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魔境山脈ネイリ、忘却の都と呪いの子編
9.呆気にとられる獅子の口
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【海鳴りの街】でも一二を争う大きな酒場、その名も【虎の尾亭】――。
大通りに面し、多種多様な酒を置いている事から無法者の獣人達の多くがこの店を贔屓にしており、体が大きな獣も楽に寛げる高い天井を売りの一つとしている。
内装は、路地にある隠れ家的な酒場と一緒で、絨毯の上に座るスタイルだったが、獣人達にはそれが一番楽な座り方なのだろう。
それぞれの絨毯の上で酒を浴びるように飲む彼らは、人族とそう変わらなかった。
――そんな賑やかな酒場の一角で、一際うるさいオッサンが手を挙げている。
「あー、こっちこっち! トゥナ酒とマッゲイとラミルテムサはこっちだよー」
「…………」
そのよぉおおおく知っている声の主が、カウンターの中に居る俺に「おいでおいで」と手を動かすが、俺は中々外に出られない。というか出来れば出たくない。
しかし、あの雑魚寝宿の虎オッサンに取引を持ちかけられた手前、動かないワケにも行かず……とか何とか迷っていたら、雇われマスターのおばさまが俺の背中を軽く叩いて気合を入れて来た。
「ほら、お手伝いさん早く早く! お連れさんなんだし、酒場娘をやる練習にはちょうど良いじゃないか。気負わず酒とつまみを持っていきな」
「うぐっ! う、うぅ……はいぃ……」
凛々しくも魅力的な虎のおばさまに言われれば、行かないワケにはいかない。
背中に手形がほんのりスタンプされようと、その背中を守る布が無いことに改めて気づかされようと、俺はウェイターをしなければいけないのだ。
だって、こうでもしなけりゃ、この【海鳴りの街】に残ってる数少ない強者だという、“獅子族のゼル”とかいう人の情報も教えて貰えないし。
行きたくないけど、行くしかない。俺はグッと喉に力を入れて恥ずかしさを堪えると、俺の苦労など微塵も気にしていないオッサンどもに酒を届けるべく、木製のジョッキがずっしりと乗ったおぼんを持って、ふらふらとカウンターから出たのだった。
「うう……」
人気の店というだけあって、この店はどこもかしこも人だらけだ。
絨毯の上で胡坐をかいたり寝そべったり獣人達は思い思いに酒を楽しんでいるし、酒場娘と呼ばれるウェイトレスのお姉さん達も実に活気がある。
俺だってお客の一人だったら、その酒場娘さん達を見てエヘエヘとスケベ顔をしてたんだろうけど……当事者となってみると、まったくもって笑えない。
つーか、いつも思うんだけどさあ! 俺にこういうスケベ服を着せるのは間違ってるんだってば! なんにも嬉しくないんだってばよ!
「男がやってもただの変態すぎるぞこの衣装……」
なんせ、首のチョーカーから下へ垂らされた布は乳首ギリギリまでしかないし、その布を固定する左右の端に縫い付けられたヒモは、凄く細くて頼りない。
つーか、途中で布からヒモが離れてるから、走ったら布が浮いておっぱいが出る。
下着など何もない。俺もお姉さんも等しくヘソ出しだ。
でも、コレをお姉さんが着用すれば、巨乳を申し訳程度に隠す布って感じで非常にえっちだし、走ると揺れるし見えるしで男なら感謝せずにはおれない光景になる。
もうほぼ女の子用の下着じゃんレベルの短いズボンも、筋肉でむっちりした獣人の女性達の健康的な足を強調していて、俺としては非常にありがたかった。
だから、見ているだけなら物凄く良い制服なのだ。見ているだけなら。
なのにそれを何故俺が着用しなきゃいけないのかな。地獄かな。
ウェイターはいないのかと聞いたけど、虎おばさまの話じゃ「酒場娘はメスの専売特許だろうよ!? オスなんざ八つ裂きにされちまうよ!」とか怖い事言われたし、男の制服などハナから置いてないみたいでなあ……はあ。
人族相手なら俺も男として見て貰える頻度が多かったのに、獣人の世界となると、本当にメス扱いが当然にされてしまうな……まあ今更なんだけどさ。
……なんにせよ、早く慣れるしかない。
メスとして当然だと思われることで、逆に「男があんな服着てら」と嘲笑われることも無いし、幸いここにはお姉さんが沢山働いている。
しかもみなさん魅力的だ。
俺みたいなのなんて、ブラックとクロウ以外気にしないだろう。
平常心、平常心だ……などと心の中で繰り返しつつ俺はカウンターに比較的近い席にいるオッサン二人に近付いた。
「……おまたせしました」
「わあ声が低い」
「うるせえっ」
一々茶化すんじゃない、とブラックを睨みながら酒を置き、それから「ラミルテムサ」と呼ばれるこんがり焼けた謎の塊肉を置くと、オッサン二人は絨毯に膝をつく俺の姿をしげしげ観察して目を細めた。
「獣人は露出度が高いとはいえ……これは参るなあ」
「いやまったくだ。思わず触れたくなる服は困る」
「俺の方が一番困ってるんだけど」
相変わらず特殊な目ぇしてんなと思うが、この二人だけだろうと思うと気も楽だ。
必要以上に怒るんじゃない俺、と自分を抑えつつ塊のお肉をナイフで切って二人の前に置かれた皿に置いていると――ふと、背中に息が掛かるのを感じた。
「あー、さっきあの虎女に叩かれたところ赤くなっちゃってる……。ったく、力加減ってモンを考えて欲しいよなぁ。ただでさえツカサ君はぷにぷになのに……」
「ひぇっ!?」
少しカサついた大きな手で背中を撫でられ、思わず変な声が出る。
咄嗟にブラックに「やめんか」と睨みを利かせたが、相手は俺の顔を見て上機嫌でニヤつくだけで全然怯んでいない。
むしろ余計に笑みを深めながら、俺の背筋の窪みを指で辿って来る。
「にしても、ツカサ君たらまたやらしい服着せられちゃって……ふ、ふへへっ、こんなエッチな服を普通に着ちゃうなんて、ツカサ君もだいぶメスになっちゃったねぇ」
「ばっ……そ、そんなワケ、っ……あ、あるか! これは制服だから……っああもう、変な所触ってないで大人しく酒を飲んでろって……」
「ムゥ……ツカサの場合は色気を出すのでなく、ただの胸隠しになってるな」
「わーっ! アンタは何めくってんだばかーっ!」
背中に気を取られてたら、脇から伸びてきた褐色の手が前掛けのような布をチラッとめくって俺の胸を露出させやがった。
何してんだ、いや俺は男だから胸とか見られても別に……いややっぱダメだろ。
スケベな気持ちでめくるのはアウト、アウトだ!
「やめんか」と顔をカッカさせながら手を叩き落とすが、クロウはいつもの仏頂面でフムフムと頷くばかりだ。おい、なに納得してんだお前は。
「んもう、ツカサ君たら駄熊ばっかり見て酷いよ~。僕の方も構って~?」
「酔っぱらいのオッサンを介護する趣味は俺にはないっ。頼むから酒飲んで大人しくしててくれよ……アンタらだって、俺が変に目立って他の奴にからかわれるのなんて面倒臭くてイヤだろ!?」
「む~……まあ確かに、ツカサ君を他のメスみたいに弄られるのはヤだけど……」
だからそうやって子供みたいに拗ねた顔で頬をふくらますな。
無精髭のオッサンがやっても可愛さゼロなんだってば。
とはいえ、ブラックとクロウも一応俺の言い分を理解してくれたようで、名残惜しそうに手が背中から離れて行く。そうそう、頼むから大人しくしててくれよ。
いくらこっちが地味にしてたって、悪目立ちしたら「酒の勢いでからかおう」とか思うヤツも出て来るんだからな。
まったく……いや、背中撫でられるだけで済んで良かった。
肉を分け終ると、俺はそそくさとカウンターの中に戻って皿洗いなどの地味な業務を続けた。こうしていればお給仕に出される事はほぼないからな。
このまま終わりまで、カウンターの中で地味な仕事を続けていよう……とか思っていたのだが、そうは問屋がおろさなかった。
「ほいっ、青絨毯のとこのお客に肝酒を二十杯ね! ツカサちゃんだっけ、あの子達と一緒に運びに行っておくれよ」
「え゛っ、あ、は、はいぃ……」
そうか、そういう大量注文のパターンもあったな……。
出たくなかったがこれも仕事だ。仕方なく俺は持てる分の酒をおぼんにありったけ積みこむと、楽勝で数杯のジョッキを持つ酒場娘さん達と一緒に“青絨毯”とやらの上に座るうさぎっぽい耳の集団に持って行った。
いや、ウサギっていうか……耳が短いからカンガルーとかワラビー系かな。
尻尾が太くて長いからマジでそういう系かも。足が強い種族なんだろうな……喧嘩とかもかなり強そうだ。正直あまり関わり合いになりたくない。
「おまたせしました~」と愛想良く配膳するお姉さんに倣い、愛想笑いを全力で振りまきながらジョッキをテーブル代わりの大きな円形の板の上に乗せて行く。
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心配しながら置いていくと……横から「あぁん」という甘い声が聞こえてきた。
「っ!?」
え、なになに。何が起こったんですか、何いまのエッチで可愛い女性の声はっ!
たまらず振り返ったそこでは。
「いやぁ流石虎の尾亭、いいメス揃えてんじゃんか」
「んふふっ。アナタ強そうね……アタシで良かったらお相手するわよ?」
「そりゃあどっちだ? 夜なら喜んで買わせて貰うぜ?」
なんならオレの群れに入るか、なーんて歯の浮く台詞をチャラいカンガルー耳男が言うのに、酒場娘のえっちなお姉さんはキャッキャと喜んでいる。
なんならもう、男の膝に乗って、おっ、お、おおおおっぱいを揉んでる!?
ちょっ、なにを羨まけしからんことを!
なんだそれっ、えっ、そんな事していいの!?
強かったらオッケーなの!?
なにその獣人ルール俺も強い獣人になりたいっ。
お金払ったらケモミミお姉さんに一晩ヨロシクして貰えるなんて、どう考えてもこの世の楽園なんですけど。俺もお願いしたいんですけどおおお!
「なんならここで“匂いづけ”してもいいぜ? オレらの群れは“ワレン”だからな。強いオスの子種が欲しいならうってつけだ」
「やだぁっ……んっ、そんなこと言われたら……こんなとこで発情しちゃう……」
……今のセリフのどの辺が発情に値するのか謎だが、この状況は非常に羨ましい。
自分の膝の上にえっちなお姉さんが乗ってて、片手では掴み切れないほどの良いおっぱいを揉みしだきながら、お姉さんとちゅっちゅするなんて……っ。
う、うう、自分にはとても出来そうにない行為なのに、お姉さんの甘くて甲高い声を聞いていると、男としての本能が頭をもたげて来てしまう。
だって男だもの、えっちな光景を見て反応するのは仕方ないんだもの。
ああでもここで勃起したって、お姉さんとヨロシクやれるわけじゃないのだ。
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ぺちん、ぺちん、と、下から尻肉を揺らすように叩かれる。
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「感度も良いな。男メスにしちゃ肉付きが良くて美味そうだ」
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わ、悪気は無いんだろう。ていうか、お姉さんの姿を見ていれば、ここの酒場娘は基本的に触るのはオッケーみたいなカンジっぽいし、この人達もそれが当然だって思ってるから、お、俺のケツを揉んだりしてるわけで……。
ああでも勘弁してくれ、俺はそういうケはないんだって。
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「あ、あのっ、俺ただ手伝いに来てるだけでそういうのは……っ」
「何言ってんの、ケツ揉まれただけで美味そうな匂いだだもれさせといて『ダメ』とか、今日日“匂いづけ”を知らねえメスですら言わねえよ。それともなに、焦らしてんの? かぁ~っ、ツカサちゃんは商売上手だなあっ」
ち、違うんですってばぁあ!
ぐええ、こういう事になるなら断っておけばよかった。良く考えたら酒でへべれけになってる男なんて、相手が女なら軽く一線越えそうになっちまうんだよな!
くそう俺は絶対に酒は飲んでも飲まれない男になってやるぅう。でもその前にどうにかして逃げないと、後でブラックから物凄い酷い目に遭いそうな悪寒が……っ。
「オイコラ。人の恋人のケツ揉んで何してんだお前らは……」
「ヒッ」
…………こ……この、地獄の底から這いあがって来た悪魔のような低い声は。
途轍もなく悪寒が走る背後から聞こえてきたこの声は……。
「な、なんだよオッサン。恋人? ツカサちゃんが?」
「オレ達を“跳撃族”と知ってのケンカか? いいぜ、メスの奪い合い上等だ」
「いやあのその人の言ってる事はホントでして、あの、だから穏便に……」
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「はーぁ?! 上等だぁっ!! 今から外に出てぶっ殺してやらぁ!」
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「うるせえっ、だったら奪い合い上等だ! 勝ってこの場で“匂いづけ”してやらぁ!」
「ほーう、お前本当に死にたいらしいな」
「えぇええ……」
駄目だ、俺がハッキリ宣言しても二人とも止まってくれない。
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――――うん?
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「ちっけえの同士が喧嘩たあ穏やかじゃねえなァ。ま、ここは俺様の顔に免じて、酒で全部流しちゃくれねえか。せっかくの宴が外で喧嘩されちゃあ台無しだからな」
そう言いながら、目の前の壁――いや、巨大な身体がずしんと足踏みをする。
三メートルはあろうかというその巨大な身体は、店中を振動させるのに十分な重さを備えていて、その声だけで頭が揺れるような音量だった。
人の声の「低さ」とはまた違う、大きな銅鑼を鳴らしたような地鳴りに似た低さ。
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「御新規さんかィ。んじゃあ、これを機に覚えておいてくれよ。俺様の名は、金獅子のゼルだ。俺様の酒を楽しむ時間にゃあ、静かにしておいてくれよ」
でなければ、何が起こっても補償はしねえぞ。
そう言って笑う、獅子の耳と尾を持つ巨大な雄々しい男。
いつものブラックなら不機嫌な顔をしながら何か言っていたのかも知れないが……今は何故か、相手を警戒しているかのように真剣な顔で黙っているだけだった。
金獅子の……獅子族のゼル。
この人がそうだとしたら、確かに間違いなく強者なのだろう。
ブラックの態度を見ていると、そうとしか思えなかった。
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