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裏世界ジャハナム、狂騒乱舞編
31.お前達には何もわからない
しおりを挟む監獄へ向かう荒野の途中に、隆起し崖となった地面が乱立する様が多く現れる。
その崖の一つに隠れた二輌の馬車から、俺とシムラー達は降り立った。途端に、熱くて生温い風がベストを撥ねようとする。
それを押さえながら、俺は周囲を見渡した。
まるで西部劇の舞台みたいだけど、本当にこんな所を護送車が通るんだろうか。
「これから、どうするんですか」
いかにも不安げに訊くと、茶髪の貴族はドヤ顔で笑いながら俺の肩を抱く。
「君の彼氏が索敵出来たら、その情報を持って仲間がこっちにやってくる。我々はそれを待ち構えるだけでいい」
「…………あんた達がここに居る意味は? 危ないだけだと思うんですが」
「分かってないねえ。このまま国境を超えるからに決まってるだろう」
「…………え?」
なにそれ。初耳なんですけど。
思わずぎょっとする俺に、茶髪の貴族は優越感バリバリの顔で笑いやがった。
「幾ら広大なハーモニック連合国と言えども、国内で逃げ回るのには限界があるのでね。……まあ、この国では楽に稼がせて貰ったし、そろそろ別の場所に行くのもいいかなと話してたんだ」
「なんだか赤の陣営が嗅ぎまわっているらしいし……ね」
茶髪の貴族の言葉を継ぐように、シムラーが言う。
その眼差しの先には俺達に付いてきたもう一輌の馬車が有り、馬車からは見覚えのある男達が数人降りて来ていた。あれ……あの人達って……俺達がマークしてた赤の陣営の奴じゃないのか……?
いやそうだよな。赤の陣営の奴がシムラーに手を貸してるんなら、トルベールの部下が動いてるって情報も入って来てるんじゃないのか?
なら、俺達の事だっておかしいと気付く奴もいるのかも……。
って事は、俺達の調査はバレてるのでは!?
心臓バクバクでシムラーと赤の陣営の「お供」を見比べるが、あいつらが俺に寄越した視線は訝しむような物ではなかった。
うーん何度も向けられたセクハラ的視線。これはバレてない。間違いない。
よくよく考えたら、俺達は別にあの舞台以外では動いてないんだし、イベントの為に踊り子やら武芸者やらを呼ぶ事は珍しくない。だから、俺達の事は関係ないと思ったんだろうか。なら、俺達の正体を知らなくても不思議じゃないけど……。
でも、そんな間抜けな事ってあり得る?
疑心暗鬼が極まりつつ、俺はシムラーと赤の裏切り者たちをじっと観察する。
見覚えのある顔の青年や中年数人がシムラーにへこへこ頭を下げて、何やら色々と指示を受けていた。
「お前らは伝達係が来るまで待機だ」
「へぇ、旦那。それで……俺達の報酬の方は」
「全てが終わってからだ」
「へぇ……」
商業専門の赤の陣営でも、一般人よりは腕っぷしが強いはずなのに……どうしてあんなにヘコヘコしてるんだろ。
あの人達も何か弱みを握られてる……なら報酬の話なんてしないか。
でも、裏で借金を背負わせてそれを自らが救ってやって恩を売った、なんて話の可能性もあるよな。少なくとも、ジャハナムでは任侠みたいな義理人情が通用するみたいだし、シムラーはそういう汚い手を使って「お供」にした人達を操っているのかも知れない。
なんせ、赤の陣営の目をすり抜けてあんな場所で荒稼ぎしてるんだからな。
もうこうなったら何を疑っても疑い足りないような気がして来た。
「何怖い顔してるんだい」
「あ、い、いや……」
お前らの事を考えてたんですよ、とは言えず、微妙な顔になる。
茶髪の貴族はそんな俺の顔をまじまじとみて、面白そうに目を細めた。
「ははあ、仲間の心配をしてるんだね? 大丈夫大丈夫、上手くこっちまで逃げて来る事が出来れば、ちゃあんと一緒に連れて行くからさ」
「一緒にって……」
ブラックの話を聞いた限り怪しいもんだけどな。
失敗したらそのまま置いて逃げるんだろう?
使えなければ始末する! って悪の軍団のセオリー過ぎていっそ清々しいけど、俺はブラックとクロウの知り合いなのでやっぱり良い気はしない。
早く逃げられる体勢を整えなくては……と、俺が思っていると。
どぉん、と大きな爆発音が遠くから聞こえてきた。
「っ!?」
強烈な音は空や地面を伝わって、俺達の体を震わせる。
初めて感じる感覚に何が起こったか解らず戸惑っていると、隣に居た緑髪の貴族が気楽そうな声で遠くを眺めた。
「おっと、やっぱり気付かれたか」
俺の肩を抱いている茶髪の貴族が何事も無さそうに言う。
気付かれたって……やっぱブラック達は失敗したのか?
一瞬焦りそうになるが、そんな事は無いと必死に自分を落ち着ける。
ドンドンと鼓膜を震わすような大きな爆発音が遠くから聞こえて来るが、だからと言ってブラックが捕まったり攻撃されている訳ではないだろう。
あいつが大丈夫って言ったんだから、俺は信じる。
俺だって、信用して貰ってるんだ。
きっとこの音は、陽動に違いない。俺が逃げる隙を作るための何かなんだ。
アイツなら、こんな事が出来てもおかしくないしな!
「あっちゃー……やっぱ使えない奴だったか」
「これじゃあリュビー財団を探らせるのは無理だったかな」
俺の後ろで、茶髪と緑髪がなんか言ってる。
「あんな強そうなデカブツ従えてんだから、使えると思ったんだがなあ」
「ウチの大将と同じだろ。口が上手くて知恵は回るが、力となるとからっきしだ」
「はあ、なるほどなあ。類は友を呼ぶってか」
……ふざけんな。
お前らが知らないだろうが、ブラックはとんでもない曜術師なんだぞ。
月の曜術師で、五曜すべての曜術を知ってて、属性違いである俺の師匠を立派に勤めてるんだ。自分の力で、俺を曜術師として育てようともしてくれたんだ。
お前らみたいな寄生虫なんかと違う。人を思い通りに動かして、自分はのうのうと暮らしてる奴なんかとは、絶対に違う。他人の人生を好き勝手に壊す下郎共に、外野から勝手な評価されてたまるか。
「おや、君……そんなに怒ってどうしたの。いやあ怒った顔も可愛いね」
「ハハハ、まあそりゃそうか。ごめんねぇ、会わせてやろうと思ったんだけど……どうやらさっきのが最後の逢瀬になってしまったようだ。でも、僕達を恨まないでくれよ? 失敗したのは彼らのせい。そこには僕達の思惑は何も絡んじゃいない」
ちげえよ。
ブラックの事なんて心配してねえよ。
笑うな。的外れな事で嘲笑ってんじゃねえ。
俺は。……俺は――――
「まあ、君を助ける事も出来ない……その程度の男だったって事だよ」
俺は、自分が信じる物をバカにされたのに……むかついてんだよ!!
「……ざけんな」
「は?」
「ふざけんなぁああ!!」
自分でも驚くほどの怒声を上げて、俺は背後で笑っていた男を突き飛ばした。
突然の行動にその場の誰もが状況を把握できず、硬直して俺を見ている。だが、俺はそれに対応する上手い言葉なんて言えず、驚く貴族二人を睨み付けていた。
こんな所で怒ってはいけない。素を出しては、隙を見せてはいけない。
理性が訴えているが、今まで我慢してきた反動なのか、それとも気がどうかしてしまったのか、俺は怒りを収める事が出来ず。
「アンタらに、アンタらに何が解るっていうんだ……!! 何も知らないくせに……たっ、他人を駒としか思ってないくせに……! なにがっ……!」
頭が熱い。勝手に目がじわじわ潤んでくる。
呆気にとられる目の前の男達には、きっと情けない俺の顔が見えてるだろう。
だけど、動き出した口は止められなかった。
「あいつは……っ、アイツは、お前らなんかと、ちがうっ……!!」
情けない泣き声。
こんなんで啖呵切ってもサマになりゃしない。だけど、悔しくて。
今の自分の姿も、こんな奴らに仲間を貶められて何もできない事も、ブラックとクロウの無事さえ全面的に信じてやれなくて恐れてるこの弱さも、全部。
重い足枷を引き摺りながら、俺はせめてもの抵抗だと凄んで見せる。
だが、その威嚇も外野だったシムラーには届く事も無く。
「随分と大胆な事をするね、ルギ君。その格好でこんなことをするなんて」
背後で近付いて来る音がする。
俺が重い身体を揺らして振り返ると、そこにはもうシムラーが立っていた。
「あ……っ」
至近距離で見下ろしてくる相手に、目を見開く。
シムラーは何の感情も無い綺麗な青い瞳を俺に向けていたが、やがて。
「団長の代わりに、今から私が躾け直してやろう」
そう言った瞬間、鋭く何かを叩くような音がして、俺の顔は横へ飛んだ。
何が起こったのかと混乱する間にも、じりじりと頬が熱く痛くなっていく。
動けない俺を冷静に見つめ、シムラーは指で俺の顎を捕えると、視線を自分の方へと無理矢理持って行った。
「お前の帰る場所はもうない。馬車の中でそれをじっくり教えてやろう」
優しさの欠片も無い冷たい声に、ゾッとする。
そんなシムラーの冷静さに周囲も我に返ったのか、貴族達は起き上がり俺の顔を覗き込んできた。手枷をされて足枷も嵌められているせいで、俺の体は簡単に後の二人に捕まってしまう。
手を取られ、肩を抱かれて、両耳に下卑た声を浴びせられた。
「やってくれるなぁ、可愛い子ちゃん……さっきのは痛かったぞ。あとでたっぷりお仕置してやるから、覚悟してろよ」
「あんなオッサンよりもいい夢みせてやるぜ?」
醜悪さを隠しもしない言葉に、反吐が出そうになる。
だけどもう、睨む事しか出来なくて。
ああ、もう、俺ってば本当に情けなくて涙が出るよ。
こんな時に何も反撃できない。反撃できる術がないんだ。
誰かから貰った力じゃない。他人の力じゃない、自分の力でできる事が。
「よく泣くね、ルギ君。本当に君は類稀な少年だ」
そう言って、シムラーが俺の顎を上にあげて、何かをしようとした。
と、同時。
「シムラー様!!」
遠方から叫ぶ声が聞こえて、また爆発音が鳴る。
気を取られた三人は俺を手放して声の方を向いた。
「来たか!」
伝達役らしきバンダナで顔を隠した男がこっちへやってくる。
忍者と見紛うほどの走りですぐに辿り着いたその長身の男は、息一つ切らさずにシムラーに報告を始めた。なんだ。ブラック達はどうなったんだろう。
思わず四人の方を見てしまう俺の耳にも、男の伝令の内容は聞こえていた。
「どうだ、数は解ったか」
「あの男の査術で、遠距離攻撃部隊は北西に五人確認できました。フレイムアロー有効射程内で並走中です。護送は前後左右に四人、合計十六人」
「状況は?」
「現在交戦中」
「ラーク達とか」
シムラーの言葉に、男は一瞬口を閉ざしてから――ゆっくりと首を振った。
「なんだ?」
「え……違うのか?」
周囲がざわつきだす。ブラック達を攻撃しているのでないのなら、一体誰を標的にして撃っているのか。ブラック達でないとすれば、何度も打たねばならないほど善戦しているのは、一体……。
「お供」達も困惑して騒ぐが、シムラーがその場を制す。
そうして、もう一度伝達役の男に向き直った。
「違うと言うなら、誰が戦っているんだ?」
シムラーが冷静に問いかける。男はその言葉に寸時間を開けて、微かに笑った。
「誰が戦っているか? そんなの決まってますよ」
男は、シムラーを見下して――――はっきりと、言い放った。
「僕達と、お前らだよ」
聞き覚えのある声。
ずっと待っていた、その、低くて耳に残る、声。
思わず名前を呼ぼうとしたが、その声は俺達を取り囲むようにして聞こえてきた大勢の足音にかき消された。
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