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迷宮都市ヘカテクライオ、秘めたる記憶と誘う手編
6.もう一つの街
しおりを挟む「こっちこっち!」
リオルの言うとおりに、街を駆け抜ける。
どこの街なのかは分からないが、駆け抜けていくたびに淡いベージュ色の壁の家屋と、その家屋にはめ込まれた茶色の鎧戸やドアが目の端で通り過ぎていった。
時折、緑青色の綺麗なドアや、茶色の石タイルが埋め込まれた外壁の飾り壁など、どことなく他の街とは違う明るさが見えて、どういう雰囲気の街なのだろうかと気になったが……今は立ち止まって観察している暇などない。
ともかく早くファムさんの所へ行かなければ。
そう思って前方を見やると――――馬車が入って来られないほどに狭い道の上に、青々とした緑と鮮やかな花の色が溢れているのが見えた。
家屋の一階と二階の間、狭い道の空中を橋渡しするようにトンネルの天井と化した蔓草の植物は、空からの日差しに照らされて道に木漏れ日を落としている。
そこかしこに鉢植えや椅子が置かれた緑のトンネルの道は、まるでお伽話の世界にあるような、穏やかな緑の都市のようにも思えた。
ここがどこか分からないけど……なんか、物凄く綺麗だ……!
例えるなら、ギリシャとか地中海とかの港町風っていうか……車が入れない程度の道の端に、机やテーブルを出してお茶をしている人達を見ていると、この狭い道だけ時間がゆっくり進んでいるようにも思えた。
急いでいなければ、この花いっぱいの緑のトンネルもゆっくり見て見たかったが、今は邪念を捨てて走らねば。
俺は心を引き締めて心躍らないように努めると、緑の小道を抜けて大通りに出た。
この街の大通りは、馬車が通れる広さを確保した並木道だ。
この世界だと、大通りに木を植えているってのはあまり見かけないのだが、この街は歩道を確保しているらしく、馬車道と歩道を区別するための“区切り”として、木を等間隔に植えているらしかった。なんというか……俺の世界っぽいかな。
この世界って、歩道って概念があんまり無いもんな。
道全てが天下の往来って感じで、馬車も人も自由に行き交っているし、馬車はある程度規律を保って上り下りを意識しているらしいが……それでも街で暮らす人は馬車に乗る機会も少ないし、馬車も少ないからな。しかもヒポカムの馬車は低速なので、危険性も低いせいか車道歩道の区別なく歩く人ばかりなのだ。
けれど、この都市はそれを明確にするように歩道が作られている。
……さっきまで居た王都ですら歩道なんてなかったのに、なんでここだけ……?
こんな街、あったっけな……いや、あったけど俺が忘れてるのかも……。
セレーネ大森林の周辺って馬車での移動が多かったし、俺も色んな場所に行ってるせいで、長く滞在したところ以外は記憶が曖昧になってるんだよなぁ。
でも……やっぱり、こんな感じの街は記憶にないような気がする。
もしかして【トランクル】から行ける街じゃないのかな?
しかし、あの【セレーネ大森林】に一番近い場所は間違いなく【トランクル】だ。そこに行くなら、ひとつ前の街から伸びる一本道を行くしかない。
その街は【セイフト】っていう小さいけれど穏やかで素敵な街で、少なくともこことは違う鄙びた田舎の街って感じなんだが……こことは全く違うぞ。
……なんかおかしいな。
もしかしてここは、別の道にある街なのか?
うーん……よく分からないけど、とにかく今はファムさんの所に行くしかない。
そう思い、リオルに導かれて暫く大通りを走り――――もういよいよ俺の肺が呼吸を出来なくなるかという所で、リオルが少し先を指さした。
「あそこっ、あそこの治療院にいるよツカサちゃんっ」
「おい、本当に僕達が探してる文官なんだろうな!?」
訳も分からず走らされたブラックは、息も切らせず汗もかかないままリオルの情報を疑っている。俺としてはお前らのその体力が信じられないんだが。
いや俺が運動音痴で長距離苦手なのが悪いんだけども……ううう、こんなに走るんなら、脚力強化の付加術【ラピッド】をかけておけば良かった……。
だがもう俺には言葉を発する気力も余裕も無い。
ゼエハアと肺を痛めながら呼吸をする俺を余所に、リオルは焦ったような顔をして「もちろんですよ」とブラックに弁解した。
「ツカサちゃん達の話だと【トランクル】に向かってるって話だったんで、向こうの街から【ベイシェール】までキチンと探したけど、それでも見つからなかったってんで、マーサに大森林近くの北部の街を探して貰ってたんスよ! そしたら、ちょうど何か変なモンスターに襲われてるのを見つけて……」
「……変なモンスター……?」
ブラックが訝しげに問いかける。
その「変」という冠が付いただけで、俺もブラックも警戒してしまうのだ。
なんせ……俺達が今持っている瓶の中の物も、「変」なモンスターなのだから。
リオルは走りながらも、ハイと返事をして続ける。
「俺は人族の大陸のモンスターに詳しいワケじゃないんで、もしかしたら普通のザコなのかも知んないスけど、ともかくソイツのせいで負傷して運ばれる所を追ってきたんですよ。なんか毒に掛かってるらしくて……」
「どっ、どぐっ……!? ゥ゛っ、ゲホッ、ごほっ」
い゛……息が出来ない……っ。もう限界だ……!
せめて倒れないようにと止まり、膝に手をついて必死に呼吸をするが、うまく空気を吸い込むことが出来ない。というか咳が邪魔をする。
そんな俺を、ブラックは呆れたように見ていたが、いつものことかと思い直したのか、リオルに更に質問を放り投げた。
「程度はどのくらいだ?」
「うーん……気は失ってましたね。顔も青ざめてましたし……毒も毒って言うか紫色のドロドロした液体を掛けられたって感じでした。ジュワジュワ言ってましたね」
「溶解液系か……少なくとも見慣れない毒ってわけじゃないな」
う、うう、少し呼吸が落ち着いてきた。
にしてもブラック、さすがは熟練冒険者だな……ちょっと聞いただけでモンスターの毒の種類も判断できちゃうのか。
少し声がホッとしているから、きっと珍しい物じゃないんだろうな。
だったら良かった……でも、気を失ってるならヤバい事態には違いない。
「ともかくあそこの治療院に来てくださいよ!」
「しかし、見ず知らずの僕達を簡単に通してくれるかね」
「そこは任せてくださいよっ」
何故か自信満々なリオルは、いつの間にかすぐそこまで近付いていた治療院に、我が先兵だとばかりに勇んで先に入って行ってしまう。
横に広い三階建ての大きな治療院は、個人の経営する病院には思えないのだが……飛び入りの青年に説得されてくれるだろうか。
だけど、まごついている場合ではない。
俺達は互いに顔を見合わせて頷くと、壁に蔦が這う治療院に足を踏み入れた。
「こ、こんにちは……」
今は診療時間なのか、両開きの扉は最初から開いている。
入ってすぐ待合室になっている治療院は、当然ながら患者さん達が順番を待っていて、幾つもある長椅子に座り静かに過ごしていた。
……うむ、やはり病院で騒ぎ立ててはいけないな。
でも、リオルを探さないと……どこに行ったんだろう。
そんなことを思いつつ、受付――――の横にある、奥に通じる廊下を見やると。
「あっ……」
「こっちですこっち!」
リオルが、叫ぶような声音でありつつも声を潜めて俺達を手で招く。
その横には、目がハートマークになった看護婦さんっぽい服装の綺麗なお姉さんが……って、ちょっと待て。お前まさかナンパしたのか。その人を。
さすがはメス女性専門の妖精……三分も経ってないのにもう女性を落としちゃったとか、どんな武勇伝だよ。一番聞きたくない武勇伝じゃんかそれ。
複雑な気持ちになりながら、早足で受付を通り過ぎリオルの所に辿り着くと、相手は親指でクイッとお姉さんを指しつつウインクをしやがる。
「この可愛くて有能なカノジョが、ファムさんの病室がどこにあるのかを教えてくれましたよ! さっ、早く早くっ」
「…………」
ブラックがドンビキしたような顔をしているが、俺からすれば若い頃のお前の所業もドンビキ案件なんだがな。
……っていうかお前、その視線お姉さんの方に向かってないか。
なんでお姉さんにドンビキしてんだよ!
「こんなヤツに数秒で籠絡されてるとか引くわ……」
「お前が言うのかそれを……」
その呟きに俺の方がびっくりなんだが。
なぜこのオッサンは自分を棚に上げて……いや、今はそんな場合ではない。
というかその話題になると俺もヤブヘビになりそうなので口を噤もう。
自省しつつ、俺はリオルと看護婦さんに大人しく追従した。
やり方はともかく、お姉さんがすんなり通してくれるんだから文句は言うまい。
俺達は二階へ駆けあがると、ファムさんが運び込まれた病室の扉の前までキッチリ案内してもらった。……あれ、お付きの兵士がいるはずなんだけど、廊下にはいないようだな。病室の中でファムさんを心配しているんだろうか。
それとも、怪我を負って別室で治療中なのかな。
不可解に思っていると、看護婦さんが俺達に人差し指を立てて「静かに」とジェスチャーをしながら、ゆっくり病室の扉を開いた。
中は、宿の部屋をもっと簡素にしたような空間だ。
ベッドとサイドチェスト、それに衣類などを仕舞う棚があるが、それ以外は特に何も無い。ベッドの横に座るための椅子くらいなものだろうか。
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そんな事を思いつつ、付添人のいないベッドに近付く。
ドアを開いてから微かに聞こえていた唸り声が大きくなり、まるで悪夢を見ている時のように掛け布が膨らみ忙しなく動いている。
その、膨らみの主は――――
確かに、俺達が似顔絵を見て記憶していた探し人だった。
「ファムさん……話せるような状態じゃないな……」
サイドチェストの上に眼鏡を置き、ただただ唸る相手は、青ざめた顔を歪めて大量の冷や汗をかいている。
その顔には、毒液が飛び散ったのか極僅かに紫色が見えた。
リオルが慌てる通り、尋常ではない容体だ。
「……医師が何とかしてくれるんじゃないのか?」
ブラックが問うと、リオルはお姉さんを見やる。
彼女は詳しい事情を知っているのか、深刻そうな顔をして頬に手を添えた。
「それが……この治療院に常備してあった解毒薬では量が足りなくて……。先生は『まるで、ボスモンスターが使う強力な毒だ』と仰っていました。けれど……例えそのモンスターに遭遇しても、冒険者なら普段から薬を使いなれていらっしゃいますし、即座に薬を使って回復するから被害は軽減されたのですが……今回は、運悪く毒に耐性のない一般の方で……」
「容体が思わしくないんだ?」
リオルの言葉に、お姉さんは自分の事のように苦しそうな顔になって涙ぐむ。
やはり看護婦、いや看護師としてお姉さんも心配しているんだろう。
それにしても、冒険者と一般人でこうも深刻さが違うなんて思いもよらなかった。
冒険者は、一般人がおいそれと買えない高い薬をホイホイ使う……ってのは、この異世界に来た最初の方で聞かされていたけど……街で普通に暮らす人達は、本当に毒の耐性も無くて薬を使う頻度も少ないんだな。
だとしたら、俺達が思うより事態は深刻ということなのか。
「解毒薬も、使いすぎると一般の方は体調を崩してしまいます。せめて高位の神官様が居て下されば話は違うのですが……あいにく、この街にも周辺の街にもナトラ教の大聖堂はなくて……っ」
「そんなに辺境なのか、ここは」
ブラックが呆れたように言うと、お姉さんは涙を浮かべてハンカチで口元を隠しながらも、気丈にこちらの言葉に答えた。
「いえ……辺境と言うほどではありません。ですが、ここはファンラウンド領地の中でも、他の領地のすぐ近くにある街ですので……他領との諍いの種になるようなものは、極力置くことが出来ないのです。ゆえに、大きな教会をこの街に誘致することは出来ませんでした」
「ああ、なるほどな……。だが、ボスモンスター級のモノが出るような道は無かったはずじゃないのか。何でそんなヤツに襲われたんだコイツは」
俺にはまだ理解できない事情だが、ともかく他の領地との兼ね合いで威圧するような施設を置く事は出来なかったらしい。
大聖堂が何故威圧になるのかよく分からないけど、そうすることで向かいの領地が不快に思う事は珍しくないんだろうな。
解毒が進まない理由は、何となく理解した。
けど……確かに、ブラックの言う通り何かヘンだよな。
ボスモンスターってのは、特殊な場所から出てくる珍しいモンスターだ。
大体のファンタジー物で出てくるように、この世界でも凄く強くて厄介な存在だけど、その出現頻度は高くない。俺達がそのボスが湧くという【スポーン・サイト】を発見して驚かれるレベルで、出現率もレアなのだ。
だから、ブラックが不審がるのも無理はない。
普通なら街道にポッと出てくるような存在じゃないんだからな。
しかし、看護師のお姉さんはそうではないと首を振った。
「いえ、違うのです。兵士の方に状況の聞き取りを行ったところ……患者さんは、街の近くにある森に入り……そこで、モンスターに遭遇したらしいのです」
「森?」
目的地に寄る前に、違う場所のモンスター調査も行おうとしたのだろうか。
そう考える横でブラックが「そうか」と何かに気付いたように呟いた。
「セレーネ大森林に近い街が、確かもう一つあったな。旧街道の……」
――――え……。
【トランクル】以外にも、大森林に近い街なんてあったのか?!
いや、でも、そりゃそうか。
あの森は【大森林】なんて言うんだから、かなりの規模で広がってるんだろうし……。それこそ、アメリカとか欧米の森みたいにとんでもない大きさを誇る場所だったのかも知れない。
なら、森に近い街が他に有ったっておかしくはないだろう。
俺はその規模を確かめた事が無かったから、今まで漠然と「広い」としか認識していなかったんだけど……にしても、他の街の近くまで広がっているとは驚きだ。
地図で確認したこともなかったもんな……。
そうか。大きな街道を通れば【トランクル】に行くルートだったけど、ファムさんは道を旧街道に逸れて別のルートから【セレーネ大森林】に向かっていたのか。
だとしたら、俺がこの街を知らないのも当然だ。
なら、ここはどこなんだろう……。
「あ、あの……この街は、どういう街なんですか」
こんな時に聞くべきではないのかも知れないが、しかしどんな所なのか分からないままで話を進めるのは後々困ることになる。
恥を忍んでお姉さんに問うと、彼女は嫌な顔一つせず答えてくれた。
「ここは【ヘカテクライオ】……セレーネ大森林を南西に臨む大河の街です」
「やっぱりな。……だが、どうしてわざわざ旧街道を通ってここに……?」
「ヘカテ、クライオ……」
ブラックの口ぶりからすると、近いと言っても最適な場所ではないようだ。
しかし、この街からファムさんは【セレーネ大森林】に向かった。
…………ど、どうしよう。色々情報が頭に飛び込んできて、整理しきれない。
ボスモンスタークラスの毒に、トランクル以外の森に近い街。
【セレーネ大森林】に存在するボスが湧く場所を考えると、のっぴきならない事態になってるのではと俺も不安になってきたが……今は、そこに気を取られている場合ではない。頭を振って、俺は苦しんでいるファムさんを見やった。
今は、彼が浴びた毒を何とかしないと。
「それでリオル、俺は何をしたらいいんだ。解毒って俺に出来るのか?」
冷静になって問いかけると、相手はコクコクと頷いた。
まるで俺が絶対に解毒できるとでも言うように。
「ツカサちゃん、俺と別れた後にまた何か新しい術を覚えただろ? なんとなく下僕の俺にもそういうの分かるんだ。……その“術”なら、たぶん大丈夫なはずだ」
「術……」
なんの術だろう。
いくつか思い浮かべて、俺はあるものに思い当たる。
でも、あれは正確には「毒」を浄化するような物では無いはずだ。
そう考えて――――俺は「いや」と心の中で首を振り己の断言を否定した。
この世界では、思いや感情の強さで術の威力も性能も決まる。
俺が創り出した術も、チート能力だけではない意志の力が関わっているのだ。
ならば、本来は用途が違う術でも……あの術でも、解毒は可能かもしれない。
「……わかった。とにかくやってみるよ」
頷く俺に、ブラックが横から心配そうな顔で覗き込んでくる。
「ツカサ君……」
この表情は、術が失敗するんじゃないか……なんて顔ではない。
俺がまたムチャな使い方をしないか心配してるんだ。
……俺が失敗するなんて思ってもいない。
何故かそう言う事だけは解ってしまって、少し気恥ずかしくなった。
「大丈夫。無茶はしないから」
そう言うと、相手は「絶対だよ?」と念を押すように眉根を寄せる。
ほらやっぱり、俺が失敗するかどうかなんて問題にしていないんだ。ブラックは、今から使う術を「一か八か」なんて思ってすらいないんだろう。
俺が使えばきっと助かると、無意識に信じてくれているのだ。
それが、どれだけ俺の心を助けてくれているのか……自分でも、解らない。
「キュゥ……」
「うん、早く助けてやろうな」
今まで俺の肩に乗って大人しくしていたロクが、心配そうにファムさんを見る。
ファムさんのため、そしてこの優しい相棒のためにも、成功させないとな。
そう思い、俺はベッドのすぐ横に立った。
「…………っ」
すうっと息を吐いて、両手をファムさんの胸の上にそっと乗せる。
そうして――――詠唱を始めた。
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