってきましょうか?」
横に立つリオルがヒソヒソと喋りかけてくるが、それは大丈夫なのだろうか。
そう思っていると、ブラックは息を吐いて面倒臭そうな声を漏らした。
「この状況じゃ、どの道この病室にいる僕らは怪しまれるだろ。……仕方ない、僕が騙くらかすからお前とツカサ君は適当に相槌でも打って」
「お、おう……」
「ちーっす」
そのリオルの返事にブラックは殺意高めな視線を向けたが、しかし医師相手に凶暴な一面を見せるのは不適当だと思ったのか、すぐに顔を真面目な表情へと変え彼らがこちらに来るのを待った。
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その違いに思わずツッコミを入れたい衝動に駆られたが、なんとか抑え込んで俺はブラックがでっち上げた“言い訳”に対応すべく、気合いを入れたのだった。
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