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魔境山脈ネイリ、忘却の都と呪いの子編
13.砦を守る母君1
しおりを挟む――――そうして、数十分ほど経っただろうか。
とりあえず応接室でお待ちください、と言われ生搾りの果実水をご馳走して貰い、酸っぱくて爽やかな味を楽しんでいると……応接室のドアがいきなり開かれた。
かなりの力で開いたため、思いっきり戻りそうになっていたが、それをまた美しい脚で蹴飛ばして件の相手が入ってくる。その美脚の主は。
「あっ……りょ、領主様……」
「あははっ、私の事はマハでもお母様でもなんでもいいぞ。部下どもにだって、そんな仰々しい呼び方はさせてないからな。このバカ息子と違って!」
「ぐ……グゥウウウ……ッ」
コノコノと拳を軽く押し当てるその息子は、お母様たるマハさんの腕にガッチリ頭を捕えられている。母親だから逃げられないのか、それとも本当に力が強すぎて容易に抜け出せないのか、ともかく怒りんぼ殿下の顔は何かに耐えるように歪み、面白いほど……ゴホン、まあその、すごく青ざめていた。
さっき「いっちょ揉んでやる」と言われたが、そのせいだろうか。
ついつい怪訝な顔をしてみてしまう俺達に、マハ様は「緊張するな」と快活に笑って向かい側のソファにどっかと座った。
「いやはや、キチンとした挨拶が遅れてすまなかったな。お詫びに改めて名乗ろうか。私は武神獣王国アルクーダ第一王妃及びカンバカラン一族筆頭姫、名前は“マハ”という。君達人族には“筆頭姫”という称号は聞き覚えがないだろうが、これは一族と言う群れの中で最も階位が高いメスと思ってくれればいい。我々“二角神熊族”ではこうした特殊な呼び方をして区別をする」
なるほど、序列の中でも一番最初に名前が掛かれるから“筆頭姫”か。
ヒットーキってどういう意味だと思ってたが、アドニスの親友である商人のロサードの“番頭役筆頭”っていうのと同じ意味なんだな。
「母上……あの……そろそろ解放して頂きたいのですが……」
「なーにを言っている! 力が戻ったと思ってまた死闘が出来るかと思えば、まだ私の小技などに引っかかりおって!! お前のような若輩者は頭を掴まれていろ!」
いやいやしかし、さすがにコレは恥ずかしいと思っても仕方ないんじゃないか。
俺だって、知ってる人の前で母親にヘッドロックされたら恥ずか死ぬし……。
「あ、あの、マハ様そのくらいで……お話を……」
「お前達は冷静だなぁ。それくらいの思慮深さがこのバカ息子にもあったなら、こんな無様な事にはならなかったんだが……」
「……!」
言葉を切った途端、マハ様の顔からスッと笑みが消える。
ライオンのような髪色のせいなのか、それともキリッとしていて意志の強そうな顔のせいなのか、その表情はどこか怖気を誘うようで。
反射的に硬直してしまった俺の前で、マハ様は怖い顔のまま息子を見た。
「武力に長けるカンバカランの頭首を名乗っておいて戦で逃げ恥を犯すなど、お前と言う奴は本当に畜生以下の情けないオスだな。せっかく我が愛しのドービエルが、王の素質アリと言ってくれたと言うのに、お前はそれすらも踏みにじりおって……」
「…………」
青ざめているオッサンの顔が、更に青くなっていく。というかもう青を通り越して最早精気を失った白色になってしまってる。
ていうかマハ様厳しい。毒舌というか、なんかこれは、筋肉こそ全てで国への忠義がちょっと怖いくらいに厚過ぎる騎士団長みたいっていうか……。
「メスの私なんぞの操る小技で屈するとは、見下げ果てたオスだ。もういっそここで、私が食らってやったほうが温情……」
「マハ様! 落ち着いて下さい、さすがにご子息がお可哀想です」
「ム……。そ、そうか……今のが言い過ぎか。程度がよくわからんな」
執事の垂れ犬耳の執事さんに嗜められ、マハさんはようやく表情を緩める。
それだけ怒っていた、って事なんだろうけど……いま、めちゃくちゃ怖い事ばっかり言ってたよな。獣人ってそんなレベルで誇りを保たなきゃだめなのか。
にしても、流石に自分の息子に対して言い過ぎなのでは……情けなさすぎて自分が食ってやったほうが温情、なんて母さんに言われたら俺も泣くぞ。
想像して震える俺に、マハさんは苦笑いを浮かべながら頭を掻いた。
「いや、恥ずかしいところを見せてしまったな……。私はあまり言葉が得意ではなく、ついこういう言い方をしてしまうのだ。……直さねばと思っているのだがな。確かに、今のは言い過ぎた。この愚息もただ無駄飯を喰らっていたわけではなかったし」
「あ、いえ……」
「怖がらせたお詫びと言ってはなんだが、今日は我が砦に泊まっていくと良い。あの山脈を登るには、ピロピロでは少々骨が折れる。自分の足で登らねばならん」
えっ、そうなんですか。
俺はてっきり可愛い巨大カピバラちゃんと一緒に目的地に行けると思ってたのに、まさかのここでお別れなのか。そんなのヤダ……いやでも危険なモンスターが沢山いるって聞いたし、それならピロピロちゃんの安全のためにもお別れするのが正解なのかも……うう、せっかくお世話したりして仲良くなったのにぃ。
「ナイリ山脈はそれほど危険なのでしょうか」
遠慮はいらないと言われたが、この街の領主のマハさんに対してはブラックも丁寧に質問する。そういうところはキチンとしてるな。
そんなブラックにマハさんは何故か嬉しそうにニヤッと笑うと頷いた。
「まあな。……お前達のような強いオスなら危険はないだろうが……念のため、メスを抱きたいなら今夜済ませておくべきだぞ」
「え゛っ」
「ハハハ、ツカサとやらは可愛いな。つまり、それくらい危険ってことだ。海征神牛王陛下が何故、この状態の愚息にそう命じたのかは私には計り知れんが……しかし、それならばなおさら準備は整えねばなるまい? 少なくとも三日は取らねばな」
「……それが最低限ですか」
また表情が苛立ちに曇って来るブラックに、マハさんは笑みを深くした。
「我が愚息を始末したいというのなら出発してもいいがな。だが、三日の猶予をくれたなら、この息子をある程度戦えるまでに直してやろう」
あくまでも、武術の面からだが。
そう言って笑うマハさんの腹筋が動く。確かに、その女性特有のしなやかさと筋肉が見事に同居する体を見れば、怒りんぼ殿下を鍛え直してくれそうではあるが……それをブラックは良しとしてくれるのだろうか。
こっちからすると、一刻も早くお役目を終えたいし……そもそも、殿下がいつどこでクロウを狙うか分からないんだから、それを考えると火を遅らせるのは怖いしな。
あと、お母さんに鍛え直されてこれがチャンスと思われるのもヤバい。
ここは言ってみればカンバカラン側の人達しかいないから、殿下がもしうっかり口を滑らせたら、クロウの命を誰かが勝手に奪いに来る可能性もあるし……。
だから、出来るだけ早くここから出たい……てのは、ブラックだって同じ気持ちなんだろうけども……どう答えるんだろうか。
固唾を呑んで横顔を見守っていると――――ブラックは、不機嫌顔のままだが声は冷静に保ったまま答えを発した。
「分かりました。ですが、私達にも都合と言う物が有ります」
「理解している。この三日間、我々カンバカランの一族はお前達に最大限の礼を尽くそう。何か調べたい事が有れば協力するし、食いたいモノがあれば言え」
勝気な笑みは崩さず、マハさんは堂々と言葉を返す。
その自信に満ち溢れた感じは、もしかするとこちらが何かの罠にかけられているのではないかと思わせるほどだった。好条件すぎるのも考え物だ。
でも、なんだか俺にはこのお母さんが悪い人には思えない。
ドービエル爺ちゃんの愛する妻っていう前提が有るからかもしれないけど、それでも明け透けに喋ってくれる相手は、傑物には見えても悪人の気配とは程遠かった。
……いやまあ、俺がクラスメイト以外の女性に対して弱いからかも知れんが。
「それと……クロウクルワッハ」
「……!」
ハッとして顔を上げると、マハさんはジッとクロウの事を見つめていた。
笑みはそのままだ。でも、その腕の中の怒りんぼ殿下は逃れようとしているみたいで、力を入れてもがいていた。
……自分の母親が、クロウの名を呼ぶのがイヤなのだろうか。
けれど、マハさんはその腕をいくら揺らされようと平気な顔をして笑いつつ、クロウの顔を真っ直ぐに見て笑みを深めた。
「お前も……昔よりずいぶん強くなったようだな。時間が有れば手合せ願いたかったが……生憎と、私も忙しい身でな。山に関してのことは、明日の食事の時に話そう。それまでは、各々好きに過ごしてくれ。……お前は私と一緒だ、いいなカウルノス」
筋肉に欠陥が浮かび上がるほどもがいていた怒りんぼ殿下が、ぴたっと停まる。
普通に考えても異様な光景だが、マハさんは猫のように目を細めた。
「い、い、な?」
……ま、また怖い……。
喉がうだるほどの暑さなのに、何故かここは寒い気がする。
つい息を飲んでしまったが、そんな俺の前で怒りんぼ殿下は無言で頷いた。
母は強しというか、最強というか……ともかく、獣人のお母さん……しかも、最強の熊族のメスともなると、とんでもない強さなのかも知れない。
でも、なんかやっぱ怖いな……。
この街に居る間は、絶対にマハさまを怒らせないようにしよう。
俺は強く心に誓ったのだった。
→
※番頭役筆頭などの軽い説明はci-enのサブキャラ紹介に
ちょこっとだけ載せてます。(参考までに…)
応援ありがとうございます!
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